K.

 K.

 午後九時になった。源田靖は、通信表に数字をスタンプで記入する手を止めて、傍らのPCに手を伸ばした。

 一日二時間。それだけなら構わんだろう。

 それが靖が自らに課すことのできる最大限の制約だった。一日も「キングダムズ」にログ・インできないというのは、今の靖にとっては死を意味する。妻が泣いても校長が怒っても、靖から「キングダムズ」を取り上げるのは不可能だった。

 ブラウザを起動し、「キングダムズ」にログ・インすると、タジューク王は寝台で目覚めたところだった。体力ゲージが下がっている。タジューク王は傍らのベルを鳴らした。

 

 健司はベルの音を聞き、

「お、起きたみたいだぞ」

 と呟いた。

 そろそろ出番のようだ。


 伸治もベルの音を聞き、傍にいる幸男に、

「おれ、そろそろゲンちゃんに会いに行った方がいいかな?」

 と問うた。スビタスとして休んでいた幸男は、

「まだいい」と言った。「まず、食事だろう。執務室に入ったら、でいい」


 ベルの音を聞いて、傍係のラビイが現れた。タジューク王は食事の用意を申し付けた。

「かしこまりました」

 ラビイはそう言うと一旦引き下がり、すぐに果物やパン、スープの載った盆を運んで来た。タジューク王は寝台から出て、隣のテーブルに移ると、食事を始めた。果物は足元にいる愛犬のケルプにも分けてやる。

 食後にコーヒーを飲み、部屋着を脱いでローブに着替えると、ネコを抱いて執務室へ向かった。愛犬もそれに従った。

 玉座に就くと、侍従頭のバアグスが姿を見せた。


 嘉幸はタジューク王の前に進み出ると、

「陛下、アバスさまとカイムさまが面会をご希望です」

 と言った。


「なに、二人共か?」タジューク王は言った。「用件は聞いているか? まあいい、通せ」


 健司は広い廊下を歩いて執務室へと向かった。途中でバアグスと行き会い、

「ゲンちゃんは玉座にいる。会うって」

 と聞かされると、頷き返した。

 執務室の入り口に着くと、

「陛下、アバスが入ります」

 と挨拶した。


 靖は、アバスに対し、

「よろしい、入れ」

 と許可した。


 伸治は頃合をみて自分の寝室から出て執務室へ向かった。途中でイヌ二匹とネコ三匹とすれ違った。バアグスこと嘉幸が向こうからやって来て、

「ゲンちゃんは会うって言ってる」

 と教えた。

 傍らで幸男が、

「ゲームの中でもゲンちゃんはまずいな。他のユーザにみられたら変なところから足が付き兼ねない。みんなに言っておこう」

 とぶつぶつ言った。カイムこと伸治は、バアグスには、

「分かった。さんきゅ」

 と返事をし、執務室の入り口に着くと、

「陛下、カイムが入室いたします」

 と言った。


 タジューク王は、カイムに対し、

「宜しい。入れ」

 と言った。すると、カイムは大股に歩いて執務室に入って来て、アバスの隣に立った。

「今日は二人とも揃って、どうした? 何かあったのか?」

 とタジューク王は二人に問うた。

 するとカイムが、

「今日は、わたくしども二人で話し合った上で、陛下に進言させて頂きたいことがございまして」

 と言った。アバスも、

「これは、この国の未来に関する、大切なこと」

 という。タジューク王は膝の上のネコの背を撫でながら、

「ほう。何か大ごとを相談したのかね? 一体何かな?」

 と問うた。カイムが、

「是非とも、わたしどもの申し上げることをお聞き届け下さりたいのです」

 と熱心な口調で言った。アバスも、

「王さまには是非ともお勧めしたいことがございます」

 という。タジューク王は、

「ええい、持って回った言い方をするな。直截に述べよ」

 と二人を急かした。二人は顔を見合わせていたが、アバスが王の方に向き直り、

「実は、他でもない、お妃さまのことです」

 と言った。

「なに? 王妃のこと?」

「はい」

「王妃がどうしたのだ?」

 するとカイムが、

「陛下には、是非ともお妃さまを娶って頂きたいと、二人で話し合っていたのです」

 と言った。タジューク王は暫く黙していたが、やがて、

「なぜだ?」

 と一言訊ねた。アバスは助けを求めるようにカイムをみる。カイムが口を開いた。

「陛下は、将来の世継ぎとするためにわたしどもを公募なさった。それは二人ともよく理解しております。しかし、陛下が位をお譲りになられた後、果たしてわたしどもがこの国を継いで、心の底から納得する臣民がおりましょうか。公募で選ばれた、陛下とは血の繋がりのない、謂わば他人がこの国を継いで、納得する者がおりましょうか。そこでわたしどもは協議相談いたしまして、是非とも国王陛下には王妃を公募下さいまして、お世継ぎを儲けて頂きたいのです。そうすれば、わたしどもも後見人という形で間接的に国政に参加することができますし…」

