第1話 兆し③
時刻は午後十三時十分、赤石一はいつものスーツとは違い、着慣れない普段着に身を包み、池袋駅東口に居た。
目的は自身の担当するクラスの生徒である桜葉成見と、彼女考案の『青春大作戦』とやらの話し合いのためだ。
あいつこの俺がせっかく来てやったのに、時間通りに来ないなんてどういう要件だ、帰るぞ。
昨日の帰宅後、彼のスマートフォンには『一時に池袋東口で』と簡潔な一文だけ送られてきた。
昨日の帰り道で、どうにかして約束を反故できないか、検討に検討を重ねたが、どの案よりも明日一日をつぶした方が結果は目に見えて、良好であることがわかったので諦めることにした。
いいか、これは間違ってもデートなど浮かれた行動ではない、何か質の悪い冗談だ。こんなことなら休日の部活動申請を出して、無理やりにでも仕事にするべきだった。
教員と生徒間の恋愛は明文化されていないが禁止されている。明文化してしまうと日本国憲法の『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』に違反してしまうので、明文化出来ないが正しいが。だから最新の条文ではこう書いてある『法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。』つまりは、教員は自分の仕事をしっかりと理解してください、生徒と恋愛関係になるのは仕事ですか?違いますよね、自重してください。と書いてあるわけだ。また、教育職員免許法第11条第3項には、教員にふさわしくない行動取ったら免許はく奪するからなと脅しの文章もある。よくドラマで卒業式したら結婚しようというくだりがあるが、教員時に付き合っている時点でアウトだ。
彼にとって今日の行動がデートであるか、部活動であるかは、心情などではなく社会的に、非常に大きな問題なのである。
「それにしても」
スマートフォンで確認した時刻は午後十三時十分を超えようとしている。
ふざけてやがるな。
「せーんせ」
声の方向に振り向くとそこには、いつもよりおしゃれをしている桜葉の姿があった。服装、身に着けている小物、髪型など学校で会う時よりも気合が入っている様子がうかがえた。
「遅い、あと五分で帰るところだった」
しかしそんなことは彼には関係ない。
「ひっどーい、そこは『遅れちゃったかな、ごめんね』『いいや、僕も今来たところだよ。いつもの君も綺麗だけど、今日は一段と綺麗だね』っていう定番の流れをするまでセットなんじゃないんですかー」
彼女は身振り手振りで抗議を示したが、彼は彼女の抗議を無視して話を続ける。
「十分遅刻だ、授業であれば欠席だな」
「はぁ……先生になにかを期待した、私がバカでしたよ」
彼女は両肩を落としてうなだれる。
「俺になにも期待するな、それに今日はどこに行くんだ?」
早く用事を済ませよう、話すだけなら、すぐそこのカフェで十分だろう。
「もー、先生がっつきすぎ、もっとこー、楽しもうって気持ちは無いの? せっかく現役女子高生とタダでデートが出来るんだよ」
「タダとか言うんじゃない、生々しくなるだろ、それにこれはデートじゃない、作戦会議だ」
彼女は赤石の態度に不満を訴える。
「ひっどいなー先生は、今時女子高生とお昼からデート出来ること自体がビジネスになるんだよ? 相場いくらか知ってるの? 桜葉ちゃんはオプションで合法的にお酒も飲めるのよ? 今なら」
「やめろ、やめろ」
赤石は彼女を周りから見えないように壁側にして、後ろから抱くように口をふさぐ。彼の思惑とはズレて周りからは、駅構内でいちゃつくカップルにしか見えないだろう。
こいつに、これ以上しゃべらせるのはまずい。確実に駅構内で円光かデリヘルの値段交渉してるようにしか見えない。
「んー!、んー!」
