S.

 S.

 タジューク王は、一呼吸おいて、

「実は、わたしは陰萎なのだ」

 と答えた。

「陰萎…と申しますと?」

 タジューク王は根気よく、

「わたしは性的不能者なのだ。そのため治療も受けている」

 と話した。


 ふーっ、と美智子は顔を赤らめてため息を吐いた。苦手な会話だった。しかし、現実問題この先誰かと夫婦関係になるようなことがあれば、これと似た会話を交わさなければならないのだろう。


「まあ」とラミアは驚いたような顔で言った。「それは大変な問題ではございませんの?」

 タジューク王は無念そうな顔になり、

「そうなのだ」と言った。「だからこそ、甥のポストにアバスとカイムを入れたのだ」

「あらまあ、そうでしたの…」

 タジューク王は、

「だから済まないが、子を持つことはあきらめて欲しいのだ。分かってくれるかな?」

 と訊ねた。ラミアは、幾分逡巡していたが、

「………はい、承知いたしました」

 と答えた。タジューク王は満足げに頷き、

「その他のことで何か望みがあれば、何なりと申すがよい」

 と言ってラミアの部屋を後にした。部屋の外ではラビイが控えていた。タジューク王は、

「わたしは休む」

 とだけ言って、自分の寝室へ入って行った。


 やれやれ、小娘かと思ったらとんでもない女を拾ってしまったらしいな、と靖はログ・アウトの手続きを取りながら思った。

 家族などもう沢山だ、と靖は思っていた。下手に家族など持つとろくなことがない。訳の分からないことを言い出し、訳の分からないことで勝手に悩み、訳の分からないことに熱中して自分を誤魔化そうとするだけだ。

 靖が離婚しないのは、世間体と家事の手が理由だった。もし学校関係者にも知られず離婚できる方法があったら、靖は喜んで離婚届に判を押していただろう。

 その訳の分からない他人は、もう一人の若い他人と一緒に、明日帰って来ることになっていた。


 美智子は言葉を選んで説明したため、他の五人にはすぐには分かり辛い言葉も多く、結局全てを説明するのに三十分もかかってしまった。

 美智子の言葉を呑み込んだ昇が一番最初にげらげら笑い出した。

「ゲンちゃん、インポなのかよ~!」

 しかし、他の五人が笑っていないのを見て、すぐに黙った。昇がそーっと夏目美智子を窺うと、真っ赤な顔をしていた。

「大変だったんだから」

 健司は、うんうん、と頷いて、

「美智子ちゃん、よくやったよ」

 と労った。伸治も、

「大役をこなしたね。お疲れ様」

 と言った。幸男は、

「そうか…。やはりそうだったか。おれが読んだ通りだったな」

 と一人で頻りに頷いていた。嘉幸は無言だった。

 一座は静かになった。暫しの沈黙の後、

「でさ」と健司が声を上げた。「この後、どうするワケ?」

「うん」と幸男が言った。「ここからはアバスとカイムの手に掛かっている。いや、ラミアにやって貰ってもいい。ラミアの口添えがある方がいいと思う。――源田を行幸に出して欲しい」

「一体どこへ?」

 伸治が問うた。

「決まってるじゃないか。リンガ県タジキ村へさ」

「いよいよっすね」昇が言った。「おれらの出番、ってワケっすね」

「まあな。しかし、うまく説得しないといけないな」

幸男は顎の下に手を当てて考えた。

「何しろ、スビタスとスビタアがいるのは、首都ビリングから百五十キロも離れた土地だからな」

「どう言えばいいかな?」

 と健司。幸男は、

「そうだな。――そうだ、少し前にタジキ村では水害が起こったことがある。その見舞い、ということではどうかな?」

 健司は、

「分かった。その線で行こう。説得は伸治に頼むよ」

 と承諾した。伸治も、

「了解だ」

 と言った。昇は、

「お前、王宮内に入って一体何をするつもりだ?」

 と幸男に問うた。幸男は、

「まだそこまではよく考えてない。まず、おれが源田に対してどれだけの影響力を持つか、見極めてから決めたい」

 とだけ答えた。


 タジューク王は食事をして「体力」ゲージが回復するのを見てから、執務室に入った。玉座に就いて王杖を手にすると、間もなく何名かの大臣が訪れ、新たな政策についての提言をした。

