E.

 E.

 ゲンちゃんは学校内で「キングダムズ」のゲームをしているところをつかまって謹慎処分を喰らったのだ、という情報を掴んで来たのは、昇と同じクラスの中村慎という生徒だった。

 昇は面白くなかった。

 なせと言うに、その情報を最初にクラスにもたらしたのが自分ではなく、慎だったからだ。昇に言わせれば、慎は成績こそ昇同様ぱっとしなかったが、他にも何の取り柄もない奴だった。昇の中では、慎は「その他大勢」の中に入る生徒だった。地味でぱっとせず、クラブ活動で格別活躍している訳でもなく、話していても面白いことは何も言わない、いや言えない。

 しかも、その情報の掴み方も面白くない。

 昇は、ゲンちゃんが謹慎処分を喰らったという情報を、少なくとも自分の足と頭を使って得て来た。その当座は伸治や健司に、もてはやされる、という程ではなくとも、

「一体そんなこと、どこから聞き出して来たんだよ」

 と多少なりとも尊敬の眼差しで見られたものだ。

 それが慎に至っては、妹が明峰中でゲンちゃんの娘と一緒のクラスだというだけでこの特ダネを拾ってきたのだ。そのお陰で慎はいっときだが、クラス中の注目を浴びるといういい目を見たのだ。

 ちぇ、面白くねえ。

 昇は胸糞の悪い思いだったが、しかし起こってしまったことは起こってしまったことだ。

 ゲンちゃんは一週間の「休暇」の後で何食わぬ顔で復帰し、謹慎前と変わらぬ堅物ぶりで英文法の授業に出て来るようになった。

 その日最後の退屈な生物の授業が終わった。昇は結局、その時間はノートに一言半句も書かなかった。授業など受ける気にならない。それが正直な昇の思いだった。

 ホームルームでの矢崎の訓示が始まった。

 ゲンちゃんは2年B組の担任だ。一体どんな顔して訓示を垂れるんだろうな?

 長々とした訓示が済むと、2年G組は束縛から解放された。

「昇、一緒に帰らないか?」

 伸治が寄って来た。昇は教科書やノートを乱暴に鞄に詰め込みながら、

「いいよん」

 とだけ答えた。今は小遣いを貰ったばかりなので、奢ってもらわなくともマクドナルドくらい付き合える。

「あー、何か面白えことねえかなあー」

 昇と伸治は昇降口までの廊下をぶらぶら歩いていた。「面白いこと」「楽しいこと」昇がいつも追い求めているのはそれだけだ。

「しかしなあ」伸治が言った。「ゲンちゃんが『キングダムズ』にハマってるとはなー」

 高校生で「キングダムズ」のゲームを知らない者は少数派だ。少なくともG組に関しては、今回の件で知らない者がないほど知れ渡ってしまった。他のクラスでも同様だろう。

「ああ、その話?」昇は気のない返事をした。「もう終わっちまった話じゃんか。もっと何かこう、…目新しいことってないものかね?」

「だけど、ゲンちゃん、『キングダムズ』の一体どこが面白いのかね?」

「知らねー」

 昇は無関心にそう言うと、靴に履き替えた。学校指定の靴は黒い普通のコイン・ローファーだが、昇のは乱暴な扱いをする上に買い替えもしていないので踵の部分がつぶれている。伸治のは春に買い替えたらしく、まだ綺麗だ。家庭間のケーザイテキカクサっていうのは、こういうところにニョジツに現れるんだよね、と昇は思う。

 昇は自転車を押し、伸治と共に駅の方面に向かって歩き出した。

「どうする? 久し振りにゲーセンでも寄ってこっか?」

 昇は言った。流石に制服でパチンコ屋に入ることはできない。が、伸治は、

「それより、おれ腹減っちゃった。マックかミスドでも寄ってこうぜ」

 と言った。

「いいよん」

 昇はまた気のない返事をする。面白いコトを探すことにかけてはクラスで誰にも引けを取らないつもりでいた昇にとっては、やはり今回慎に出しぬかれてしまったショックは大きい。しかもどこにもグチをこぼす相手がないと来る。

 二人は駅前に出ると、まず昇は自転車を大広通り歩行者天国の自転車置き場に停めた。正式に自転車置き場、となっている訳ではないが、乗り棄てられて錆びついたものから通勤通学に使われていると思しいものまで、兎に角自転車が雑然と並んでいる一郭だ。

