前の記憶と今の記憶

幼い子供に読み聞かせるお話というのは、英雄譚やお伽話のようなモノが多いというのは知っている。子供達に善となるもの、悪というものを最初に教え込むのに最適な教材だからである。自分達もこうなるかもしれないという善の行い、こうしてはいけないという悪の行い。価値観や見方によって変わるものも存在するし、全てが善悪で割り切れるほど世界は甘くないということは、大人なら誰でも知っているのだが、子供達に教えるには難しい。まずは、善悪の判断を育てるところから、という所要にも皆納得している。そして、その読み聞かせる内容が実話からお伽話へと変えて読まれていることも不思議ではない。そう、不思議ではないのだ。


それが、1000年前に起こった他国の土地の話でも、例外ではない。


人づてに伝って囁かれ、噂されたその話を書き留める者がいてもおかしくはない。物語の書き手というのは、以前あった実話を聞き、それを書き起こし残すなんてことも多大にあった。それが街だけに終わるところもあれば、他国へと渡りいろんな地域で語り継がれることもある。勿論、年数を重ねるごとに内容もその国や時代の背景に合わせ、読みやすくしていくため、大元からかけ離れてしまうこともあるのだが。いかんせん、重要である「悪役がやった行いに対する罰」というのは、あまり変わらないものだ。


『黒き領主の運命』などというお伽話も、例外ではなくそれに分類していた。色々と違うところはあったが、最後は領民の暴動により領主の悪事が公に晒され、王の命令によって公開処刑もしくは追放され、領主を追いやることに成功した英雄が領地を治め直し、人々が平和に暮らせました、めでたしめでたし。という、お伽話の代表作と言えるものである。そして、この御伽話はなんとこの国――『カーディナ王国』に伝わる一番有名なお伽話である。男の子も女の子も、今いる大人達もみんな、このお伽話を聴いて育ったと言っても過言ではないほどに聞かされるそれは、例外なく幼い彼女も聞かされていた。


「こうして、みんなを苦しめていた悪い領主さまは、勇敢にもその悪さを暴いた青年によって領地から追い出され、悪の領主から救われた土地は青年の力によって平和な場所へと変わったのです。それからはずっとずっと、平和で優しい土地へとかわったそこに暮らすみんなは、誰もが笑顔の絶えない、素敵な場所へと変わったのでした。めでたし、めでたし」

「みんなしあわせになれて、よかったね!」

「そうね。ラルクちゃんも、この悪の領主さまの様にみんなを苦しめるようなことはしてはいけないわよ?」

「はは、こんなかわいいラルクはそんなことしないさ」


大変悲しく、大変誉れ高き英雄。こんな悪の象徴たる領主のようになってはいけませんよ。そう言われるそれらに、普通の子供は無邪気に頷き、そして言いつけを守ろうとするのだろう。普通で、あれば。


無邪気さで可愛い笑顔を浮かべる二歳になったばかりの娘の頭を撫で、仕舞には抱き上げ笑顔を浮かべる父も。そんな二人の姿をみて幸せそうに微笑む母も。そうやって言い聞かせている子供が、その物語の悪役として君臨していた領主本人であると、露も知らずに言い聞かせていた。




カーディナ王国にある多くの領地のうちの一つ、国の端にあたる田舎領地に住まうエーデルハルト一家。そこの長女として生を受けたラルク・エーデルハルトは、普通の子供と違う部分があった。それは、『前世の記憶を保有している』ことである。それは生まれた時から保有していたわけではなく、ラルクが3歳の時に途中から追加された記憶だと、ラルク自身は認識していた。


記憶が蘇った理由としては、父親と一緒に山へキノコや木の実を取りに行った際、誤って崖から足を滑らせ頭をぶつけたせいである。不幸中の幸いは、落ちた崖が大人にしてみれば腰よりも低いほどの高さだったことだろう。幸運にも重傷となるほどの怪我はしなかったが、父親は気を失った娘を慌てて抱え医者の元に連れて行ったのは言うまでもない。そして、頭のコブ以外は体に異常はないと診断され、自宅のベッドに寝かされたわけである。そして、目を覚ました時には前世の記憶が蘇っていた。なんとも不思議で可笑しな話だ。


