第1話 兆し②

時刻は午後二十一時四十分、赤石一と、桜葉成見はいつもの秘密の喫煙所で昨日今日の感想戦をしていた。


「初戦にしては今日はなかなかだったんじゃない、昨日今日を含めて私はかなり先生のお役に立てることを証明したと思うんだけど」彼女はそう言いながら、両手を大げさに広げて見せてアピールをする。


「昨日は、いろいろと奇跡が被っただけだったが、今日は流石の手腕と感じだよ」赤石も満足そうにその言葉に応じる。


 天文学部の星を見るという第一目標の活動は、昨日十二分に行った。


 今回の内容としては今後の打ち合わせという名目で、天文学部の活動を定時制社会科職員室の応接ブースで行った。もちろん参加者は二名、小望月と桜葉だ。


 俺の今後の予定では、星を見るうんぬんの話は月に一回やればいい、あれは建前だから。むしろもうやらなくてもいいとさえ思っている。あとは桜葉が優幻をゆっくり、ゆっくりと信頼を確定しクラスになじめればグットエンド、俺の仕事は終了と言った寸法だ。


「これで、あとは卒業まで優幻のことはお前にませていいか」これで俺がこの学校に居る理由もない。


「そうは問屋はおろさない、というか、まだまだでしょ。今日のやり取り見てたの? 本当に」


「そうか? 第三者視点の俺からはかなりいい雰囲気に見えたんだけどな」


 俺以外と両親意外と楽しそうに話す優幻は、初めて見たような気がするんだが。


「まだまだよ、今日のは彼女に合わせてしゃべっただけ、あんなの趣味の合わない上司に飲み会で付き合って好感度稼ぐようなもんとなんーにも変わらないよ」


「……ふん」そう言われれば、そうなのかもしれないと納得をする。


「それに今日は優幻ちゃんの好きな事をまだ引き出せてない、あっち系の趣味の人と距離を詰めたことが無いから、そこを引き出すかがたぶんポイントになるかな」


 確かに今日の話題は、桜葉の自己紹介と学校の話題がほとんどであり、大きなウェイトは昨日の部活動だった。彼女のオタク趣味については一切触れてこなかった。


「正直、オタク趣味については私は未知数なのよね、どう詰めればいいか」


「お前、それでも秋葉原でバイトしてるやつのセリフか? 流石にお客さんにも多かったろうに」


 おやっさんの話では常連ほとんどの仲良くなってるって話だろう、あそこは秋葉原だ。来る客層の一部はオタクであろうに。


「いやー、ちがう、ちがう。全然違うよ。あそこのお客さんたちはほとんどが年上、それに異性、私が『すごーい』とか言っとけば仲良くなれちゃうよ」


 ああ、悲しきかな男の性。そりゃそうか。二〇歳の女子に自分の趣味に興味持たれちゃ、オジサンたちは一撃かぁ。


「それに、常連さんとは仲良くなったけど、危なそうな人には店長に対応してもらってるしねー」


 そう言って天井に煙を吐く桜葉。


「そりゃそうか、あそこの店はガールズバーじゃないからな」


「そそ、あくまで店長の常連さんと仲良くしてるだけ」


「確かに常連のオジサン連中なんて、お前の可愛さがあれば一撃か」


「やっぱり先生私の事、口説いてる?」


「いや、いつの世も男を狂わせるのは女なのだ、と歴史は正しいとあらためて嚙みしめただけだよ」


 あの世界三大美女のクレオパトラは、古代ローマ最大の野心家とされた、ガイウス・ユリウス・カエサルに取り入るために、自身を絨毯にくるませ、王宮に忍び込んで、彼を虜にさせたという。いつの世も男は美人に弱いのだ。


