繰り返さないために

「よく頑張ったわね!元気な女の子よ、テルマ」


産声が聞こえたと思えば、次に聞こえたのは歓喜極まる女性の声だった。おぎゃあ、おぎゃあと泣く赤子の声に負けないほどの歓喜の声。室内に満たされたそれは、たぶん幸福という温かい感情からの空気なのだろう。


「テルマ、よく頑張ったね!」

「元気に生まれてきてくれて、ありがとう…」


父も母も新たな命の誕生に嬉しく、歓喜し、そして涙している。これからの人生、この両親から惜しみない愛情を注がれて育つのであろう赤ん坊は、できれば幸せな人生を歩んでほしいものだと心の底から思う。


「ラルク…無事にお姉ちゃんになったわね」

「元気そうでなによりですわ。本当に、素晴らしい瞬間です」

「ああ…そうだな」


大人の邪魔にならないよう、部屋の端っこで事の成り行きを見守るしかなかった三人ですら、その感動や歓喜を感じ、知らぬ間に力んでいた拳から力が抜け落ちる。父の友人であるカルタさんとペルシールさんも、隣で喜びの表情を浮かべている。抱き上げられた赤ん坊は、お産の手伝いにやって来ていたリアとホスのお母さんたちにより、丁寧に洗われ。無事出産を完了した母は医者により容体を確認されている。子供である自分達はやはり、見守ることしかできないのが歯がゆく、若干の無力感を抱く。


「さあ、私たちは邪魔にならないよう、別室で待とうか」


この場にいても邪魔になるだけだと判断したのだろう。ペルシールさんはリアやホス、そして自分にそう声を掛けると背中を押しながら部屋を出るように促す。それに反論する必要性もないので静かに従い、部屋を後にする。寝室から追い出されてしまえば、行きつく場所は家で食事などをしている居間。三人家族に、時折祖父が来るだけなのでそんなに椅子はなく、カルタさんとペルシールさんは立ち、子供である自分たちが椅子に座って、連絡を待つことになった。正直、子供だからといって座らせらせてもらったことに、少々申し訳なさが出てくるが、変に気を遣っても逆に困らせてしまうので、ここは素直に甘えることにした。


「でも…なんていうか。私の知ってる赤ちゃんと全然似てなかった気がする」

「リアの中にある赤ちゃんの像を想像したくもありませんが、どう違ったのですか?」

「…ホス、あんた相変わらずいちゃもんつけるわね…うーん、なんて言うかこう…老けてみえる?」

「大体想像がついてしまったのでもういいですわ」

「リアが生まれた時と対して変わらなかったぞ?」

「父さん!敢えて口にしなかったのになんでいうの!?」


カルタさんの言葉に怒り心頭なリアであるが、今更恥ずかしがっているリアの方が不思議らしく、カルタさんは小さく首を傾げてさえいる。ホスやペルシールさんはむしろ、「みんなあんなもんだって」といった顔をして笑っている。むしろ、生まれた時の記憶なんて誰も残っていないのだから、気にするのもどうかしてる。と、カルタさんは言い放つ始末。ぐぬぬ…と顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに俯くリアが可愛くて、頭を撫でたい衝動に駆られ、それを密かに押し留めたのは内緒である。


「だけど、本当に無事生まれてきてくれてよかったと思うかな。もしテルマさんや子供になにかあったら…ヴェスターの暴れる姿が目に浮かぶからなあ」

「殴り合いなら大歓迎だ!」

「しねえよバカルタ。むしろお前が盾になって止めに入るべきなんだぞ」

「オレは剣しか使えんぞ?」

「言葉の綾を真に受けんなバカルタ」


相変わらずの言い合いに、リアとホスは少々呆れながら自身の父が喧嘩に発展しないよう傍に駆け寄りなだめる。その様子を微笑ましい気持ちを抱きながら笑っていた。


***


それから、後片付けなどもすべて済ませた後は、テルマが動けない代わりにホスとリアの母二人が夕飯まで作ってくれると、そのまま自身の相方である夫と子供を連れて帰っていった。ある程度の処置も終わったとして医者も帰り、お産で疲れたであろう母は寝室でぐっすり寝ている。父も緊張の糸が切れたのか、疲労が一気に襲ったようで母が寝るベッドの隣に寝転ぶと、秒で眠りに落ちていった。その姿に苦笑をこぼしながら、布団を掛けた後、自室に戻って来た自分はベッドに仰向けに倒れると、目を瞑りこれからの事を考える。