勿論、前世の記憶を思い出したラルクは困惑した。自分はあの時死んだはずなのにと、慌てて自身の首に手をやり、確りとまだついていることを確認してしまうほどに。そして、見えた己の手が異様に小さく、また見慣れない景色にただただ唖然茫然であった。無事に目覚めた娘に、父親も母親も安堵のため息をついた。痛いところはないかと心配気な音色で語り掛け、抱きしめる母親の温もりも、その二人を見守る父親も前世の記憶には全く知らない。ラルク自身の記憶としてあったことで理解はできてはいたが、ただ受け入れるのに時間が掛かるのは必然であった。


「ここ、は…」


戸惑い、困惑の声がラルクの口からつい零れ落ちるも、両親は山にいた筈なのに家に帰ってきていることに驚いでいるのだろうと、特に気にも留めなかった。ただただ、娘が無事だったことを心の底から喜んでいる。


「まだ痛むかもしれないわ。今日はゆっくり眠りなさい。夕飯ができたら起こしてあげるからね」


そういって優しくラルクの頭を愛おしそうに撫でる母親は、抱きしめていた我が子から離れると父親を連れて部屋を出て行った。ただ一人残されたラルクは。


「………どう、なんているんだ?」


そう、ポツリと誰もいない空間に呟くほかなかった。


記憶が戻ってからのラルクは、とりあえず今の現状を知ろうと家にあった書物や父と母の会話を聞き理解しようと必死だった。知らない年号、知らない街、知らない国……多くのことを貪欲に求め始めたのである。そんな娘の様子に両親は怪訝に思うものの、娘が望むならと色んなことを教えていった。


最初は少しずつと伝えていたのだが、飲み込みが異様に早いラルクに、次第に多くの事をまるでその真新しい記憶という倉庫に詰め込むように教えていった。三歳児にしては可笑しいはずのそれだが、第一子であった両親にとって、ラルクの異常なほどの成長に対しあまり疑問を抱かなかったのも起因している(あと半分以上が、父親の娘に対して甘すぎる点も追加しておこう)。そんなことを毎日続ければ、ラルクはわかり得たことをほぼほぼ理解していた。そして、今のこの世界が、自身がいた前世より遥か未来であることも。






(つまり結論から考えるとこれが所謂、前世の魂が巡るという『輪廻転生』という現象か)


そうやっと納得できたのは、記憶が戻って二週間ほど経った頃だった。自身が今住む『カーディナ国』は前世の時にいた国を更に発展した国であり、その歴史は1000年以上となるということも。名前が変わっているのも、紆余曲折を経て今の名前になったと歴史書に書いてあった。1000年前の歴史を読み漁ると自分の知っている知識とほぼほぼ変わっていないことから、ここは前の記憶で言うと『未来の母国』で間違いないだろう。自身がいたあの頃よりも色々と発展している世界。見るモノ、聞くモノが真新しい知識ばかりで湧き上がる探求心や好奇心を抑えるのに必死でもあったが、なんとか答えに辿り着いた。よく我慢できたと褒めてやりたいところである。


(なぜ、自分が新しい人生を与えられたのかはわからない、が。)


今の現状を理解することはできた。そして生まれ変わった自分は『ラルク・エーデルハルト』という平民といわれる身分の一般家庭、そこの長子として生まれたことも。僅か3歳にして、前世の記憶含む36歳分の知識を有することになった時点で、子供らしさを置き去りにしてしまったことも。――この記憶を持っている状態で、子供らしく振舞おうとする方が、ボロが出やすいと考えた結果だと一応主張しておこう。


そして、すっかり変わってしまった自分を、両親が受け入れてくれたのも、丁度人格が構築し始める年齢だったからだろう。口調が落ち着いて、言葉遣いも子供らしからぬ部分が多かったのに、気に留めることもなく。一年ほどそうやって過ごせば、もはやそれが普通となっていた。慣れというのは恐ろしいものであると、シミジミ思っている。前世の記憶と今生の記憶。二つの記憶を保有することになる自分はどうしたらいいのか。考えた挙句、導き出した答えは――――。

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