腕の中の彼女が意を唱え抵抗をするが、彼女の腕力では赤石からは抜けられない。腕の中で抵抗する彼女に赤石は声をかける。
「わかった、わかったから、少し落ち着け」
ぺろっ、効果音にしたらきっとそうだったであろう。
「うわぁっ」
想像していない別角度の刺激に思わず声を上げ、彼女から離れる。
おい、今こいつ舐めたか? ま、まさかな。
彼女の口を封じていた左手を見ると、かすかに濡れている。
「いやー、先生が窒息が趣味だったとは予想外ですわ、流石にそのオプションには付き合えませんよ」
彼女はそう言いながら、唇を親指で拭う。
「いや!」
いや何も違わない、俺はいかなる理由であっても駅で二〇歳の女性の口を封じたのだ。俺が悪い。たとえこれが部活動であったとしても、男性教員が女子生徒に触れる事さえご法度の世の中で、あろうことか口をふさいだのである。教育委員会に訴えれば一発で懲戒処分だ。
自分の行った行動を理解し、冷や汗が流れる。
「今のは俺が完全に悪い、すままない。今日はお前に付き合うから、警察だけは勘弁だ」
赤石は両手を上げて、降参のポーズを取り彼女に謝罪を行う。
「わかればよろしい」
彼女は両手を腰に当てて胸を張る。
「せめてだな、俺が周りから白い目で見られる言動だけは勘弁してくれ」
「確かに、私も悪乗りが過ぎたようで、先生だったら、もちろんフルオプですもんね」
「おい!」
「じょーだんですって、というか周りの目気にしすぎじゃない? 逆に意識しすぎてキモイっていうか、先生やっぱり学校の時とキャラ違くない?」
「もー、どうでもいい好きにしろ」
今日はこいつのノリに合わせるしかないのか。
「誰も私たちの事なんて気にしてませんって、池袋ですよ、ここ。もっと派手にケンカしてるカップルなんてごまんと居ますって」
今、一番気にしていた言葉を彼女から聞き、片手で頭を抑える。
「……やっぱり周りから見ればそうなるか」
「まあそれが自然でしょ、あとは出会い系かなんかでしょ、あぁー! もー!」
彼女は何かに突然なにかに気づいたかのか、態度を急変させ手鏡を取り出す。
「ど、どうした!?」
「どうしたじゃないでしょ、先生! せっかくセットした髪とメイク崩れたんだけど! ちょっと、そこでまってて!」
「お、おう」
そう言って彼女は早歩きで彼の目の前から去っていった。
十分後、彼女は悪態を吐きながら再び赤石の前に戻ってきた。
「せんせー、まじ、ダメだよデート中に彼女の上半身より上を触っちゃ、それはエヌジーすぎるよ」
「あー、すまなかった」
もうこいつが、オプションだの、デートだの、彼女だのどんな戯言を言っても突っ込んでやるものか。
「それで、俺はどうすればいい、もうなんで好きにしてくれ」
「だから、最初から私の言う通りにしてくれればよかったんですってっ! ほら行きますよ」
彼女そう言って彼の手を引き歩き出す。
「行くってどこに」
「最初は――」
時刻は午後十五時二十分、二人は映画館に居た。
映画のエンドロールが終わり、上映室の照明が徐々に明るくなり、映画が終わったことを告げる。多くの観客は映画の終了と同時に立ち上がり、映画の感想を口々にする。二人もそれに漏れず感想戦を始める。
「いやー、最高でしたね。主演の木町拓哉の演技、それにアクション、日本映画であそこまでやるかーって感じでした、どうでした先生?」
「まあ昨今の映画よりは頑張ってた気がするな、だかストーリーはあいまいで、いまいちだった」
二人は話し合いながら、テーブルに備え付けるバケットを持ち、退場する列に並ぶ。
「あー、確かにそれはそうでしたね。最後の最後にヘリコプタードーン!ミサイルドーン!って感じで幕引きはチープな感じはしました」
「そうだろ、演技はいいのに終わりが残念過ぎた。でこれはなんだ。桜葉」
「結構それ聞くの我慢してましたね、私は映画館に入館するあたりで、また止められるかと思いましたよ」
