第二話 東奔西走①

「はぁ、はぁ、はぁ。クッソ…………なんで俺が」


 彼は息を切らし、夜の池袋を今日も疾走する。


「……こんなこと、くっそが、くそが、くそが、はぁ、はぁ……ぁ」


 予想したルートは、もうスマートフォンのナビが無くても走れるほどには走り尽くした。


 肺が裂けるように痛い。足が重りをつけたようにうまく持ち上がらない。


 くそが、なんでだよ、くそ、俺は! また、間に合わないのか、また!


 時刻は午後二十二時四十五分、赤石一は昨日に引き続き、池袋で自身のクラスの生徒、蹟大美羽の捜索を行っていた。


 時はさかのぼる事の二十四時間前。


 桜葉成見との池袋デートの後に始めた、蹟大美羽の捜索は二十三時ごろに、彼女からの電話で終わりを告げた。


 電話中の彼女は終始涙声で、電話に出た時赤石はもう遅かったかと思った。しかし彼女は今日は無事、ということだけは聞き取ることができ、ほっと胸を撫で下ろした。


 どうやら彼女の帰宅後にチャットに気づいた蹟大から反応があり、今日の様子を聞くことができたとの事だった。


 赤石は更なる事情を聴くために、電話越しに桜葉をなだめ、聞き取れた出来事を説明させた。報告された内容は、おおむね桜葉の予想の通りであった。


 今日は蹟大とパパは十八時頃にご飯だけ食べて解散した、その時に高価なバックを貰ったという、そして明日日曜日の夕方に会う約束をしたとのことだった。


 最悪なことは桜葉が彼女を説得しようとしたが、説得は失敗し、連絡もブロックされてしまい、もう連絡がつかないとのことだった。


「クッソ、どうするよ」


 スマートフォンを握りしめて、池袋の繁華街を呆然と立ち尽くす。


 桜葉はもう蹟大と連絡がつかない。それに明日も合うだとふざけやがって、どこのパパだかしらねぇがいらねぇ仕事増やしやがって、どうすればいいんだ。


 スマートフォンを確認するともうすでに二十三時を超えていた。


「…………一旦帰るか」


 赤石は疲労した体を引きずり、池袋を後にした。


 帰宅後、自身の部屋で桜葉から受けた報告から明日の作戦を練る。


 桜葉の話では夕方にお肉を食べる事になってるらしい。ふざけやがって。なにがお肉だ。


 自宅のパソコンで池袋駅周辺の焼き肉屋を調べると、百五十七件もヒットした。検索を『池袋 肉』に変更した場合は三百二十二件、ほとんど池袋全域を網羅していた。


 池袋駅の一日の平均利用者数は約二百六十四万人、それにタクシー、自家用車、と徒歩のすべての人数が足されたのが、一日に池袋周辺を利用する人数だぞ、これじゃ、海に落とした一枚のコインを探すようなもんじゃないか。


 さらに検索角度を上げて援助交際で使われそうな、高級なお店を調べあげる。その後、個室であること、シェフがついていない事、ラブホテルの近くにあるなど様々な検索を行い、なんとか候補を五十四件までに絞ることができた。


 クッソ本気で言ってるのか、ここまで絞ってもこんだけ候補があるのか、本当に。


 ふと、検索をしている時にデスクにある妹である、赤石蒔菜の写真が目に入る。


「……っ」


 赤石は作業を一時中断し、いつもの儀式をする場所に移動して、壁に向き合う。


「……なぁ、蒔菜。俺はどうしたらいいんだろう」


 もちろん誰も言葉を返す人はい無い。その言葉は虚空へ消える。


「もう面倒くさいよ…………本当に。辞めたい、諦めたい、面倒臭いよ」


 彼はこの一週間前まで、彼女達と距離を取り続けるように行動をしていた。復讐という狂気にまみれた手では彼女達の手を握ることはできないから。


 しかしこの一週間は、全ては自分が楽になるためのという建前で、自分を言いまかせて行動をして来た。だが部活動、休日のデート、池袋捜索、もう自身に言い訳が出来ないレベルの内容になって来ている。確実に彼は彼女達に深く干渉し始めている。


