第十一話 夢の暗闇

(1)

 森下さんは、わたしの徹底拒絶姿勢を見てさすがに諦めたんだろう。アクセスがぱたっと止んだ。もっとも、何かごちゃごちゃ言ってきても取り合うつもりはない。絶対にない。謝って済むことと済まないことがあるでしょう? 仮にも警察関係の人なんだし、それくらいわかるだろうに。もういい。二度と考えたくない。夢視の引き受け縮小は宣言済みだし、本気で平常運転に戻そう。


 と。決意したわたしがどんなにいきんでもどうにもならないのが、悪化してしまった我が家の雰囲気。なにせ、お母さんがどつぼの上に謎行動を連発している。

 わたしに対してだけでなく、家族の誰に対しても最低限しかしゃべらなくなった。すねてるとかむくれてるとか、そういう感じじゃない。べらべらしゃべるなっていうどやしを、「家の中で」忠実に実行している感じだ。いや、そうじゃないんだって。「家の外で」しゃべるなって言ってるの。耳、悪いの? でも、いらいらするほどしゃべらない。のんびりのお父さんまで、お母さんのだんまりに不快感を示すようになった。

 それだけじゃない。家事の手抜きがこれまで以上に増えて、長時間仏間にこもるようになってる。ご先祖さんにお経をあげてるってわけじゃないと思うんだけど、なあにやってんだか。

 さらにさらに、めんどくさがりで近場の家族旅行すら嫌がるお母さんが二回も遠出してる。泊まりじゃないけど、朝早くに出て夜遅くに帰ってきたんだ。お父さんには行き先を言ってるみたいだけど、わたしたちへの説明はなし。それも……おかしい。


 夢視絡みのごたごたが治っても、いや治ったからこそ、お母さんのだんまりがすっごいもやもやする。でも、夢視のことを外でしゃべるなってがっつり釘を刺したのはわたしだ。お母さんの異変の引き金を引いた張本人てことになるから、直に突っ込めない。


「はあっ」


 古文の授業。けりけりけりけり繰り返すんなら、うちのごたごたにもけりをつけてくんないかなあとか。そんなバカなことを考えているうちに授業が終わっちゃった。ああ、くさくさする。机の上にべったり潰れてたら、咲がいじりにきた。


「ゆめー。めっちゃぶるーじゃん。どした?」


 真正面からわたしの顔を覗き込む咲。おお、愛いやつよのう。よしよし。頭をかいぐりかいぐりしてから、ばふっと悩みを吐き出す。


「いや、この前からなあんか体調がさー」

「この前って、調子悪いのが続いてるの?」

「そ」


 うちのごたごたに触れたくなかったから体調のせいにしたけど。嘘ってわけでもなく、体調もすっきりしない。ものすごく調子が悪いわけじゃないんだ。でも、どよーんとしてる。しゃっきりしない。


「どっかが痛いとか、めまいでふらふらするとか、そういうんじゃないんだけど。朝起きて、すっきりリセットかからないって言うかあ……」

「わかるわかる」


 なあにばばくさいこと言ってるんだって、げらげら笑われるかと思ったのに。咲も、いまいちって感じなのかな。


「オトメには、いろいろあるよね」

「んだなー」


◇ ◇ ◇


 すっきりしないと言いながら、授業も部活もちゃんとこなした。日常をきちんとキープできれば、少しずつリズムが戻ってくるはず。お母さんルートを塞いだら、夢視の依頼は落ち着くと思うし。でも……。


 家の中の雰囲気がずっしり重い。今日なんか珍しく家族全員揃っての晩ご飯なのに、会話が全くなくてお通夜みたい。真っ先に食べ終わった弟たちが、沈黙に耐えかねてごちそうさまと同時に二階に逃げた。お母さんは食欲がないみたいで、ちょっとだけ食べてあとは冷蔵庫。そして……また仏間に行った。わたしとお父さんだけが取り残される。


「ふううっ」


 深い溜息をついたお父さんが、お茶碗の上にことっと箸を置いて。もう一度溜息を重ねた。


「はあっ。まあ、こういう時期もあるっていうことなんだろな」

「こういう時期って?」

「親子衝突さ。うちはあけすけだから、表面的などんぱちはあってもそれに紛れて過ぎるのかと思ったけど。そう甘くはなかったな」

「ふうん。お父さんがわたしぐらいの時はどうだったの?」

「反抗期のことか?」

「うん」


 ひょいと腕組みしたお父さんは、そのまま黙り込んだ。


「あったけど目立たなかった。少なくとも、親はそう思っただろうな」

「目立たなかった、かあ」

「俺はしゃべる方じゃないからさ」

「うん」

「親からの過剰な干渉はなかったけど、埋められない価値観の違いはあったよ」

「知らなかった」

「はは。まあな。でも溝を無理に埋めようとすると、逆におかしくなる。俺も親もそれはわかってたから、まあなんとなく乗り越えた」

「うー。うちはお母さんゆるゆるだし、お父さんものんびりだから、絶対服従とか絶対禁止とか、そういうのはないもんなー」

「そうか?」


 お父さんが、かすかに笑った。


「そうでもないさ」

「ふうん」

「親子って言っても、それぞれ独立した人間だからな。派手か地味かの違いはあっても、必ずずれや衝突はあるよ。気付かないだけだ」


 お父さんの言葉の端に、ちょっとだけ非難のトーンが混じっていた。そして……お父さんがさっき言ったみたいに、非難を素直に受け取れない自分が確かにいた。なるほどな。


「あ……っと」

「なんだ?」

「お母さん、どっか遠くに出かけてたよね。どこ行ってたん?」

「埼玉の寄居ってとこだよ。春の方の親族……母方のいとこがそこに住んでるんだ」

「法事かなにか?」

「知らん」

「えー?」

「夫婦って言ってもプライベートはある。それに俺は婿さんだから、春の親族関係にはできるだけ触りたくないんだ」


 そっか……。なんか、納得できないところがあるけど。


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