 タジューク王はまた暫く沈黙し、膝で眠るネコを撫でる手も止めた。

 カイムは、

「もちろん、お妃を公募する前に甥としてわたしどもを公募なさった陛下のご心中には、深いお考えあってのこととは承知しておりますが…。ですが、国民の立場に立った時、わたしどもは次代国王として、国民に対して顔向けができないのです。なぜなら、わたしどもは陛下の血を分けた本当の親族ではないからです。もちろん、お世継ぎがお生まれになった暁には、わたしどもが最善の教育をさせて頂くことをお約束いたします。陛下、どうかお考えになられて下さい」

 アバスも、

「お願いでございます」

 と言った。

 しかしタジューク王は、むっとした表情を作り、

「ならん」と言った。「王妃を迎えず、甥としてお前たちを後継者に据えるというのは、わたしの方策だ。わたしの政策だ。わたしの政治に文句をつけることは許さん」

 と突っぱねた。アバスは、

「陛下…」

 と言いかけたが、その時ラビイが駆けこんで来た。

「タジューク王陛下、オビータ先王陛下が…」

 タジューク王はすぐに玉座を下りた。

「何かあったか」

「はい。先ほどから意識がなく…」

「すぐ行く」

タジューク王は答えると、アバスとカイムの方を向き、

「お前たちも付いて参れ」

 と言った。


 伸治は、PCの前で欠伸をした。

「あーあ、やっぱダメだなあ」

 脇からは幸男が覗き込んでいる。

「根気よく説得するしかないな。どうするかは、明日学校で決めよう」


 健司は、PCデスクの前で、

「ったく、頑固な親爺だぜ」と毒づいた。「お妃取るってだけの話じゃねえか。そんなに気難しい顔しなくても済むだろうに」

 そして、タジューク王の後に付いて奥の間へと歩き出した。


 タジューク王はラビイに導かれ、アバスとカイムの二人を引き連れてオビータ先王の病室へ向かった。タジューク王がオビータの姿を一瞥すると、こと切れていることがすぐに分かった。

「どうやら、旅立たれたらしいな」

 タジューク王はオビータ先王の遺骸の足元に跪いた。

「先王さまの言い残されたように、わたしどもはこのセルウィン王国の国体を護持して参るつもりであります。先王さまの遺業を継ぎ、この国を産業立国へと導いて参ります。安らかにお休み下さいませ」

 タジューク王は涙ながらにオビータに語り掛けた。アバスとカイムの二人は、その背後で言葉もなく見守っている。


 健司はPCの前で、

「案外ゲンちゃんって情にもろいんだな」

 と呟いた。


 伸治は、幸男に、

「おれ、何か言った方がいいかな?」

 と問うた。幸男は、

「いや、そこで控えていれば充分だと思う。アバスとカイムがオビータと割と深く接触を持ったことには、源田は気付いていない筈だ」

 と言った。


 バアグスこと嘉幸は、部下の侍従からことの次第を聞かされた。

「そうか…。オビータ先王陛下は崩御なされたか」

「はい。タジューク王さまは大層お悲しみのご様子で」

「そうだろうな。――では、これから大葬の準備かな?」

「タジューク王さまのご指示を仰いで、大葬を執り行われるものと存じます。が、オビータ先王さまはできるだけ簡素な葬儀にするように、との仰せでしたから、まだ分かりません」

「とりあえず、ビリング市民に告知を出し、周辺の各部族にも通知を出すように」バアグスは言った。「この国では、全国に有線なり無線の通信網が整備されているのだろう?」

「はい、ございます。かしこまりました。仰せの通りにいたします」

「葬儀の形式と日取りについては、また追って連絡するから、と」

「承知つかまつりました」

 侍従は去って行った。

 嘉幸は、幸男に言われた通り、会話の概略をメモに取った。アバスやカイムらのいない場での他の大臣や部下との会話は概略をメモに取り、五人、あるいは美智子を含めた六人で共有しておこう、というのが幸男の提案だった。特に、部下に出した指示や命令については特に詳細なメモを作っておくように、ということだった。

