N.

N.

 タジューク王は考えに考えた。たっぷり五分間ほども熟考した上で、

「よろしい」

 と言った。アバスは、

「では、王妃をお迎えになられるのですね?」

 と問うた。王は、ついに、

「うむ。公募しよう」

 と折れた。


「やった」ディスプレイの前で健司は言った。「流石、伸治の英語力は違うね」


「やっと承諾したぜ」伸治は言った。「散々ゴネやがって。苦労させるぜ、この親父は」

「でも」と横から見ていた幸男は言う。「これでまず第一歩となったわけだ。あとは、あの夏目さんて女の子も呼んで…」


昇はスビタアとしてログ・インしていたが、スビタスが傍らに来た。そして、テントの中に誰もいないことを確認すると、

「タジューク王が、お妃を迎えることに同意した」

 とスビタアに告げた。昇は、スビタアが喋れないことも忘れて、思わず、

「マジ!?」

 と言ってしまった。それから思わず肩を竦めたが、スビタスは、

「うん、本当だ」と答えた。「明日の午後、中野の家に集まることにしたいが、お前、時間はあるか?」

 スビタアは、辺りに誰もいないことをもう一度確認して、

「ああ、OKだ」

 と言った。


 カイムは御前を引きさがり、廊下を肩を並べて歩きながら、アバスに、

「明日の午後、お前の家で集まろうと幸男が言ってる」

 と言った。アバスは、

「了解」

 と答えた。カイムは更に、内務相と話していたバアグスを呼び止め、誰もいない廊下の一隅に呼び出すと、同じ旨を伝えた。バアグスも、

「分かった。行くよ」

 と答えた。


 アバスこと健司は、携帯を取り出して夏目美智子に連絡を取った。


 靖には王妃を迎えたい気持ちなどさらさらなかった。現実の結婚生活でさえ上手く運べないと言うのに、いま王妃を迎えてどうすると言うのか。今回はカイムの強弁に屈して思わず頷いてしまったが、やはり公募には抵抗感があった。しかし、約束してしまったことは約束してしまったことだ。仕方がない。それに、カイムのいうことに一理あるのは、靖にも理解できた。

 靖は、セルウィン王国のプロフィール欄に移動すると、新しい公募ポストを作った。

「公募中:王妃」

 そこで時間が来たので、靖はログ・アウトした。

 ああ、真理子も真紀も、いっそのこと帰って来なければいいのに。

 このまま夏休みがずっと続けばいいのに。

 靖はそんな、学生のようなことを願い出していた。


 翌日の午前中、昇は美智子のことを思いながら夏期講習のテキストを広げて復習し、学校から出された宿題にも手を付けた。

 そして、昼食が済むと、買い物の算段をしていた初子に、

「ちょっと、健司の家に行って来るから」

 と言って家を出た。真夏の盛りの午後は、アスファルトが焼けるような暑さで、昇は思わずひるんだが、約束は約束だ。昇は自転車を漕いで健司の家に向かった。

 到着すると、呼び鈴を鳴らし、出て来た健司の美人の母親に来意を告げる。すると、健司の母親は、

「どうぞ。皆さんもうお集まりですよ」

 と言って中に入れてくれた。

 昇は健司の部屋のドアを、とんとことんのすッとんとん、とふざけた叩き方でノックし、ドアを開けた。健司を始め、伸治、幸男、嘉幸、美智子の五人はもう揃っている。昇がおどけた調子で、

「お待たー」

 と挨拶すると、美智子が口元に手を当ててくすくす笑った。

 昇は、今度は大真面目な顔を作って、

「夏目どん、いかが召された」

 と訊ねた。美智子はまた笑い転げて、

「脇田くんって、本当に面白いひと」

 と言った。昇は悪い気がしない。またこれで幾らか点数が稼げたかな? と昇は思った。受験勉強で忙しくなる前に、美智子と一緒に一度海に行きたい、というのが昇の願いだった。

 と、そこへ健司の母親が口を出し、

「皆さん、どうぞ」

 と言って冷えたカルピスを振舞ってくれた。

「さて、みんな揃ったな」幸男が言った。「なるべく、『キングダムズ』内での会話で首尾を報告し合うのは止めにしようや。どこから計画が漏れるか分からん。――みんな、昨日は他の連中とどんなことを話した?」