「ちょっと待って」伸治が言った。「ちょっとCDチェックしたい。新星堂付き合ってよ」

 伸治は昇と共に店に入ると、地下の洋楽CD売り場へ向かった。昇もアングラの過去のアルバムを見たかったのでフロアで伸治と別れ、HM/HRのコーナーに向かった。

 昇の欲しいCDは棚にはなかった。わざわざカウンターで取り寄せてもらうほどのものでもない。オンラインで買うならアマゾンが手軽だが、あいにく昇はまだクレジット・カードを持っていない。

 昇が伸治の様子をみに行くと、伸治はザ・ビートルズのコーナーにいた。紙ジャケットのリマスター盤が並んでいる。

「ホワイト・アルバムだけ品切れなんだよね」

 ぶつぶつ呟くその手には、赤盤、青盤と「アビイ・ロード」があった。よくそんなに買うカネがあるもんだ、と昇は呆れる。

 結局伸治はそれに加えてザ・フーの「トミー」なるアルバムも棚から無造作に取ってレジに持って行った。

「お前、ビートルズなんか聴くの?」

「うん」

 伸治は平気な顔で頷いた。

「退屈じゃね?」

「ちっとも。おれ、六〇年代のロックって好きなんだよね。AFNでも時たまかかるし」

「ふーん」

 昇には付いて行けなかった。

やっぱり英語の分かる奴というのは違うもんだな、と昇は思う。おれなんか、歌詞カード読んでいたってさっぱりだもんな。

「ミスドでいい?」

 伸治が訊ねるので、昇は、

「いいよん」

 と答えた。

 伸治はゴールデンチョコレートにオールドファッション、それにエンゼルフレンチとアイスのレモンティを選んだ。昇は控え目にフレンチクルーラーとハニーディップ、それにメロンソーダを注文した。

 店の中は女子高生やら女子大生らしいのや子供連れの主婦でいっぱいだった。が、ふたりは何とか二人掛けの席を取ることができた。

「あーあ、堪らんぜ」レモンティを一口飲んで伸治が言った。「今日の漢文の授業、さっぱりだった。お前、あんなのどう?」

「おれはあんなの余裕よ」昇はフレンチクルーラーをかじりながら応じる。「現代国語はやばいけどね。あれ、何をどう答えればいいのかさっぱり分からん。夏期講習取るっていったって、あれは中々難しいっす」

「そうそう、今日代数の宿題出たじゃん。あれ、教えてよ」

 伸治は鞄の中からテキストとノートを取り出した。

「あれっ、お前もチャッカリしてんなあ」昇は呆れる。「それでおれを誘ったのか」

「ちゃうちゃう」伸治は顔の前で手を振って見せた。「それとこれとは話は別だから。今度お礼にモスバーガーで何か奢るから」

「マジ?」昇は確認すると、「じゃあ、Wモスチーズバーガーがいいな」

「それじゃあ早速お教え下さい、脇田先生」

「よしよし」昇はソーダを一口飲むと、「行列のことなら任せなさい」

 昇は課題の練習問題を解きながら、伸治に分かるように説明して聞かせた。

 昇の講義が終わると、伸治は頭を下げて、

「ありがとうございました」と謙虚に言った。「よく分かりました」

 昇はドーナツを食べ終わった。後はソーダが残っている。ふたりの間には暫し沈黙が訪れた。

「しかし、ゲンちゃんがなあ…」

 伸治はまた言い掛ける。それを遮って、昇は、

「それ、もう終わった話じゃん。止め止め」

「どうしてさ。お前なんか、真っ先に食いつきそうな話じゃんか。昨日の英文法の授業の時だって、お前が手を挙げて、〝『キングダムズ』っていつやってんですかあ?〟とか訊くんじゃないか、って思ってたくらいだけど」