「優幻ちゃんは、正直未知数。彼女の来歴もあるけど、同性でそれに私の知らない趣味、それも特殊ときているからね、まずは外堀から埋めていかなきゃ」


「まあ、時間はたくさんある。じっくりじっくり行けばいい」


「いや、早め早めに行動をしたいと私は思ってる」そう言って桜葉は煙草の先端を俺に向ける。


「なぜ? まだクラスは動き出したばっかだ」


 定時制の在学期間は四年間もある、時間にして約三万五千時間、一カ月たったとしても残りを考えれば、ほぼ無限だ。なぜ急ぐ必要がある。


「先生、期限は四年間あると思ってる?」


「ああ、時間にして三万五千時間だ、十分じゃないか」


 桜葉は深いため息と煙を同時に履きながら、短くなった煙草を灰皿に捨てる。


「じゃあ、たとえ四年目の卒業するときに優幻ちゃんがウチのクラスになじめたとして、それでどうするのよ」


 桜葉に何もわかっていない、そういわれている。


「どうもなにも、ハッピーエンドだ。我々学校が望む最上級の幕引きだ」


「で、その後はどうするの? 卒業したらそれで終わり、はいさよならなの? 先生意外と薄情ね」


 そういいながら桜庭は二本目のタバコに火をつける。


「そんなこと言ったって」


 そんなこと言ったって仕方ないじゃないか、所詮は俺は教員、卒業してしまえば彼女とは赤の他人だ。干渉することはできない。彼女を助けた時に、領分を超えた越境を行ったが教育機関を離れればさすがにもうできない。


「彼女が卒業するときは二〇歳よ、二〇歳のやっとこさ六人規模のクラスで馴染めた、赤子同然の彼女を社会に送る気? 正気なの? 彼女のことをここまで引っ張ってきた赤石一にしては、それはあまりにも無責任よ」


「くっ……」彼女の言う事は相変わらず完全に的を射ている。


 ああ、その結論を予想していなかった俺ではないが、いや結論を先延ばしにしたのは俺か。


「考えて、いなかったわけではない」苦し紛れの言い訳が口から出る。


「まあ、そうよね。学校はどうかは知らないけど先生が考えていないわけないものね、でも遅い」


 彼女は立ち上がり、ベンチに座る俺の前に立つ。


「一年よ、一年。一年で優幻ちゃんを、クラスになじませて見せる」


「一年」


 想像以上に速い期間に、赤石は驚きを隠せない。


「優幻ちゃんだけじゃない、美羽ちゃん、楓ちゃん、陽十美、渡辺さん、クラス全員を今みたいな歪なクラスじゃない、一つの集団にして見せる」


 彼女のまっすぐな目から俺は目を離せない。こんな瞳をしていた時代が俺にもあったのだろうか。


 彼女の気持ちを受け取り、口をついて出た言葉は実に曖昧であった。


「どうするんだ」


 その懇願にも聞こえる情けない彼の言葉を受けて彼女は、建物の中を歩き始める。


「私ね、先生。青春がしたい!」


 それは、宣言なのか、語りかけたのか、彼女の表情は見えないし、わからなかった。


「この四年間をぜぇーんぶ丸々使って青春がしたいの、もう一カ月終わっちゃったけどね」


「青春?」また突拍子もないことを。


「昨日先生言ってたよね『これがお前たちの青春だ』って、私は昨日みたいなこともっとしたい!、みんなで遠足、校外学習、学校帰りの買い食い、意見の食い違いでケンカ……は、しないだろうけどそんなのもやってみたい、修学旅行だってみんな揃って行きたい、なんだってしたいの」


 確かに今のクラスの状況を鑑みるに、全員参加は荒唐無稽であろう。


「それで、卒業式には先生を泣かせてみたり?」


「…………ありえんな」俺はお前たちにそこまで入れ込めないよ。


「私はそんな四年間を過ごしたい、過ごさせてあげたい。青春の中でしか、得られないもの私は絶対にあると思う、その思い出を胸に彼女達には、社会に羽ばたいて行ってほしいの」