 王は、

「それについては、カイムに申すがよい」

 とか、

「それは大臣が自分で決めてよろしい」

 などと簡単に返事をするのみだった。

 陳情団もやって来た。ある県では不作に悩まされているといい、また別の県では隣の部族との境界線争いを巡って論争が激しくなっていた。

 タジューク王は、それぞれに対して、

「よろしい。善処しよう」

 と答えるのみだった。


 タジューク王こと靖は半ば上の空だった。

 その日、妻の真理子と娘の真紀がバリから帰宅した。二人ともよく日焼けしていた。真理子は、靖の午睡中に帰って来て、知らん顔をしていた。

 靖が起き出して、物音がするのに気付いて階下へ向かうと、

「あら、あなたいたの?」

 と和室の真ん中で娘と共に着替えやら水着やら土産物やらの整理をしていた真理子は初めて気付いたように言った。

「ああ、そりゃいたさ」

 靖は、「夜の果てへの旅」のフェルディナン・バルダミュよろしく取り散らかった部屋の中をぐるぐる見回しながら答えた。

「いつ、帰ったんだ?」

「さっきよ」

「時差ぼけはないのか?」

 靖が問うと、真理子は鼻で嗤って、

「バリ島と日本の時差は一時間よ。そんなのある訳ないじゃない」

 と言った。

「そうか」

 靖は答えると、またふらふらと二階へ上がった。午睡で見た夢の中で、靖はラミアに迫られていた。ラミアは有無を言わさぬ力を以て靖の身体にまとわり付き、離れなかった。そのラミアの肉体は、サイバースペース内の存在であるにもかかわらず妙に肉感的で蠱惑的だった。靖が目を覚ましたのは、夢の中で誘惑に負けてラミアの身体に手を伸ばそうとしたその時のことだった。

 おれは浮気をしたのか。

 靖は考える。

 いや、あれはラミアから迫って来たこと。それに、ラミアを娶るのはそもそも自分の意思ではなかった。自分は結婚生活の辛酸を嫌と言うほど舐めている。もう夫婦生活などこりごりなのだ。それなのに、あのアバスやカイムがうるさく言うので、仕方なしに応諾しただけの話だ。

 全く、もっとよく甥たちの人間性、性格について判断してから採用するべきだった。

 靖は、この「キングダムズ」のシステムは企業経営のそれによく似ているということに迂闊にも気付いていなかった。靖は自分が受け持つ生徒たちに接すると同じ態度を以てアバスやカイムの面接に臨んだのである。靖が勤務する大聖寺学院は、地元では名門として知られており、その上所謂「良家の子息」が多かったことから、万引きで捕まる生徒などまずいなかったし、虞犯少年だとして学校に警察から通報が来るような生徒もいなかったのである。

 靖は一体これからどのようにこの国を動かして行くべきか、考えが全く行き詰っていた。自分が王として適任であるかどうか、という点については疑問を抱いていなかった。靖は身銭を切ってこの王国の王座の地位を「買った」のである。オビータ先王の承認も得た。それならば、どのようにこの王国を運営して行くべきか、まず決定権があるのは自分だ。

 これはおれの王国だ。どうしようとおれの勝手じゃないか。

 靖はそう呟いた。


 陳情団が何組か去った後、タジューク王が果物のジュースを飲んで渇きを癒していると、執務室にバアグスがやって来た。

「タジューク王陛下、いまお時間はおありですか?」

 バアグスは訊ねた。王は、

「うむ」

 とだけ答えた。するとバアグスは、

「カイムさまがお目に掛かりたいとおっしゃっておいでです」

 と言った。タジューク王は眉根を寄せた。

「カイムが? 何の用だ?」

「さあ…、よくは存じませんが」

 バアグスは曖昧な返事をする。

「まあ、いい。通せ」

「はい」

 バアグスは一旦引き下がり、やがてカイムを連れて戻って来た。今日は大臣は一緒ではない。

 カイムは、王の顔を見ると、

「お早うございます、陛下」

 と挨拶した。王は、その言葉にも、

「うむ」

 とだけ返事をした。

「実は、今日は折り入ってお願いがございまして、お伺いした次第です」

「用件を申せ」

「はい。――王さま、そろそろ地方へ行幸にお出でになられてもよろしい時期ではないかと思いますが」

「行幸か?」

「はい。地方には仏教徒以外の少数民族も多数ございます。先王オビータさまは、お手間をいとわずに行幸にお出でになられたと伺っております。全国民からの支持率の高さは、そのお陰だったということもあるのでしょう。先ごろ王さまは、ビリング市民への王妃さまのお披露目をお済ませになられました。市民からの支持率の高さは相当なものとお考えになってよろしいでしょう」