「ノンノン」昇は否定した。「おれ、そんなに図々しくないよ」

「家でもやってんだろうなあ」

「だろ? だから慎の妹にまで話が回る訳よ。――ま、学校でもやってたくらいだって言うんだし、相当入れ込んでるんだろうな」

「あの堅物がなあ。何たっけ、セルウィン王国だっけ? 王様なんだろ?」

「へー」

 昇は間接的に慎の妹の話を聞いただけだった。慎にしてやられたという思いでいっぱいになってしまったのだ。従って、慎に詳しく話を聞いた訳ではない。

「あのゲーム、王様になるにはけっこうカネかかるらしいぜ」

「らしいな」昇は言った。「万単位で課金されるらしいよな」

「そこまでやるってことは、家ん中でも相当問題になってる筈だぜ。じゃなきゃ、娘が同級生に言ったりしないもんな」

 その時、ふと昇の心に萌したものがあった。

「んー」

 昇はソーダを飲みながら言った。

「なに?」

「あのゲームってさ、そんなにカネ掛けなくても参加できるって話じゃん」

「そうらしいね。――一番下っ端だと、月三百円くらいで入れるって」

 昇は目を輝かした。これは面白そうだ。

「入らねえ?」

「えー」伸治は言った。「おれ、そんなに時間ないしさ…。それに、ネトゲってあんまし興味ないんだよね」

「そうじゃねえよ。おれたちも、ゲンちゃんが王様やってるセルウィン王国に入らねえか、ってことだよ」

「ああ」伸治はやはり余り興味なさそうに言った。「でも、王様に仕えたって面白くないじゃん」

「面白えよ」昇はわくわくしていた。「考えてもみろよ。おれたちだけじゃなくって、健司とか嘉幸とか誘って入れば、もしかしたらゲンちゃんの弱みが握れるかも知れねえんだぜ」

「そうかなあ」伸治はまだ半信半疑だ。「でも、どうやって?」

「役割分担するんだよ。例えば、あのゲームって、執事だとか貴族だとか平民だとか位があるんだろ? おれたちで誘い合って、――そうだな、五、六人もいれば充分じゃねえかな。ゲンちゃんを完全包囲して、どんな国なのかちょっとみたっていいじゃん。案外、変態みたいな政治やってるかも知れないぜ」

「変態か。あはは」伸治は笑った。「もしそうなら、面白そうだよな」

「だろ?」

「ああ。――早速、健司に連絡とってみるか」

 伸治は携帯を取り出した。

「もしもし。ああ、健司? おれだけど。今どこ? え? あ、そうなの。おれ、今昇とミスドいるんだけどさ、ちょっと面白そうな話があるんだよ。来ねえ?」

 伸治は通話を切ると、

「今、あいつ、駅裏のエクセルシオールカフェにいるらしい。来るってさ」

 健司は五分ほどでやって来た。しかし、一人ではなかった。

 健司が連れて来たのは、桜台高の制服を着た女子高生だった。目はぱっちりしていて、鼻は高すぎず低すぎず、髪は肩で切り、血色のいい頬はふっくらしていて、口の形も整っている。昇は一遍で参ってしまった。

 昇と伸治には出す言葉も見つからない。

「よう」健司はにやにや笑いを浮かべながら言った。「面白そうなことって、何だよ?」

 昇と伸治が向ける視線に恥ずかしそうな表情を浮かべていた女の子は、

「初めまして。夏目っていいます」

 と自己紹介した。

 思わず昇と伸治は顔を見合わせた。まさか健司が女連れだとは、二人とも思わなかったのだ。

 落ち着け、落ち着け、と昇は自分自身に言い聞かせた。どうせこの子も、健司にコーヒーとケーキでも奢って貰っていたんだろう。

 伸治が咳払いした。

「ここ、ちょっと席が狭いよな。河岸を変えようぜ」

「そうだな」健司も応じた。「どうせならエクセルシオールカフェの方が落ち着いて話せるぜ。それともデニーズとか」

 デニーズは財布に重い。昇は、

「ここは気軽にマックにしようぜ。あそこなら四人席もあるだろ?」

 と提案した。その案は受け入れられ、四人はミスタードーナツを出てぞろぞろと通りを横切った。昇と伸治が前を歩き、健司と夏目さんは後にくっ付いて来るという恰好だ。昇が肩越しにちらりとみた限りでは、手こそつないでいないが、肩を並べて歩くさまは、いいお友だち以上付き合っています以下、の何ものでもない。

 やられたぜ。

 昇は今日二度目に面白くない思いをした。健司が発展家だということは本人の言辞から何となく匂わされていたが、いつもフラれているばかり、という訳でもないらしい。

 四人はマクドナルドに入った。一階はカウンターのみ、二階と三階が客席になっている。めいめい飲み物をオーダーして煙草臭い二階席に上がると、四人席は一つだけ空いていた。伸治と昇は隣合い、健司と夏目さんが並んで座る。自然にそういう形になった。

