第8話 序曲⑤
鳥のさえずりなど優雅なものでなく、お天気お姉さんの元気の良い一声と、けたたましい架道橋を通る電車の音で、赤石は目を覚ました。
「今何時……だ」
枕もとのスマートフォンを眼前まで持ってきて時間を確認する。スマートフォンの画面は午前八時一分を示していた。
「うわっ……全然寝てないじゃん。もう一回寝よ」
赤石が寝たのは午前五時頃、三時間ほどで目を覚ましてしまったらしい。スマートフォンを再び枕もとまで投げ飛ばし、布団を深くかぶる。
「……というか全身バッキバキの筋肉痛でいてぇ」
この前の遠征で、かなり遠くまで行ったのがいまだに響いているのか。
「……は大接近の予定で」
「あと、うるせぇ」
いつの間にかついていた寝室のテレビを、リモコンで消して赤石は二度目睡眠に入った。
時刻は午前十時、赤石はスマートフォンからのなじみのアラームで目を覚ます。
「ふぁー……もう時間かぁ」大きなあくびをしながら、徐々に意識を覚醒させる。
「はーぁ……めんどくせぇ。めんどくせぇけど、行かなきゃダメか」
今日は授業無い日なんだけどなぁ。こんな日こそ、有休を有意義に使って休みたいものだ。でも今日は天文学部の一回目だ。あいつらに参加は自由と言ったが俺が自由なわけじゃないんだよなぁ。今更優幻と桜葉にやっぱなしとも言えんし。
赤石は筋肉痛で痛む体にムチ打ち、起き上がることを決意する。
着替えている最中に自身のスマートフォンに、通知が来ているのを発見する、相手はもちろん優幻であった。「今日も15時にくらいに着きます」と短い文章と一緒にアニメキャラのスタンプで「任せてくれよ!」と「とっておきの必殺技」の二つ押されていた。彼は、意味不明なスタンプは無視したが、十五時に来るという知らせに喜びと、少しの悲しみを感じた。
「ここ最近多いぞ、できれば前日の夜のうちに言ってくれよ優幻」
元々1時間休暇を取る予定であれば、あと1時間はゆっくり眠れたよ俺。スーツ姿のまま寝るわけにも行かねぇし、これから脱ぐのも面倒だな。
「ああ、くそ」
一休取って、マスターのところでも行くか。
そうと定まった彼は学校に電話を入れて一時間休暇の連絡を入れるのだった。
赤石が出勤のため、第二和田ビルを駆け下りていくと、ちょうどお客さんのお見送りをした御伽噺とで会う。
「あ、先生。おはようございます。いらっしゃいませ!」
「楓ちゃんおはよう、残念だけど今日は、別のところでいただくことにするよ」
ほぼ毎日と言っていいほど赤石の晩御飯は幸来軒の中華メニューだ。いくら食べるレパートリーが限られている赤石であっても、流石に朝ごはんは別のジャンルを食べたいと思うものだ。
「そうですか」
彼女はすこし残念そうな表情をしたが、すぐにいつもの彼女に戻る。
「あっ、そうだ。先生の本日の部活動の参加できずに申し訳ございません」彼女は深々と頭を下げる。
「頭を上げてくれよ楓ちゃん! いいんだよ、俺が無理やり入ってもらった部活なんだから!こっちこそありがとうなんだから」
「いえ、せめて」
彼女はこの幸来軒を存続させるために、定時制に進学をした。そんな彼女がただの数合わせの部活動で、家をおろそかにするなんて赤石が望んだことではない。
「いいんだよ。楓ちゃんは自分をもっと大切にしてくれ。それに今回は完全に俺が巻き込んだことだ」
「放課後以外でしたらなにかしら、お力になれると思うのですけど」
「本当は何もしなくてもいいんだけど、それで楓ちゃんの気が済まないというのなら、文化祭の出し物を手伝ってくれればいいよ。文化祭は授業時間を使って準備をやるからさ」
「はい! その時には誠心誠意がんばります!」
「はは、まあそこまで重く考えないでね。じゃあ」
「はい。いってらっしゃいませ!先生」