 昇は、

「おれはなーんにも口は利いていましぇーん」

 と言った。その口調にまた美智子は口元を押さえる。

 健司は、

「おれにも侍従の派閥ができたんだけど、そいつらに、まず市民税の増税についてどう思うか、市民の間の考えを探らせて来るように言っておいた」

 と言った。伸治は、

「おれは、ナイマン教育大臣に、地方の小中学校の整備について、適当な建設候補地を各市町村につき少なくとも一か所、挙げさせるように命じた。それから、第三、第四の大学の建設候補地についても検討するように言った」

 嘉幸は、

「ぼくは、各大臣やアバスやカイムにくっ付いている侍従の派閥間での折衝に追われて、格別なことは言っていない」

 と答えたが、幸男は、

「それだよ。今はどの派閥が有力なんだ?」

 と嘉幸に問うた。嘉幸は少し考えていたが、

「まず、一番有力なのはアバスの派閥だろうね。何しろ若いし、口数は少ないけどもの分かりがいいって評判だよ。次に力があるのは、ハミル財務相の派閥かな」

 と言った。幸男はその言葉をノートに取ってから、

「タジューク王は、その各派閥間の小競り合いについては何も言わないのか?」

 と問うた。健司は、

「争いは止めろ、とは言うよな。しかし、派閥の存在については何も言わない。今のところ、ゲンちゃんの許には少数部族からの使者が多いからな。ああしてくれ、こうしてくれ、と陳情の連続で、それに対応するのでとりあえずは手一杯みたいだ」

 と口を添えた。幸男は、

「そうか」と腕組みをして考えていたが、「よし。おれも、もう少ししたらタジキ族の村長に、陳情に行かせようか」

 と言った。そこで美智子が、

「ねえ、あたしは何をすればいいわけ?」

 と問うた。

「そうだそうだ」幸男は思い出したように言った。「夏目さん、ログ・インしてよ。そろそろ王妃公募の告知が出ている筈だ。うかうかしているとどこかの馬の骨にポストを奪われ兼ねない」

 健司が美智子を、PCの前の自分の席に座らせた。

「ええーっと、まず『キングダムズ』にアクセスしないといけないのよね」

 美智子はバッグからピンクのシステム手帳を取り出し、IDとパスワードを入力した。

 セルウィン王国のプロフィールをみると、

「公募中:王妃一名」

 と出ている。

「よし、ここだ。ここクリックして」

 健司が指図した。美智子は、

「オジサンのお妃になるなんて、あんまりなァー」

 と言いながらも「応募」のボタンを押した。

「押したよ。後は?」

「後は、ゲンちゃんからメッセージが届くから、それに応じて王宮内に入って、面接を受けて、合格すればお姫様だ」

「でもォ~…」美智子は眉をひそめて、「そのさ…、あたし、その源田っていう先生と寝なきゃいけないの?」

「――きっと、それは、ない、よな?」

 健司は言葉に迷いながら、救いを求めるように幸男をみた。幸男は、

「ああ。多分、そんなことにはならない」

 と言った。

「どうして分かるの?」

 美智子が問うた。幸男は微かに口元に笑みを浮かべて、

「もし、源田がそういう相手を欲しがっているのだとしたら、甥のポストなんかを募集する前にとっくに王妃なり側室なりのポストを公募してるさ」

 と答えた。それで美智子は安心したらしかった。

「それで、何時ごろアクセスすればいいのかしら?」

「大抵、ゲンちゃんは午後九時から午後十一時の間にログ・インしているようだ。だから、この時間は外さないでほしいんだ」幸男は言った。「多分、王宮内では好きなことをしていて構わないと思う。ただし、政治的に行動するのは止めて欲しいんだ。あくまでもイヌとかネコを可愛がる程度にしてほしい。後は源田と一緒に陳情団と会うとか、その程度で」

「分かったわ」

 美智子はノートにシグノのペンを走らせた。健司は、

「それで、これからの計画としては?」

 と幸男に問うた。幸男は、

「まず、夏目さんを王宮に入れる。そうしたら、アバスとカイムはどちらが王妃のエスコートをするかで揉めてくれ。飽くまでアバスとカイムは対立している、という印象を源田に与えて欲しい。あと、こちらからは村長に言って、ビリングへ陳情に行かせる。何とかタジキ族の村にも行幸をしてくれるように、源田を説き伏せて欲しいんだ。――丁度、うちの村は水害に遭った後だから、その見舞いを兼ねて、という口実にすればいいだろう」