 自身が復讐よりも彼女達を優先し始めていることに、彼は気づいていた。


「蒔菜、お前は他人の悪意で深く傷ついた。お兄ちゃんはそれが今でも今でも許せないよ、お前がもう返ってこないと、分かっていてもこんなことを続けているんだからな」


 自嘲的に笑い、天井にも浸食を始めている自分のおびただしい執念の証を見渡す。


「蒔菜、蹟大は俺とクラスの生徒でな、お前と同い年なんだ…………蹟大はお前じゃない! そんなことは分かっている。重ねることもおかしい。でも! 俺は目の前で今助けられるかもしれない、傷つく女の子を助けたい!! これはお前への贖罪かもしれない。お前を助けられなかった俺の、自己満足かもしれないでも、でも! アイツを見捨てたら一生、お前に顔向けができない、そんな気がする」


 俺はあの、あの三月二十日をやり直せるとしたら、どんな犠牲でも払うだろう、それこそ自身の命さえも。


 壁の中心にある彼女の写真と目が合い、彼女との過去を思い出す。


『お兄ちゃん、担任は生徒を一生見捨てないもんじゃないの』


 思い出の彼女に頑張ってこいと背中を押された気がした。


「ああ、俺はまだ教師なんだ。どんなに腐っていても、あいつらの担任なんだ……」


 あの雨の中、自分のすべてを棄ててまでも、蒔菜の復讐をすると誓った。そうしなければ成し遂げれないと思ったから。でも。


「明日だ、明日だけ、あいつ等のために昔の俺に戻ることを許してくれ」


 一時、お前のことを忘れても良いだろうか。一時、お前の味わった苦しみを忘れていいだろうか。一時、あの日の誓いを忘れてもいいだろうか。お前を忘れ、あいつらのために。


「許してくれ、蒔菜」


 彼は今一度、復讐を忘れ昔の自分に戻る。もう二度と、妹のような他人の悪意によって傷つく少女を生み出さないために。覚悟を決める。


 彼は再びパソコンに戻り、作業を再開する。


「候補は五十四件…………」


 これでさえ、かなり条件を厳しく引いての数だ。明日偶然にも予定を変えるかもしれない。ちがう場末の肉屋に行くかもしれない、だがこれが今一番確率が高いであろう場所。


「もっと言うのであれば俺ならここか、ここあたりを責める」


 さらに自身の考えと照らし合わせて十軒に絞る。


 場所を絞ったところで、中に入るわけにもいかない、行けてその店の前だ。


「しかたがない……全部回るか」


 そうと決まればスマートフォンを取り出して、五十四件すべての位置情報を記録していく。その手つきは手際よく、素早く候補の場所を登録していく。


「次は一番匂うところを重点的に回れる、最短距離の割り出しと、回れる道順の候補検索」


 その行動はよどみは無い、なぜなら彼はこの作業を一年間以上続けていたのだから。


「…………糞だな」


 出来たランニングプランを眺めて悪態をつく。


「走れる場所が少なすぎるから、時間がかかりすぎる」


 しかし繫華街を全力疾走するわけにもいかない、いくらランニングウェアを着ていたとしても職務質問を受けてしまう。走れる場所は限られている。


「これ以上のルートは無い……か」


 明日はかなりの体力勝負になる、もう寝るべきか。


 時刻は未だ午前1時、彼にとっては早すぎる就寝だったが、床に着くことにした。


 時刻は午前十時十分、赤井一はスマートフォンのアラームで目を覚まし行動を開始する。


 まずは、今回の件で唯一頼れそうな友人に電話をかける。ワンコールで繋がる。


「原神か」


「おう、どうしたよ一、お前からかけてくるなんて珍しいな。イチ」


 彼は高校来の友人で今でも赤石一を高校時代のあだ名のイチと呼んでいる。


「お前の携帯電話が復活していてよかった原神」


「昨日買いなおしたんだ、それより昨日よくもすっぽかしやがったな、昨日は一人飲み会だったぞ」


 確かに昨日は一緒に幸来軒で飲む約束をしていた。忘れたわけではなかったが、気づいたときには時間は過ぎていた。