 席に着くなり、健司は灰皿を持って来ておもむろにポケットからマルボロの箱を取り出した。

「あれ、お前煙草どうやって買ってんの?」

 伸治が訊ねた。この国では喫煙者はだんだんマイナーな存在になって行っている、国を挙げてそういう方向に動いている、ということくらいは昇も知っている。最近ではコンビニでも年齢確認がうるさくて、同年輩のバイトからでさえも売ってもらえることが少ない。昇は父親の吸っているクールを一本二本たまにくすねて吸うことがあるが、見つかると後が面倒なので吸殻は火が消えたことを確認してゴミ箱に捨ててしまう。

「これ? 兄貴に買ってもらってる」

 そう言うと、健司は手慣れた手つきで火を点けた。伸治は、

「いいなあ、年上のきょうだいに喫煙者がいて」

 と言いながらちゃっかり手を伸ばしている。

「――で」と健司は言った。「面白そうなことって、なに?」

 伸治が手短に説明した。健司はアイスコーヒーをストローで吸いながら聞いていた。

 伸治が話し終わった後、健司は少し考えてから、

「それは分かったけどさ、お前ら『キングダムズ』のシステム、知ってんの?」

 と訊いた。昇は肩を竦めた。

「ま、大体のところはね」

「あれ、支払いクレカだろ? お前ら使えるカード持ってんの?」

 そうだった。それを考えていなかった。伸治は、

「おれは、親父名義のカードがある」

 と言い、健司も、

「おれも、アマゾンとかはいつも親父のアメックス借りてんだけどさ」

 と言う。昇は、

「おれは使えるカードはねえな。姉貴に頼めばカード貸してくれるかもしれないけど、あいつケチなんだよな…」

 と言った。

「まあそれでも、話としては面白いじゃん。おれたちだけじゃなくて、他のヤツらにも声掛けてみようぜ。――美智子ちゃんもやってみる?」

 健司に訊かれて、夏目美智子は、

「うーん。あたしもクレジット・カードってないからぁ…」

 と曖昧な返事をした。

 美智子ちゃん、か。昇は心中ぼやいた。こういうの、「付き合いかけてる」って言うんじゃなかったっけ?

「とりあえずさ」伸治がレコード店の袋をがさがさいわせながら言った。「みんな、『キングダムズ』のシステムとか利用方法について詳しいところは分からないんだろ? まず情報収集から始めようぜ」

「ほか、誰に声掛ける?」

 健司が問うた。

「あんまり大人数に話すと話が外に漏れる」昇は言った。「あと、ニブいヤツも扱いに困る」

「じゃあ、誰だよ?」

 伸治が問う。昇は、

「おれは、まず嘉幸を入れたいね」と言った。「野中だよ。あいつなら口が堅い」

 すると、伸治は、

「あいつ、PC持ってんのかよ?」

 と訊いた。昇は頷いた。

「ああ。親父さんのお下がりだって言ってたけどな。――その点、おれがちょい厄介だな。おれんとこは、パソコンは姉貴と共有だし、あいつ、しょっちゅうレポートがどうの、メールがどうの、ですぐに追い出されちまう」

「まあ、それは仕方ねえだろ。いざという時にはウチに来いよ」健司が言った。健司は電車通学しているが、健司と昇の家とは直線距離で十キロほどだった。「でも、まだ四人だぜ。四人でやって行けるかな?」