 と淀みなく言った。昇はそれをみて、コイツやっぱすげえや、と思った。

 幸男ってヤツは、頭の回転がおれらよりも三倍も速いんじゃないか。

 健司は、

「それは分かったけど」と疑うように言う。「お前に、タジキ族の村長を説いてビリングへ行かせるようなことができるかね? たかがネコだろ、お前?」

 しかし伸治が、大声で、

「いや、それがさ」と言った。「こいつ、タジキ族では今では神猫だと思われているんだぜ。こいつの言った通りに鉄砲水が起こったり、山の神に祈りを奉げたら捕れるイノシシの量が二倍になったり。兎に角今では、あの村では幸男のいうことに逆らうヤツはいないね」

 と断言した。嘉幸がびっくり顔で、

「ど、どうしたらそんなことができるの?」

 と問うと、幸男は涼しい顔で、

「なに、全てはタイミングの問題さ」と言った。「うまくタイミングを掴めれば、それで全て読めるんだ」

 伸治は、

「お前、余り言わないけどさ、頭の中では一体どこまで計画を立ててる? お前の考え通りに行けば、いつ頃ゲンちゃんをゲームから追い出せそうか分かるか?」

 と訊ねた。幸男は、暫く考えていたが、

「そうだな。具体的にどういう風に王を追い詰めるか、までは成り行き次第の点もあるし、まだお終いまできちんと図面が描けている訳じゃないんだが、しかし源田を追い込むのはこの夏休み中にやってしまいたい。二学期にずれ込むと、夏目さん含めて学校の方も忙しくなるし、文化祭や体育祭もあるから、負担になる。三日に一遍は、こうしてみんなで集まって、その時その時に応じて臨機応変かつ柔軟に計画を立てて行こうじゃないか」

 と答えた。昇はそれに対して、

「おれはそんな、ガチガチに計画なんか立てなくたっていいと思うんだけどな」と主張した。「基本、楽しけりゃいいじゃん。まあ、おれとしてはゲンちゃんを追い込むとか追い出すとか、そんなことより、ゲンちゃんの秘密とやらが分かれば満足なんだけど」

 幸男は、

「いや、それじゃ甘い」と反論した。「ここは六人の連係が是非とも大事になる。少なくとも、源田にもうこのゲームなんか二度とやる気を起こさせないように教訓を与えたいのさ。それじゃなきゃ意味がない」

 美智子は、

「ねえ、源田先生の秘密って何のこと?」

 と訊ねた。昇は、

「それがよく分からねえんだよ。だからじっくり窮地に追い詰めて、それを吐かせたいんだ」

 と言った。美智子はそれに対し、

「でも、それってちょっと可哀想じゃない? 秘密にしておきたいことがあるならそっとしておけばいいじゃない」

 と述べた。昇はそれを言われると途端に弱くなり、

「ま、まあ、そりゃあそうかも知れないけど…」

 とたじたじとなった。

幸男は冷静に、

「厳密に言えば、単純な秘密ってヤツとはちがう。精神分析でいうコンプレックスってやつだ」

 と美智子に言った。美智子は分かったような分からないような顔をしている。

「じゃあ、次回また集まろうぜ」

 と健司が言った。

 一同はそれで別れた。


 源田靖は、昼寝から目を覚ました。ハインリッヒ・マンの「ウンラート教授」をベッドに寝転がって読みながら、思わず寝入ってしまったのだった。いつもの昼寝なら覚めた後に頭痛がするのだが、今日はすっきりした気分だった。真理子と真紀がいないせいかな、と靖はふと思った。

 今日は夏期補習授業はなく、当番で回って来る出勤日でもなかった。

 読み差しの本をベッドに残し、靖は階下に行った。キッチンでアクエリアスを飲み、また読書を続けようか幾分逡巡した後、やはり我慢できずに書斎に向かうと、PCのスリープを解除した。