流石におやっさんのところに直行するには早すぎる時間なので、先日同様に本屋で時間をつぶすことにする。販売しているラインナップは、つい先日にすべて調査済みなので新しい発見は無かったが、優幻と先日話した『異世界転生してみたけど、俺のスキルが弱すぎてヤバい』のコミックが三巻まで出ていたので、それを購入した。その後は、おやっさんのところでお気に入りのパスタを食べ、桜葉をひやかしたあとに、学校へ向かった。
時刻は十五時五分、定時制職員室で、今週たまりにたまった下らない仕事を消化している赤石に小望月優幻からチャットが来る。「校門前まで来たれり」と短い文章が送られてきた。
いつもなら勝手に現像室まで、合い鍵を使い勝手に入ってくるのになぜだ。まあ大方校門前に全日制の生徒が沢山いて怖くては入れないといったところか。
彼の予想は外れ校門前には、優幻と彼女を車でいつも送っている彼女の母親が待っていた。
「あ、お母さま。先日はどうもありがとうございました。突然の申し出を受け入れていただき」
「いえいえ、こちらこそ、いつも優幻がお世話になっております」と当たり障りのない大人の会話を交わしている最中に彼女が横やりを入れてくる。
「あのね、先生!今日は秘密兵器があるんだよ」
自慢げに鼻を鳴らす彼女を、彼女の母親がその補足をする。
「少し、こちらに来ていただいてよろしいですか先生」
彼女の母親にそのまま、車のトランクまで案内されて、トランクを開けると、そこには巨大な段ボール箱が積み込まれていた。
「先日先生からお話のあった天文学部の話なのですが、その経緯を主人に話したところ、これをと」
「私が部活動をやりたいって話をしたら、パパが昔使ってた天体望遠鏡を持っていっていいよってさ」
何でコイツ、もう一度自分で言い直したんだ。
「ええ、この子がアニメやゲーム以外に興味を持ったことが、今まで無かったことですから、その主人も大変喜びまして」
くそ、そういうことか。
「そうなの、私がやりたいって言ったからさ」
コイツが何度も何度も自分が言ったって、ところを強調するのは一昨日のあてつけか。
「それで流石にこのサイズの荷物でしたので、先生をお呼びした次第です、ご迷惑でしたか」
「いえいえ、ありがとうございます。これは彼女のこれからの部活動のために、活用させていただきます」
とりあえず、段ボール箱をそのまま受けとり、学校側の歩道に卸す。
重っ。
「しかしよろしいのですか、天体望遠鏡はだいぶ値段が張る物と聞き及んでおりますが」
流石に天体望遠鏡の相場を知らない赤石は、一応高いと予想し確認をする。
「ええ、主人が昔趣味で買った物なので安物です、型も古く、ずっと家の倉庫で眠っていた物ですので、どうぞお好きに扱ってください」
「ありがとうございます、それでは大切に使わせて戴飽きます」
彼女の母親と別れのあいさつを交わして、二人で車が見えなくなるまで見送った後に赤石は彼女に話しかける。
「おいおい、どうするんだよこれ」抗議するように段ボールに指を差す。
「どうするもなにも、パパが持っていけって聞かなくて」
「いやいや、形というか建前だけの天文学部が、そこそこ本気の天文学部にクラスチェンジしちゃうよこれ」
「だって、仕方ないでしょ。ママも言ったけど、ママがパパに結成理由の話話しちゃってさ、もう昨日はパパ大盛り上がりよ。なんだが新しい最新の買うとか言い出しちゃって、私も言うに言えないじゃん。でも恥ずかしいから新しいの買うのはやめてって言ったの。そしたらじゃあこれだけって」
その光景がありありと脳内に思い浮かぶ。
親の気持ちを考えてみればそんなものか、中学一年からほとんど引きこもった箱入り娘が、何かやりたいって行動を起こしたんだもんな。
「しゃーなし。一応預かりものとして学校に連絡を入れて、有効活用させてもらおうとしよう」
「じゃ、ハジメ運んどいて、よろー」
そういってそそくさと赤石を置いていく彼女。
「おい、待て、これ以外と重いんだぞ。おい優幻? せめて一緒に運んでくれー」
