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翌日、タジューク王とラミア女王の二人は、午前中にリムジンで出発した。今回の行幸は事後に国民に知らせることになっていたので、沿道には群衆の姿はなかった。空港に着くと、二人は早速エンジンをアイドリングさせて待ち構えていた垂直離着機のタラップに足を掛けた。タジューク王は憮然としており、ラミア王妃はそれを取りなすように、窓際の席に着いた王の膝に手を置いた。
「王さま、お気が乗らないのはよく判りますわ。ですけど、これも公務の一つですから」
とラミアはタジューク王に言った。タジューク王は、うむ、とだけ返辞をした。
やがて、エンジン音が高まり、飛行機は発進した。
リンガ県タジキ村までは、二十分ほどの飛行で安着した。そこへ辿り着くまで、飛行機は深い山々の間を縫って飛んだ。ラミアが驚いたことに、こんな場所にはとても暮らせないだろう、と思える深山幽谷の合間にも、僅かな土地を開拓してテント生活をしている人びとがいたのだった。
「王さま」とラミアはタジューク王に言った。「あのような暮らしを送っているひとも、このセルウィン王国にはいるのですわ」
「そうだな」王も答えた。「わたしも、地方に本格的に出るのは初めてに近いからな。これを良い機会として、わが国の国情をよく頭に入れよう」
タジキ村が見えて来ると、王と王妃は顔を揃えて俯瞰した。小規模で、如何にも貧しい寒村、といった風情だった。
垂直離着機が無事着地し、エンジンが停まると、村人たちが怖ず怖ずと近付いて来た。飛行機のドアが開き、王と王妃が空き地に立つと、浅黒い肌の老爺が一人歩み寄って来た。
「わたくしが、この村の村長パロでございます。今回は直々にお出でとのことで、まことに勿体ない幸せにござりまする…」
そう言うと、村長は帽子を脱いで跪くと深々と一礼した。
「そう、堅くならんでもよい」タジューク王は鷹揚に言った。「今回は水害に見舞われたとのこと、見舞いを申すぞ」
「有難うございます。――さ、さ、では王さまも女王さまもこちらへいらして下さい。何もできませんが、ささやかながらおもてなしの準備をしてございます。――この村には、都にありますような建造物はございません。殆どがテントでございます。ご不便をお掛けしますが、どうかお忍び下さいませ」
そう言うと、老人とその息子と思しい青年が先に立って、王と王妃を先導した。村の顔役と思われる者たちも数人付き従った。それ以外の村民は、王と王妃に対する畏敬の心よりは好奇心の方が勝っているようで、小さな国旗は持っていたが、無言で二人や随行した侍従やSPの姿を物珍しそうに眺めた。
二人は石が露出して歩きにくい道を高台へ導かれ、村長のテントに入った。タジューク王とラミア王妃の見た限りでは、このタジキ村は山間にある貧しい村で、まともに屋根のある建造物といえば精々私塾として使われている小屋と、寄り合いの時に使われるらしい小屋の二つだけだった。この村は相当貧しいのだわ、とラミアこと美智子は思った。こういう地域の活性化から始めなくてはいけないのに、先代の王さまもこのゲンダっていう王さまも、一体何を考えて政治を執り行っているのかしら?
「わたくしどもの住まいは、こちらでございます」
とパロ村長が二人を導いたのは、下にあったテント群からは僅かにましかと思われるテントだった。木の床があることだけが救いだった。村長は靴を脱いで上がったので、タジューク王とラミアも靴を脱いだ。
村長はテントに上がると、先ず奥へ行き、何かの神さまの祀られている祭壇に向かってお辞儀をし、何やらぶつぶつ唱えると、祭壇の蝋燭に火を点した。それから、改めてタジューク王に向かい、
「この村では、スタニ神と申す神さまを祀っております。まず、国王さまよりも此方の神さまを先に考えよ、ということが代々継承された教えでございまして…。失礼仕りました」
と言い訳した。タジューク王は、
「良い、よいわ。この国には種々多様な神を祀る部族のいることはわたしでも知っている。気にせずとも良い。して、何の神さまじゃ?」
「この山を守って下さる神さまでござります。この山を守り、わたくしどもに猪や山菜や魚をもたらして下さる神さまにござります」
「そうか。――だが、今回水害に遭ったのは、不遇だったのう」
すると、パロ村長は、微妙な表情を浮かべて首を振った。
「それが…、さまでの被害ではござりませんでした。テントは全て川縁から離して設営し直して起きましたので、実質的に被害に遭った者は一人もおりませなんだ。」