「うむ」

 タジューク王は満足げに唸った。カイムは続けて、

「そこでのことですが、そろそろ王妃さまをお連れになって、地方へ行かれてもよい頃合ではないでしょうか? 地方の国民がどの程度陛下を支持しているのか、そこまでは分かり兼ねます」

 タジューク王はジュースの残りを飲み干し、傍らのラビイにグラスを渡した。それから口ひげを捻った。

「うむ」王は言った。「しかし、王宮を長期間に亘って留守にする訳にはいかん。何が起こるか分からないからな」

 王はカイムとアバスに対して皮肉を言ったつもりだった。が、カイムは、

「何もお車で行かれることはございません。この国は、地方空港は未整備ですが、垂直離着機をお使いになられれば、ヘリコプターよりも安全かつ速やかに地方へ行かれることが可能です。いかがでしょうか?」

 王は、ひざの上のイヌの頭を撫でながら、

「ふむ。なるほどな。――また後で考えよう」

 と言った。カイムは、粘り強く、

「地方へ行かれれば、またその地方特有の珍しい愛玩動物も王宮に入るかも知れません。是非ご検討下さいますよう」

 と熱心に勧める。王は、その言葉を聞いて少し興味を持ったのか、

「ふん。――して、どこへ行けと申すのだ?」

 と訊ねた。カイムは、

「そうですな。まず、行かれるべきところは、最近災害などに被災した地方が適当でしょう。そうした地方へ行かれれば、ニュースにもなります。全国民からの支持も得られるでしょう」

 と答える。王は、

「最近被災した地方などあったかな?」

 と訊ねた。カイムはやや呆れたように、

「陛下はルイン内務相からのご報告はお聞きになられていないのですか? 最近ですと、リンガ県のタジキ村…タジキ族の住む地区ですが、この地方が水害に遭っております」

 と言った。王は、

「聞いたことのない村だな」

 と言った。カイムは、

「ご存じありませんか? だからこそ、陛下はもっと真剣に大臣やわたしどもの申し上げることを真剣にお聞きになるべきなのです」と諫めた。「陛下は首都近郊ばかりでなく、もっとこの国の内情に目を向けられるべきです」

 タジューク王は五月蠅そうに顔の前で手を振った。

「止めい、カイム。わたしは王位を継いでまだ間もない。知らぬことがあっても当たり前だ」

「しかし、それはわたしも一緒ですぞ。わたしは陛下よりも後に王宮に入りましたが、陛下よりもこの国のことを知っているという自信があります」

 タジューク王は渋い顔をした。

「分かった、分かった。行けばいいのだろう。分かった」

 カイムは、

「そう投げやりな態度でおられては困ります。飽くまでご公務の一環なのですから、私情をお交ぜにならずに行かれて下さい」

 とまた諫めた。王はややあって頷いた。

「では、ラミア王妃さまをお呼びしましょう」

 カイムはそう言って、傍らに控えていたラビイに、

「ラビイ、ラミア女王さまをお呼びして来い」

 と言い付けた。ラビイはすぐに立ち去り、やがてラミアを連れて戻って来た。

 ラミアは、

「何のご用ですの、王さま?」

 と問うた。タジューク王は、面白くない顔をして、

「それならカイムに訊くがいいだろう」

 と言った。カイムは、行幸の話をラミアに伝えた。すると、ラミアはぱっと顔を輝かせ、

「まあ、地方へ行けるのですか。わたくし、一度都から出たいと思っておりましたの。ちょうどいい機会ですわ。――王さま、もちろん行かれるのでしょう?」

 とタジューク王に問うた。王は、依然として面白くない顔はしていたが、

「うむ。行くつもりだ」

 と返事をした。ラミアは、

「それで、どちらへ参りますの?」

 と続けて訊いた。カイムは、

「最近水害があった、リンガ県のタジキ族の村へ行かれて下さい」

 と王に代わって答えた。

「まあ、水害がありましたの。大変なことだわ。王さま、お見舞いに行きましょう」

 ラミアの言葉に、王はまた口ひげを捻りながら、

「うむ。わたしは構わん」

 とだけ答える。ラミアはカイムに、

「それで、リンガ県とはどの辺にございますの?」

 と問うた。カイムは御前会議の時に使うプロジェクタを出して来て卓の上に据え、壁面にセルウィン王国の地図を映し出した。そして、首都から北方にかなり離れたところにある、山岳地帯の一点を指した。