 一度社会に出たからこそ、の意見というわけか。


「しかしそれは、茨の道だぞ、わかっているのか桜葉」


「わかってるつもりだよ」


「いいや、わかってない。クラスを一丸、教員になったものが一度は絶対に思い描く夢だ。しかしそれは夢でしかない。多くの教員が全力をとして、その課題の果てしない難易度に絶望し、辞める者も多くいる、たった六人のクラスかもしれないが、お前の思っている何倍もつらいぞ、その道は」


 クラス運営は担任をプレイヤーとした、リアルストラテジーゲームだ。


 ユニットの数は大体三十、停止ボタンとセーブ機能は無し。ユニットに毎に個別のランダムイベントが設定されていて、ユニットとユニットの相性はほぼ無限で非公開、ランダム関数で相性はリアルタイムに変更される。各ユニットが起こす行動は無限通り、ユニットのステータスは基本能力以外は非公開、学校行事の定期イベントは全ユニット強制参加で、イベントに参加するにはユニットとプレイヤー間に信頼関係という見えないパラメーター依存。ちかも一日の行動で、プレイヤーがユニットに鑑賞できる時間はごくわずか、たまに外部のプレイヤーからの干渉や、ユニットの干渉がランダムで発生。そして三十ユニットすべてをノーマルエンドかグットエンド以上で終わらせなくてはいけない。


 こんなゲーム発売できたとして、誰がやるのだろうか、誰もが糞ゲーの烙印を付けて即メルカリ行きだ。


「だから、先生には頑張ってもらうよ」


「なんだと」面倒ことを思いつきやがって。


「流石の成見さんでも一人じゃ無理よ、だから二人、先生と私二人で彼女達に青春をプレゼントするの、クラスの内情は私が、きっかけや大外枠は先生が」


 やっと、コイツの言いたい事が理解できた。つまりは自分ではない、あいつら全員に青春を送らせたいのか、なんて身勝手なことを。誰もお前に頼んでないぞ。


「私、意外と小中楽しかった方なんだよね。周りはどう思ってか知らないけど、私は楽しかった、たぶん小説に書き下ろしてみても青春だなって感じだったと思う。まあ色々あってここにきてるわけなんですけど……。


「で、自分が楽しんだ青春とやらを、あいつらにも味合わせたいと? それはエゴだな」


 彼は吐き捨てるように言い放つ。


「そうだよ、これは私のワガママ」


「そのワガママに俺を巻き込まないでくれないか、こっちとら優幻だけで手一杯なんだ、問題児たちのケツをふいている余裕はない」


「それって美羽達でしょ、ダメよ。彼女も優幻ちゃんの青春には必要になるわ、特に彼女に真反対の美羽ちゃんは特にね、だから言ったでしょ全員だって」


「……はぁ……このままお前に無理だと言っても平行線だな」


「よくお分かりで、もう決めちゃったから悪いけど先生には手伝ってもらうよ」


「……はぁ」


 ダメだこの場でコイツの口車に乗った方が、確実に今よりはクラスが良くなる事が予想できてしまう。


「俺の裁量でできる事なんて、たかがしてれるぞ」


「先生なら手伝ってくれると信じてたよ」そう言って彼女は俺に振り向いた。その表情はやる気とこれからの青春に胸躍らせている様にも見えた。


「じゃあ、始めようか、青春大作戦を!」そう彼女は高らかに宣言をした。


「……はぁ」赤石は深いため息をついた。


「じゃあ、方針は決まった、今日はここまでだな」


 スマートフォンで時間を確認すると、午後二十一時五十一分を示している。そろそろ帰宅の時間だ。


 自分の凝った煙草を消し建物から出ていく。


「そうだね、先生じゃあまた明日」


 そういいながら彼女は今吸っている煙草の火を消して捨て彼に続いた。


 今コイツなんつった?