「その埋め合わせはいずれする、それよりも、俺の話を聞いてくれ」


「どうした」


 真剣な赤石の声に原神は態度を変える。


「今日ウチの生徒が池袋で援交することになっている、地域課でも生活安全課でも何でもいい、人手をまわせないか」


「おいおい、どういう事だよ。なんだって、援交?」


「ウチの生徒が面倒ごとに巻き込まれてるんだ。手伝ってくれ」


「だが俺は」


「頼む、お前しか警察関係者の知り合いは居ないんだ……頼む」


「……その事件はこれから起こるんだろ、それじゃあ状況が不確定過ぎて、警察として出動はできない」


「今日池袋の配置を増やすとか、不良少年少女撲滅とかで、しょっ引くことは」


「それは無理だ。そんな事をしたら池袋にいる若者を全部片っ端かたら捕まえなくちゃならない」


「……クソぉ、ダメか」


 元々ダメもとだった、未遂の起きていない事件に警察の応援を頼むことなんて。


「……だが、友人としてなら手伝える」


「本当か!?」


「だが、そんなには協力できないぞ、お前と違ってこっちには日曜日にも仕事があるんだ」


「それでもいい! 助かる!」


「詳細をメールで送ってくれ、それとその生徒さんの顔写真加工してないやつな。知り合いの非番の奴にもあたってみるよ」


「わかった。ありがとう」


「今度おごれよ、俺ら全員に」


「すまない、ありがとう」


 彼との電話を切り、今日のために出発の準備を始める。


 準備をしている中で、先ほどの会話を思い出し、あることに気づく。


「……あいつの写真か」


 元々彼女達に興味のない赤石が、彼女達の個人情報である顔写真なんて、そんなものを持っているはずもなく、桜葉にチャットで連絡を入れる。しかし連絡を待つ暇はないので、いつものランニングウェアに着替え家を出た。


「あ、先生。今日は」


 第二和田ビルの階段を降り切ったところで、御伽噺に声を掛けられる。


「ああ、楓ちゃん今日もいらない、いつもごめんな」


「いえいえ、私のわがままですのでお気になさらないでください。それより先生、昨日なんですが」


「ああ、原神の件だな、それもごめんな、アイツには話したけど楓ちゃんにも迷惑をかけた、すまない」


「先生がお知りになってるなら大丈夫です。それに原神さんが先生の分もお支払いになられたので迷惑は掛かっていませんよ、ウチはあくまで料理屋なので」


 いつも通りの屈託のない笑顔で彼女はそう言った。


 あいつには悪い事をしたな。


「でも、すまない。今度アイツとその知り合いとおごることになったから、その時にまとめて恩返しさせてもらうよ。本当にごめんな」


 頭を下げて謝罪をする。


「いえいえ、では、その日を楽しみに待っていますよ先生」


 顔を上げた時彼女は、いつもの笑顔だった。


「じゃあ、行ってきます」


 その時赤石のスマートフォンが微かにバイブレーションする。


「行ってらっ」


「ごめん、楓ちゃん」


 赤石は彼女に断りを入れスマートフォンを確認する。


「ダメか」


 画面には『ちょびっと加工した奴はあるけど、無加工の正面からの写真は無いです、ごめんなさい』とチャットが表示していた。


 こいつでも持ってないって事は、どうする。


「楓ちゃん!」


「はい」


 ダメ元だ。彼女が持っているはずないのだが。


「蹟大の写真って持ってないか、出来ればスマホアプリで加工してない、正面からの写真なんだが」


「蹟大さんのですか?」


「ああ」


 彼女は顎に指を当てて、考える仕草をする。


「流石に持っていません。すいません先生」


「いやいいんだ。こちらこそ変な事を聞いて申し訳ない。ありがとう」


 やはりそうか。


「ですが、先生は持ってるのないですか?」


「ん?」どういう事だ。俺が持ってる?


