第8話 序曲②

部活動とは




 戦前明治時代に外国から輸入された文化である。初めて実施されたのは現在の東京大学である。始まりは帝国大学運動会であるとされている。その後、徐々に高校、中学、小学校へ広がったとされている。当時はスポーツ振興と、精神の鍛錬の育成が理念であった。


 戦後ではスポーツは民主主義的な人間形成の手段とされて、1954以降は東京都オリンピックとの関係で、広く広められるようになる。その後の高度経済成長期になると、非行の防止として部活動が全員加入になったと考えられている。


東京大学 蔵出し!文書館 第18回、中澤篤史(2014)『運動部活動の戦後と現在ーなぜスポーツは学校教育に結びつけられるのか』青弓社 より参考




「ほう、部活動ですか」


 副校長の声色は、感心なのか落胆なのかどんな感情も伺うことができないほど、平坦な物だった。しかしそれはいつものことだ。赤石はこの男が感情的になったところを見たことがない。


「ええ、彼女のために部活動を立ち上げたいと思っています」


どこで聞かれているか分からないので、赤石も個人名を出さずに話す。


「それで、どのような活動にするのですが?もしかしなくてもゲーム部とは言いませんよね」


 表情は読めないが副校長から、プレッシャーと視線を感じる。その視線は赤石を通り越して、背後にある隠し扉の向こうの現像室に向けられているようだ。


「ええ、部活動はゲーム部でも、なかよし部でもありません」


 副校長は教育熱心な人である、取り出し授業や、プリント指導などには協力的であるけれど、学校に関係ないあの部屋については反対である。しかしそんな事は赤石も折り込み済みである。


「部活動は天文学部です」


「ほう」


 副校長からのプレッシャーが薄れる。どうやら俺の言い分を聞く気になったみたいだ。


「実は最近の彼女は星に興味があるようで、あの部屋でも最近は星にまつわる本ばかり読んでいまして」嘘は言っていない。


 星と言っても彼女が読んでいるライトノベル『ぱいなっぷる』の内容で、星の力とか、セブンスターズとアクエリアスとか、厨二病全開の設定に興味を惹かれているだけだ。嘘は言っていない。


「ほー、星ですか。彼女もお父様に似て高尚な趣味をお持ちですな」


 おし、嘘は言っていない! 


 副校長が釣れたところで彼は再び、説明を続ける。


「うちに学校、いくつか活動している部活動がありますが、実質は趣味クラブになってますよね」


 定時制高校で部活動が私物化される事は珍しくない。全校生徒人数が五十人満たない場合もあるのに、その中で部活動やろうなんて生徒はごくわずか、クラスの仲良しこよしだけで集まって放課後たまに学校で遊ぼう程度のお遊び部活しか無い。


「彼女、流石に関係が出来上がってる、他学年に入るには流石に厳しいと思います、そこで彼女中心の部活動を作ろうと思いまして」


「しかし、部活動自身をやる必要があるのかね」


 確かな意見が出て来た。現状でスペシャルオブスペシャルの彼女に、これ以上その制度がいるのか、ごもっともな意見だ。学校での時間を作りたいなら、放課後自主的にここに残ればいい。副校長はそう言いたいのだろう。


「副校長、俺はこのままでいいと思ってません! 彼女が卒業までの四年間ここに、一人でずっと、ずっとゲームをしていれば良いと思ってません! 彼女が少しでも外界とつながりを持つために、少しでも外に出す口実が欲しいのです! ……副校長のおしゃる通りで、所詮天文学部も名目上の一つでしかありません、ですが、彼女が自ら外に出れるかもしれない確率があるなら、無駄でも頑張って見たいのです」嘘は言っていない本心7割って所だ。


 副校長は腕組みをして目を瞑る。


「いや、しかしだね」


来た!