 この先は一体どうなるんだろう? と嘉幸は考えた。まあ、幸男は頭がキレるし、あいつの言う通りに行動していれば間違いはなさそうだ。


 タジューク王は背後で立ち尽くすアバスとカイムを振り返った。二人にも、王が流す涙がみえた。

「二人とも何をしているのだ。お前たちはこの国の後継者なのだぞ。先王に礼儀を払って、最後の挨拶をしなさい」

 とタジューク王は二人に命じた。

「はい」

 と二人は口々に言い、オビータ先王の亡骸が横たわる寝台に歩み寄った。

「安らかにお休み下さい、オビータ王」

 カイムが跪いて言った。アバスもその真似をした。


 ディスプレイをみながら、靖は実際に泣いていた。涙は止めることができず、普段は涙腺の緩むことが少ない靖も、オビータの死に直面すると、我ながら青臭い感傷が残っていたものだ、と思いながらも、口をだらしなく開け、嗚咽の声を漏らして泣き続けた。

 これからはオビータのアドヴァイスを仰ぐことはできないのだ。自分ひとりでこの王国を切り盛りして行かなければならないのだ。

 靖にはまだこの王国の全体像がよく把握できているという訳ではなかったので、心細い点が多々あった。少数部族の扱いはどうすればいいのか? オビータは首都の市民税の増税を示唆していたが、その時期はどうみればいいのか? 地方への鉄道敷設の案があったが、その財源はどこから確保すればいいのか? 一介の高校教師に過ぎず、クラブ活動の顧問も堅く断り、生徒とも極力感情的・情緒的な交流を欠くように心がけて来た靖には重すぎる課題ばかりだった。

 その点、オビータは病院経営に携わっていたとかで、王国運営の手腕も高いようだった。最新の支持率をみても、首都だけで実に85%もの市民がオビータ先王を支持していた。靖にはそこまでの支持率を得られる自信はなかった。

 もう少し、せめてあとひと月、長らえてくれればよかったのだが…。

「タジューク王陛下」とラビイが言った。「オビータ先王陛下の葬儀の方を考えませんと…」

「ああ、そうだったな」

 とてもそうする気にはなれないまま、タジューク王は答えた。

「オビータ王はできるだけ簡略な葬儀をお望みだった。しかし、国民の支持率の高さをみると、これは大葬を執り行わねばならないだろうな。そうでないと国民の納得が得られないだろう。――ハミル財務大臣を呼べ」

 大臣はすぐにやって来た。

「オビータ先王陛下の国葬を執り行いたいのだが、今一体どれほどの財政的な余裕があるか?」

「はい」ハミル財務相は答えた。「現在、臨時の支出としましては、約三億六千万ペカーリが利用できます」

「では、できる範囲でいいから、できるだけ立派な国葬にしたい。オビータ先王陛下は、火葬をお望みで、遺灰はリンダン川に流してくれるように、とのことだった。これも忠実に叶えて差し上げたいのだ」

「承知いたしました。では、ルイン内務相をお呼びします」

「うむ」

 そこで靖は時計をみた。

「ルインを呼ぶ前に、わたしはひと休みする」

 タジューク王は言った。

「かしこまりました」

 とハミルは言った。


 翌朝、ホームルームが始まる前に、昇たち五人は顔を突き合わせて相談し合った。

「ゲンちゃん、なかなか一筋縄ではいかないね」

 と健司。昇は、

「そうかあ。まあ、そんなもんじゃないかと思ったよ」

 と言った。伸治も、

「あの分じゃあ、夏目さんの出番はなさそうだなあ」

 と残念そうに言う。昇は内心でがっくり来た。嘉幸は、

「これ、昨日ぼくが部下の侍従と交わした会話だから」

 と言って、メモを幸男に手渡した。幸男はそれを一瞥して、

「よし。おれたち五人が結託していることを、他のユーザに知られなければそれでいいんだ」

 と言った。

「王妃の件はどうする?」

 健司が幸男に訊ねた。

「今がチャンスかも知れないな」と幸男は考えながら答えた。「オビータが死んで、源田はかなりショックだったんじゃないかな。――兎に角、おれがみた限りではそうみえた。ここで、アバスとカイムの二人がひと揉めしてみるのも面白そうだ」

「と言うと?」

「アバスとカイムが、次代の王権を巡って争うのさ。なに、武力なんか使わなくていいんだ。口論するだけでいい。それをバアグスがタジューク王に伝えればいい。今夜はそうしてみようぜ」

