夜空のアリア編
独白
はじめはなんでもよかった、お母さんが喜んでくれるなら。
私がうまくできるとお母さんは喜んでくれた。
偶然それがうまくできただけ、別になんでもよかった、弓道だって、武道だって、華道だって、水泳だって、絵画だって、何だってよかった。お母さんが喜んでくれるなら。
やればやるだけ、上手になった。周りよりも、ずっと、ずっと。
お母さんが喜んでくれるなら、何でもやった。バレーだって、乗馬だって。
習い事を始めると、沢山お友達が出来た。
ちかちゃん、めぐみちゃん、さやかちゃん、たかしくん。
でも私が頑張れば頑張るほど、友達は減っていった。
友達は減っていくたびに、逆に大人が増えていった。
本当はもっとお話ししたかった、さやかちゃんとビーズのデコレーションの話、たかしくんのカブトムシの話でもそれも叶わなかった。彼らとは一緒に居れないってお母さんが言っていた。
大人たちは私を褒めてくれた。たくさん褒めてくれたけど、私と話してはくれなかった。
お母さんはいつも話を聞いてくれた。いつだって。なんだって。
小学生に上がる頃には自分を自覚できた、自分は他者よりも優れていることに。
常人が百回練習しなきゃできないことなんて、一回練習できれば十分だった。
なんでみんなはこんなこともできないかと思ったこともあったけど、お母さんが私は特別と教えてくれた。
小学生は同い年の子供がたくさんいたけれど、友達にはなれなかった。
私が出来ればできるほど、周りからは仲間外れにされた。
習い事とは違い学校ではできる事よりも、周りと合わせることが大切だそうだ。
小学生の高学年に上がるときに転校をした。理由は聞かなかったけど、どうでもよかった。
あの学校に私の居場所は無かったから。
転校先の学校はとっても楽しかった。出来れば出来るだけ褒められたし、友達も増えた。
小中一貫校だったけど、中学校に上がるときに試験があった。
お母さんが喜んでくれと思って、すごく勉強をした。周りの子よりもできる自覚はあったけど一番を取りたかったから。
習い事はたくさんあって大変だったけど、すっごく、すっごく頑張った。
一番を取ってくれるとお母さんが喜んでくれると思ったから。
もちろん、一番を取った。お母さんはとっても喜んでくれた。
中学校では、生きるすべを学んだ。
出来ることを決して鼻に掛けず、他者の模範になるように過ごした。他人を尊重しお互いの違うを求める。そんな当たり前のことをすると友達はもっともっと増えた。
中学二年に上がるときに両親が離婚した。
理由はたぶん、お母さんの不倫、だと思う。
お母さんとお父さんのどっちについていくか聞かれた。
私はどっちも選べなかったけど、お母さんを選んだ。
お父さんはただ一言『お前は自慢の娘だった』と言って私たち二人の前から去っていった。
お母さんは何度も何度も私に泣きついてきて、誤っていた。その時初めて母の涙を見た。
その日から母は狂った。
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