結局二人で天体望遠鏡を運ぶことにし、その足で二人は定時制社会科職員室に到着する。
「あーハジメこれ、これ買ったの!」
彼女は赤石の机の上にある、『異世界転生してみたけど、俺のスキルが弱すぎてヤバい』を見て興奮を隠せない。オタクとは自分の推したものが他人に共有された時が、一番うれしい生き物なのでしかたない。
「ああ、この前お前がいいって言ってたからよ、買ってみたんだ」
「今日、これ読んでいい?」
彼女は可愛く両手でコミックを挟み赤石に見せてくる
「まあいいぞ、でもお前持ってるんだろ、それ」
「やったー、今アニメのところ予習するー」そう言って彼女は現像室へ消えていった。
さて、こいつどうするか。
二人で自分の机の前まで持ってきた、天体望遠鏡を見つめる。
段ボールを開封すると、それはご立派な望遠鏡と三脚が入っている。しかし説明書らしきものは見当たらない。
「おーい、優幻。説明書はー?」
「しらなーい」
おいおい、もう興味ゼロかよ。
仕方なく赤石は自分のスマートフォンでメーカーサイトにアクセスをする。
「最近のインターネットって便利だなー、説明書もアーカイブで残ってるんだもの」
えっと型番はこれか、SX?ってやつか、pdfはどこだ、って、ええ!? 偶然商品ページの値段が目に入る。
「三七万九千円……だ……と。軽く、俺の給料二か月分じゃねえかよっ」
「優幻さん、優幻さん、優幻ー、ちょっとこっち来い!」
あまりの値段に興奮冷めやらぬ赤石は、現像室の優幻を呼び出す。
「なにさハジメ、今まだ最初のところしか読んでないよ」
「お、おい。こ、これ、お前三八万もするって知ってたか?」
「知ってたよ、パパが私にくれる時に教えてくれたから。なんか入門編なんだって、これ」
彼女はあっけらかんとしている。
「おい、おい知ってたなら先に言えよ、俺は高くて七万位かと思ったぞ!」
さっき持ってくるときに、これに座って休憩してたぞ俺ら。
「そうなの?それで?」
「それでじゃねぇよ。三八万だぞ」
「だから? 私は家で使ってる自分用のパソコンの四分の一くらいの値段だよ」
「これだから、ボンボンの娘はよぉ。普通に考えろ、学生のお遊び部活で三八万をポンと出す奴がどこにいるんだよ、草野球にメジャーリーガー呼ぶようなもんだぞ」
「じゃあ、よかったねハジメ。パパ新しいの買うときに最新式の買うって言ってたから」
「本当だよ、どうすんだよこれ、定時制の部活動は活動していても一年間で支給される部費は一万円程度だぞ、こ、これ一台で三八年分になるんだぞ」
「まあ、しょうがないんじゃない。私持って帰るの嫌だよ。パパが悲しむし」
「ああ、大切に、大切に、使わせてもらうよ。優幻いいか、今日お父さんには俺が「大変高価なものをありがとうございました。必ず生徒の活動に役立てます」と言っておいてくれ、必ずな」
「あいよー、それで、戻って良い?」
彼女は早くコミックの続きが読みたいのだろう、気持ちがここにない。
「ああ、いいぞ」
その後、彼は細心の注意を払いながら、天体望遠鏡の説明書をスマートフォンで読みながら、内容物を確認していく。そして組み立てのところで、説明書のある一文に気づく。
「おい、優幻」
「なーにー」
「俺は屋上に行くぞ、来るか?」
「なんで、まだお外は明るいよ」
「いや、説明書に初心者は慣れないうちは昼間にセッティングしましょうって書いてあるから」
「おもしろそうじゃん。ついていくよ」
彼女はコミック片手に現像室から出てくる。
「いいのか、まだ全日制居る時間だぞ」
「うぐっ」
彼女の表情が苦虫を?み潰したように歪む。時刻は現在一五時三十分、全日制は放課後の時間だ。この学校の全日制生徒は総勢三〇〇人を超える。階段とは違い屋上へ行くためには全日制の教室の前を横切ることになる。それに彼女は私服目立つことは確実だ。
「い、いいよ、いくよ」
