R.

 R.

 二人は一応その場は大人しくなったが、二人とも面白くなさそうな顔をしている。

 タジューク王は、次に、ラミアに顔を向け、

「おい、ラミア。お前のお披露目だ。何か望みはないか。何なりと申せ」

 と言った。ラミアは暫く考えていたが、

「新しいドレス、それからそれに合ったネックレスと指輪が欲しゅうございます」

 と言った。タジューク王は、

「そうか。それなら、好きなだけ予算を割いて作らせればよい。――ほか、異存のある者はないか」

 いなかった。王は解散を命じた。


 ラミアはラビイに導かれて別室へ連れて行かれ、どのようなドレスが好みなのか、カタログを前に訊かれた。ラミアはクリノリン入りの十九世紀風ドレスを選んだ。宝飾品も思い切り豪華なものを選んだ。まるでシュリーマンが発掘したトロイのイリオス遺跡から出土したような首飾りだ。

「明日までにご用意しておきます」

 ラビイは言った。


 ラビイからラミアの服飾費の予算を告げられたハミル財務相は、やや蒼ざめた顔でタジューク王の居室を訪れた。大臣が居室に引き取った王を訪れるのは異例のことだった。

「どうした、ハミル」タジューク王は言葉少なに問うた。「わたしはもう眠ろうとしているのだ」

「それが、ですね、陛下」

ハミル大臣はどう言えばいいのか迷った風に言い淀んだ。

「ラミア女王さまのご予算なのですが…」

「何だ、それがどうした?」

「合計で二千五百万ペカーリも掛かるのです。金は値上がりしておりますが、純金をふんだんに使ったアクセサリーをご所望でして…」

「ふむ」王は寝台の上で起き直った。「しかし、それがラミアの望みなら、叶えてやってよいだろう」

「しかし…、財政はひっ迫気味でございます。この分ですと、ラビーリ県に予定されております空港の建設に遅れが出ますが…」

「構わん、構わん」王は面倒くさそうに手を振った。「ラミアの言うことだ。聞いてやってくれ」

 そう言うと、王は眠ってしまった。ハミル大臣は尚もやきもきした様子で室の戸口に立っていたが、やがて首を振り、仕方なさそうに引き下がった。

 ハミル大臣は、廊下でアバスに行き会った。

「アバスさま」

 ハミル大臣は思わず声を掛けた。

「どうした? ハミル大臣」

「実は…」

 大臣はかくかくしかじかと事情を説明した。アバスは、

「ふむ」と言った。「それは、問題だな。しかしラミアさまのご所望なのだろう? 何とかならないか?」

「はあ…。地方に回す予算を削れば何とかなるかと思うのですが…。しかし、一度に使う金額としては、多すぎます」

「今回は結婚のお披露目パレードだ。我が国の国力を国民に示すためにも、許してはくれまいか」

「そうですね。――まあ、無理をすれば何とか…」

「ラミアさまには、わたしからも話をしておく」

「はい。よろしくお願いいたします」

 ハミル大臣は覚束ない足取りで去って行った。

 それを見送って、アバスは、自分の寝室へ向かった。


 美智子ちゃんもなかなかやるじゃん、と健司は思った。この調子でどんどん我が儘を言ってくれれば、ゲンちゃんも多少は考えるようになるだろう。

 さあて、今日はもう寝ようかな。

 欠伸をして健司はPCの前を立った。


 靖は憮然としてディスプレイを見守っていた。PCの前から動けなかった。

 アバスとカイムはやはり仲が良くない。わたしの治世の後では世継ぎ争いが起きるのではないか。

 それに、ラミアが案外贅沢好きなのも気に掛かった。傾城とはよく言ったものだ。

 ああ、これはわたしの国なのだ。わたしが一番多くの金を投じて遊んでいるゲームなのだ。それなのに、何でこんな面白くない目に遭わなければならないのか?

 靖は三杯目の水割りを飲みながら思った。


「こんな調子でいいのかな?」

 伸治は幸男に問うた。幸男は、

「ああ。上出来だ。揺さぶりを掛けてくれ」

 と言った。

「次、作戦会議はいつにする?」

「それはまだ後でいい。パレードが終わってからにしようじゃないか」


 結局、くじを引いた結果、ラミアのエスコートはカイムが担当することになった。

 タジューク王とラミア女王は、アバスとカイムを従えて、王宮広場に面した張り出しから、広場を埋め尽くした群衆に向かって手を振った。

 それから、まずタジューク王がデッキを離れ、続いてカイムのエスコートでラミア女王も手を振りながらテラスを去った。最後にアバスが人びとの前を離れた。

 続いて、王宮のピロティに現れた王が、王宮前に横づけにされたオープン・カーに乗り込み、カイムの介添えで重そうなドレスに身を包んだ王妃ラミアも車に乗った。二人が降りて来ると、群衆は口々に様々なことを叫んで騒ぎ立て、手を振った。