「ほら、私はもう既に頂きましたけど、入学式の日に撮ったじゃないですか、資格取得の時のための証明写真ですよ。たしかシールで4枚あるって、言ってたじゃないですか」


「それだ」


 思わず彼女の両肩をつかむ。


「はいぃ!」


 突然のボディタッチに彼女は頬を赤らめる。


「あ、ごめん。つい。ありがとう、楓ちゃん。じゃあ行ってくる」


「はいー、行ってらっしゃいませー」


 これからの目的地を池袋から、学校へ変更をし赤石は最寄り駅までの道のりを疾走した。


 基本的に公務員は日曜日は休みだ。よって公共の施設である学校は空いていない。しかし日曜日にも基本的に学校は動いている、なぜか学校でしかできない仕事を山ほどあるからだ。都から支給されているパソコンは起動制御がかかっていて、二十四時間以上起動していると強制再起動が架かったり、水曜日には『今日はノー残業デー』と定時制を無視したポップアップが出るくせに、土日の起動制限はかけていないのだ。つまりは知らず存ぜず勝手に働けということだ。赤石だって昔は毎週日曜日にサービス残業をしていた。


 時刻は午前十一時時二十分、赤石は定時制社会科職員室の自身のデスクから、くだんの写真を探し出す。


 確かにあった、入学時の彼女の不愛想な証明写真が。


「これで」


 学校までに道すがら、桜葉と原神には今日の詳細をメールで送っていた。スマートフォンで証明写真をそのまま撮影した、原神に送信する。


「よし」


 定時制社会科職員室の扉が開かれる音がする。


 誰だ、そんなことより。


 手元に持っている写真をすぐさま机の間に忍ばせ隠す。


「珍しいですね、赤石先生が日曜日に学校に居るのは」


 侵入者の正体は副校長で会った。


「副校長だって、日曜ですよ今日は。仕事しすぎですよ、どうしてここに?」


「いえ、偶然来る君が見えたもので、何事かと思いましてね」


 そりゃそうだ、むしろ定時制の職員で休日出勤なんて大真面目な奴は、副校長しかないだろう。


「忘れ物ですよ、天文学部で必要なものでして」


 そうだ彼女は必要なのだ、我がクラスに。


「ほぉー、そうですか。あんまり根を詰めないように気を付けてさいね、ではそれでは」


 副校長は出ていった。


 絶対俺が何かあることに気づいていた、普段俺がスーツで来るのにスポーツウェアな時点で副校長にバレバレだ。しかしそれを突っ込まない。つまりは面倒ごとは起こすな、自分で処理しろ、私は知らないという事だろう。やってやるよ副校長。


 赤石はすぐさま学校を後にし、池袋へ向かう電車に乗りこみ、到着までの間今日の作戦について思考する。


 出来るのか、本当に池袋でたった一人の女子高生を探すことが。ルートは絞った、夕方までにルートの下見を終わらせて、あとはアイツと出会えれば。終わり。二十時からは原神とその同僚たちが来てくれて、探す手はさらに増える、だがその分、池袋の人も増える。


 そもそもアイツが本当に池袋で会うのかさえも怪しい、桜葉とやり合って変更するかもしれない。考えれば考えるほど、様々なパラメータが登場し、成功確率は天文学的数字まで下がるだろう。


 だが、やると決めた。蹟大美羽を助けるために俺は覚悟を決めたんだ。考えてみろ那由多分の一で起きる奇跡で、今から蒔菜を助ける方法があるなら俺は、それを那由多まで繰り返すだろ。そうだろ俺。




 確率的にはあり得ない、現実では到底不可能なものだろう。彼の行う蛮行は。


 しかしこの世界は、この舞台は彼が主人公だ、いつだって運命の天秤は彼のために傾く。彼に都合のいいように。


 那由多の奇跡なんて木曜日の夜に既に起きているのだ。あり得るだろうか、あそこまで感動的なタイミングで流星群が起きることなんて。この世界では天体の動きさえも彼に味方をする。運命と因果律のすべてが舞台装置だ。