「お前が俺の言葉も聞かずに、入り口で映画のチケットをカップル割で買ったあたりから、だいぶ諦めてた。見ることは確定してたし、どうせ止めてもまたなんか言われるからな」
「いやー、気になる映画だったんですよ、先週からなんです、この映画」
「別に一人で見に行けばよかっただろ」
「えー、ありえます? 恋愛映画を一人で見る女子って、それに回り見てくださいよ」
話題の人気作なのだろうか、自分たち以外にも退場列が長蛇になる程のかなりの観客が居る、それに付け加え男女二人組が多いのも目立つ。
「蹟大とか、龍頼とか誘う相手は居ただろうに」
「いやまー、それもちーっとは関係してるんよ」
「ん?」
どういうことだ。
「で次はどこに行くんだ」
そうこうしているうちに二人は映画館のロビーまで到着をしていた。
「そういえば、やっぱりこういうのってまずいの?」
「というと?」
「生徒と、教師的な?」のぞき込むように上目遣いで彼女は問いかける。
何をいまさら、いってるんだこいつは
「はぁ、ちょっとこっち来い」
流石に聞かれることがないと考えた赤石だが、念には念を入れて彼女をロビーの端まで連れていく。
「なんだ、今更気づいたのか」
「いやー、なんか最初はテンションで乗り切ろーって思ってたんだけど、映画見てるときに少し冷静になりまして、恥ずかしくなったと言いますか、なんというか」
「確かに初めは、俺もお前に失礼な態度を取ったからな、あそこで有耶無耶にしてしまったか、それはすまなかった」
「いや、いいんすよ。私も悪ノリが過ぎましたし、それで?」
「なあ、桜葉俺とお前は今周りからどんな目で見られると思う」
「まー、流行の恋愛映画ですし、場所を考えるとカップル、低い確率で兄妹って感じかな?」
彼女は恥ずかしそうに、現状を報告する。
「だろうな、知らない奴が見たら十中八苦そう見える。それならいい、それなら大丈夫なんだ。しかしそれに教師と生徒ってのが付くとヤバいんだよ。だけどそれは、他の奴からわかるか?」
「あー、うん。そうだね、私が先生って呼ばなきゃ大丈夫かな?」
「そうだな、その呼び方はまずいな。誰かに聞かれたらあらぬ誤解を生むだろう。あとはありえない話だが、この場を誰か学校の知り合いに」
「あれー、成見の姉御じゃないですかー、おーい」
龍頼!?
自分の後方から龍頼らしき声を聞いた赤石は振り返らずに、会話を中断する。そしてそのまま、目の前の彼女の隣を横切り、追い越し壁際まで移動した。ほぼ彼女と背中合わせの状態となる。
「おーい、姉御ー」
どうやら龍頼からは死角になり俺の顔までは見えなかったようだ。こちらに気づいた様子はない。しかしこれはミスったな。
周りに話を聞かれたく無かったので、ロビー端まで来たのが失敗だった。これでは身動きが取れん。
「き、奇遇ね、陽十美」
「奇遇っすね姉御、こんなところでどうしたんすか?」
背中越しではすでに桜葉の前にバカが到着している。下手に動けば注目を引き、俺がここにいる事がバレる。
苦肉の策で赤石はスマートフォンを取り出し電話をしている振りをして顔を隠す。
これで最悪右側は顔は見えない。
「どうしたもこうも映画を見に来たのよ、映画館ですることは一つでしょ。あなたも同じでしょう?」
「そうっす、今日はでチビ達の映画の付き添いに来たんすよ、ほらあれ」
そういえば、優幻が先週の頭から戦隊モノの劇場版が始まると言っていた。入場時にも確かにポスターを見た気がする。
「へーそうなの、家族サービスなの」
「そうなんすよ、それにしても」
「どうしたの」
「今日の姉御は気合入ってるっすね、デートっすか」
彼女の確信をついた一言に、二人の心音は跳ね上がる。
まずいまずいまずい。俺とバレるのはまずい。早く適当に言いくるめて、そいつを追い返せ。それか彼氏が待ってるからとか、呼ばれたからと言ってこの場を去るんだ。