「ほう。神さまのお告げでもあったのかな?」
「はい。――実は、この頃、わたくしどもの村には天からの授かりものとしか思えない、不思議な猫が生まれまして…」
それを聞いて、タジューク王は興を惹かれたらしく、
「なに、授かりものだと? して、一体どの様な猫じゃ?」
すると村長は、
「では、今からお呼びいたします。――おい、スビタス、スビタア、これへ参れ。王さまの御幸じゃぞ」
と声を張り上げた。
タジューク王がパロ村長の視線の先を追うと、魚を盛った笊の陰から、小柄な二匹の猫が現れた。
村長は、
「これ、ここへ」
と命じた。すると、グレーの毛並みの猫はパロ村長の膝の上に乗り、淡い青色の猫は村長の傍らに来て丸くなった。二匹ともタジューク王のことをしげしげと眺めている。
村長は、膝に乗った猫を指して、
「これがスビタスです。これ、スビタス、国王さまにご挨拶しなさい」
と言った。するとスビタスは、
「タジューク王陛下、わたくしはスビタスと申します。この度はタジキ村へようこそいらっしゃいました」
と言う。それを見てタジューク王は目を丸くした。
「こ、…この猫は、口が利けるのか?」
「はい、左様にございます」村長は謙虚な口振りで言った。「初めのうちは他の猫と別段変わりはなかったのですが、つい一月ほど前から、急に人語を話すようになりまして」
「村長よ、そなたは先ほど、この猫は天からの授かりものだと言うたな」
「は、申しました」
「成る程、口が利けるからなのだな」
「いえ、他にも理由はございまして」
「どの様な事情じゃ?」
「スビタスは、神がかった猫でございまして、予言の能力がござりまする」
「ほう、予言とな? どの様なことを言うのか?」
「先ほどもお話ししました通り、先般の水害からこの村を救ってくれたのもスビタスの言葉のお陰によるものです。その他にも、スタニ神へどのようなタイミングで祈祷をすれば良いか、川に梁を仕掛けるのはいつ頃が良いか、どうすればイノシシの収穫量が増えるか、と一から十まで最近は全てスビタスの言う通りに行動しております」
「――良く当たるのか?」
「はい、それはもう、すばらしい的中率でございまして、百発百中と言って過言ではありません」
「そうか。――して、そなたの膝元にいるのが、スビタアとやらか?」
「は、左様にござりまする」
「スビタアも予言をするのか?」
すると、パロ村長は短く笑って、
「いや、スビタスとスビタアとは兄弟猫なのでござりますが、不思議なことにスビタアは一言も口は利きません。鳴き声すら立てないのでございます」
「だんまり猫か」
「はい」
「ほほう」タジューク王は口髭をひねった。「面白い組み合わせじゃの」
王妃ラミアがスビタスに手を伸ばした。
「スビタス、こちらへおいで」
すると、スビタスは素直にその言葉に従って、パロ村長の膝の上を離れると、きちんと脚を揃えて座っている王妃の膝の上に乗り、丸くなった。
タジューク王はそれを見て、
「どれ、スビタスとやら、タジキ村のことが判るのなら、この国の国政のことについても少しは判るだろう。どうだ、この国は栄えるか滅びるか、どちらだ?」
と問うた。スビタスは耳を動かして十五秒ほど黙していたが、
「このままですと、確実に滅びます」
と明確に答えた。その答えに、タジューク王はまた目を丸くした。
「ほう、滅びるとな。――それでは、どのようにすれば回避できるかの?」
王の問いに、スビタスは、
「そのためには、わたくしめをジャンニ・ビハールへとお連れ下されば良いのです」
と即答した。タジューク王はパロ村長を見て、
「スビタスはこう言っておる。村長よ、わしがこの猫を王宮に連れ帰っても構わんか?」
と問うた。村長は、両手で帽子を握り、暫く考えていたが、
「――はい、王さまのみ心のままになさいませ」
と低声で答えた。王は、パロ村長の胸中を思いやったのか、
「無論、ただで、とは言わん。見返りに、この村の予算に王宮から五百万ペカーリ出そう。それから、この村で有望なものがおれば、首都のビリング総合大学に優先的に進ませよう。また、能力に応じて王宮での事務や折衝に当たる者を召し上げよう。それでどうか?」
と重ねて問うた。村長は窘縮して、
「ははあ、過分のご処置にござります。このような獣に…」
と言ったが、王は、
「良い、良い」
村長は自分の傍らにいるスビタアを指し、
「王さま」と言った。「スビタスをお連れになるならば、是非ともこのスビタアもお連れ下さいませ。この二匹は兄弟猫にござります」
と言った。タジューク王はそれも快諾した。そして、隣の王妃を見遣り、