「いくら君と言えど、午後二十一時過ぎに、誰も目がないところで二人っきりは彼女が納得しても、保護者が納得しないのではないか」


 俺が唯一、反論されるように説明していなかった論理の穴に副校長は気づいてくれた。流石だぜ。


「副校長、それが大丈夫な理由を二つお答えします」


「聞かせてもらおうか」


「一つ目は、天文学部という特殊さです。定時制高校という特色を非常によく生かしており、全日制とは違い結局のところ下校時刻から1時間ほど家に帰るのが遅れるだけです。さらに言えば彼女は車での送り迎え安全面もなにも問題はありません」


「ほう、それで」


「二つ目は彼女がゲーム・アニメ以外で興味を持った事。今までの彼女はゲーム・アニメ以外の外界の物を全てカットして来ました。そんな彼女が今まで興味を示さなかった物に、興味を示した傾向は、非常に保護者には好印象を与えると思います。学校の成果物と言えましょう」


「確かに彼女のご両親は、彼女が新しい事を始めることは非常に喜ばしいことだと言って推してくれるだろう。しかしだね、私は君を信用して居ないのだよ。何かあってからでは遅いのだよ赤石一君」


 副校長の懸念は最もだ。教員の不祥事で最も多いのが部活動での不適切な指導。教員という立場を利用して生徒に猥褻行為をする教員は後を立たない。毎月処分者のメールが来るが二ヶ月に一回は発生する頻度で起きているだろう。深夜の校舎男女二人でなにも起きないわけもなくと、考えているのだろう。それに彼女はスペシャルだ。2回目の爆発は東京都教育委員会を巻き込んでもあり得る。


「副校長のご懸念の点は予々です。そこで三つ目です」


「三つ目? 先程二つと言って居なかったかね赤石くん」


 突然湧き出た三つ目の案に副校長は眉を潜める。


「副校長には成果を上げてからお話ししようと思ったのですが、その後懸念を取り払うには、ご説明するしかないとお思いまして」


「なにを黙っていた気なんだ。今ここで考え、付け加えた理由なら、話はここで終わるぞ」


 再び言葉からプレッシャーを感じるが、ここまで全て俺の計算通りに事は進んでいる。


 赤石は少し声を潜めるように副校長へ伝える。


「実はこの提案は、僕からではないのです」


「というと?」


「うちのクラス委員である桜葉成見君からの提案なのです」


「ほう、彼女か」


 副校長が再び腕を組みなおし、話を聞く姿勢になった。もちろん赤石はクラスでの係なんぞ決めたことはない、実質そうなっているだけだ。


「確か彼女は過年度生だったかな」


「ええそうです。彼女は二十歳です。しかし彼女の品行方正ぶりには副校長もご存知でしょう」これから品行方正じゃなくなる、かもしれないんだが許してくれ。


「ああ、他の先生からも噂は予々。入学者選抜の学力調査では一番ではなかったか?」


「ええ、学力換算の一位は譲りました、他の生徒の調査書点が足を引っ張りましたが、総合成績は一位でした。少ない人数ですが分け隔てなく接してクラスをまとめています。正直うちにはもった得ないくらいの優等生です。その彼女から私に打診がありました」


「なんと?」


「彼女とも仲良くなりたいと、今のままでは彼女が可哀想だと」


「なるほどなぁ」


 応接ソファに深くもたれかかる副校長。


「我々学校の対応があからさまだと?」


「そこまでは、言っていませんでしたが、つながりが薄い定時制ですから、もっと一緒に居れる時間が欲しいと、彼女にも青春を楽しむ権利があると言っていました。おそらく想像ですが、過年度の彼女だからこそ、彼女を大切にしたいという気持ちがあるのだと思います」


 先ほどから副校長は喉を唸らせて、悩み込んでいる。


「しかし彼女からは、その気持ちをどうしたら良いか分からず、先日担任である私は相談を受けました」


「なるほど、この絵は君と彼女が描いたと」


「ええ、彼女の保護者との連絡は俺取りますから何卒よろしくお願いします」


 座りながらテーブルに鼻先が付くまで頭を下げる赤石。すると副校長が立ち上がるのを感じ、顔を上げる。


「今日、赤石一教諭から、生徒たっての希望により、我が校の特色を生かした部活動、天文学部の設立の相談を受けた。私からは生徒の希望とであれば、反対も不安点もありません。これでお話は終わりですか?」