 昇は、

「今日、一時限目って何だっけ?」

 と誰にともなく訊いた。伸治が、

「英文法」

 と答え、それから一同の間には忍び笑いが広がった。

「まあ兎に角、統制を取って確り追い詰めようぜ」

 幸男が言った。


 今学期最後の英文法の授業が始まった。

 授業中、昇がみる限り、ゲンちゃんの態度に大きな変化はみられなかった。いつもの通りの痩せて背の高い姿で、生真面目そのものといった落ち着き払った態度で英文法の教科書を読み、解説する。だが、昇の目には、いつもと少し様子が違うような点もみられた。頻りにハンカチを出して額の汗を拭う。教科書の読み間違いも一、二度あった。生徒に練習問題を解かせている間、昇がそっと様子を窺うと、ゲンちゃんは背の後ろで手を組んで窓の外を眺めていた。いつもなら教壇から生徒たちを眺め回し、質問が出ないかどうか待っているというのに。ゲンちゃんは遠くをみているようだった。

 何考えてんだろう?

 昇には分からなかった。

 授業が終わると、ゲンちゃんは夏休み中にやるべき宿題を配った。分厚いワークブックだった。

「夏休み後に、この本からテストをやるので、皆しっかりやるように」

 とゲンちゃんは言い残して去って行った。

 授業の後で、昇たちは集まった。

「ゲンちゃんの様子、おかしくなかったか?」

 昇が言った。伸治は、小首を傾げ、

「ちょっとだけ、変だとは思ったけど。妙に汗をかいていたよな」

「いやあ、あの程度ならまだ異常とは言えないよ」

 幸男は、

「うん。少し変化はあったようだ」と認めた。「今日は誰も生徒を当てなかったろ? いつもなら練習問題を解かせた後なら必ず生徒を当てて答えさせるのに」

 一同は頷いた。

「確かにそうだ」

「今夜はお葬式だな」


 その夜、健司は決められた通り、午後九時にログ・インした。すると、宮殿の中を女官や侍従が忙しく行き交っていた。

「一体、何か?」

 とアバスは通りすがりの女官に問うた。女官は頭の上に大きな甕を載せて足早に歩いていたが、足を止めると、

「オビータ先王さまの国葬の準備でございます」

 と言った。それで健司も、タジューク王こと靖が既にログ・インしていたことを知った。

「もう始まるのか」

 アバスが問うと、

「はい。既に地方の各部族の首長も集まり掛けております。あと少しで始まります」

 と答えると、足早に立ち去った。

 とりあえず体力ゲージが下がっているので、食事をしなければならない。

 アバスはベルを鳴らして傍係を呼び、食事の用意を申し付けた。

 間もなくアバスの部屋に食事が運ばれた。

 食べ終わると、アバスは早速王の執務室に向かった。だが、執務室には王はいなかった。ラビイが立っていたので、

「陛下はどちらか?」

 と訊くと、

「タジューク王陛下は大広間におられます」

 との答えだった。アバスは廊下に出て、大広間に歩を運んだ。なるほど、そう言われてみると、ひとの流れは大広間に向かっているようだ。

 大広間に着くと、アバスの前には何百人もの人間が集まっていた。みな、首都ビリングの市民や、地方から車で馳せ参じた少数民族の首長であるらしかった。

 アバスは王の姿を探した。

 大広間の前には祭壇が設けられ、大きな炉の中で香が焚かれ、法衣に身を包んだ僧侶が十名程も並んで読経している。王は臣民に背を向け、僧侶の後ろにいた。カイムもいるようだ。