珍しくチャレンジャーな彼女に彼はほほを緩ませる。
「じゃ、いくか!」
全日制の生徒の目を何とかかいくぐりながら、屋上へ上がった二人は天体望遠鏡の段ボールを二人で開封し組み立てを開始する。しかし天体望遠鏡本体と、三脚の部分はある程度のつながりはわかるが、それ以外のこまごましたパーツが二人を悩めせていた。
「これが、ここにねじ止めで、ここに?あれ?ここはちがうのか?」
「違うよハジメ、そこはこのねじ」
「いやでも、ここにさ」
突如背後にある屋上への扉が開く音がする。
「あれ?赤石先生じゃないですかー、こんな時間に、これ休憩ですかー?」
入ってきた男性教員は赤石と知り合いであったようで、なれなれしく話しかけてくる。
「先生!」
赤石は直ぐに立ち上がり、その教員の前に立つ。そして彼から彼女を隠す。そして彼女も彼の後ろにひったりと隠れる。
「あれ?どうしたんですか、それ? それに生徒ですぁ?」
男性教員は状況がつかめないのか、気楽に話しかけてくる。赤石は彼女が服越しでも震えているのわかった。赤石は振り返り彼女と目線を合わせる。
「いいいかい、優幻。先生は少しお話があるから、向こうで風景でも眺めてきなさい。フェンスに注意してな」
優幻は静かにうなずくと、彼と男性教員から見えないように、入り口から見えない角度に逃げ込んだ」
「あれ?なんか、まずいタイミングに来ちゃいましたか?」
状況があまり呑み込めず、困惑をする男性教員。赤石は振り返り再び彼の前に立つ。
「いえ、こちらの不注意です。彼女がスペシャルです。先生」
「ああ、彼女が」その一言で、男性教員はすべてを理解する。
「先生煙草休憩をしたいところ、非常に申し訳ないんですが、今日は定時制で天文学部の活動がありまして、ここで早めの準備をしているところなのです。事前に全日制に伝えることができずに申し訳ありません。お手数をおかけしますが、今日はご遠慮していただきたいのですが」
「ああ、こちらこそすいません。彼女がこの時間くらいから来ていることは知ってはいたのですが、何分はじめて姿を見たもので」
それはそうだ、彼女は全日制の時間ではずっと現像室に引きこもっているのだから。
「いえいえ、申し訳ありません」赤石は深々とお辞儀をする。
「じゃあ、私。戻ったらほかの煙草休憩をするやつにも、言っておきますよ。今日は立ち入り禁止だって」
「本当にありがとうございます」赤石は再び深い頭を下げる。
「いいってことよ!じゃあな!」
そういって男性教員は屋上を去っていった。
問題は取り除かれたので、赤石は彼女を呼び戻すために入り口の角を曲がる。
彼女はフェンス越しに校舎を眺めていた。グラウンドでは放課後の時間に汗を流す生徒、校門では今日はどこで遊ぶか作戦会議をしている生徒達が見える。
優幻はその姿を見て何を思っているのだろうか、自分が得られなかった普通の青春を謳歌している彼らを見て、何を思うのだろう。
「おーい!優幻、続きるすぞー」赤石はあえて気づかないふりをした。
「うん」
彼女の声はおびえてはいないが、どこか元気がなさそうだった
「おし、早くセッティングすんぞ」
「はーい」
その後二人で十分の死闘の末、なんとか天体望遠鏡は形になった
「なんもみえないじゃん」
彼女は完成した天体望遠鏡をのぞいて出来を確認する。しかし覗いても見えるのは晴天の青空だけだ。
「それりゃな、この天気だし、夜でもないしな」
「それも、そうだね」
完成の興奮にやられていた二人だったが、今が正午過ぎであることを忘れていた。
「じゃ、もどるか」
「そだね」
組み立てた望遠鏡は持って帰ることはできないので、屋上につながる階段の踊り場に放置することにした。もう一度組み立てることは夜の暗さじゃ流石に無理だろうと二人で判断をしたから。
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