 つまり副校長は天文学部の設立を、諸々の裏事情を含めて認めてくださった。その上でその事を知らない事としてくれた。今度は立ち上がり最敬礼をする


「ありがとうございます」


「それと、以前からお願いしている、スクールカウンセラーのカウンセリングの件はどうなりました?」


 赤石に別の冷や汗が走る。


「そ、それは、難しいと思います。彼女がああなった、原因の一つですので」


「そうはいっても、いつまでもあの子に関わる大人が君だけというのが問題なんですけどね、まあそれは追々にしましょうか。とりあえず本人には聞いておいてください」


「はい」最敬礼の姿勢は崩さずに赤石は元気よく返事をする。


「くれぐれも問題は起こさないでくださいよ、赤石先生」


そう言って副校長は定時制社会科職員室を出て行った。


「たぁあああああああ」一気に脱力してソファに倒れ込む。


 嘘とハッタリ6割以上だが、なんとか副校長を説き伏せることができた。大丈夫だ、きっとバレてはないだろう本心も4割は混ざっていることだし。俺からの提案ならダメだったかもしれないが、桜葉の日頃からの活躍が功をそうしたな。あとは。


「あいつら二人次第か」


 桜葉は何とでもなるだろう、天文学部に入れば合法的? ではないが、煙草を吸えるかもしれないのだから、学園祭での発表用の資料を作れと言っても喜んで作るだろう。それよりも。


「優幻の気分次第か」


 この交渉は彼女が、部活動をすることが前提で話を進めていた。彼女が嫌と言ったら話はそこまでだ。


「なんて誘えば良いんだ」


 お前今日から部活始めるからって言えば良いのか、部活をしようチーム名はって流れで言えばいいのか、どうする。アイツが何って言えばYESというのか。考えなくてはならない。


 赤石はその後、優幻が登校する午後十五時まで悩んだがいい案は思い浮かばなかった。


 時刻は午後十五時三十分、小望月優幻は相変わらず現像室で寝っ転がりながら、ライトノベルを読んでいた。彼は彼女が来てからも限界ギリギリまで悩んだが、いい案が思い浮かばないのでストレートに誘うことにした。