「この辺でございます」

「まあ、随分遠いのね。車で行きますの?」

 カイムは、

「まさか。垂直離着機で行かれて頂きます。ジャンニ・ビハール国際空港まではお車で行かれて頂きますが、空港からは一時間の距離です」

 と説明した。

「あら、そう。その…タジキ村には空港があって?」

「いいえ。しかし、僅かな空地があれば離着陸に支障はございませんから」

「そうなの。わたくし、行きますわ。ねえ王さま、王さまも行かれるでしょう?」

 タジューク王はラミアまでカイムに同意したことで不満げな顔をしていたが、仕方なさそうに、

「うむ、行く」

 と答えた。ラミアは、

「それで、日程はもう組んでありますの?」

 と問うた。カイムは、

「いいえ、まずタジキ族の村長に通信を取り、日程を調整し、それから行かれて頂きます」

 と答えた。ラミアは、

「じゃあ、手配の方は早急にお願いするわね」

 と言い、御前を去った。


 タジューク王こと靖は面白くなかった。カイムの方がいつの間にやら自分よりもこの国の内情に詳しくなっていることには、出し抜かれた、という思いしか抱かなかったし、ラミアが詳しく話も聞かず、サイバースペース上の夫であるとはいえ、自分の気持ちも聞かずに話を決めてしまったことも憤懣の種だった。

