精一杯の償い

「ラルクちゃん、夕飯ができたってお父さんを呼んできてくれる?」

「わかった」


読み耽っていた書物から視線を外し、パタンと音を立てて本を閉じた。意識してみると、室内には美味しいそうなシチューの香りが漂っている。今日の夕飯はシチューかと心が僅かに浮足立ちそうになるところを悟られるように、冷静を装いながら座っていた椅子から飛び降り、外で巻き割をしている父を呼びに動いた。今年で4歳になった自分は、優しい両親に育てられながらスクスクと成長を遂げていた。子供というのは本当にいろんなことの吸収力に優れていると、転生した身としては改めて思う。知らないことが多いはずのこの時代に、すぐさま順応していることがまさにその賜物である。



ラルクとして今生に生まれてしまった自分は、今後どう生きていこうかと一時的に悩んだ。悩んで悩んで、悩みぬいた結果…今生は静かに生き静かに死のうということだった。それは、前世で生きた自分とはまるっきり反対の生き方である。


本来なら、悪役の限りを尽くしたとされる領主である自分が、苦しんだ人たちを忘れて楽しむなんて、と思う気持ちはあった。自分たちの私腹を肥やすために、領民達から徴収する税を引き上げた父に、低賃金での労働を強いる叔父、徴収した税でそんなに使いもしないドレスを何着も作らせる母と姉に、広い庭が欲しいからと税を払わない領民の土地を奪い改築の依頼をする叔母。麻薬に手を出して人格を破綻させた兄。悪の一族と言われ領民達が怒り狂うのも無理はない状況下にした一族だ。最終的には領民の怒りが爆発し、領主が住まう屋敷へ暴動、屋敷は燃え落ち、悪の一族はみな処刑されたのである。――若い順から死刑を執行してたようだったが、一番下であった自分が最後に殺されたのは何故だったのかという疑問もあるが、今や知る術はない。――


そんな悪の一族である自分が、1人のうのうと生きている。許されるわけがない。


だが、転生という形で生まれ変わった自分にそれを罪として背負うとするも。この世に受けた身体、しいては『ラルク』という本来生まれるはずの人格を奪っておいて、過去の自分の清算をさせるというのはどうかとも思ったのである。『ラルク』という人物は本来、そんな過去とは無縁の幸せな人生があったはずである。周囲の反応を見ると特にそう思った。


昔は目つきが鋭く、怖い印象を持たれていた頃とは違い、切れ長な目は若干の鋭さはあるもののどちらかというと綺麗な顔付きに、キラキラと輝きがある千草色の髪、そして何より引き込まれそうなほどに綺麗な、紫に近い薄明色の瞳である。父や母の可愛がり方を聞く限りでは、明るく元気があり、少しやんちゃな部分があった可愛い女の子だそうで。将来は、いい婿を見つけて幸せになるだろうと願われるぐらいには、両親はおろか近隣の人たちにすら可愛いと評判だった。そこに、イレギュラーよろしく入ってきた『自分』という存在によって、あったはずの未来を壊していいのだろうか、と。


色んな葛藤の末、【幸せを求めるのでも、罪悪感や罪に溺れるのでもなく、静かに生きて静かに死のう】という考えに至ったのである。目立たず、騒がず、「あら、そこにいたの?」ぐらいの価値しかない存在でいようと。あまり周りの人と関わることを遠慮したせいか、明るく元気な女の子、ではなく落ち着いていて、物静かでとてもおとなしい子へと変わったのは、その意思のせいだろう。可愛いより綺麗系であったのが功を奏したのか、むしろその方が『らしい』といわれることが多い。母だけは「なんだか面倒臭がっているというか、気だるそうというか」と見抜かれてしまったのには焦ったが。とにかくそれが、今の自分に出せた精一杯の答えだった。


――だが、後に自身が世界中に注目されるほどの逸材になってしまうとは、このときのラルクは知る由もない。




「お父さん、夕飯できたらしいよ」

「ん?そうか。じゃあ、これで最後にしようか」


家から出て直ぐ裏手に回ると、切り株の上に、まだ割られていない短い丸太を立てていた父の後ろ姿があった。母の言われた言伝を父に伝えると、それはもう嬉しそうに頷く父に少し呆れた表情を思わず浮かべた。今生の父は愛妻家であり、更に娘に対して親バカであるようで、毎日食べている料理にも「大好きな奥さんが作ったこんなに美味しい料理を、可愛い可愛い娘とも一緒に食べられるオレは幸せ者だ」と言うぐらいには溺愛している。正直言って、少し生えた髭のまま頬擦りしてくるのは、微妙に痛いので勘弁してもらいたいところであるが、無下にするわけにもいかないので三回に一度は拒否する程度に留めている(拒否しないという選択肢は残念ながら今の自分にはない)。


「よし。んじゃ、よっと」


父は丸太を置いた切り株から少し離れると、右手を突き出しながら短く掛け声を上げる。一体、何をしているのかと思われるその行動だが、勿論これにもちゃんとした理由がある。そう、ちゃんとした理由が。


掛け声と同時にフワリと父の髪が僅かに揺れ動く。それに習って突き出した手の先に僅かな薄緑色の光が集まっていき、そして――。


パコンッ

「――っと、終わり」


立てられていた丸太は、斧を用いてすらいないのに綺麗に縦に割れたのだ。自分が今生に生きて一番驚いた技術。

そう、この世界には前世にはなかった『魔法』という技術が存在しているのである。


魔法に関連する書物を読み漁りわかったことは、魔法という技術が扱えるようになったのは今から500年ほど前だということだった。世界中に空気のように満ち足りている『マナ』という、魔法を発動するために必要なモノを使って、現象・事象を引き起こすそれは、適正や知識さえあれば誰でも使えるということらしく、父にも適正がありこういった日常的にしばしば使っていたりする。


今行使された魔法は風魔法の一種で、風を圧縮し鋭い刃のようにしたものを放ち丸太を切ったのだという。あまりの発達した技術である『魔法』に、昔から探求心と好奇心が多かった自分はあっという間に魅了されたのは、言うまでもない。しかも、この国は魔法を使うことや習うことを推奨しているようで、適正者でなくても誰でも教えを乞うことができる場所があるという。そしてそこは、自ら望めば働きながら魔法に関する研究や実験などを気が済むまで行えると聞く。将来などという、漠然としたものを描く気力はなく大きくなったら修道院に入ろうと考えていたのだが、そこで一生を捧げている者もいるとなれば、そこで皆の役に立つ研究をしたうえで一人静かに余生を送れるのでは、と考えたのである。


(唯一の難関といえば、この父が手放してくれるかどうか……)


割り終わった薪を家の壁に沿って積み上げられた薪の山の上に乗せ終わった父は、意気揚々と娘の自分を抱き上げると、軽い足取りで表へと向かっていく。近隣の人たちからも親バカと言われるこの父が、果たしてそこで一生を送る、などということを許すかものだろうか………。


(駄目なら、家出をするしかないが)


だらしなく緩んでいる父の、幸せそうな横顔をみつつ。

できれば可能な限り説得しようと密かに心に誓っていた。

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