母が大変だそうです

「あー…そ、そういえばラルクのお母さんもう直ぐなんだっけ?」

「お母様はお元気ですか?」


急に恥ずかしくなったのか、リアは話題を変えるように妊娠中の母について尋ねてきた。その様子にホスも自分も微笑ましく思いながら、家の中であった医者と両親たちの会話を思い出し口にする。


「ああ、いつ生まれてきてもおかしくないらしい。二人とも楽しみにしてる」

「まあ!それは素敵なことですわ」

「妹か弟ができるんでしょ?ラルクもお姉さんかー」

「きっと素晴らしいお姉さんになれますわ!これから生まれてくる子もきっとラルクを大好きになって、後を追いかけてくる日が来る…ああ、なんて可愛らしい光景なんでしょう」


……なぜそんなに目を輝かせているんだ、ホス。


「ちょっとホス、いくらなんでも気が早すぎでしょ」

「そしてラルクとわたくしとの三人で一緒に楽しく遊ぶのですわ」

「そしてなんであたしは除外されてるのよ!」

「心外ですわ。リアもちゃんといらっしゃいますのよ。私たち三人を影から恨めしそうにこちらを眺めているだけですが」

「それ最早カヤの外じゃない!!!」

「あら意外ですわ、そんな難しい言葉、ご存じでしたのね」

「あんた本気でケンカを売ってる?」

「いえ、私は商人の娘として利益にならないケンカなど、好き好んでやりませんわ」


だが、リアを弄るのはやるんだな…ということを内心で呟きながら苦笑しながら二人のやり取りを見守ることにした。考えてみると、自分に妹もしくは弟という存在ができることに対して、少なからず不安はあった。前世にいた家族では姉と兄であり自分より下という存在はいなかったのである。それに、家族間は殺伐としており、自分と他家族たちとは価値観どころか意見すらまともに揃ったことがない。家族として過ごしていた幼少期ですら、嫌な思いでしかなく、更に自分は未婚のまま一生を終えている。察しはつくだろうが自分に兄弟姉妹としての接し方は勿論、赤ん坊への対応すらなにも知らない。この先の日々をうまく過ごしていけるのか、不安を抱かずにはいられないのだ。


(なるようになれ、なんという不確かな状態で経営なんてしてたら、それこそ先行き不安だらけで目も当てられない。だが、数字と違って、対人関係に正解などという選択肢なんて存在しないのも事実だしなあ。)


人の心ほど、予測不能と昔教えてくれた教育係は言っていたが、確かに相手の心がどう動くのかすべてわかっていれば、家族連中の行動を把握し、裏で何をしているのかを読み取り先手を打って止めることもできただろう。そうすれば、少しはあの領地も持ち直せたかもしれない、が。結局できないことを望んでも仕方ないことである。あまり好きではないが、こればかりはその時々の対応で乗り切るしかないと、諦めることにした。


「あ、いた…!」


色々と白熱していた二人と、思考が深みにハマりそうになった自分を引き戻したのは、随分と切羽詰まった声だった。何事かと声が聞こえた方に視線を向けると、そこに居たのは、まさかの見知った顔。辺境の騎士団に所属している、リアのお父様、カルタさんである。赤みがかった黄色の短髪に黄土色の瞳はリアとそっくりで、ホスが「リアは確実にお父様に似ましたね」と言っていたほど似ている。ホスがよくリアをからかう際に(からかいの類だと自分は信じている)、リアのことを「体力だけが取り柄」と言っているのは、なにもリアの元気有り余る姿だけが問題ではない。この人もまた、「体力だけが取り柄だから」と本人が豪語するほどの有り余る体力を有しているのである。どれぐらいかというと、20人以上の子供たちとの鬼ごっこに全力で挑んで、余裕で勝利を収めるぐらいには元気である。ちなみに、その鬼ごっこも一回で終わらず、酷いと五回ぐらいしているが、一切息が乱れていなかったのは流石の一言である。


「ラ、ラルクくん!」

「あ、はい」


そんな人の口からでた名前は、予想外なもので。名前を呼ばれたため反射的に返事をするが、音色に若干驚きがあったのは致し方ないことだと思いたい。いやだって、全速力で走って来るほどの何かがあったのだろうことは、なんとはなしに察することはできたが、まさか実の娘でない人物の名前が出るとは、思ってもみなかったのだ。ちなみに、カルタさんの中では、自分は男の子の部類に入っているようである。理由はまあ、着ている服が男の子と同じ服装だし、なにより口調が女の子みたいに可愛くないからだろう。呆けた表情を浮かべてさえいたかもしれないが、この際は大目に見て欲しいところである。


「どうしたんですか?」

「君のお母さんが大変なんだ!!」

「!」

「え、父さん…大変って……」

「早く家に帰った方がいい!!」


大変なんだ、といわれた言葉に思わずカルタさんを見ながら硬直した。妊婦である母が大変だといわれたそれは、不安を抱くに十二分である。もしかして、足を滑らせお腹を打ったのだろうか?それとも散歩中に何かの事故に巻き込まれた?いつも元気いっぱいな子供のように無邪気な笑顔が似合う人が、異様に慌てている姿もよくない方向に思考が持っていかれる要因だろう。リアもなにがあったのかと話しかけるも、一秒でも惜しいかのように「急いで!」と急かされる。そんな中、聞きなれたもう一つの声が聞こえる。