 続いてカイムとアバスも車に乗り込み、車は出発した。群衆はセルウィン王国の国旗の小旗を持ち、それを振って王と王妃を迎えた。オープン・カーの前後には、SPの乗った車列が続く。

 王と王妃を乗せた車は、まず王宮前通りを通り、続いてマニ通りへ折れ、市庁舎の前を通過した。

 王も王妃も晴れがましい表情を浮かべている。

 車列はそれから市の合同庁舎を過ぎて右手のマルクト通りに折れた。やや道幅は狭くなったが、沿道には群衆が待ち構えている。

 タジューク王もラミア女王も笑顔で手を振り続けた。

 マルクト通りを抜けた車は今度は左折してタイマン通りに入る。ここは各国の大使館や大使公邸が建ち並ぶ、市内でも閑静な一郭だが、ここにも民衆は待っていた。

「こうして見ると、タジューク王の支持率は高いようだな」

 とアバスは呟いた。が、カイムは、

「まだ地方へ行ってみないと分からないさ」

 と応じただけだった。

 タイマン通りを通過した車列は、更に左折してこのビリングの街で一番長いシャハク通りをゆっくりと進む。この通りにはビリングでも主要なデパートメント・ストアや商社を始めとする企業が位置している。タジューク王が見上げると、そういったビルディングの上階の窓からも見下ろして小旗を振る人びとの姿があった。

 タジューク王は満足であった。この人の多さ、この人波こそ自分の支持率の高さを如実に示すものだと思ったのだ。

 シャハク通りを三十分も掛けて通過した。余りのひとの多さに、途中で車列が何度か停止しなければならない仕儀に至ったからである。

 シャハク通りをようやく抜けると、更に左折して最後にイシュト通りを走る。ここにも笑顔の人びとが待っていた。タジューク王がこっそり見ると、ラミア女王も精いっぱいの笑顔を振りまいているのが分かった。それを見て王はますます満足した。

 イシュト通りは小規模の飲食店や小商いの商店が多い。テントの数も多かった。だが、人びとの数は他の通りとは比べ物にならないほど多かった。

「タジューク国王陛下、万歳!」

「ラミア女王陛下、万歳!」

 といった声が引っ切り無しに群衆の中から聞こえて来た。

 タジューク王は、その声に頷き掛けながら、にこにこ顔で左を向いたり右を見たりしながら車に乗っていた。車列はここでも何度も停止を余儀なくされた。群衆が道路にまではみ出て来たためである。

 イシュト通りをようやく抜け出したのは、この通りに入ってから五十分も後のことだった。車列は左折して王宮前通りに入り、王城ジャンニ・ビハールの前で停止した。王宮前広場に集まった群衆からの歓呼の声は一層高くなった。

 普段は気難しいタジューク王は、珍しく車の背に乗って十五分も手を振り続けた。ラミアもそれに付き合い、笑顔で市民に手を振り続けた。アバスとカイムも笑顔を見せ、やはり手を振った。

 それから王は車から降り、王宮に戻った。ラミアも従った。アバスとカイムがそれに続いた。カイムはクリノリンの入ったドレスを着たラミアのエスコートを抜かりなくし遂げた。

 広場からは、まだ、

「万歳、万歳」

 の声が続いている。

 タジューク王とラミア王妃はテラスに出て、まだそこに集まっている民衆に手を振った。アバスとカイムもそれに付き合って手を振り続けた。

 それから王は王妃を従えて王宮内に戻って行った。

「ふう、わたしは疲れた」

タジューク王は蹌踉とした足取りで廊下を歩いた。バアグスがやって来て、疲労した王の顔色を見るなり、傍らにいたラビイに飲み物を運ぶように命じた。王は間もなく運ばれて来た果物のジュースを一息に飲んだ。「渇き」と「疲れ」のゲージがやや元に戻った。

ラミアは、王に付き添って執務室へ入った。王は玉座には座らず、傍らの柔らかなクッションの椅子に深く身体を預けた。すぐにイヌやネコが王の傍にやって来た。王はそれらを慈悲深げに愛撫したが、どことなく上の空のようなところもあった。

