第6話 放課後①

放課後とは


 その日予定している授業が終了し、生徒が帰路に就く時間のことを指す言葉として使われることが多い。諸説あるが、放課後の始まりは愛知県と言われており、三河弁の方言で授業の間にある休み時間を「放課」と呼ぶらしい。始まりは1873年3月に愛知県から公布された愛知県義校規則の学則第17章に「毎日午前十時ヨリ同十一時マテ午後十二時ヨリ同一時迄ノ両度ヲ放課トス」とあるのでそこが始まりと言われている。

                レファレンス共同データベース 名古屋市鶴舞中央図書館の回答より


 

 彼女達とのショートホームルームが終わった赤石は、自室としている4階定時制社会科職員室へ向かった。特別な理由は無く、単純に仕事をサボりたかったからだ。2階の共同の職員室に戻れば腐るほど、くだらない仕事はあるが、やる気はさらさらない。それに共同の職員室には副校長がや授業のない教員が常駐していての目があるからだ。

 教員の仕事は様々な業務が複雑に絡み合っているので、厳密に分類することができないが、分けるとしたら、大きく分けて4つに分類される。教材研究、教科の仕事、生徒・保護者対応、学校運営だ。

 


【教材研究】 : 仕事量 無 ~ 大 

その教科科目を教えるにあたっての勉強や、指導方法の研究、授業で配るプリントを作る作業のこと。この時間を、どれだけ出来るかによって授業の質、教科指導の能力が変わってくる。例年同じ教科科目を担当する場合は、使ができてしまうので、怠る教員は存在する。赤石はほとんどの授業で、過去の使いまわしをしている。

 

【教科の仕事】 : 仕事量 無 ~ 大 

その教科内での期末テスト問題の打ち合わせや、資格取得への勉強会などの業務を行う。赤石の所属している定時制では彼一人で教科を受け持っているのでこの仕事は存在しない。

 

【生徒・保護者対応】 : 仕事量 無 ~ ∞ 

生徒の悩み、家庭事情、保護者からのクレーム対応を行う。担任や部活動の顧問をやっていなければほぼ仕事は無い。クラスの担任をしている場合、担当するクラスの人数が増えると指数関数的に仕事量は増えていく。この仕事が教員の本分であるともいえる。赤石は優幻以外の生徒の対応はほとんど行っていない。


【学校運営】 : 仕事量 無 ~ 大  

教務、総務、進路、生活指導・クラス運営など学校の運営に関わるものが多い。担任業務を担当している場合、人数が多い学校ではぼぼ免除されることもある。この学校は人数が少ないので、赤石は教務部と生活指導部の二つに所属しているが、ほぼ優幻の対応で大きい仕事は免除されている。


 教員は勤務時間内に上記の仕事のどれを行ってもよい。授業の準備は週何時間やる、保護者との連絡は週何回しろなどと、ノルマは存在しない。よって誰も個人の仕事状況を監督することは無い。すべては生徒のためという大義名分がある上で、サボる時間なんてないからだ。

 


 「あぁー、疲れた」


 社会科職員室にたどり着いた赤石は、スーツの上着と出席簿を自分の机の上にぶん投げ、衝立で仕切られた応接ブースのソファに深々と腰を下ろし、テレビの電源を入れる。


 「めんくせー、やる気でねぇ」


 明日は1限と4限に授業がある。やる内容は……前回の続きでいいか。まぁ、細かくいは明日また考えればいいか。

 

 「それにしても、今日は桜葉に合うとは……な」

 

 なんで、あいつあそこでバイトしてるんだよ。はぁ……くそっ。今思い返してみても、なんかおやっさんに恥ずかしいこと言ってるし、そういうキャラじゃねぇだろ俺。


 昼間のやり取りが無性に恥ずかしくなり、ソファを叩く。


 「はぁ……いくら言っても、しゃーないか」

 

 赤石は考えるのが面臭くなり、天井を仰いだ。テレビから流れる夕方の当たり障りのないニュース番組を聞きながらぼーっと何もしない時間を過ごす。


 「はぁ‥‥‥‥この世の中めんどくせぇ。俺が主人公ならトラックにでも引かれて異世界転生するんだけどな」

 

 何もない天井へ手を伸ばす。しかし現実ではそんなことはあり得ない。オタクならではの作品主人公への自己投影妄想をしてみるが、26歳男性の悲しい現実逃避にしかならない。そんな下らないことを考えている間に、赤石は意識を失っていた。