 靖はこの所酒量が多くなって来ているのを自覚しながら、パワーズの水割りのグラスを傾けた。

 妻は先ほど姿を見せ、靖が書斎でPCに向かっているのを認めると、

「ふん。まだやってるの」

 と軽蔑したように言い棄てて寝室へ上がってしまった。

 娘は自室にいてまだ起きているのだろう。勉強家のことだから、夏休みの宿題でもやっているのかも知れない。しかし、勤勉な娘のことも今の靖には疎ましくしか思えなかった。


 カイムはバアグスに、

「おい、通信室へ連れて行ってくれ」

 と言い付けた。バアグスは一礼し、カイムを連れて通信室へと向かった。地方との回線を通じた通信や、回線の通じていない地域との無線連絡にはこの室を使う。

 バアグスは、通信室に誰もいないことを確かめてから、

「どうぞ、お入り下さい」

 と畏まった態度で言った。

 カイムは中へ入ると、リンガ県との通信方法について調べた。見ると、タジキ村とは通信回線が通じているらしい。

 カイムはヘッドセットを着けると、壁面に表示された地図上の、タジキ村の位置を指で押した。

 通信音が鳴った。


 リンガ県のタジキ村では、村長のテントの隅に設置してある通信機が鳴り始めた。スビタスはそれを認め、ぴくりと耳を動かした。

 テントの中の炉で焚き物をしていた村長の息子は、その音に吃驚して飛び上がり、通信機に飛び付いた。

 息子は隣の村からの何かの伝達だと思ったのだが、通信機のランプはそれが中央からの通信であることを示す赤に灯っている。

 息子は、恐る恐る通信機に手を伸ばし、

「もしもし。こちらはタジキ村でございますが…」

 と言った。相手の名を聞くと、息子は更に緊張した顔付きになった。

「はい。…はあ、はあ。――あの、父は今外に出ておりますので、すぐに呼んで参ります」

 そう言うと、息子は外へ飛び出して父親である村長の姿を探した。


 カイムは、おどおどした村長の息子の喋り方を聞いて、ここはバアグスに連絡させればよかったか、と思った。が、もう遅い。

 待っていると、間もなく村長が出た。

「はあ。こちらはリンガ県のタジキ村でございますが…」

「わたしはビリングの宮殿の者だ。カイムという」

「はあ。お名前はよく存じ上げております。何でもタジューク王さまの甥御さまだそうで…」

「うむ。用件に入るが、そちの村では最近水害に見舞われたそうだな」

 村長は頼りなげな口調で、

「はあ。水害と申しましても、被害はそれ程甚大なものとまでは言えませんが…」

 と答える。

「タジューク王が、直々にタジキ村を訪問なさりたいとおっしゃっている。そちらでは、すぐに準備できるか?」

「はあ。タジューク王さまが村に来られる、とおっしゃるのでござりますか?」

「そうだ」

「それはそれは…。恐れ入る次第で。有り難いことでございます」

「準備はできるか?」

「はあ。小さな村ですから、半日もあれば準備は終わります」

「では、明日そちらへ参るぞ。明日の午後には着くが、それで宜しいか?」

「明日の午後に、ですか? ビリングからはここは百五十キロも離れておりますし、峠道も幾つもございますが…」

「案ずるな。垂直離着機を使う。そちらには、八メートル四方ほどの空間を取れるだけの空地があるか?」

「はあ。村の私塾がございますが、その前に丁度広場ができております。村で集まりごとがある時には、そこを使っておりますが…」

「では、それを使わせてもらう。空地からは人を除けておくように」

「はあ。畏まりましてございます」

「では、明日そちらへ向かうので、おさおさ怠りなく準備をしておくように」

「はあ。承知いたしました」

 カイムはボタンを押して回線を切った。相手の老人は大分戸惑っているようだった。無理もあるまい。急に国王が訪問することになったのだから。

 タジューク王は明らかにこの話には乗り地でないが、スビタスとスビタアの姿を見ればきっと気持ちが変わるに違いない。

 カイムは通信室の外に出た。バアグスがそこに控えていた。

「首尾はいかがでした?」

 バアグスが問うた。

「万事OKだ。後はタジューク王陛下とラミアさまをお連れするまでの話だ。そうすれば話は捗る」

 カイムは辺りに誰もいないのを幸い、つい冗舌になっていた。

「左様でございますか。王さまは余りご機嫌がよろしくないようですが…」

 バアグスはいつでも控え目な言葉遣いをする。


 嘉幸のヤツ、こんな時くらい気軽に話したってよさそうなものなのに、と伸治は思った。


 カイムはバアグスを伴ってタジューク王の執務室へ向かった。室では、玉座に就いた王が、ネコの背を撫でながらナイマン教育相の話を聞いている。

「……それで、わたくしの許へも地方から陳情がかなり多く来ておりまして、地方学校の整備は危急の課題かと思われ…」

 ナイマン教育大臣は、カイムとバアグスの姿を認めて振り向いた。

「あ、これはカイムさま」

 タジューク王はカイムに対し、

「通信は済んだのか?」

 と問うた。カイムは、

「はい。明日の午後にタジキ村へ向かって頂きます」

 と答えた。

「分かった」王は不機嫌そうな顔で言った。「行けばいいのだろう」

「わたしとアバスさまは、王宮に残っております」

「ああ、そうしてくれ。――ナイマン、お前の言うことは分かった。善処してくれ。わたしはもう休む」

 タジューク王は玉座を立つと、奥の寝室へ引き下がった。


 カイムはタジューク王が席を立ち、寝に就いたのを見届けると、バアグスに向かって、

「おい、アバスさまはどこにおられる?」

 と訊ねた。バアグスは、

「さあ、先ほどはマリ軍事相とお話でしたが…。ご用でしたら探して参ります」

 と言って小走りに執務室を後にした。数分経つと、アバスを連れて戻って来た。カイムは、

「ラミアさまも呼んでくれ」

 と言った。バアグスはその言葉にも従った。

 ラビイは王の寝間に行っているらしく、姿がない。四人は誰もいない王の執務室で顔を合わせていた。

「明日、国王とラミアさまにはタジキ村へ行って頂く」

 とカイムは言った。アバスは、

「えっ、じゃあ話が決まったのか?」

 と問うた。カイムは、

「うむ」

 と答える。ラミアは、

「いよいよね。あのネコ…何て言ったかしら?」

 バアグスが、

「スビタスとスビタア」

 と答えた。アバスは、

「ようやく幸男と昇の出番が来たのか」

 と言った。カイムは、

「しっ、声が高いぞ」と注意してから、「そろそろ時間も遅いし、我われも部屋に引き揚げるとしようや」

 と言った。


 タジキ村の村長のテントでは大騒ぎになっていた。

「タ…タジューク王さまがお出でになるのだぞ。直々に来られるのだ」

 と村長は浅黒い顔を昂奮で真っ赤にして叫び、おろおろとテントの中を歩き回っていた。村長の息子は村人にお触れを出すため、先ほどテントを出て下の村落へと向かっていた。

 村長の妻は落ち着いたもので、

「あんた、そんなにびくびくするもんじゃないよ。国王さまだって同じ人間なんだから。ちゃんと応対していれば何ごともなく済むわよ」

 と言い聞かせていた。

 スビタスは寝床にいたが、スビタアの姿が見えなかった。テントを出て探すと、スビタアはテントの前に停められたトラックの荷台で丸くなっていた。

「おい、スビタア」

 とスビタスは話し掛けた。

「なにー?」

 スビタアは物憂げに返事をする。

「明日、この村に源田が来る」

「えー。マジっすか?」

「しっ。言葉遣いに気を付けろ。――話は本当だ」

「じゃあ、ようやく王宮に入れるってワケか」

「まだ決まった訳じゃない。王妃とおれたち次第だな」

 スビタアは退屈そうに欠伸をすると、

「そんじゃ、また明日。おれ、もう寝る」

 と言ってテントに戻って行った。

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