「な、なにを言ってるかしら、私は一人よ」
なぜ否定した。流石にそれは厳しい言い訳だろう。というかお前が散々デートと言ってたんだろう。
「なーに隠さないでいいっすよ、これでも私、姉御のおかげで少しはファッション勉強したんすよ、姉御のその服装、スカートは今流行りのマキシ丈のスカートじゃないすっすかそれに、ブラウスは春コーデのレースっすよね。それに」
一歩、彼女が後ろにたじろぐのが音でわかる。
「いつもは着けてないっすよね、香水。これはガチガチのガチってやつっすね」
「もう、馬鹿なこと言ってないで、早く弟さん達の所に行ってあげなさい」
「はいはーい。邪魔者は退散するんすよ、じゃあ!また月曜にー、感想楽しみにしてるっすー」
そう言って彼女は映画館のロビーの人込みの中に消えていった。
「……はぁ」生きた心地がしなかった。
「先生、そのまま聞いて」
背中越しに彼女が話しかけてくる。
「……ああ、なんだ」
もちろん彼も振り返らない。
「一先ずここを出ましょう、別々に」
「それの意見に賛成だ」
「陽十美の見る予定の映画は」
二人で視線だけ向けて、電光掲示板を確認する。
「開始まであと十五分てところか」
彼女の話からアイツは家族で来ている、それに手ぶらだった事を考えると。
「物販か、映画前のポップコーンを買うのが鉄板か」
「なるほどね、じゃあ、私はとりあえずもう一度、陽十美とコンタクトを取って注意を引きつけるわ、その間に先生は」
「バレずにここを脱出、まさかこんなことになるとはな」
「さっきの続き、学校の子にバレたらどうなるの先生」
「あいつが俺を黙ってくれる確率は」
「ゼロね」
「じゃあ最低でも俺の首が飛ぶくらいだよ」
「最大は」
「……明日の夕刊の表紙だな」
「じゃあ何としても阻止しないと、まだ『青春大作戦』は始まってもいないのだから」
「頼んだ」
「わかったわ、じゃあ」
「ああ、ミッションスタートだ」
背中に感じていた熱が無くなる。彼女は再び雑渡の中をかき分けていき、龍頼とコンタクトを取るだろう。その間に俺は壁際を、自然に移動しこの映画館から脱出をしなくては。
かすかにロビーで話す彼女達の会話が聞こえる。
やはり龍頼はポップコーンを買う列に並んでいたのか。
「あれ、姉御カレシさんはいいんすか?」
「ああ、いいのいいの気にしないで、それより陽十美このキャラメル味、美味しかったわよ」
「本当っすか、んーでも、チビ達はこっちのコーラ味が食べたいたらしくて」
「じゃあ、おねぇさんが、弟さん達のために1個買ってあげるわ、それでどう」
「悪いっすよ、姉御にそこまでしてもらうのは……」
話の内容も少し気になるが、桜葉がバカを引きつけているうちにさっさと立ち去ろう。
映画館から抜け出し、出てすぐの歩道のガードレールに寄りかかる。
「はぁ、はぁ……、一時はどうなる事かと思った」
まさか本当に知り合いに会うとは、ギリギリのところだった。
「もう二度とこんな危ない橋は渡りたくないぞ、ほかにもいるとか無いよなぁ」
念には念を目を、細めて周りの雑踏を見渡す。
「流石に居るわけが無いか、二度あることは三度あるというがたまった、はぁ!?」
雑踏の中に見知った金髪を見つける。
「ふざけるのもたいがいにしろよ。全員集合じゃないんだぞ」
龍頼と来て、次は蹟大だと、問題児コンビがふざけるなよ。
距離にして百メートルは離れているだろうか、しかしその綺麗に染まった金髪のショートは暗闇の蛍の様にとても目立つ。間違いなく彼女であると確認する。
「いや、あいつが休日になにをしてようが俺の勝手だ」
あの距離からでは俺は見つけることはできないだろが、念のために映画館の路地を一本入る場所に移動すか。あいつだって、せっかくの休日に担任に会いたくはないだろう。アイツもプライベートで池袋に来ているのだろう。