 微睡と夢の中を行き来している赤石は、ウエストミンスターの鐘で一気に意識を覚醒させる。彼はこの部屋で寝すぎたサボりすぎたせいで、ウエストミンスターの鐘を聞くと一発で目が覚めてしまう体になっていた。


「もう、1限終わったのか。」

 

 ソファから体を起こし、壁にかかった時計を確認する、時刻は18時30分。耳で聞いていたニュース番組もいつの間にか芸人のバライティ番組に変わっている。 

 うわっ寝落ちしちゃったよ、まぁもともと何かやる気があったわけでもないしいいか。


「眠みぃし、もうひと眠りするかぁ」


 赤石は大きなあくびをしながら、2度寝を結構することを決意する。今度はしっかりとサボる寝るためにテレビも消す。再び目をつぶり体をソファに預けて、重力に身を任す。再び意識がもうろうとし、意識の手綱を手放す瞬間に、職員室の扉が開く音が聞こえ、再び飛び起きる。

 誰だ、いやそんなことより

 赤石は半覚醒のまま寝てた痕跡を消すため、急いで身だしなみを整える。定時制社会科職員室は、入り口から職員室の中が見えないように家具を配置してある。さらには、職員室に入って来たところで、赤石の座っている応接ブースは衝立で仕切られている。すきを生じぬ2段構えというわけだ。何故そこまで厳重にしているかは、無論赤石が、サボっていることを入ってきた生徒や教員に、バレないようにするためだ。表向きの理由は優幻を他の生徒の視線から守るためだ。

 職員室で寝ていたなんて、不名誉なうわさが立たないように音を立てるようにわざと机の上にある書類で音を出して書類を読むふりをする。足音が近づいてくる。

 誰だ、副校長か。


「ハジメ?」


 衝立からひょっこり顔を出したのは小望月だった。


「お、おう。どうした小望月」

 

 彼女で安心をした赤石は、彼女以外が職員室に居ないか、立ち上がり衝立の向こう側を確認する。彼女の場合保険の先生と一緒に帰ってくることもあり得るからだ。

 なんだこいつが来ただけか。


「なんだ、優幻かどうした?腹でも痛いか?」


「ちーがーうー。なんだって、1限終わったから帰ってきた。2限は出なくていいってハジメが言ったんでしょ」


 確かにそんなことを言った記憶がある。

優幻と話していくうちに頭が回り始め現状を理解し、いつも彼女と接している態度に戻る。


「いや、しかしだなぁ。優幻もう少し頑張るとか、トライしてみるとかなぁー」


「えー、今日はもう疲れたぁー。今日はヒ、ヒジョミさんともお話できたし。が、頑張ったよ私」


「あー」


 食堂での出来事を反芻する。

 まあ、確かに頑張ったか。果たしてあれはお話ししたというのか。陽キャにダルがらみされている陰キャにしか見えなかったが。それよりコイツがあれを、プラスのコミュニケーションと考えているのだからいいか。