 彼は帰り道の道すがら彼女に話しかける。


「おい、桜葉」


 すると彼女からさも当然のように質問が飛んできた。


「先生明日何時から空いてるの?」


「お前明日も学校来る気かよ?」


「先生こそ何満足しちゃってるの? まだ青春大作戦の名前しかまだ決まってないんだよ」


 ああ、そのこっぱずかしい名前は決定事項なのか。


「明日は土曜日だぞ、土曜日にわざわざ学校来る必要あるか?」


 それに土日は遠征をしたいんだが。


「んー、確かに」


 ああ、わかってくれたか。


「じゃあ、池袋で待ち合わせでいいかな?」


「どうしてそうなる」


 何を言い始めちゃってますこの人は。


「だって、先生が言ったんでしょ、学校に来る必要ないって、確かにね、私も外なら煙草も人の目を気にせず吸い放題だし」


「ちがう、ちがう。俺が言ってるのは土曜日にやる必要がないと言ってるんだ、来週の月曜日に学校でいいだろ別に」


 土曜日だぞ、俺の休日を削れっていうのか。


「先生本当に歴史の先生なの?」


「なんで」なんで今そんなことが関係ある。


「兵は神速を貴ぶ、でしょ」


「魏志郭嘉伝か、また渋いところを抜き出してきたな」


 三国志で郭嘉が述べたという戦術の記述の有名な一文だ。今でもビジネス書などに引用されることも多い、意味は戦いで勝利するには、完全な戦略よりも、兵を動かすことが重要という意味だ。つまりは事をなすなら早く動け。


「なに、郭嘉の言葉じゃ足らない? ハインツ・グデーリアンの話でも」


「電撃戦か、しかし電撃戦は成功事例の方が少ないし、定義もあいまいだ」


「だけど一九四〇年、ドイツはフランスにそれで勝ったでしょ、歴史が物語ってる」


「はい、はい、わかりましたよ。俺の負けだ、明日なんでも付き合ってやるよ。どうだこれでいいか」


 そんな事を言い合いをしながら、二人は定時制社会科職員室の前までたどり着く。


「わかればよろしい、じゃスマートフォン出して、ほら」


「ん? これか」


 そういって取り出したスマートフォンを彼女は奪い取る。


「お、おい」


「ちぇー、先生ロックかかってるじゃんこれ」


 そう言って彼女は悪びれもせずにスマートフォンを返してくる。


「なにしてんだよ、お前は」


「なにってメッセージアプリの連絡先交換よ」


 そういって彼女は自分のスマートフォンに、チャットアプリの友達追加画面を見せてくる。


「最初からそう言えよお前は」


 彼はスマートフォンのロックを解除して友人追加の画面を見せる。


「いやー、なんか先生の弱みでも握れたらと思いましてー」


 そういいながら彼女は差し出されたスマートフォンの画面を自分のスマートフォンで認証する。


「次にこういうことしたら、もう青春大作戦は無いと思え、お互いの信頼が大切だろうこういうのは」


「わー、ごめん、ごめん、ごめなさいって、もーしない、もーしないって」


 彼のスマートフォンに彼女から『ごめんなさい』とスタンプが送られてくる。


「まあ。わかればいい」


 スマートフォンをしまいながら彼女にくぎを刺す。


「じゃあ、明日よろしくね、デ・イ・ト・楽しみにしてるから」


「はぁ?」


「じゃ、詳しい詳細は帰ったら送るわー、バイバイー」


そう言って彼女は颯爽と彼の目の前から姿を消した。


 デイト、デイト、デイト、デート!?


「デート……だ……と」


 彼女は教え子だ、それに女子高生だ。しかし彼女は成人をしている。それとデート? 確実にヤバい。安いアダルトビデオでも、もっと真面なシュチュエーションにするぞ、おい。


「おい、おい、どうすんだよ…………はぁ」


 青春大作戦の前にして彼はまた別の問題で頭を抱えた。

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