小亀の海

ちよ

この経験さえなければ、苦しまないで生きられるのだろうか。

友人と一緒に、よく足を運んだ江の島海岸を散歩した。

風はそれほど吹いていなかったが、雨上がりということもあり、

波が少し荒れていた。


風が顔を優しく触れ、波が足を濡らし、ぼんやりとした会話を交わした。


すると、足元にある小さい緑の生き物に気づいた。


——海亀の赤ちゃんだ!


中指と親指で作った丸ほどの大きさだった。

周りを見ても、ほかに親亀どころか、小亀もいなかった。


かわりにカラスが3羽、小亀を見つめていた。


小亀は、必死に海に向かっていた。

ザザザッ。ザザザッ。


「頑張ると海亀って早いな」と思った。

その間、友人は邪魔しないように注意しながら写真を撮った。

しばらく小亀を観察した。


まずは真っ正面ではなく、横から海に近づいていた。


小波が来るたび、浜辺へと流された。何回も何回も海に向かい、流された。

しかし、その幼い足でまた海に向かって走ったり、波に流されたり、波が海に戻るときに足で土を掴んだり、また走ったり、そして少しの間残ってくれる波がいれば少し泳いだりした。


その繰り返しを眺めながら友人と話した。友人は親切で、動物好きな人だ。


小亀を可哀そうに思い、助けたいと言った。

例えば手に取って大きい波の向こうまで投げるとか。

だが、自然に任せようと私は強く言った。


見続けた友人は小亀が波に転ばれるたびに手を貸そうと思い、我慢しているように見えた。ああ、人間はよくこうなるんだね、自分の力でなんでもしようとしちゃうよね。


はて、私はどうして自然に任せようなど言ったのかなと自分に問い始めた。で、その時ある発想を得た。


これって神様が作ったものだよね。だから、この辛そうな経験はきっとこの小亀に絶対必要なものだと思った。この訓練で神様が小亀の小さな足を強め、ちゃんと泳げるようにしてくださる。


この経験さえなければ、苦しまないで生きられるのだろうか。だが、この訓練がなければ、足が弱いままで、泳ぐ経験もない。もし海に入ったとしたら必ず溺れてしまうに違いない。辛い経験、大変な習い事、進まない道、無理っぽい可能性、それらを神様の目からしてみれば必要なものであろうか。私たちのミスでも、若い私たちを教えてくれるし、手に負えない状況でも、知らないうちに私たちを導いてくれる。ある意味でこれは神様の優しさといえるだろう。


そして、ようやく一時間後、訓練が重ねられ、時が満ち、今の小亀に必要な波が送られ、最後に海へと泳いで行った。


最後まで諦めないで海に向かう小亀。

諦めないで神様に向かう人生。

それってどんな感じ何だろう。


海亀のおかげでいっぱい学んだ一日となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小亀の海 ちよ @KitsuneChiyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る