路地で待っていると、五分もせずに映画館から桜葉が出てくる。
「あー、居た、居た、はじめくーん」
彼女は手を振り、赤石に小走りで向かってくる。
「なんだその呼び方は」
到着した彼女は自然な動作で赤石の隣に立つ。
「だってはじめくんが、いつもの呼び方じゃダメだって言ったんでしょ」
そう言ってウインクをする彼女。
「それで、それか」
なにを私理解あるでしょって顔をしているんだ、赤石でいいだろう。赤石で。
「今ならオプションで、おにーちゃん、彼ピ、お好きな呼び方に変更できますけど」
『おにーちゃん』
「くっ」
頭につんざくような痛みが走り、ここには居ない妹との日々がフラッシュバックし立ちくらみを起こす。
久しく、その言葉を自分に向けられてなかったからな。
隣に立っていた彼女は、いきなり立ちくらみをした赤石の体を支え心配をする。
「ちょっと、ちょっと大丈夫、先生?」
「大丈夫だ、呼び方はそのままでいい、色々と面倒だからな」絞り出すような声で彼女のに答える。
「そう? じゃあ、はじめくんで」
「もう、どこにでも付き合うから、あいつらと鉢合わせしない場所にしてくれ」
もうサンシャ〇ンでもナ〇ジャタウンでも、付き合うから早くしてくれ、色々疲れた。
「本当に大丈夫? それに次はゆっくり休憩できる場所だから、そこでゆっくり休もっか」
「ああ、できるなら、座れる場所で頼む」
二人は次の目的地に向けて池袋を進んでいく。
まだ明るい時間だというのに部屋は薄暗い。部屋には甘いどこか甘美な匂いが立ち込める。煩すぎず、また静かすぎず、部屋はその雰囲気を保つようなBGMが聞こえる。そんな空間で男女二人が向かい合っている。
「はぁー……、桜葉お前やっぱすごいわ」
「なに、今更気づいたの桜葉さんのすごさに、それよりはじめくん」
「すぅ……なんだ」
「はじめくん、本当に初めてなの? すっごくうまくない?」
「ああ、すぅ……あぁ。二七年間生きてきて、今日が始めてだ、感無量だな、これりゃ……はぁ」
「そりゃぁ……ふぅ……よかったわ、私も頑張った甲斐があったってもんですよ……すぅ」
「こりゃぁ……ハマるな…………ぁ」
未知の快感に赤石は思わず天井を見上げる。
「確かに私も初めてだったけどこれは感動。でもすこし喉の奥がイガイガするんだよね」
「お前の……すぅ、咥え方か吐き方が下手なんだよ。ほら、ここに書いてあるし定員呼ぶか」
テーブルのメニュー表を指差す。
「うーん、そうする……ふぅ」
「しかしやっぱりお前は、イカれてるよ」
「そんなひどいなー、私はちゃんと座れて、二人が安らぎを得られて、あの子達に百パーセント出会わない場所に案内したはずなんだけど、あっ定員さーん」
「普通、休憩したい場所でシーシャは連れてこねぇよ」
「えー、そうかなぁ。一度ここも入ってみたかったんだよねー」
赤石と桜葉は映画館の次に、シーシャカフェに訪れていた。
「しかし、葉巻、紙、手巻き、電子といろいろやったが、水タバコは初めてだなぁ、独特の味だ」
店内には偶然にも彼女達と数名しかおらず、ほとんど貸し切り状態であった。
「これで一時間も持つんでしょ、フレーバーもたくさんあるし、あ。ありがとうございます」
彼女はシーシャの調整をしに来た定員の人にお礼を言い、再び吸い始める。赤石は美味しそうに吸う彼女に、いつもの言葉を投げかける。
「お前ホントに、じょっ」
あぶねぇ、ここでは先生よりも、女子高生って言葉の方がヤバい。それはご法度だ。
彼女は彼が何と言おうとしたが理解できた、しかしそれをあえて無視して、シーシャのステムをなまめかしく触り言葉を返す。
「ん? はじめくんこれ、部屋に置かない?」
はたから見れば同棲しているカップルが部屋にシーシャを置こうとしている相談にしか見えないだろう、それを理解して敢えて言葉足らずに彼女は問いかけている。