「陛下、お疲れでしょう」ラミアは言った。「今日は早々にお休みなさいませ」

「うむ、そうだな」タジューク王は深く息を吐いた。「今日は夕食は要らぬ。胃が受け付けないだろう。もう休むことにする。ラミアも疲れていたら早目に休め」

 そう言い置いて、タジューク王は執務室を去った。


 源田靖は久々に心の底からの満足というものを味わっていた。

 通りを埋め尽くした群衆。人びとの笑顔と称賛の声。振られる国旗の小旗。万歳の叫び。

 そのどれもが、最近ささくれ立っていた靖の気持ちを和らげてくれるものばかりだった。

 それ見ろ、と靖はアバスとカイムに言ってやりたかった。おれの政治は善政と言ってよいのだ。だからこそここまでの支持が得られるのだ。それは全て自分の人徳のお陰だ。今度アバスやカイムに会うことがあったら言ってやろう。おれのお陰でこの国はこれだけ栄えているではないか、と。

 靖は満ち足りた気分でビールのグラスを空けた。

 それからログ・アウトの手続きを取り、PCの前を立った。

 明日は幸い何も予定がない――いや、確かそろそろ真理子と真紀が帰って来る頃だったな。まあ、いい。あの二人は好きなようにやらせておけばいいのだ。放っておこう。

 今夜は久し振りにいい夢が見られそうだ。

 靖はゆっくりと寝室への階段を上って行った。


 アバスはカイムに呼び止められ、またバアグスを見張りに立てて、幕を降ろしたヴェランダで密談した。

「カイムどの、今日のタジューク王のご様子はどう思うか?」

 アバスは訊ねた。カイムは肩を竦めて見せ、

「あの通りだ。ご機嫌そのものといった感じだったがな」

 と答えた。アバスは、

「タジューク王は本当にあそこまで単純なひとだろうか?」

 と懐疑的なものの見方をする。カイムは、

「単純さ。大得意だったじゃないか」

 とコメントするに留めた。アバスはさらに、

「高額なドレスを求めた王妃にも文句ひとつ言わなかったそうじゃないか」

 と言った。カイムは、

「臨時支出だと思ったからじゃないのかな?」

 と答える。アバスは、

「ところで、スビタスは何と言っている?」

 と問うた。カイムは、

「スビタスは、明日にでもまた集まろう、と言っている」

 と答えた。

「了解した。では、そろそろ休もう」

「うむ」

 カイムは、傍に立っていたバアグスにも、

「明日、会議を開くから来てくれ」

 と言い、自室に入った。


 時間になったので昇は退屈極まりないスビタアを寝かせると、ログ・アウトしてPCの電源を切った。

今夜はもうちょっと数学Ⅱをやってから休もう。

 携帯が鳴り始めたのはその時だった。

 ディスプレイを見ると、健司からだ。

「もしもしー?」

 と出ると、健司は、

「おっす。最近どんな感じ?」

 と言った。

「もう疲れて来たぜ」昇は弱音を吐いた。「ペット役になるヤツが少ないってのがよく分かったよ。退屈で仕方がないぜ。ペットには入れない場所もあるし、おれの場合口も利いちゃいけないってんだから」

「まあまあ」健司はなだめた。「明日、また集まろうって幸男が言ってるんだ。どう?」

「いいけど、そろそろ夏期講習の後期が始まるじゃねえか。予習やっとかねえとな」

「そんなに時間は掛からないと思うよ。幸男が言うんだけど」

「あいつ、この先どこまで考えてんのかねえ?」

「さあな。――この国は今のところ、幸男の意思で動いているようなもんだな。見事に動いているもんだ」

「そうだな。大したもんだ。――おれ、これから勉強あるんだ。夏目さんに成績では引けを取らないようにしておきたいんでな」

「美智子ちゃん、プライド高いよ~。ま、いいけど。明日の三時な」

「へいへい。参りますんで」


 翌日、昇が健司の家に着くと、嘉幸以外は皆集まっていた。

 昇は途中コンビニで買って来たハーゲンダッツのクッキー&クリームのミニカップを開けた。

「あー、あっちー。自転車漕いでる途中、目玉焼きにされるかと思ったぜ。少し冷却しなきゃ」

 と昇がエアコンの下でアイスを食べ始めると、その言葉が可笑しかったのか、美智子が口元に手を当ててくすくす笑った。

 これ、ポイント稼いだことになるの?