 この舞台は彼を中心に回っているのだ。しかし運命の天秤は彼の事にしか傾かない、彼がそうなる様にしか。




「はぁ、はぁ、っはぁ、んん、はぁ、はぁ、み、見つけた」


 時刻は午後二十三時三十三分、彼はついに見つける、池袋で彼女を。


 やはり目立つな、遠目からでもアイツの綺麗に染めた金髪は、この暗闇でも蛍の様によく目立つ。


 彼女はきらびやかな繁華街ではなく、繫華街の陰にポツンとある公園のベンチに座っていた。


 だが、時間や彼女が一人で座っている状況を考えるともうすでに遅いのだろう。


 くそが、なんでだよ、くそ、俺は! また、間に合わないのか、また! まだああああああああああ!


 体の内から湧き上がる衝動を抑えきれず、近くの電柱を右手で全力で殴りつける。拳から右腕、肩まで貫くような痛みが肩まで走る。


「がぁ…………はぁ、くそぉおおおおおおおおおお」


 さらにもう数度、右手で電柱を力任せに殴りつける。


「何が昔だよ、ふざけるなよ、何の役にも立たねぇじゃねぇかよ糞が!」


 彼は拳から出血をし、あまりの痛さに思わず膝から崩れ落ち右腕を抑える。


 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞があああああああああああああああまたかよ、またおれはああああああああああああああああああ。


「はぁ、はぁ、はぁ、は……」


 そんな、事よりアイツを助けなくては、ここは深夜の池袋あんな奴また食い物にされる。


 もう五時間以上周囲に精神を尖らせながら、全力で走り続けた、体にムチを打ち、しびれる感覚のない右腕を持ち上げ、未だに公園にポツンと座る彼女へ近づく。


「クソッ」


 近づいて様子がさらに分かる。彼女の衣服が乱れている。ボタンは掛け違えているし、靴は片方履いていなかった。どこからどうみても襲われた形跡が見える。そして彼女はどこか虚空を見ている様に虚だ。赤石は再びあふれ出る黒い意志を抑えながら、自身の最大限出せる優しい声で彼女に話しかける。


「蹟大」


「ひぃっ」


 彼女は何かにおびえるように、自身の体を小さく曲げ体を抱く。


「ひっ…………あ、あの……」


 ダメだ俺の事さえ分かっていない。


 今度は膝を立てしゃがんで、彼女から顔を見える高さでもう一度声をかける。


「俺だ、赤石だ。お前の担任の赤石一だ。わかるか」


「ヒッ……え、せ、んせい?」


「そうだ、お前の嫌いな学校の先生だよ」


「せ、先生、な……なんで……ここが」


「お前の友達に感謝するんだな」


「ひ、ひと……み?」


 彼女との出来事を思い出したのだろう、すぐに答えに辿り着く。


「そうだよ、桜葉のおかげだよ。とりあえず立てるか、蹟大。場所を変えよう」


 赤石は彼女に見えるよう動く左手を差し出す。


「……う、うん」


 彼女は素直にその手をか弱く握り返す。


「とりあえず、何も気にせず俺についてこい、桜葉にも今連絡をしてきてもらう。なんなら目でもつぶってでもいい、俺が手を引いてやる」


「……うん」


 どうする、あまり彼女を連れまわすことはできない。衣服の乱れた無抵抗の女子高生の手を引いてるなんて、警察に見つかったら百パーセントアウト。原神が来るまで解放はされないだろう。ファミレスとか人の目があるとこなんて論外だ。