妹が生まれた。


前世では自身が一番下だったために、どうしようもない姉や兄はいたとしても、妹や弟という存在はいなかった。故にどう接していけばいいのかというのは、あまり想像できないでいる。本来なら自分が受けた方法を真似する、というのが一番いいのだろうが、生憎と前世での方法を真似すると、間違いなく性格が歪むだろう。胸を張って言いたくはないが、自分がそうなのだから間違いない。自分が気に入ったら、妹の所有物だろうとお構いなしに横から掻っ攫い、壊れたら投げつけるように戻してきた姉。自分の失態を、両親に怒られたくないからという理由ですべての責任を押し付けてきた兄。素直でいる方が馬鹿らしいほどに屑な二人がいたためか、彼ら二人に負けないようにと、できうる限りの知識や教養を詰めこみ、家族に頼ることなく生きようと決意したのも幼い頃だった。その結果、誰かに甘えることも、弱さを見せることもやめ、ただひたすらに己が持つ刃を磨いていった。当然、令嬢とは名ばかりの可愛げのない女の誕生である。


『令嬢?笑わせるな、アレのどこが甘い果実に見える?己の牙を研ぐのに忙しい獣だ』

『男として生まれていれば、さぞかしよい領主になれたでしょうに。誠、残念でしかたありませんな』

『あなたみたいな人を欲しがる人なんて、どこを探しても見つからなくてよ』

『まったく…品位を疑いますわ。この程度、令嬢として普通でしてよ?』


面倒と思いながらも赴いた社交界という場に、そんな人物が行けば、それはもう嫌われたものである。令嬢が、女性が、女が。政治などに口出しするなんて、おこがましい。身の程を改めた方がいい。嘲笑や冷笑。人間とは弱者をいたぶるのが好きな生き物だと悟ったのも、多分この時だったと思う。幸いにも、傷つくほどに柔い精神を持ち合わせていなかった自分は、そんな彼らの言葉すら興味の対象にはならなかったのだが。社交界デビューとして赴いたそれが、最初で最後の『令嬢としてきたドレス』だったと思う。それ以降、領地に篭り、成人した後は、男として振舞うことを選び、女であることを捨てたからだ。女であるから、舐められる。なら、男として統治すればいい、という発想は今思えばどうかと思うが、当時はそれが最善だったというのも事実である。思考が歪んだ人間の末路とは末恐ろしい。


今度生まれた自身の妹となる存在に、そんな末路を辿らせるわけにはいかない。母も父も妹を大切に育てるだろう。愛情というものがどういうものか、未だよくわかっていないが、大切な何かを守ろうとする心根が大事だと両親は言った。どう接していいか未だわからないが、できる限り優しくしていこう。自分が辿ったような人生を歩ませないように…。


「………よし」


ムクリと体を起こすと、壁際に置かれていた机へと脚を運ぶ。お祖父さんからいただいた、光の魔法陣が刻まれているランプに手をかざし魔力を送り込めば、部屋を淡く照らすほどの明かりが灯る。椅子に座り、机の引き出しにしまっていた白紙の本を一冊取り出すと、端に置いてあった羽ペンを手に取り、カリカリと書き進めた。綴っている単語は、1000年前に使われていた言葉で、内容は自身が体験した出来事や結果、知識などだ。


罪の意識を強めるのに、今まで行ってきたそれらを書き出すというものである。自分の中での決して消してはいけない記憶を書き留め、忘れないために。そして、それを抱えながら、今度こそ。誰かの役に立てるような人物になろうと。


(もう二度と、過ちを繰り返さないようにと)


内側に溜め続けていたそれらを吐き出すかのように、ペンを走らせていく。書きあがったときには、あと数枚で書くところがなくなるほどになっていた。書き上げたところに今日の日付を書き込み、本を閉じる。そして、今や多くの魔導書が入っている本棚の一番下の端へ。静かに書き上げた本を仕舞った。こういったものは、同じものの中に紛らせるのが一番だと、誰かが言っていた。前世の記憶で、だが。


「……さて、寝るか」


今日は色々とあったのだし、もう寝ようと灯りを消すとベッドに潜り込む。目を閉じると意識はあっという間に沈んでいった。朝、父の元気いっぱいの挨拶と抱擁によって起こされるまで、意識は浮上することはなかった。

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