「嘉幸はまだかよ」

 昇が言うと、健司は、

「弟の宿題の面倒を見るので十五分くらい遅れる、って言ってた。そろそろ始めようぜ」

 と答えた。

「とりあえずここまでは順調に来たよな」幸男は言った。「ここからは微妙なことになるんだが…」

 と、そこまで幸男が言い掛けたところで、嘉幸が姿を見せた。全身汗まみれだ。

「遅れてご免」嘉幸は謝った。「弟が――」

「分かってるって」

昇は言い、自分が座っていたクーラーの下の席を立った。

「まあ、ここに座って頭を冷やせや」

 伸治が、幸男に、

「で、どう微妙になるんだ?」

 と言った。が、いつもははっきりした物言いをする幸男にしては珍しく、話をどう切り出せばいいのか分からない、といった顔付きをしている。

「何だよ、早く言えよ」

 昇がせっつくと、幸男は、一、二度咳払いをして、

「うん、夏目さんにちょっとやって貰いたいことがあるんだが…」

 と言った。

「なあに?」と美智子は言った。「あたしにできることなら、何でもするけど?」

「それがだな…」幸男はまた咳払いをした。「つまり…、あれだよ」

「あれって何?」

 伸治が問うた。皆顔じゅう耳にして幸男の言葉を待っている。幸男もそれを分かったのか、もう一度咳払いしてから、意を決したように、

「その…夏目さんには、源田を誘惑して欲しいんだ」

 と言った。

 一座には暫し沈黙が降って来た。

 沈黙を破ったのは昇だった。

「ユウワクってのは、その…」

「迫れ、ってことかな」

 健司が言葉を継いだ。

「そう、それなんだ」

幸男は昇と健司の助けを得て、ややほっとしたような顔をした。

「夏目さんには、源田に迫って欲しい」

 昇は美智子を見た。

 美智子は暫く無表情で黙っていたが、やがて、

「いいわ」と言った。「やってみる」

「多分」と幸男は大きな声で言う。「源田は誘いには乗らないだろう。ただ、どう出て来るか、反応が見たいんだ」

「分かったわ」

 美智子は真面目な顔で答えた。

「――で、おれらはどうなる訳?」

 昇はげんなりした声で問うた。幸男は、

「おれたちは、この次に出番が来る、と思う。もうちょっとの辛抱だ。我慢してくれ」

「おれ、毎晩二時間を無駄に過ごしているんだよね」昇は言った。「早く出番が欲しいんだけどな」

「もうちょっと、もうちょっとだけ」幸男は繰り返した。「待ってくれ、な?」

「へい、分かりやした」

 昇は欠伸を噛み殺すような声で返事をした。


 源田靖は、満ち足りた気分で「キングダムズ」にログ・インした。


 タジューク王は、食事を取った後で執務室へ足を運び、大臣や甥たちの到来を待った。しかし、今日はバアグスの姿すら見えず、傍係のラビイが控えているだけである。

 と、そこへ、ラミアの傍係シナイが姿を見せた。

「タジューク王陛下」とシナイは言った。「ラミアさまが、お話をしたいと」

「話だと?」タジューク王は言った。「話をしたいなら、なぜこの場へ来ないのだ?」

「内密にお話がしたいのだそうです」

「ふん、そうか。分かった。で、ラミアはどこにいるのだ?」

「ご自分のお部屋にてお待ちしております」

「分かった。案内しろ」

「はい」

 タジューク王は王座を立ち、シナイの後に付いて歩き出した。何匹かのイヌやネコも王に従った。

 タジューク王がラミアの居室に着くと、部屋の入り口には幕が降りていた。

「陛下、どうぞ」

 シナイに導かれるまま、王は幕を除けて中に入った。

「ラミア、わたしだ。入るぞ」

 すると、ラミアは室内でソファに座り、本を読んでいた。タジューク王が部屋に入ると、本を閉じてこちらを向いた。

 タジューク王もラミアの向かいのソファに腰を掛けた。

「ラミア、何用じゃ?」

 王は問うた。ラミアは王の顔をじっと見ていたが、やがて口を開いた。

「王さま、わたくしは王さまにお訊ねしたいこととお願いしたいことがございます」

 ラミアは言った。

「ほう。何だ。何なりと申せ」

「一つ目は、お訊きしたいことです」

「何かな?」

 すると、ラミアはその美しい青い目で王の顔をじっと見詰めた。三十秒もの間、余り真面目に王を見詰めるので、王は極まりが悪くなって軽い笑いを漏らした。

「どうした、ラミア。訊きたいことがあるのならはっきり申せ」

 ラミアはもじもじしてドレスの縫い目をいじった。

「――もしかすると、王さまを怒らせてしまうかも知れませんもの」

「政治に関することか?」

 王は問うた。

「いいえ。もっと個人的なことにございます」