「チッ……」


 最初から緊急時の最終避難場所は赤石の作戦に用意されていた。それはあくまで緊急時だ。しかし今の彼女の状況ではそのカードを切らざる負えない。


「糞が」


 今コイツを救える場所が、彼女のトラウマを生みだした場所かよ、糞、だがそれしか方法は無い。


 衣服の乱れた女子高生を、ほとんど誰身も見つからずに、落ち着ける、他人から絶対に干渉されない場所。ラブホテルへ赤石は彼女を連れて行くことにした。


「桜葉が来るまでの、あともう少しの辛抱だ。絶対にお前を守る、だからついて来てくれ」


 赤石は俯く彼女を、引き連れて夜の池袋を彷徨う。


 時刻は午前零時三分、赤石は無事に彼女を近場のラブホテルまで、安全に連れてくることができた。


「…………チッまだか、桜葉」


 彼は道すがら、発見したことを桜葉にチャットで伝え支援を要請した。


 入場時に彼女が再び怯えだし、騒ぐことも考えられたが彼女はうつむいたまま、なにも反応を示さなかった。


 彼は部屋にたどり着いてからは、彼女をベットに座らせ『桜葉を呼ぶから待ってろ、つらいなら寝てもいいぞ』と宥めて、自身は別途から少し離れたところのにある二人掛けのソファに座った。彼女は依然ベットに腰掛けひたすらに虚空を見つめる虚な状態が続いた。その後彼は、桜葉に現在地のチャットを送り、こんな時間まで付き合ってくれた原神に電話を入れた。


 彼は文句ひとつ言わずに『よかった』と言ってくれ、今後の事についてアドバイスをくれた。


「……来たか!」


 テーブルの上に置いた自身のスマートフォンがバイブレーションをする。彼女からの到着の合図だ。


 急ぎ部屋の部屋のドアを開ける。彼女は入り口の赤石にぶつかるほどの勢いで、部屋に飛び込んでくる


「先生!」


 思わず彼女を抱き留める。


「俺のことはいい、あいつを」


「うん!」


 再び彼女は部屋に駆け出す。


「ごめんね美羽」


 彼女は持ってきた荷物を床に置いて、ベットに腰掛けている蹟大を力強く抱きしめる。


「……な……るみ」


 蹟大は強く抱きつかれ、彼女に名前を呼ばれ現状を理解する。


「ごめんねごめんねごめんねごめんね、ごめんね。ごめんね美羽」


 謝罪なの、贖罪なのか、彼女の悲痛な言葉が部屋に響き渡る。


「な、なるみいぃぃ……いい、いいいいいいいいいいいいいいい」


 先ほどの虚な彼女と変わり、彼女もそれに共鳴する様に声を上げる。


「ど、どうしてこうなっちゃったんだろうね、、ごめんね美羽うううううううううう」


「ぁ、ぁ。ぁ。ああなるんみいいいいいいぃぃいぃぃあいぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 それから二人はお互いの喉が枯れ果てるまで、抱き合い、泣き、お互いを慰め合った。


 泣き止んでから数分経って落ち着きを取り戻しても、彼女達は未だ抱き合い、小さな声で話をしている。


 赤石はその声に意識を外し聞かない事をした。なにを話しているかは容易に想像ができたから。


「先生、私達シャワー浴びてくる」


 桜葉は彼女に寄り添う様に立ち上がり、ソファで座る赤石にそう告げる。


「おう。って着替えは」


「私の持って来てる」


 彼女は持って来たバックをアピールして見せる。


「ああ、早く行ってこい」


 桜葉はこうなる、衣服の着替えが必要な事も予想していたのか。


「……行こ、美雨」


 彼女は小さく頷き、桜葉に手を引かれ脱衣所に消えて行った。


 暫くすると、風呂から再び彼女達の泣き叫び合うが聞こえて来る。


 また救えなかったと、赤石は自責の念に駆られる。


 クソが、クソがああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 既に指先の感覚のない右手で、ソファを叩く。出血は既に止まったがその手には生々しい傷跡が残っている。永遠と指先から割かれるような痛みが続き、激痛で手を開くことさえできないが、彼は気にしない。