定時制社会科職員室にシーシャを置く気か、馬鹿かこいつは。
「はっは、ジャンキーがぁ……残念だがそれは無しだ。自分で買え」
「自分で買ったら置いてくれるの?」
「馬鹿が、今の状態でも奇跡なんだ、これ以上は望むな」
「はぁ……それは残念」
「で、奇跡には代償が伴うんだ、ここなら話せるだろ、そろそろ教えてくれよお前の作戦を」
「ああ、それね。あ、店員さーん」
彼女は、ほどなくして来た定員さんになにか相談をしている。
「あのー、彼の隣で吸いたいんですけど席移動して大丈夫ですか?」
「ぶぅっ」
衝撃の言葉に思わず吸っている煙を噴き出す。
「ありがとうございますー」
店員にシーシャの位置を変えてもらい桜葉は、赤石の隣に座る。
赤石が座っているのは二人掛けのソファだ。彼女の座るスペースが十分にあったが、ソファに深々と座るように、赤石に体を寄せて、彼の腕を枕にするように腕の間に座る。
「お、おい」
彼からは彼女の後頭部が見える。もう肩が当たるとかの次元ではない、彼女のありとあらゆるところが当たっている。
「なんのつもりだ、桜葉」
彼女にしか聞こえない声で話しかける。
「だって、この場で学校って単語は出せないでしょ。私的に配慮したんだけどはじめくんに」
「……はぁ、こういったところは真面目なのな」
ふざけてやっている、本音半々だろう、確かにこれじゃ周りからはカップルがいちゃついてるようにしか見えない。
「あ、あとそっちのシーシャも吸わせて」
「糞が」それが本音か。
「まあ、まあ、それでここから本番よ」
彼女の声のトーンが普段の調子に戻る。
「青春大作戦には全員の参加が必須、これは私が掲げる絶対条件、これだけは譲れない」
「ああ、問題児コンビもセットって事だろ、もうそれについては何も言わないお前に任せる。俺は優幻を助けられるならそれでいい」
「またまた、正直じゃないんですね」
「なんだと」
「まあ、まぁいいですよ。それで最初の目標なんですけど」
「お、おう」
「ん?ちゃんと聞いてます」
彼女は身をよじり背後の赤石を振り返るように振り向く、赤石との顔の距離は十センチメートルにも満たない。
「ああ、聞いてる」
やばい、やばい、気にしないようにしていたが、やばい。
ほぼゼロ距離で新しい女性の柔らかさを感じ、赤石は理性を総動員し冷静を装う。
「そう、ならいいの」
彼女は元の姿勢に戻る。
「まず初めに美羽ちゃんを助ける」
「蹟大を? それに助けるとは穏やかではないな」
シーシャを吸いニコチンを吸引し、頭を切り替える。
「なぜだ」
桜庭はさらに息をひそめて、俺にしか聞こえないような声でつぶやく。
「……彼女パパ活してるの」
赤石は再びシーシャを食えて、一度大きく深呼吸し天井を仰ぐ。
「……はぁ」
パパ活、様々な定義があるが今、桜葉の言っている意味は援助交際って事だろ。めんどくせぇなぁ
援助交際。その言葉の起源は一九九〇年代初期であろう。一九九六年にはまさかの流行語大賞にも選ばれた言葉だ。なにも定時制高校では援助交際は珍しいことではない。そのまま騙されてアダルトビデオに出演なんてことも実際にはあり得る。
「その根拠は」
「実際に美羽ちゃんに誘われたから、じゃだめ?」
「いや信用する」それならソースは信頼できる。
どうやらパパ活とかいう名前になってから、お金を渡してヤルじゃなくて、晩御飯もセットになってきてるらしいしな、建前か。高級レストランで皿までなめそうなバカを誘うよりは、大人のコイツを誘うのは正解だ。ほかに誘える交友関係もないだろうしな。
「意外と驚かないのね」
「定時制では珍しい話ではないからな。だからあいつがどこで春を売ろうが学校は関係ないし関与しない、それが俺の見解だ」
「まだ、まだなのよ」