 そこで昇は、

「幸男を入れたいんだけど、どうかな」

 と提案した。伸治は、露骨に眉をひそめて、

「竹下幸男? おれ、あいつと遊んだことないよ」

 健司も、

「何かさ、地味ー、って感じのヤツだよな。パッとしなくて」

 と言う。そこで昇は、

「いや、そこがさ、あいつは中身がしっかりしてるんだよ」と弁護した。「頭はキレるぜ。その点は保証する」

「ま、確かに成績はいいみたいだけどさ」伸治は尚も渋る。「いっつもクラスの隅にいる、って印象が強いよな」

 昇は、

「ゲンちゃんが謹慎処分受けたってことを知ったのも、幸男あってのことなんだよ。あいつ、中々情報通だぜ」

 と必死で弁護した。

「ま、それは置くとして」健司は言った。「まず、『キングダムズ』のサイトにアクセスして、実際問題どんなゲームなのか、それを知らないとな」

「一つ、誰かの家に集まろうや」

 昇が提案した。その提案はすぐに受け入れられた。

「おれんち、今夜親がいねえんだ」健司が言った。「ウチに集まることにしようぜ」

「何時?」

「メシの後がいい。あと、誰か代数の宿題、写させてくれないかな?」

 昇は夕食が済むと、母の初子に、

「お袋、おれ、これからちょっと友だちの家に行って来るから」

 と言った。こういう話は直前に切り出すのがいい。

「ええ、一体何で? もう八時じゃないの。お風呂はどうするの?」

「帰ってから入る。ちょっと緊急で用があるんだ。――代数の宿題で困ってるらしいんだ」

「お友だちって、どなた?」

「健司。ほら、何度かウチに遊びに来たじゃん」

「まあ。中野さんのお宅でご迷惑にならないようにしなさいよ」

 という訳で、昇は自転車を漕いで健司の家へ向かった。九時前には着いた。ボルボもサーブも車庫に収まっていたが、健司の言った通り、家の中は暗かった。

 玄関の呼び鈴を押すと、すぐに健司が顔を出した。

「よう、待ってたぜ。伸治はもう来てる」

 広い玄関には大きな白磁の壺が置かれていた。フロアの寄木も磨き抜かれている。昇は健司の家に来るたびに恐縮してしまうのだ。

 健司の部屋に通されると、その言葉通り伸治が床に座っていた。健司の家は居室と寝室が別になっているので、部屋に通されても生活臭があまりしなかった。

 伸治はビールを飲んでいた。

「よう昇、遅かったな。先にやってたぜ」

「お、いいもん飲んでるじゃん」昇は言った。「おれもありつけるの?」

「もっちろん」と健司がヱビスビールの缶を昇に差し出した。「おれの兄貴のお陰だよ」

 三人は車座になってビールを飲みながら、暫し無駄話にふけった。昇は夏目美智子のことが訊きたくて堪らなかったが、それはプライドが許さなかった。

 こいつ、本当に何でも持ってるんだよなあ、と部屋を見回しながら改めて昇は思う。ギターにアンプにエフェクター、シンセサイザーにDTM向けと思われる機材。壁には革のジャンパーに品のいいブレザー・コートが数着。CDケースにはぎっしりアルバムが詰まっているし、高そうなステレオ・セットもある。