「宜しい。では、もう遅いのでそろそろ引き揚げるか」と言った。「バスケットを用意せい。この猫――スビタスとスビタアは、向後は王宮召し抱えの諮問猫としよう」
二匹の猫のために、駕籠が用意された。二匹は命じられるまま、指示に素直に従ってバスケットに入った。王は去り際、パロ村長を脇へ呼び、
「…村長よ、あの二匹、本当は人間が演じているものではないか?」
と問うた。が、村長は首を振り、
「いいえ、王さま。あれはコンピュータ・システムが作り出した猫です。そうでなくては、天候の変化や四季の移り変わりを的確に当てる訳には参りませんな」
と答えた。王は満足げに、
「そうか」と答え、「世話になったの。村政のことは善処しよう」
と約した。村長はまた帽子を握り締め、
「誠に忝なく存じます」
と平伏せんばかりにお辞儀した。
タジューク王と王妃ラミアは垂直離着機に乗り込んだ。飛行機は村長以下村民が遠巻きに見守る中、轟音をとどろかせて発進した。
王と王妃がジャンニ・ビハールに辿り着いたのは、一時間半後のことである。
ラミアは、王は直ぐ休むものと思ったが、案外にも王は執務室に入り、玉座に着いた。そして、
「あの二匹の猫を、ここへ」
と命じた。ラビイは、
「御意のままに」
と答え、二匹の猫の入った籠を運び込んだ。そして、王の前にバスケットを置くと、開いた。二匹の猫はすぐに飛び出して、王の足下に寄った。
ラミアは立場上、立ち去る訳には行かなかったので、王の傍らの安楽椅子に座った。
「ひえ~、たまんね~よ~」PCの前で昇は悲鳴を上げた。「いい加減にしてくれよ、ゲンちゃんよぉ。何時だと思ってんだよぉ~」
伸治の部屋では、幸男が、
「源田の奴、今日は粘るな」と呟いていた。「しかし、そろそろこのゲームも終わるぞ」
「ホントかよ」カイム役として執務室に向かっていた伸治が問うた。「おれももういい加減飽き飽きして来た所だよ。何で一体、ゲンちゃんはこんなゲームに惹かれるのかね。さっぱり判らんよ」
「うん、恐らく権力の所為なんだろうな」幸男は応じた。「お前ももう少し権力を握れば、見方が変わるかも知れんよ」
「それよか、おれはこれからどうする訳?」
「お前は取り敢えず、タジューク王の執政、要するに動物好きだ、ということだな、そこに反論してほしい。――でも、今夜はもう遅いから、源田もそろそろログ・アウトするだろう。明日、また中野の家に集まろうや」
「さて、スビタスよ」背を撫でながらタジューク王はスビタスに問うた。「この国の政治の進むべき方向を教えて貰いたいのだ。先代の王は、IT立国を目指していたので、わたしもそれを継承している。併し、近頃傍らからそれに異を唱える者がおって、うるさいのだ。やれ教育問題に力を入れよ、だの、鉱工業に注力すべきだ、だの、軍事面の拡充が急務だ、と申す者もある。そなたはどう思うか?」
スビタスが口を開ける前に、執務室にナバが入って来た。カイムの侍従である。
「ナバか」王は言った。「どうかしたか?」
「は」ナバは畏まって答える。「カイムさまが、是非お目通りを願いたいと」
タジューク王はこれ見よがしに渋面を作った。
「また教育問題か。まあ、良い。通せ」
間もなくカイムが姿を見せた。
「王さま、タジキ村は如何でしたか? 何か収穫はありましたか?」
タジューク王は気難しい顔をやや和らげ、
「うむ」と言った。「見よ、この猫たちが今度王宮に入ったのだ。然も、ただの猫ではない。人語を解し予言をするという猫だ。大したものだろう。――どれ、カイムよ、そちも折角この場に来たのだ、この猫がどう答えるか、とくと見るが良い」
「猫が、ですか?」カイムは信じ難い、という表情をしている。「王さま、それは騙されたのではありませんか?」
「騙す? いや、そなたはこの猫を間近に見たことがないのでそう言うのであろう。先ずはそこに立って、どう答えるか見るのだ」
王はスビタスに向き直って、
「スビタスよ、これがわが甥のカイムじゃ。この者はそなたが先見の明のある猫だとは俄に信じられないようだ。無理もないな。わしもそうだったのだから。そこでスビタス、先ほどの質問をもう一度繰り返す。この国で優先しなければならない課題はどれだ?」
と改めて問うた。スビタスは耳をぴくりとさせ、
「教育問題とIT産業の拡充は同時並行に行うべきです。鉱工業へも力を注がなければなりませんが、この国には山岳信仰を持った部族もかなりあります。就きましては、教育問題とIT産業にそれぞれ四ずつ、鉱工業に二の力、と分散すれば良いでしょう。軍事面に余り力を注ぐと、周辺諸国からどう誤解されるか不透明ですし、今のところは先代オビータ王さまが築かれた平和外交路線がものを言っていますので、軍事関係は放って置かれた方が無難かと」