 この痛みでさえ肉体の傷だ、いつかは塞がり治るだろう。しかし蹟大は……クソが。


 約1時間ほど、彼女達は脱衣所から出てくる。蹟大は桜葉が持って来たであろう、ラフな服装に着替えさせられていた。


 二人揃って寄り添う様に、そのままベットに寝転がる。


 とりあえず今日はひと段落か。


 赤石自身も整理が付き、落ち着きを取り戻す。ソファに深く座り天井を仰ぎ見る。


 タバコでも吸えれば最高なんだがな。


 今の彼女の前で吸うことはためらわれた。


「先生」


 彼女が隣に腰掛け、ソファが少し浮きあがる、体を起こし彼女に向き合う。


「蹟大の方はもう落ち着いたのか」


「うん、大丈夫、流石に色々あって疲れて寝ちゃったみたい」


「そうか」


 今はすべてを忘れ、眠れ。蹟大。


 ベットで健やかな呼吸のリズムに布団を上下させる、寝ている彼女をいつくしむ表情で眺める。


「それでね、先生」


「どうした」


 改め桜葉に視線を戻す。


「正直、蹟大は助けられたかもしれないし、助けられなかったかもしれない」


 膝の上で組んでいる、女の両手が、微かにだが震えている。


「ん? どういうことだ」


 彼女は俯き悩む表情を見せる。


 ……まずい話か。


「いや、いいんだ、お前に語らせる話じゃない、何度も言ったが」


「先生には聞いておいてほしい、彼女の今の状態を。今後のためにも」


 彼女は赤石の言葉を遮り、覚悟を決めた表情で見つめ返してくる。


「あのね…………挿入はされなかったみたいなの。されなかったというかされそうになったから逃げたが正しいのかな」


「つまりはレイプされそうになったと」


 赤石は事実確認の為に、あえて直接的な表現を使う。


「そうなるね。美雨ね、ホテルまでは自分の意志で着いて行ったんだって」


「……なら半分は自業自得だ」


 桜葉の説得で無理だった時点で、アイツの目的はもうすでに目的は自傷行為つまりは性体験だった筈だ。


「ホテルで部屋に入った途端、人が急に変わって襲われたんだって、どこまでされたかはわからない、でも彼女の衣服には……」


「いい、すべて言うな。大体わかった、男は連続で何回も出来ない、おそらクソ野郎が事をなしたあとに、アイツは逃げてきたんだろう」


 だから彼女の衣服は乱れていたのだ。


「うん……たぶんそうなんだと思う」


「先生っ」


 彼女が赤石の腰に抱き着き顔を埋める。聞かなくても赤石は分かる、彼女も後悔をして、彼女と同じ傷を負ったのだろう。自分があと少し早ければ、説得を、一緒にと、過ぎた後悔を。