彼女は再び体をよじり赤石に振り向く。そして先ほどよりも強く彼に寄りかかる。
「まだ?」
「まだ、まだ間に合うの」
「あのなー、俺はあいつは処女でも、非処女でも別にどっちでもいいし、それをお前が決める権利はないだろう。一応個人恋愛の一種なんだから」
「だめ、そんな事だって」
彼女は赤石のに抱き着き顔を埋める。
「あんまり……じゃないの、彼女ここで踏み外したらもう帰って来れなくなる」
彼女の抱きつく力が強くなる。
「帰ってこれないか、たしかにな」
十代で自傷行為、売春などそれに類する行動をを起こした場合、近い将来に自殺行動を起こす確率は跳ね上がる研究が出ている。2回で8.6倍六回で277倍とも言われている。たしかにこれは超えてはならない一線なのだ。
「その線を飛び越えたら戻れなくなるか」
「だからだめ、美雨を助けて…………先生」
「助けるってどうする、あいつの今のパパを警察に突き出しても、次のパパは無限に沸いて出てくるぞ」
人類六十億人、半分は男なのだ。それに現役女子高生で十六歳の処女、そのブランド力はブッチギリの最高レート。場合によっては十数万円払ってでも買う奴は出てくる。あいつが援助交際事態を辞めない以上は防ぐ事はな出来ない。
「今日が初顔合わせのはず、今彼女を説得できればまだ間に合う」
一時的な感情の高ぶりりだったのか、彼女の声は冷静で再び姿勢を元に戻す。
「自ら死にゆく者を止める事はできない」
「あの子にそんな度胸あると思う? 無理ねきっと、でも相手はは断れない流れを作るでしょ」
ああ、大人とはどこまで汚い生き物なのだろう、十六の少女を食い物にして、糞が。
「はぁ……お前の持ってるあいつの情報全部よこせ、考えてやる」
「はじめくんならそう言ってくれると思った」
ここまで折り込み済みか。
彼女から赤石の知らない蹟大美羽の情報を受け取り、自分の中での事前情報と合わせプロファイリングを完全なものにしていく。
「ってのが私の知っている美羽よ、どう?」
原因はおそらく家庭不和、よっぽどアイツは家庭とうまくいっていない。アイツの家は裕福だ、お金目的じゃない。援助交際は自傷行為の一環みたいなものか。それにあいつは頭がいい、パパ活というものがどういった目的で行われているなんて知っているはずだし理解しているだろう。自分が最後にどうなるかも。
「傷つきたいのか、傷つけたいのか…………それか、もうどうでもいいのか」
いや全部か。止めるにはアイツ事態を納得させるしかない。それにはまず合わなきゃいけない。
「まずは、今日を止めるか桜葉アイツに連絡しろ、場所を割り出せ。まだ池袋に居るはずだ」
「え!? 何で池袋って知ってるの」
「さっき映画を出た時に見つけたんだよ」
壁掛けの時計で時間を確認する。午後十七時三十分を回ったところだ。
まだ夕暮れ、これからおっぱじめることはないだろう、それに今日は顔合わせだったか。
「とりあえず、連絡してこい。電話つながったら場所をそれとなく聞き出せ」
「うん」
そう言って彼女は立ち上がり、電話のために店の奥に消えていく。
彼はもう一度シーシャを咥え深呼吸をして、頭をまわす。
一体何がった、一体なにがあれば、お嬢様進学校の神童がここまで堕ちる? どんな家庭問題なんだよ。クソォ! 彼女の入学プロフィールを見た時からわかっていた問題だ、だが無視をしてきたのは俺だ。
「はじめくん!」
彼女が電話から返ってきた、様子を見るに状況は芳しくない。
「どうしよう、電話でない。どうしよう」
彼の隣に再び座った彼女の声は震えている。
「泣くな」
自然と彼女の頭をやさしく撫でる。
「折り返しの電話があったら、今日の様子を聞き出せ、興味がある風にな、最初に誘ったってことはどうせ一人で心細いんだ。でも間違ってもお前も参加して助けるとかやめろよ」
「……うん」