と淀みもなく答えた。
タジューク王は満悦の態でカイムを見た。
「どうだ、カイムよ、これがスビタスという猫だ。そしてこちらにおる青い猫はスビタア。二匹は兄弟だということだが、こうも違う兄弟も珍しいな。気に入ったか?」
カイムは暫し喟然としていたが、やがて気を取り直して、
「いや」と言った。「このカイム、驚き呆れて声も出ませんな。――口を利く猫というものを見たのも初めてなら、政を行う獣を見るのも初めてです」
「そうだろうそうだろう」タジューク王は今案意楽の風情である。「驚いただろう。この猫は、この国の行く先を見通してくれる、有難い猫だ。全く、得難い猫だぞよ。――よし、ラビイ、ルイン内務相とナイマン教育大臣を呼べ。そして、スビタスの言った通りにさせよ」
畏まりました、と言ってラビイは玉座を離れた。それを見てタジューク王は、
「それでは、わたしも寝るとしよう。もう遅いからな。スビタス、スビタア、お前たちも休むが良い。長旅で疲れただろう。明日からまた執政を頼むぞ」
と言うと、タジューク王は寝室に引き揚げた。
「やっと寝たな、源田」幸男はログ・アウトの手続きを取りながら言った。「済まないな坂口、長居してしまって」
「いいっていいって」伸治もログ・アウトした。「しっかし、お前さんの頭の中って、一体どうなってんのかねえ。高校二年生が五十男を手玉に取るなんて、信じられねえぜ。どうしてそうあれもこれも判るんだ?」
「――まあ、習慣になってるからだろうな」幸男は別に得意な風も見せずにさらっと言った。「おれの頭の中を覗いて見たら、案外詰まらんものかも知れんぜ」
「さあて、今夜は疲れた。幸男、お前今夜泊まって行っても良いんだぜ」
「いや、帰るさ。言い訳に苦労しそうだがな。泊まったら泊まったで、また言い訳が面倒だ」
帰るさに、幸男は伸治に、
「おい、他のメンツにも声を掛けてくれ、明日――もう今日だけど、午後三時からまた中野の家で作戦会議だ。多分、これが最後の会議になると思う」
「OK」
竹下幸男が伸治の家を辞したのは午前一時半過ぎだった。
「明後日から夏期講習の後期が始まるんだぜ」健司の部屋で昇は言った。「もう、おれ、逃げたいっす」
「そうは行くか」と幸男は言った。「元々、言い出したのはお前だろうに」
「あっ、そーだ、そーでした、このおれでした。ハイ。おれです」
昇は後頭部に手を当てると、小さくなって恐縮の表情を大仰に浮かべて見せた。それを見た夏目美智子はまたくすくす笑った。
――これ、またポイント稼いだことになるのかな?
昇はそうであれば良いが、と願う。
「さて、昨夜はみんな、お疲れだったな」幸男は言葉を続けた。「お陰で、スビタスもスビタアも無事に王宮に入ることができた。後は、一つ爆弾を破裂させて、源田のやつがうむを言えなくなるまでやっつけてやるのさ」
「おおっ」昇は両腕をぐるぐる回した。「いよいよ、作戦開始っすか、大将? おれ、何でもやるっす」
美智子がまた口に手を当てて笑う。
――こーやって大袈裟なアクションをしても、健司の家だと何にもぶつからねえのな。おれの部屋でやったら、今頃血塗れだよ。
つくづく健司や伸治の家と自分の家の経済的格差に就いて思いを巡らす昇だった。
「それはまあいいけどさ」嘉幸が言った。「これからは、どう行動すれば良いの?」
「これからは、一つ対立の構図を作りたい」幸男は言った。「中野のアバスは猫を認める派、坂口のカイムは猫嫌い派、と別れてくれ。そして、対立するんだ」
「あたしはどうすれば…」
夏目美智子が問うた。幸男は、
「夏目さんは、好きなように動いてくれて構わない。けれど、カイムにくっついてくれた方が動きやすくなると思う」
「判ったわ」美智子はシステム手帳の頁を繰って何事か書き込んだ。
「それから?」
と健司が、最前健司の母親が運んで来たアイスコーヒーを飲みながら訊いた。
「それから――それから先は、未だ考えてない。だが、もう直ぐ二学期だ。それまでに、源田の奴の目にもの見せてやりたいんだ。もう二度と、下らないゲームに入れ込むような気になどならない様に、ぎゃふんと言わせたいんだ。兎に角、クライマックスに向けて徹底的に統制を取ってやって行きたい。判ったかな、みんな?」
五人は無言で首肯した。
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