 赤石は彼女の頭をやさしく撫でる。


「お前はよくやった」


「―――――――――――――――」


 彼女は再び泣き始めた。彼は彼女が泣き止むまでその手は止めなかった。


 五分後彼女はようやく顔を上げて、赤石に向き直る。


「すん…………ごめんね、先生、服汚じじゃっだ」


 未だ涙は引かず、鼻も出ている。


「こんなのは洗えばいい気にするな」


「すん……っ……うん」


 彼女に貸した腰から胸にかけては彼女の涙と鼻水でびしょびしょになっている。


 スポーツウェアだから、皮膚につき湿って気持ち悪いが、しかたない。


「う、…………ぅん。すん、ぜんぜいがじて」


 彼女は俺に向かって手を差し出してくる。


「あ? なにを」


「上着、洗ってがえずよ」


 風呂場かなんかで洗ってくれるのか? しかし俺はこれを脱いだら、上裸だ。いいのか生徒の前で。


「まあいいか」


 蹟大は寝ている、裸と言っても相手は桜葉だ。気にしなくていいだろう。


 一旦彼女から離れ、上着を脱いで彼女に渡す。


「じゃあ頼む」


 しかし彼女は両手で受け取った赤石の上着にそのまま顔を埋める。


「ずびーーーー」


 あろう事か、彼女はそのまま上着で鼻を噛んだ。


「おいおい!」


「えへ、へっへへ」


 もう涙で目は腫れていて、ぐしゃぐしゃな顔の彼女は初めて笑顔になった。


「はぁ、どうすんだよそれ」


 お前が気が済むならそれいいよ、もう。


「だから洗って帰すよ」


「……じゃあそういう事でいいよ。桜葉これから少しいいか」


「うん、桜葉ちゃんは先生の胸を借りて完全復活よ」


 彼女は空元気であったが、両手を腰に当て胸を張る。


「じゃあ、まずこれからやってくれ」


 赤井氏は事前に回収した物をテーブルの上に取り出す。


「なにこれ」


「蹟大のスマートフォンだ」


「なるほどね」


「あいつの参加しているSNSのアカウント削除、もしくは投稿の削除を頼痛っつ」


 スマートフォンを渡そうとしたとき右手が痛む。


「先生その傷」


 彼女が右腕の傷を見つける。


「いいんだ、これはくそ野郎と争ったとかじゃない。勝手に俺が傷ついただけだ気にするな」


 電柱殴ったなんて恥ずかしくて言えん。


 水で洗い汚れは落としたが、傷は残る。その傷は彼の後悔の証だ。


「だめだよ、先生手当てしないと」


「だがこんな場所では、直すものないだろう」


「私持って来たから!」


 彼女はベットまで駆け寄り自身のバックから、消毒液と絆創膏、包帯、ガーゼと応急セットを取り出しテーブルに広げる。


「用意周到だな、なにか予想していたのか?」


「美羽が糞男に殴られると思って用意してたの」


「なるほどな」


 行為中に女性を殴る、叩く、首を絞める奴は一定数居ただろう、そこまで見越してたのか。


「先生、手開ける?」


「おあいにく様、痛みはするが感覚がない」


 軽く握り込んだ拳をそのまま彼女の前に差し出す。


「我慢してね、先生」


 彼女は俺の右手を優しくさわると、有無も言わず右手を一気に開く。


「あっ……がぁああああああ」


 思わず口から声が漏れ出る。


「……酷い傷」


 握り込んだ内側には未だに血が固まって残っている。


 それから彼女は濡れたタオルを持って来て、丁寧に丁寧に貴重品を扱うように、赤石の指の一本一本を綺麗に拭いていく」


 赤井は激痛に苛まれるが、彼女の前で泣き言は言ってられない、奥歯を嚙み締め痛みに耐える。


「もう、先生。無茶しすぎ」


 傷口に消毒液を掛け、彼女は手際よく患部の処置をしてく。


「……っあ、あ、ああ、すまない」


 ガーゼが当てられ、包帯が一順するたびに、想像を絶する激痛が走る。


「もう、はいこれで多分とりあえずは大丈夫ですよ」


 時間にして五分間ほどの処置であったが、彼には二十分以上に感じた処置であった。


「ありがとう桜葉、だいぶ楽になった」


 処置を施されたひだ自身の右手首を持ち感謝を述べる。


「あんまり動かさないでね、それに明日病院へ」


「わかった、わかった、それよりも蹟大のスマートフォンを頼む」


「わかった先生」


 右手が気持ち楽になった事と、物事が一段落したことで、緊張の線が途切れ赤石は意識を失う。


「……生、……先生、先生」


 彼女に呼ばれ意識を取り戻す。


「すまない、桜葉。俺はどれくらい寝ていた」


 体を起こして彼女に謝罪をする。


「三十分くらいかなー、それより消去全部終わったよ」


「すまない、お前に全部任せて俺は」


「いいの先生は、今日は美羽のために頑張ってくれたんだもん」


 彼女は優しく俺の右手を包むように触る。


「こんなになるまで……」


「桜葉アイツの持ち物に、糞野郎につながりそうなものは」


「一応確認したけど、余程の貴重品以外は全部捨てたよ、あのバックもおそらく昨日のもらい物」


「そうか、なにからなにまでありがとう」


「いいの先生、それよりありがとう……美羽を助けてくれて」


「どうだろうな。汚いものは洗えばいい、そんなものどうとでもなる、しかし心までは洗えない。レイプ経験から、心的外傷後ストレス障害になる女性は多い、アイツが立ち直れるかはアイツ次第だ」


「……そうね」


 二人は別途で寝ている蹟大を眺めるのだった。

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