「そうだな、まぁいいか。2限はー」


 壁に貼ってある時間割表を確認する赤石。


「体育か。じゃあいいか」


 体育の教員からは、優幻の完全免除が言い渡されているし。6人しか居ないクラスでは、体育でコミュニケーションは必須事項だからな。


「じゃあ、勉強するか」


「えーーーー」


「えー、じゃねぇよ」


「だってぇー」


「だってぇー、じゃねぇよ。お前は授業に出なくていいが、その代わりに別室で勉強することになってるだぉ?」


「今日は疲れたしー、頑張ったしもう、


 いつもにも珍しく勉強をごねる優幻に赤石は違和感を覚えた。しかしすぐにその理由に、思い当たる節があった。


「ああ、ははーん。


 急に態度を変え、にやけた赤石に動揺をする小望月。


「な、なにさ、ハジメ」


「お前あれだろ、『ぱいなっぷる』の続き読みたいんだろ」


「な!な、なななな」


 彼女は顔がほんのり赤くなり、先ほどよりも目にわかる動揺を態度でうろたえ始める。


「まぁ、まぁ、俺も同じ仲間オタク言わずともわかる。さっきの続きが読みたいんだろう」


 赤石は謎が解けて満足げに腕を組み頷く。

 わかるぞ。わかるぞ。読み掛けの漫画とか気持ち悪いもんなわかるぞその気持ち。俺だって学生の頃、授業中にライトノベル読んで怒られたっけ。


「ち、ちちちちちちち、ちがうし」


 赤石の態度に、彼女はもっと顔が赤くなり、壊れたレコードの様な喋り方になった。誰が見ても動揺を隠しきれていなかった。


「いや、ちがくないっしょ。まあいいや、じゃあ3限からプリントやるぞ。」


「ちちちち、ちがうんだけどなー」


「いいよ、別に。ほら読んで来いよ」


「ま、まあハジメがどうしてもよ、読めっていうなら。つ、続きを読んでやってもいいかなぁ」


 変わらずの態度のまま彼女は、回れ右をして、現像室に入っていく。

 はい、はいわかっておりますよ。いいから行って来いって。


「じゃ、じゃあ入ってこないでよね!ハジメ」


「なんだよそれ。別に


「いいからっ!3限まで入ってこないで!入るときはノックして!」


「おい、おい、どしたんだよ急に反抗期か?まぁ別にいい


 そのまま彼女はピシャリと扉を閉めて現像室へ消えていった。

 さて、なにをしたものか。二度寝するには優幻が邪魔だ。しかしこんなに仕事をサボって、今日はなんもやる気でん。優幻が居るから休暇を取って早く帰ることも出来んし

 いかにして勤務時間を過ごすかと、ソファで考えている赤石に一つのアイディアが思い浮かぶ。

 

「そうだよ。俺も買ってきたじゃないか」

 

 そうだよ、そうだよ、俺にも『ワンハンドットワン』があるじゃないか。本当はあそこで、読みたかったが、桜葉にバレるわけにもいかず、結局読んでないじゃないか。そうだよなんだよぉ

 自分カバンを開けるが、そこで思い出す。


「あっ。しまった中か」


 お昼の彼女とのやりとりを思い出し、赤石は本を取りに、現像室へ向かうが。


「はぁ?」


 現像室の扉を開けようとしたが、その扉は固く閉ざされている。

 何でアイツ鍵なんて、


「お、おい。優幻!」


「ふぁっぁぁぁっい」


「おい、なんでカギ閉めてるんだよ。」


 赤石は締まったドアを叩き抗議の意思を表す。扉の向こうでは、なにか物の倒れる音と、優幻の声が聞こえる。


「おい、優幻。てっ


 扉が少しだけ開き優幻が顔を出す。


「ノッグッ!!!。ノックしてって言ったの聞いてなかったの!!!」


 そういえばそんなこと言った様な言ってなかったような


「ハジメは!!!デリカシーなさすぎ!!部屋に入るのにノックは常識でしょ!!


「何を言ってるんだ優幻。俺はデリカシーが服を着て歩いてるようなもんだぞ。いや、それにしても今まで鍵なんて、閉めたことなかった


「だから言ったんでしょ!ノックしてって!!」


「あ、ああ。たしかにそんなこと言ってたか?すまん、すまん」


「でぇ!?}


「で。とは?」


「いや、だからなに!?」


「ああ、あれだよ優幻。俺の買ってきたもう一冊のラノベそっちの部屋なんだわ」


「もう!」


一旦現像室の中に戻り、再び戻ってきた彼女の手には『animate』の袋が握られていた。


「ほら!」


「おう、おう、すまんすまん。ありがとな」


「じゃあ!今度こそ3限までは入ってこないでね!!!」


 赤石の返事を聞く前に彼女は、勢いよく現像室の扉を閉めて部屋の中へ消えていった。


「お、おう」


 なんでコイツは授業さぼってラノベ読むだけなのに偉そうなんだ。


「まぁいいか」


 そんな彼女のことよりも自分の楽しみを優先することにした赤石は、再び応接用のソファに座り、ライトノベルを読み始めるのだった。






 赤石のクラスは形だけの初めのSHRは行うが、帰りのSHRは行わない。理由は簡単でめんどくさいからだ。本当は初めのSHRだって彼はやりたくないが、彼女が居るという点と、1年生の1学期だからという点で、管理職にお願いされてしぶしぶ行っている。彼も昔の自分が彼女をここに入学させ、巻き込んでいる手前それだけは断れなかった。よって彼女達は4限終了のチャイムと同時に放課後となり自由解散となる。