「では、何も遠慮などすることはなかろう。直截に申せ」

 ラミアは意を決したように王の顔を真正面から見た。

「では、お訊きします。王さまは、なぜわたくしを放っておかれるのですか?」

 王は、

「別に放っておくなどしておらんだろう」と言った。「先日のパレードだって、あれはお前の希望を入れて挙行したものだ」

 しかしラミアは、

「そういう意味ではございません」と言う。「もっと…別な意味でございます」

「どんな意味だ?」

 すると、ラミアは恥じらいを含んだような視線を床に落としたきり、何も言わない。

 そこでタジューク王にもようやく理解することができた。

「お前はもしや…夫婦生活のことを申しておるのか?」

 タジューク王の問いに、ラミアは暫く黙していたが、やがてごく微かに首肯した。

「お前にはそういった欲求があったのか…」

 タジューク王は暫し絶句した。


 ディスプレイの前で、靖は画面内のタジューク王同様、唖然としていた。ヴァーチャル・リアリティの世界でも夫婦生活を求める女がいるなど、靖はこれまで考えたことがなかった。確かに夫婦生活が皆無なヴァーチャル・カップルも不自然なものだろう。しかし、これまで靖は、ラミアとはごくお座なりな性交渉を持てばそれで済むだろう、程度にしか考えていなかった。


 ディスプレイの前で、美智子は頬を赤くしたり脇の下に冷や汗をかいたりしていた。源田靖を誘惑するのは、いや異性を誘惑すること自体、中学校から徳育を以て知られる私学に通っている美智子にとって初めての経験だった。

 このオジサン、あたしの誘いに乗っちゃったらどうしよう…。

 美智子はそれを思うとぞっと背筋に寒気が走り、思わずこのまま逃げ出したい気分に駆られた。

 が、健司たちと約束した手前、それはできない。

 何か言わなければならない。美智子はキーボードに手を走らせた。


「王さま」ラミアは沈黙の後で王に言った。「わたくし、夜は一人で寂しゅうございますわ」

 タジューク王は戸惑った表情を見せ、

「しかし、わざわざこの世界で関係を持つこともなかろうに…」

 と言った。するとラミアは、両手を顔に当てて泣き出した。

「わたくし、切ないのでございます。一体何のためにこの王室に入ったのか…。それを思うと遣る瀬なくてたまりませんわ」

 タジューク王は更に困惑した表情を作った。そして、慰めるように片手をラミアの左ひざに置いた。

「しかしラミア…」

 ラミア女王は手を下ろし、涙の跡の残る頬を露わにした。それから、

「王さま、わたくし、お子が欲しいのでございます」

 と言った。

「なに、子が欲しい、だと?」

 タジューク王は一瞬怯んだような表情を見せ、続いてその表情は平静に戻った。

「ラミアよ、それにはお前の誤解もあるのではないかな?」

「誤解?」

 タジューク王はラミアに対し、この「キングダムズ」の世界では、たとえ夫婦間に子供が生まれたとしても、それは「新生児」という空きのポストになるだけであって、そこに王子または王女になりたい希望者が応募して来て、面接を経たうえで初めて自分の子となるシステムになっていることを説明した。つまり、血を分けた自分の子になる訳ではなく、一から養育できる訳でもないのだ。

 しかしラミアは、

「そんなこと、承知の上ですわ」

 と言った。タジューク王は、

「では、なぜ子が欲しい、などと言うのだ?」

 と訊いた。


 えーっと、と美智子は必死で頭の中の単語を引っかき回した。

 こういう時、どう言えば分かって貰えるかな?


 ラミアは、五、六秒の沈黙の後、

「女心とはそんなものでございます」

 と答えた。タジューク王は微かに微笑んだようだった。

「そうか。それでも子が欲しいか」


 靖はどうラミアを説得しようか、随分迷った。靖は現実生活でもヴァーチャル・リアリティの世界でももう子など欲しくなかった。子はかすがい、とは言うが、靖に取れば子は妻のものであり、他人だった。


 タジューク王は、暫くじっとラミアの顔を見ていた。それから、ひと言、

「それはならんのだ」

 と言った。ラミアはタジューク王の腕に縋り付かんばかりにして、

「なぜでございますか?」

 と問う。タジューク王は返答に窮したが、

「わ…わたしの身体のせいだ」

 と答えた。

「王さまの身体のせい?」

 ラミアはおうむ返しに問う。


 そうだそうだ、と靖は頷いた。ああ言っておけば済むのだ。


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