 「キングダムズ」にログ・インすると、意外なことに王妃のポストへの応募者が一人来ていた。靖は、そのラミアというハンドル・ネームの応募者に対し、

「ラミアさま、セルウィン王国王妃ポストへのご応募、ありがとうございます。つきましては、簡単な面接を行い、適不適を判断させて頂いた上で、王妃としてお迎えしたく存じます。わたしは主として日本標準時午後九時から午後十一時までの間にログ・インしています。大体この時間帯に来て頂ければ結構かと存じます。それでは、来城お待ちしております」

 とメッセージを送った。

 プロフィールをみると、ラミアも本名は非公開にしてある。年齢は二十二歳、人種は白人だった。

 ふん、と鼻を鳴らして靖は王座に着いた。アバスもカイムもバアグスも休みを取っているようだった。ラビイがやって来て、

「トブリ族の首長マリダンさまがあちらでお待ちになっておいでですが…」

 と言ったので、

「通せ」

 と命じた。浅黒い肌をしたマリダンは間もなく、頻りに頭を下げて恐縮した様子で入って来た。

 タジューク王は膝に乗せたイヌの頭を撫でながら、

「うむ、待たせたな。――して、何の用件だったか」

 と問うた。マリダンは、

「あのう、道路建設の話でございましたが…」

 と遠慮がちに言う。王は、

「ああ、そうだったな、思い出した」と言った。「近隣の街となるとどこになるのか?」

「サヌンムイでございますが…」

「そこまでは、道路で行くと何キロほどあるか?」

「そうですね、四十キロほどですが、途中に山越えの個所が二つございます」

「そうか。それでは難儀であろう。――よかろう、今年中に舗装道の建設を開始させよう」

「あ、ありがとうございます」

 マリダンは頻りに頭を下げた。と、タジューク王は、ふと思い付いて、

「お前の村には、空港を建設するほどの余裕はあるか?」

 と訊いた。マリダンは、

「はあ…。あいにく山あいの村でございまして、平地はほぼ全て畑になっております。それ程の余裕はちょっと…」

 と両手の間でフェズのような帽子を揉みくちゃにしながら答えた。

「山を切り拓けばどうか? お前たちの村には山岳信仰があるのか?」

「いいえ。わたくしどもは皆パールシー教徒でございます」

「それなら、何とか予算を割いて、ヘリポートを建設する手筈をつけよう。それでどうか?」

 マリダンは畏れ多いといった表情で、それはまことに有り難うございます、と答えた。

 マリダンは去った。

 タジューク王は傍らのラビイに、

「アバスかカイムはおらぬか?」

 と訊ねたが、二人ともまだ休んでいる、との返事だった。

 この国はまだまだ遅れている、とタジューク王こと靖は思った。出来るだけの手を尽くして、近代化を進めなければならない。

 が、主な相談役が三人もいないのでは話にならない。

 王は、ラジム交通大臣を呼び、地方交通の整備に力を入れるように命じた。ラジム交通相は、

「先王オビータさまは、主に首都周辺の交通と情報ネットワーク網の整備にお力を注いでおいででしたので、地方の交通はまだ未開発の部分も多うございます。まずは地方空港または鉄路の敷設が急務かと存じます」

 と言い、タジューク王の判断には諸手を挙げて賛同した。

 靖はその返事に満足し、一旦ログ・アウトして成績管理の残りに取り組むことにした。本当は一学期中に終えなくてはならなかったのだが、まだ三クラス分残っている。最近の靖は職務怠慢と言ってよかったが、当人にはそんなことはどうでもよかったのである。


 午後九時になった。夏目美智子は夏休みの宿題は中途にして、自室のPCの前にいた。「キングダムズ」に自宅からログ・インするのは初めてのことだった。

 IDとパスワードを入力すると、タジューク王こと源田からのメッセージが届いていた。美智子は抵抗感を感じながらも、首都ビリングに入り、大型のリムジンに乗せられてジャンニ・ビハールへと向かった。

 車回しに着くと、王宮の中からは三人の侍従が姿を見せた。その内の一人が銀杯に入った飲み物を手渡す。ラミアは慣れない手つきでそれを飲み干した。

 三人の中で一番年嵩にみえる端女が、

「ラミアさま、お待ちしておりました。タジューク王がお待ちでございます。どうぞこちらへ」

 と言い、ラミアを導いた。ラミアは壮麗広大極まりない王城の造りに半ば戸惑い、半ば感心しながら女の後に付いて歩いた。

 幾つ角を曲がったか、大小含め幾つ階段を上ったのか、幾つ広間を通ったのか覚えていない。が、兎も角ラミアはビロードの天幕を張り、やはりビロード張りのソファーを置いた小部屋に通された。女は一旦室を出てから、また飲み物の入ったカット・グラスの器を持って来て、ここで少しお待ち下さい、と言い、姿を消した。