「あ、あいか、わらずの…体力バカと、いうか…なんと、いう、か…」


膝に手をやり、乱れた呼吸を整えようと必死に深呼吸を繰り返しながら話していたのは、王都にまで仕入れなどを行っている大きな商会『アルタイト商会』の会長にして、ホスのお父様、ペルシールさんだった。どうやら、走って来たカルタさんを追いかけてきたようなのだが、その顔色は最早青白く、死にかけていると思えるほどに酷い。いつもは、若草色の長髪を綺麗に後ろで一つに束ね、物腰柔らかで笑顔が絶えない筈の人が、今や肩で息をしつつ悪態までついている。ホスも自身の父の姿に驚き、駆け寄ってしまうほど酷いものだ。まあ、騎士として日々鍛錬しているカルタさんに対し、商人であり体よりも頭を使った方が得意と言っていたペルシールさんでは、体の鍛え方がそもそも違うのだから、体力差が大きいのは当然だと思うが。


「お父さま、どうしたのですか?走るなんて一体…」

「だ、大丈夫だよホーナリス。あのバカの体力が底抜けだっただけだから」

「ぺルー!お前相変わらず足遅すぎだろ」

「煩いこの体力バカ!それと、お前は言葉が足らなすぎなんだ!」

「ん?なんでだよ、戻れってちゃんと伝えたぞ」

「ああ、お前のバカでかい声は聞こえていた。そして、言葉が足らなすぎる。不安煽ってどうすんだこのバカ」

「な!バカバカいうんじゃねえよ!せめて一回にしろっていつもいってるだろ!」

「そういうところもバカなんだよバカルタ!」

「そこは一緒にするなよ!」


まさしく、「ああいえばこういう」状態である。自分の父ヴェスターに聞いた話なのだが、実は父含めたこの三人は同い年であり幼馴染で大変仲が良いと聞いたのだが…やはり、商人として感情などを悟られぬよう振舞っているペルシ―ルさんにとって、自分の感情一直線なカルタさんとは気が合わないのだろうか。いや、でも父も同じように感情的な部分が強い気がするのに、父とは楽しそうに会話をしているので、そんなに苦手ではない筈なのだが。


(ああでも、顔を合わせるたびにだらしなく顔を緩める父も、母に出会うまではあまり感情を出さなかったと聞いたような気がする)


つまりは、ちゃんと切り替えて対応しているということなのだろう。だから、ペルシールさんと話している時は落ち着いているように感じた。確かに、感情や思惑を悟れぬように微笑を浮かべながら、互いの腹の探り合いな会話ばかりも疲れるが、カルタさんみたいに要点だけを言ってきて他の詳細がまるっきり纏まってないような奴を相手にするのも疲れるものである。正直って、貴族社会の中であのタイプはあまり生きていられないと思ったものだ。実際、馬鹿丸出しなとある男爵様は、その後も交渉が上手くいかず、逆にその馬鹿さに目を付けられ、色々と投資に手を出し結局没落の道を辿ったようである。一応言っておくが、自分はお取引願っているので没落には加担していない。目先の金ばかりに目がくらんだ自業自得な結果である。


「ああもう!今はお前のバカな会話をしてる場合じゃないんだよ!ラルクちゃん!!」

「え。あ、はい」

「さっきテルマさんに陣痛が始まったんだ!」

「!?」

「お医者さまはさっき呼んで向かわせてるんだけど、君も戻った方がいい。お母さんの傍にいてあげたいよね?」


なるほど、とカルタさんが大変な状態だと言っていたことの意味を内心で静かに理解した。確かに、お産が始まっているのなら母は大変な状態に間違いはない。一言、そう付け加えてくれれば変な方に思考が持っていかれなかった。


「このバカルタに担いでもらえば、早く着けるだろう。私たちは遅れてでも向かうから、先に行きなさい」

「おい、だから一緒にするなって」

「いいからお前は、一回黙って動け」


ぴりゃりと言い放つペルシールさんに、ブツブツを文句をいうものの、言わんとしていることは伝わっていたようで。お腹辺りに腕を回したカルタさんは、ヒョイと自分を小脇に抱え上げる。そう、小脇にである。短いとは言え自身の腕と、地面が視界を埋める。


「んじゃ、行ってるぞ」


言い終わるが早いかどうか。小脇に抱えたカルタさんはそのまま地を蹴り走り出した。後ろでペルシールさんが「その持ち方はやめろバカルタ!!」と叫んではいたものの、聞き入れられることはなく。小脇に抱えられたまま風のような速さで運ばれるという姿は、すれ違った色んな人たちに珍妙なモノを見たという表情をさせていく。早いのは確かなのだが…正直、泣きたい気分になったのは言うまでもない。

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