「さて、そろそろ始めようや」

と健司が腰を上げたのは、三人が顔を揃えてから三十分も経った頃のことだった。

健司のPCは勉強机とは別に部屋の隅にあるパソコン・デスクに置いてあった。真新しいデスクトップ型のPCである。

以前、昇が遊びに訪れた時に、

「どこ製?」

 と訊ねると、

「知らない。親父の伝手で特注してもらったものなんだ。ま、BTOと自作機の中間ってことになるのかな?」

 とのことだった。

「ええと」健司はブラウザを起動し、「『キングダムズ』と…。ここかな」

 と検索エンジンを使って「キングダムズ」のウェブサイトに接続した。

「何だ、英語じゃないか」昇はがっくり来た。「おれ、英語じゃムリっす」

「大丈夫」LCDを見ながら健司が言った。「部分的に日本語も使えるみたい」

「でも」脇から覗き込みながら伸治が言う。「基本的に会話は英語らしいな」

「ちぇー」昇は音を上げた。「英語じゃ付いて行けねえよ」

「ブロークン・イングリッシュでもいいんでないの?」

「それに、オンライン英語辞書もあるしさ」

 二人は励ましたが、昇は大きく気勢を削がれた格好だ。

「とりあえず、『お試し』コースで入ってみるか」

 健司がマウスでボタンの上にカーソルを動かした。そこで昇は、

「いやいや、その前にどんな職業があるのかみたい。詳しいこのゲームの…ガイヨウって分かんねえかな?」

「それ、ここかも」

 健司がボタンをクリックすると、一覧表と料金体系のようなものが現れた。幸いここは日本語で説明書きがある。

「うへえ」昇は画面を見て大声を上げた。「王様って一万二千円も取りやがるの。ゲンちゃん、よく入る気になったなあ」

「おい、昇、みろよ」伸治が昇を促した。「愛玩動物なら月三百円で入れるってさ」

「でも、クレカ払いだろ?」

「ちょっと待て」健司が言った。「――いや、銀行口座引き落としってのも選べる。これならお前もできるんじゃないか?」

「ペットかあ」

 昇はため息を吐いた。あのゲンちゃんにペットとして飼われるなんてまっぴらだった。

「でもさ、昇、ペットなら喋らなくても済むじゃん」

「まあな」と昇。「その代わり、政治に関わることも無理だけどな」

「そだな。――ここは一つ、おれが人柱になって、『お試し』コースでそのセ…セルウィン王国…だっけ、そこに入国してみるか」

 健司が言った。健司は大いに好奇心を刺戟されたらしい。

「そうだなあ」と伸治も言った。「おれも入会してみようかな」

「あのゲンちゃんのことだから、圧政を布いているかもな」

「言える言える。この間のテストだって、ちょっとした訳文のニュアンスの違いなのに、採点は×だったし。抗議しても、『そこは間違いだ』の一点張りでさ」

「人情味がねえんだよな」

「まあ、本間が言うには、こと受験に関してはエキスパートだ、って話だけど」

「よし」健司がPCデスクを叩いて言った。「おれと伸治で体験入会してみる。それで、ゲンちゃんの王国に潜入してみるよ。それから作戦を決めようぜ」

「今夜は遅いし、これで散会とするか」

「ビールごちそーさま。久し振りだから旨かったぜ」

「礼なんかいいって。それよか、飲酒運転で捕まるなよ」

 伸治は歩いて駅方面へ去って行った。伸治は健司の使う駅の更にふた駅先、駅から徒歩五分ほどの閑静な住宅街にある一戸建てに住んでいる。

 昇は伸治に手を振って別れると、自転車を漕いで家に帰った。

「遅いじゃないか」父の隆が玄関に顔を出した。もうパジャマに着替えている。「もう十一時半だぞ。明日も学校なんだろう?」

「ごめんごめん。宿題やってたら、基礎も分かってないみたいで、じっくり教えてたらこんな時間になっちゃった」

「それより、中野さんのお宅にご迷惑だろうが」

「それは大丈夫。親父さんもお袋さんも留守だったから」

「そうか。――それならまあいいが、遅刻しないように早く休めよ。じゃ、父さんはもう寝るから。お休み」

 隆は二階への階段を上り始めた。みし、みし、と階段が鳴る。昇の家は三年前に買った中古住宅だ。それまでは賃貸マンションに住んでいた。健司の家から帰った後でみると、昇には家の中の全てがミニチュアであるように思えて来る。

 ま、仕方ねえか。向こうの親父さんは開業医、こっちの親父は電力会社のリーマンなんだから。

 おれも大学を出たらああいうサラリーマンになって、親父みたいに結婚して、こういう家に住むんだろうか?

 昇は普段、こういうしみったれたことは考えない。その代わりに全身の嗅覚を駆使して何か面白そうなもの、何か楽しいことを探しているのだ。

 まあ、これで慎の野郎にも一矢報いることができるというものだ。

 共有スペースに行くと、姉の由梨絵がメールを打っていた。

「覗かないでよ」

 由梨絵は昇の顔もみずに言った。昇は、

「おれも使いたいから、ちょっとしたら譲ってくれよ」

 と頼んだ。由梨絵は仕方なさそうにため息を吐くと、

「あんたはいつでもロック・バンドの情報しかみないじゃない。そんなの学校のIT教室でみられるんでしょ」

 と極め付ける。昇はムッとした。

「随分失礼な言い分じゃん。おれだって時には進学情報を調べたくなることもあるもんでね。――バイトしてんだったら、自分のPC買えよ」

「あれはだめ。まずは自動車の免許が取りたいんだから。パソコンはその次」

 と相手にしない。

 昇は風呂に入り、翌日使う教科書を揃えると、やっと空いたPCに取り付いた。行き先はもちろん「キングダムズ」だ。

 どうしようかな。おれも体験入会してみようかな。

 いや、でも姉貴がうるせえからな。姉貴のいない夕方なら使えるけど、多分そんな時間にはゲンちゃんはログ・インしていないだろう。

 しかし、月三百円からでいいっていうなら、おれでも入れるんだけどな。

 昇はどうにも自分の考えをまとめ兼ね、それが眠気から来るものだということにようやく思い当り、PCの電源を落とした。

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