第9話 赤石一の戒律

今のクラスで初めてのやりがいと、満足感を感じた赤石は自宅へたどり着く。明日も仕事があるので、いつも通りにシャワーを浴びて、自室に入る。


 彼は仕事中や、生活の中で楽しいや、いい思い出、幸福な気持ちを感じた時、自室でとある儀式を行う。


 彼は自室の壁に挨拶をする。


「ただいま、蒔菜」


 そう呟き、赤石の見つめる壁の一面には、天井にかかるまでの夥しい数の、紙、写真、新聞の切り抜き、ゴシップ誌の切り抜きが、ピンやセロテープで張り付けられている。その後ろにかすかだが東京都の巨大な地図が張られているのが見てわかる。乱雑に張られているように思えるが、すべて実際に起きた場所とそれに関連する地域ごとによって、まとめられ、一部の個所は赤い紐で結ばれ幾何学模様を浮かび上がらせている。


 その中心にはとある事件の新聞や週刊誌の記事がまとめられている。「雨の中の犯行、女子中学生通り魔事件」「犯人は愉快犯か?!女子中学生通り魔事件」「未だ犯人見つからず、捜査打ち切りか!女子中学生通り魔事件」と大きな見出し文が書かれている。そしてその中心に未だ幼げ残る女性の顔写真が張ってある。


 その写真を見るたびに赤石は過去をフラッシュバックさせる。彼女が自分を呼ぶ声が聞こえる。


「おにーちゃん!」


「あああああああああああああああああーあっあああああああああああぁ。はぁ……はぁ、ああああああああああああ、あああああああああああああ!あああああああああーあああああああああああああ、ああああああああああああああああ!」


 彼が日々せき止めている感情が爆発する。


「あがああああああああ、あっああああああああああああっあああああああ、まきな、まきなまきなまきなまきなまききなあなああああああああああああああアあああああああああああああああああアアああああああ」


 壊れたレコードの様に叫びながら、ひざを折り体を抱きかかえるように崩れ落ちる赤石、その慟哭は止まらない。


「まきなぁ、まきぁあああああああああああああ。まきな、っぐああぁ。まぁきなあああ」


 そして彼しかいない部屋で、何もいない虚空に話しかける。


「殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅううううう。必ずお前を殺す。どこまで逃げても必ずだあぁ。俺のすべてをかけてお前を殺す、償わせる機会は与えない俺が必ず!」悲しみと怒りをまだ見ぬ犯人へぶつける。


「なぁ……、教えてくれよ。どうしたらお前を殺せるんだ」


 赤石一はこうして自分を取り戻す。


 彼女達とふれあい、昔の自分に戻ろうとする自分を戒めるために、自分が幸福であることを許さない。彼は常に、自分は不幸でもいい、糞にまみれてもいい、どうなってもいい。コイツを殺すためなら悪魔にでも魂を売ると心に決めている。この壁はそれを思い出させてくれるための必要な物であり、儀式。彼女を自分の中で風化させないために作り上げた祭壇である。この壁がある限り彼は、何度でも復讐という炎に身を委ね、焼き焦がれ、爛れる、そして漆黒の意思を宿すことができる。


「はぁ……はぁ………ぁはぁっ」


 彼は桜葉成見に対して、煙草に狂っていると思ったことを思い出し、自虐的につぶやく。


「ははっ。これじゃあ、お前に狂ってるなんて言えねぇよなぁ……」


 復讐という炎を体に押し込め、感情の波を抑える。息を整えて、今一度彼は自分がこの一年間調べ上げた資料を見つめる。


 中心部の資料は彼の妹である赤石蒔菜に関連する、女子中学生通り魔事件でまとめられている。その資料の中には自分の足で手に入れた証言、現場の写真と警察も知りえていない事件の詳細情報がまとめられている。


 その外側にはこの事件に関連がありそうな地方、都内で起きた事件、彼女の事件以降ぱたりと事件が起きなくなったもの、ネットの噂など、彼が関わりがあると睨んだ事件が張り出されている。一年間続けた資料は壁一面を覆いつくし、今では天井にも届きそうなほどである。


 その中でも彼が常に興味を引く事件が一つある。『七匹目、いつまで続くのか動物死体放置』『誰かの悪質のいたずらか昼間の公園に鳩の死骸』動物の死体放置の事件である。


 この事件は彼女の事件後ぱたりと犯行が途絶えた。警察は悪質ないたずらであることの事件と彼女の通り魔事件を関連付けて見ていないが、彼はこの犯人が同一犯と疑い続けている。しかし決定的証拠も何もない。その記事を見つめる目には漆黒の意思が詰まっていた。


「まきな」


 彼女の名前をつぶやき、覚悟は決めて彼は立ち上がる。ランニングに出かけるためだ。理由はもちろん犯人と出会うためだ。


 彼はこの一年間以上、理由がない日は必ずランニングを行っている。いつでも犯人が犯行を再開してもいいように、その現場に居合わせるために。


 犯人が再び犯行を行うことがあるような下町の暗がり、大きい公園など、過去の犯行現場、これから起こすであろうと予想される犯行現場を数珠つなぎにしたルートを走る。


「今日は時間が遅い時間だから近場の、F12ルートからF46までを走るか」


 走るルートが自宅から離れるときは、競技用のスポーツバイクで近くまで移動してから走ることもある。赤石は今日の走るルートを自身のスマートフォンに記録し、出発の準備を始める。


 まずはリビングに戻り洗濯物の中から黒のスポーツウエアを取り出し着替える。これが彼の死装束であり、戦装束である。


「よし」


 玄関を出る際に再び気合を入れるために両手で自分の顔を挟み込むように叩く。そして彼はひっそりと音をたてないように玄関を出る。いかなる理由でもお世話になっている人を巻き込むわけにいかないからだ。


 今日は居てくれよ。


 ランニングに出かけるときは必ず心で神に祈る。


 はやく俺と犯人を合わせてくれ、殺させてくれ。


 漆黒の意思を纏った復讐者のランニングは、今日も空が白ばむ時間まで続いた。


 Fine

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