 アバスは王の許へ近寄り、

「陛下」

 と呼んだ。タジューク王は悲痛な面持ちでアバスを振り向いた。

「やあ、アバスか」弱々しい声でいう。「まあ、そこに座りなさい。楽にして。そして、オビータ王の冥福を祈るのだ」

「分かりました」

 健司はカイムこと伸治と話したかったのだが、これでは無理だ。

 一頻り僧侶の読経が済むと、タジューク王はしずしずと立ち上がった。そして、アバスとカイムに向かって、

「これからオビータ先王陛下をお送りする。付いて参れ」

 と命じた。その頬にはまた涙が流れていた。


「泣いてるぜ、ゲンちゃん」と伸治は幸男に言った。「いい歳して気持ちわりい。生徒の前での普段の姿をみると、とてもじゃないが信じられないよな」

 幸男は、

「B組のやつに訊いて見れば、源田の変化についてもっと分かるかも知れないな」

 と言った。が、B組は普通科のクラスで、特進科のクラスであるG組とは普段交流のある生徒はまずいない。


 これからどこに行くんだろうな、と健司は思った。祖母の時の葬式の手順を思い出してみると、多分火葬場だろうな、と見当が付いた。

 アバスはタジューク王に従って歩いて行った。


 タジューク王、アバス、カイムに続いて、オビータ先王の遺骸の棺が運び出された。それに伴って、大広間のあちこちからは歔欷の声や、先王の偉業を称える声が漏れた。

 タジューク王はゆっくりと王宮内を歩き、大階段を降り、やがて滅多に使われることのない正面玄関にやって来た。玄関前には大勢のビリング市民が集まっていた。タジューク王は、群衆に向かって、声を上げた。

「周知の通り、オビータ先王陛下は崩御なさった」アバスがみると、タジューク王は未だに涙を流していた。「しかし、国政に滞りがあってはならない。わたしはこれからも先王陛下の遺志を継ぎ、この国の発展に尽くすつもりだ。服喪の期間は一週間とする。これから、先王陛下の亡骸は焼き場へ移し、遺灰はご遺志に従ってリンダン川に流すことになる。心ある者は付いて参れ」

 玄関前にはリムジンの霊柩車が横付けにされていた。タジューク王はそれに乗り込んだ。アバスとカイムもそれに続いて乗った。棺は後部のドアから丁重に車内に収められた。

 喪章を付けた大勢の市民が見守る中、霊柩車はゆっくりと走り出した。アバスが振り返ると、後からは市民の代表者や各部族の首長が乗っているのであろう、どれも黒色の車の列が続いていた。

 霊柩車はビリング市内の大通りを一回りし、それから山地に向かって走り出した。それでも沿道に出て来る市民の数は多く、引きも切らず霊柩車の前に出たり並んで歩いたりする。霊柩車もそれに合わせるかのように、至極ゆっくりした速度で走った。

 カイムは、ハンカチを取り出すと、涙を流しているタジューク王に手渡した。

「陛下、ここは陛下がしっかりなさって下さることが肝要ですぞ。今は陛下がこの国の主です。気を落とされ、隙ができるとどこから付け込まれるものやら分かりませんぞ」

 カイムがそう諭すと、タジューク王は、

「そうだな」と言った。「いや、わたしにしては珍しく感傷的になってしまってな。お前の言う通りだ。わたしが一番気を確かに持っていなければならないのだな」

 と頷いた。アバスも、

「タジューク王、わたしたちが付いておりますから、国政のことはご案じ召される必要はありません」

 と言った。タジューク王はまた頷いたが、なかなか涙を止めることは難しいらしく、何度かハンカチで目頭を拭うのだった。


 靖は放心状態であった。この後、オビータの遺体を火葬し、遺灰を川まで運ばせる手はずは付いている。しかし、この後一体どうすればいいのだろう。タジューク王の前には課題が山積している。これらをどうして解決すればいいのか。やはり、王国の運営は自分には不向きだったのかも知れない。ここで疫病など流行すれば大変なことになる。早目にアバスかカイムのどちらかに禅譲し、自分は引退してしまう方が得策かも知れない。

 靖はそろそろ午後十一時が近付いているのにも気づかず、いやたとえ気付いたとしても意に介さなかっただろうが、霊柩車に乗って火葬場へ向かった。


 タジューク王一行を乗せた霊柩車、そしてそれに続く車列は、粛々と火葬場へ向かった。火葬場は山の中腹に設けられてあった。

 車はやがて停まり、白い手袋をはめた運転手が後部ドアを開けた。

「タジューク王陛下、到着いたしました」

 運転手が言った。

「うむ」王は一言返事をした。「では降りよう」

 アバスとカイムも続いて無言で降り立った。後ろのドアから、白い布に覆われたオビータの棺が何人かの侍従の手によって降ろされ、火葬場に運ばれた。

 タジューク王ら三人は火葬場の控室に通された。茶が供され、「渇き」のゲージが下がっていたアバスとカイムは冷たい茶に手を出したが、タジューク王は見向きもしなかった。

 やがて着々と点火の準備がなされ、王のもとに火葬場の管理人が姿をみせた。管理人は一礼すると、

「これから、着火いたします」

 と報告した。タジューク王は、

「任せる」

 とだけ言った。

 やがて、アバスの周囲の「温度」ゲージが少しずつ上がり始めた。アバスが席を立って外に出ると、煙突からは真っ直ぐな煙が立ち昇っていた。

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