 そこへ、アバスこと健司が姿を見せた。アバスは付近に誰もいないことを確かめてから、

「今回のことでは協力してくれてありがとう」

 と頭を下げた。ラミアは、

「いいのよ。どうせ夏の間だけだ、って言うし。それに、学校でゲームをするような先生なら、あたしも後ろめたさはないわ」

 と答えた。

 間もなく、侍従頭のバアグスがやって来た。確か野中くんとかいったっけ、とラミアこと美智子は思った。バアグスは、

「ラミアさま、この度は王妃の座へのご応募、まことにありがとうございます」と真面目に挨拶した。「王はこちらでお待ちでございます。どうぞ」

 バアグスに導かれ、ラミアは小部屋を出た。

 また幾つもの角を曲がり、両側に小部屋の並ぶ廊下を歩き、長い回廊を巡ってバアグスとラミアは歩いた。

「ずいぶん広い宮殿なのね」

 とラミアは言った。バアグスは、

「はい。わたしも入って間もないので、まだ迷ってしまうことがあります。しかし、侍従の数は多うございますので、お迷いになられましたら、手近の侍従にお訊きになられるがよろしいでしょう」

 と言った。ラミアは王の執務室へ辿り着くまでの間に、何頭ものイヌやネコとすれ違った。

「あれ、みんなロボットなのね?」

 ラミアはバアグスに訊ねた。

「はい。左様でございます」

 バアグスは飽くまでも下手の態度を改めようとしない。少し呆れて、

「あたしたち、同級生でしょ? そんな言葉づかいしないでよ」

 とラミアこと美智子が言うと、バアグスこと野中嘉幸は、

「いや、王宮内では怪しまれないよう、このように話すように言われておりますので…」と言った。「どこから足が付くか分からないから、と」

「ああ、そういうことね」ラミアは納得した。「分かったわ。了解」

 バアグスはラミアに対してはそれ以上何も言わずに先導した。ラミアも口を利かなかった。幾つか角を曲がり、長い回廊を歩き、小さな階段を上がった先にようやくラミアは広い空間に出た。ラミアはその広い部屋のぐるりを見回した。最初に目に付いたのはイヌが三匹とネコが少なくとも五匹。それから正面の天蓋の付いた安楽椅子。そこには色黒の男が杖を手にして座っている。ラミアの右手にも左手にも端女が数名ずつ控えていて、それぞれ瓶や壺や果物を盛った鉢を手にしている。それから客間にでも置くような背の低い大理石のテーブルとそれに高さの合ったソファーが四脚。天井からは大仰な飾りの付いたシャンデリアが下がっている。床には何織りというのか分からないが、幾何学模様の絨毯が敷いてある。バアグスは天蓋付きの安楽椅子に座った男を指して、

「こちらがタジューク王陛下です」

 と言った。タジューク王は、

「ラミアどの、ようこそわがジャンニ・ビハールへ」と言った。「近くにお寄り下さい。ゆっくりお話しましょう」

 そして、タジュークは、傍らに立った女に、

「これ、ラビイ、ラミアどののために椅子を一脚用意して差し上げなさい」

 と命じた。ラビイと呼ばれた女は、一旦奥の出口から部屋を去り、すぐに他の端女三名に、背に凝った彫刻を施した、赤紫色のビロードを張った、頑丈で重そうな椅子を一脚運ばせて戻って来た。ラビイはそれを、タジューク王の正面、一メートルほど離れた床の上に据えた。

「さ、ラミアどの、ここへお掛けなさい」

 タジューク王は言った。ラミアは一瞬だけ逡巡したが、足を前に踏み出した。


 いやだなあ、こういうのって。

 美智子はディスプレイの前で思った。美智子には無論経験がなかったが、お見合いってこういう感じなのだろうか。しかも相手は日本人ではない。素性はほぼ知れているとはいえ、眉は濃く、目はぎょろりとしていて、口ひげをたくわえていて、まるで美智子の母が好きで時どき夕食を取りに行くカレー・ショップの店のひとみたいだった。頭にはターバンのような布を巻いている。