先ほどまでの気丈な彼女はどこに行ったのだろうか。その体はかすかにふるえている。
「…………はぁ」
彼女を撫でる手は止めずに、反対の手で自身の頭を抑える。
彼はこれから自分が取るべき行動が理解できた。優しい声で彼女に声をかける。
「桜葉、ほかの奴は今んところは大丈夫なのか」
「え、うん。優幻ちゃんは別のベクトルの問題だからね。優先度は高いけど今のペースで大丈夫だとおもう」
「そうかよ」
今日はそれだけ聞ければよかったんだけどな。
「今日はこれで解散だ店出るぞ」
「う、うん」
シーシャカフェを後にした二人は、大通りから少し入ったところの公園で向き合う。
「これからどうするの?」
「時間は夕暮れ、お前はとりあえず家に帰れ」
「はじめくんはどうするの?」
彼女は彼に詰め寄る。互いの距離はもうすでに三十センチメートルもない。
こいつ、さっきのカフェで距離感バグってるな。
「俺は足で探す。 あいつが池袋にいることが居ることは確定しているからな」
「じゃあ私も!」
「だめだ、お前まで面倒を見てる暇がない」
「私なら、だい」
「うるせぇ、二十歳のガキなんてなぁ、この街のにとっちゃ十六のアイツとなんも変わんねぇよ。大人しく俺の言う事を聞け、もう一度言うぞ家に帰れ」
今度は彼の方から彼女に詰め寄る。もうすでにお互いの顔の距離は十センチメートルも無い。
「……うん」
赤石は彼女から離れ、背を向けてこれからのために準備運動を始める。
「いいか、桜葉何度も言うが、俺はあいつがどこでなにしてようが、俺は構わねぇ。これはお前のバカみたいな作戦への先行投資だ」
「うん」
「これっきりにしてくれよ、あの現実を知らない死にたがりお嬢様を捕まえたらそれで最後だ。あとは任せるぞ、どうせ来週の頭には学校で会うんだぜ。でもそれじゃ遅いんだろ」
「おそらく今日は品定め、決行は明日のはず」
「今日明日でそんなにがっつくかねぇ」
「多分今日あたりにバックか、財布かな、高額なプレゼントが渡される。そして明日に合おうって流れ、考えさせる時間を与えない必殺コンボよ、いい子であればあるほどこの策は有効」
世の中悪い奴だらけだな。
「詳しいな」
振り返る赤石に彼女はいつもの調子を取り戻した様子で返す。
「桜庭ちゃんの事気になっちゃいます」
「いや、全然」
そっけなく返事を返し準備運動を続ける。
「いいか、最後の確認だ。お前は家に帰れそして蹟大からの折り返しの連絡を待て。いいか場所が判明したらまず俺に連絡しろ、勝手に動くなよ」
「うん」
「俺は見つけたらお前に連絡する、いいな」
「うん」
「おっしぃい、じゃあこれで今日のデートは終わりだな」
最後に大きく伸びをして、準備運動が終わり赤石は再び彼女に向き合う。
「うん、どうだった? 一日付き合ってみて私は」
「最悪だ。お前と関わってからろくなことが無い、こんなことは二度とごめんだ」
「うそぉ、でも私の中での先生の評価はうなぎ登りよ、先生なら本当に付き合ってもいいよ?」
彼女は一歩距離を詰めて上目遣いで彼の顔を覗き込む。
「ははっ。寝言は寝て言え。初デートでシーシャでキマる女はこっちからお断りだ。糞ジャンキー女が」
「ちえー、振られちゃったな」
彼女はくるりと回って赤石から離れて、芝居がかったように地面を蹴る。
「まったく、学校の優等生のお前はどこに行ったんだ、おい」
再び彼女は赤石に向く。
「そっちの私の方が好み?」
「ふざけてないで、早く帰れ。池袋は夜が本番だ」
「はーい、じゃあ、先生よろしくね」
別れ間際彼女は赤石の両手を両手で包み込むように握る。赤石を見つめる視線の視線は真剣そのものだ。
「ああ、出来る限りは努力してやるよ」
そして二人は別れる。
赤石は池袋の街に消えていった。
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