 もとよりコイツの気分次第、ダメなら別の方法と副校長へ言い訳を考えよう。


「なぁー、優幻」


「なにー」


 妄想の世界にいるようだが、こちらに反応はしてくれている。


「星ってお前興味ないか?」


「んー、セブンスターズのことー? 私は結構好きな設定なのだけど……」


「ちがう、ちがうその星じゃない」


 読んでいるライトノベルの設定の話をしているんじゃない。


「んー? じゃあ星の落とし子のこと? クトゥルフはそこまで明るくないんだよ私。でもねー」


「ちがう、ちがう、クトゥルフTRPGの話をしているわけでもない」


「んー、あと星? ってなんかあった?」


「だからどうしてお前はそっちの知識しかないんだ。リアルの星だよ。リアルの星」


「リアルの星って? 巨〇の星的なー? 今期にそんなアニメあったっけ?」


 駄目だ、ライトノベルに夢中で脊髄反射の会話しかできていないコイツ。


「ちがう、天体観測ってこと」


 赤石の訴えに彼女はこちらに興味を示し、ライトノベルに栞を挟んで起き上がる。そしてちゃぶ台越しに、赤石の方に座りなおして考えるそぶりをする。


「そっちかー、そういえば昔パパに連れてってもらった気がする」


「ほんとか!」


 思いがけない彼女のエピソードに、赤石はこれから先の展開を考える。


「それで、どうだった。その時の感想は!」


「んー、だいぶ昔だしなー、確か場所は北海道のはず。でも車で長い時間乗ってたし、寒かったしあんまり覚えてないかも」


「綺麗だったとか、感動したとかは?」


「あー、何か思い出してきた。確かに綺麗だった気もする。でもそれがどうしたの?」


「よし!決まりだ。今日からお前は天文学部の部員だ」


「天文学部ー? なにそれ、美味しいの」


「古いネタをかますんじゃーない」


「これもお前の将来のためだ」


「えー」


 このままでは、いつまでたっても彼女とのダルがらみは終わらないので、赤石はまじめなトーンで話をする。


「優幻」


「な、なに」


「クラスメイトに桜葉成見っているだろ」


「う、うん。お、桜葉さんね」


「あいつ、どうだ?」


「どうって、うん。た、たたまに話しかけてくれるよ。うん」


「お前それ嫌か?」


「いーやじゃない。けど、うん。うん」


 相変わらずさっきまでのテンションはどこに行ったのやら、クラスメイトのことになると突然、挙動不審になるなコイツ。


「桜葉がな、お前と仲良くしたいんだって」


「お、桜葉さんが!?」


 それもそうだろう、毎日数時間しかクラスに居ない、彼女にとって仲良くしようなんてことは驚きだろう。


「ああ、お前と友達になりたいんだってさ」


「と、と友達!?」


「最初からがっつりと仲良くなれってわけじゃない、徐々に徐々にお前のペースでいいからさ、放課後に時間作って少しでも話してみないか。週に何回ってわけじゃない、お前が今日はいいなって時でいいから、もちろん俺も必要なら立ち会う。その建前の天文学部さ」


 不確かな解釈が無いように赤石も畳みかけるように説明をする。


「う、うん。で、でもママに聞いてみないと」


「それはもちろんそうだ。お母さまには俺から話すよ」


「じゃあ、いいかな。うん」彼女はうつむきながら恥ずかしそうに納得をした。


「いいか優幻、建前としては、クラスメイト交流もそうだが、お前が天体観測をしたいってことにするぞ、いいな」


「べ、別にそれはいいけど、どうして?」


「お前のお母さんは、桜葉の事しらないだろう」


「たしかに、話してない」


「お前の口から出ない生徒の名前が出たら驚くだろうお母さん」


「そう、だね」


 嘘だが、事の発端は優幻という事にしとかなくては、これからの話が進まないので、無理やり納得をさせる。


「ああ、世の中、建前が大切なんだ」


「そ、それで!活動日は!」


 彼女は先ほどとは打って変わって、乗り気の姿勢を見せてくる。


「あー、まだ決まってないんだ。まだ誘いたいやつも居るんだ、それに桜葉の予定も聞かないと、お前からなんか希望あるか?」


「火曜日は『異世界転生してみたけど、俺のスキルが弱すぎてヤバい』をリアタイで見たいから難しい」


「了解、了解。お前あれ追ってるんだな」


「先生がなぜ追わないかわからないレベル、作画もいいし、原作だって」


 オタクは好きなことを話し出させると、相手のことを無視してしゃべりだすからたちが悪い。俺も同じだが。このままいったらなんで、『異世界してみたけど、俺のスキルが弱すぎてヤバい』がいいアニメかを1時間以上は語られる。


「それでね、主人公のヒデが、」


「あいあい、わかった。わかった」


 両手を前に出し、これ以上は語るなとセーブをかける。


「とりあえずは最初の活動日は木曜日にしよう、お前のお母さまにも連絡をしなくてはいけないし」


「はーい」


「じゃあ、少し下降りるな。優幻十六時三十分過ぎに、この件をお母さまに連絡したいからアポイント取っておいてくれ」


 そう言って赤石は手続きのために立ち上がる。


「はーい」


「そういえば、今日スクール」


「嫌! ……ハジメ以外と話す気は無い、……大人はみんな嘘つき」


 先ほどの彼女からは想像もできないほどの強い拒絶。赤石はこの話をもっていけばこうなるのもわかってはいたが、副校長に無茶を言った手前念のために聞かずにはいられなかった。


「言うと思ったよ。副校長から聞けって言われたから聞いただけ」


 本音をしっかりと彼女に話して、現像室を後にした。

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