優幻は、3限目にはライトノベルを読むのを中断し、赤石が監督のもと現像室の中で勉強を行った。

 もともと彼女は勉強自体が嫌いではなく、育ちが良いので自習ができる。不登校だった期間を差し引けば、学力は周りとそれほど変わりはない。ただ単に赤石以外の男性の教員の授業と、クラスメイトとのコミュニケーションが必要な授業が壊滅的に苦手なだけなのだ。宿題となっていた化学のプリントを解き終わる頃、時刻はもう午後20時50分になろうとしていた。静かな部屋の中で、彼女のスマホがバイブレーションをする。


「ハジメー、お母さん着いたって」


 通知を見ずとも彼女のLINEには赤石と母親しか友達が居ないのだ。最後の問題を解きながら彼女は迎えが来たことを伝える。


「そうかじゃあ少し早いが今日は終わりだ。あっー、疲れた」


 優幻を監督するという名目で、となりで暇をしていた赤石は立ち上がり大きく伸びをする。


「ハジメなんにもしてないじゃん」


「いやそんなことない。俺はお前をしっかりと監督していた」


「えー」


「えー、じゃない。もともと俺は科学を教えてることなんでできねぇよ。俺の専門は社会だぞ」 


「たしかにそっかー。ハジメじゃ無理かー。あはっ」

 

 屈託のない彼女の笑顔を見るたびに赤石は思う。

 クラスメイトとも面と向かって話せない、名前だって一苦労で、教員なってもってのほか。しかし彼女だって俺が相手ならこんな無駄口も叩ける。この彼女こそが本当の小望月優幻なのだろうと、今のクラスなのであれば優幻のこの趣味のことだって受け入れてくれるだろう。あとほんの少し、ほんの少しだけ歩み寄る勇気ときっかけがあれば


 「まぁ、おいおいでいいか」


 焦る必要はない。今日龍頼で失敗したばかりだろう。まだ1年生は始まったばかり、時間をかけてじっくりとリハビリをさせればいいか。

 

 「ん?なに?」


 「なんでもねぇよ。ほら行くぞ」


 「最近ハジメ、ぶつぶつ独り言キモイよ」


 「なっ。キモイてなんだよ。こっちとらなぁ


 赤石達はそんなたわいもない話をしながら、校門に止まった彼女の母親が運転する車まで彼女を送った。彼女が乗り込んだばかりの後部座席の窓が開いて顔を見せる。


 「ハジ…………」

 

 道路を走る車などの雑踏で、彼女の声はさえぎられて赤石に届かなかった。

 

 「ん?なんだ……?」


 彼女に半歩近寄り耳を傾ける

 

 「ハジメ、明日は学校来る?」


 コイツに、こんなことを言わせてしまうのか俺は


 「当たり前だろ、俺を誰だと思ってるんだ。」


 赤石は彼女の頭をすこし乱暴に撫でる。彼女はうっとうしそうに赤石の手を振りほどこうとするが、赤石はそれにお構いなく撫で続けた。今の自分の顔が、どんな顔しているかわからなかったから。


 「そ、んなに、自信満々だけど、今日っ約束破ったのは、初めだからっね!」


 「ああ、そうだなすまん、すまん」


 「明日は約束!、もう!」


  彼女はやっとの思いで、手を振りほどき、赤石をにらみつける。


 「ああ、約束だ」


 赤石は、そう言って彼女と別れ夜の学校へ踵を返す。

  

  

  


 「さぁーて、今日もクソな仕事終わったー、終わったー」


 仕事は一切何もしてないが、達成感に満たされた赤石は社会科職員室へのドアを開ける。


 「ふぅー、これで今日は見回りして、おしまい!、っとそのまえに」


 さっきまで読み途中だった『ワンハンドットワン』を読み切ってしまおう。


 「あれ、ねえなぁ、あれぇー、どこしまったか」


 さっき優幻を送り出すときに、自分の机の上に置いたはずの『ワンハンドットワン』を探すが見当たらない。


 あいつ持って帰った、か?いやアイツはもう一冊『ぱいなっぷる』の方を持って帰ったはずだ。


 いや、さっき確実に俺はここに置いた、



 「お探しのものはこれかしら?」


  

 赤石が背後を振り返ると、そこには『ワンハンドットワン』29巻を片手に応接ブースの衝立から出てくる桜葉成見が居た。

 

 「な、なぜ。ここにいるんだ」


 「いや、そこは、放課後行くって言ったでしょ」


 「ああ、そういえばそうだったな」

 

 「そんなことよりっ、、探してるんじゃないの。先生?」


 彼女はライトノベルを掲げて、昼間出会った時よりも興味と好奇心が篭った表情で、俺を見つめていた。

 


 

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