 美智子は一瞬、健司の懇願に乗って「キングダムズ」に入ってしまったことを後悔しかけたが、しかしここはもう乗り掛かった船だ。竹下くんの言葉では、この男はどうやらラミアの肉体が目当てではないようだし、それにここで逃げてしまっては約束を違えることになる。健司らの目的は、遊びではなく、飽くまで「ゲンダを追い詰める」ことにあるらしいし、夏休みの期間を天王山にするようだし、ここは言われた通りにするしかなかろう。


 ラミアはビロード張りの椅子に腰掛けた。それから、ここに来たのは自分の意志であることを強調しなければならないことに気づき、

「初めまして、タジューク王陛下。わたくしはラミアと申します。随分素敵なお城でございますことね。わたくし、王さまの御前へ参ります間、この国を選んでよかった、と心の底から思っておりましたの」

「そうか、そうか」

タジュークは口ひげを捻りながらどうでもよさそうな調子で言った。それから暫く黙していたが、

「最初に理解して頂きたいが、わたしは本心ではお妃を娶るつもりはなかったのだ」

 と言った。ラミアはわざと驚いた表情を拵え、

「ええ? それはなぜですの?」

 と問うた。


 よかった、と美智子は胸を撫で下ろした。このゲンダという教師は、やはりわたしには関心がないらしい。それなら安心だ。夏休みの間だけ、午後九時から十一時の間にログ・インして、好きなことをしていればいいのだ。


「普通、王が王妃を娶るのは」とタジューク王は答えた。「自分の後継者が欲しいからだ。つまり、子孫が欲しいからだ。そうだろう?」

 これもわざわざ幾分戸惑ったような表情を作って、ラミアは、

「そうですわね」

 と応じた。タジューク王は、

「そもそもわたしは、女性というものを信用していない。信頼していないのだ。そこでわたしはまず、甥のポストを求めた。甥、それも若い者二名だ。ここに二人ともいる」

 そう言って、王は後ろに控えていたバアグスに、

「おい、アバスとカイムを連れて参れ」

 と命じた。

「かしこまりました、陛下」

 と言ってバアグスは廊下の奥に消えた。

 タジューク王とラミアの間には沈黙が降って来た。気を利かせたのか、ラビイが二人の間に小さな円テーブルを運んで来て、その上に果物の鉢を載せた。タジューク王は、

「どうぞ、ご自由に召し上がって下さい」

 と言い、自分で洋梨を一つ取って食べ始めた。ラビイは金杯も二つテーブルに置き、そこに淡青色の液体を注いだ。

 ラミアは杯を取って一口飲んだ。タジューク王はイヌとネコを自分の許に呼んだ。大型犬が一頭、それと灰色のネコが一匹やって来て、イヌは頭を王の腿に乗せ、ネコは膝の上に飛び乗った。タジューク王はイヌとネコを愛撫し、イヌには手ずから果物をやった。

「わたしは動物が好きでね」

 タジューク王は問わず語りに言った。そう言いつつ、葡萄を房から取って摘まみ、イヌに食べさせている。

「この王室では、代々動物を愛することが決まりになっているのだよ。しかし、わたしほど動物好きの王はこれまでいたことはないだろう」

 王は自慢げにそう言う。では政治の方はどうなっているのかしら、とラミアが厭味混じりに問い返そうとした時、バアグスがやって来た。

「陛下、アバスさまとカイムさまをお連れしました」

「おお、二人とも来たのか。どうだ、あれからは仲良くやっているのか」

 王は二人に問うた。ラミアは救いを求めるように、傍らに来たアバスとカイムを見上げた。

「はい、陛下。ご心配お掛けして申し訳ございません」

 年長のカイムがそう言った。アバスも、

「あれからはすっかり仲直りしまして、今では毎晩差しで一献傾けております」

 と言う。

 タジューク王は二人に向かってラミアを指し、

「こちらが、わたしの妃の候補者だ。ラミアさんというのだが」

 アバスとカイムは両側からラミアを見た。

「おお、お美しい方ではありませんか」

「しかもお若い。これならお世継ぎにも恵まれましょうぞ」


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