第6話 異なる世界
「ウェンフィルバーナ…… そうか。出身は?」
「くく、出身か。忘れた、でいいかい? 故郷を思い出すには永く生きすぎているからね」
遠い目でウェンフィルバーナが炎を見つめる。
そういう設定か? ならあまり突っ込まない方が良さそうだ。
遠山は質問を諦め、ウェンフィルバーナと名乗るコスプレ女を見つめる。
ぴこり、ぴこり。上機嫌の犬のように動く耳。どういう仕組みなんだろうか?
「ふむ…… まさか本当にエルフを見るのは初めてなのかい? キミこそ出身はどこだい? 」
「出身……? ヒロシマだ。ヒロシマのキタヒロシママチ」
脳裏に浮かぶのはあの寒い町。誰もいない部屋で食べる冷えたコンビニ弁当。
そして、酒に酔った父親の叫び声と、母親の泣き声。
今、思い返すことじゃないか。遠山は小さく自嘲気味に笑った。
「ヒロ……シマ? ふむ、ふむ……」
ウェンフィルバーナが何かをかんがえこむ仕草で押し黙る。ヒロシマが何かまずかったのだろうか。
あ、そういうことか。
「あ! 悪りぃ、言葉が通じるもんだからつい。日本だ、ジャパン、日本のヒロシマっていう地域の出身だ」
遠山が言葉でフォローする。
「に、ほん…… へえ、なるほどね。ニホンのヒロシマか…… ふむふむふむ」
ウェンフィルバーナが焚き火に手を当てながら呟く。きい、きい、ロッキングチェアがわずかに揺れた。
「トオヤマ、キミが出会った奴、何か言っていなかったかい? キミについてだが……」
「俺の事を? えーと、あいつはダンジョン酔いに飲まれてたからな…… あまり聞いてなかったが…… そうだ、俺の事をエルダーとか、化け物とか呼んでたな。まあ、酔っぱらいの妄言だろ」
「ふむ、エルダー…… たしかに今日、奴が貸切にしていた塔で遭遇する人間と言えばエルダーだと思うのが普通だね。それか、私のようにギルドに黙って忍び込んだ下手人か…… ふふ」
「……待て、エルダー? まるでアンタもそれが何かを知っているような言い草だな」
そんな言葉は聞いたことがない。エルダー、化け物、どんな意味なのだろうか?
「ほう、エルダーを知らない…… トオヤマ、もしかしてキミはギルドに所属している冒険者ではないのか?」
「ぎ、るど? 組合の事だよな? いや、えーと、端末があいつに壊されたんで証明は出来ないけどよ、間違いなく探索者組合に所属しているぞ。怪しいんならあれだ、ウェンフィルバーナ。アンタの持ってる端末で確認してくれても良い」
「……キミは嘘を言っているのでも、狂っているわけでもないね。風がそう告げている。いや、信じるよ、トオヤマ。キミの言葉を私は信じよう」
「あ? そうか、そりゃ助かる。あの鎧野郎は、問答無用で襲いかかってきたからな…… 、 あ、そうだ。ウェンフィルバーナ、これなんだが……」
遠山は鎧騎士から剥ぎ取った金色の印章をポケットから取り出す。
「く、くくくく、キミ、それ何か知ってるのかい?」
ロッキングチェアに座ったままウェンフィルバーナが笑う。
「いや、分からん。鎧野郎の死骸を探った時に兜に貼り付けられてあったんだ。端末持ってなかったから、身元の確認になると思ってな」
「くく、なるとも。何よりの身元確認の証だろうね。ふふ、ああ、面白いなあ。まさか第1等級の冒険者勲章が剥がれてる所を見ようとはね…… 本当に一度死んだのか、あの忌々しいトカゲ女め」
遠山の差し出したそのタグのような物をウェンフィルバーナが眼を細めて見つめる。
「これがなんなのか知ってるのか? 自衛軍のドッグタグ型の端末に似てるけど…… 金色のは初めて見るぞ?」
「そうかい。それはキミが持っておくといい。役にたつよ、近いうちに必ずね」
猫のように笑う耳長の女。嫌な笑い方だ。遠山はわずかに顔をしかめる。
その時。
グウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
腹の底に響く重低音。ヘソに抜け丹田を揺らす。
「な、なんだ?!」
「くく、これは参ったな。想像よりも早く蘇ったみたいだね。……今日の所は引き返そう。チャンスはまた次の機会だ」
ウェンフィルバーナがよっこいしょとロッキングチェアから立ち上がる。
「よ、蘇った? 何が? てか、あの声……」
「おや、少し察しているのではないかな? アレは死した竜がこの世に帰って来た咆哮だ。キミが始末した竜の巫女が黄泉の国から帰還したのさ。ヤツを本気で殺すにはそれなりの準備がいる」
ウェンフィルバーナが指を鳴らす。それを合図につむじ風が巻き起こり、焚き火の火を消した。
「さて、ここから離れることをおすすめするけど、キミはどうする? トオヤマ、キミさえ良ければ出口まで案内するよ?」
状況が未だ、掴めない。それでも今は安全なところへ帰還するのが先だ。
遠山は頷いた。
「……わかった、悪いが付いていく。テントや椅子はどうするんだ?」
「ああ、これは置いていくさ。そもそもこれはどこかの誰かが置いていったものだからね、再び別の冒険者の助けになるだろう」
ウェンフィルバーナはテントを一瞥したのち歩き始めた。遠山もそれに追随する。
地鳴りのように叫びが響き続ける。ビリビリと腹の底に伝わる振動に、身体の芯が怖じける。
「くく、竜は相当にご立腹のようだね。どうやら手酷くキミにヤられたらしい」
「あー…… え、何、マジでこの叫びあの鎧野郎のか? 蘇ったっていうのは何かの例えとかじゃなくて、マジのこと?」
「ああ、その通り。竜は7つの生命を与えられてこの世界に生まれ落ちる。子供の頃にお伽話を聞かされなかったかい?」
「……あいにくネグレクト気味の家庭でな。国語の教科書で出る物語ぐらいしか知らない。え、待って、竜? 誰が? あの鎧野郎が?」
「くく、ああ、なるほど。ほんとにキミは何も知らないんだね」
遠山の斜め前を歩くウェンフィルバーナが喉を鳴らし笑う。
遠山にはやはりこの女が何を話しているのかがイマイチ分からない。
「お前の言うことが俺にはイマイチ分からん。なあ、確認だけど、ここはバベルの大穴だよな? 何階層になる?」
遠山の質問が石畳の空間に響く。ウェンフィルバーナの尖った耳がぴこり、動いた。
「くく、読み物で読んだ通りだ。ほんとに話がうまいこと伝わらないんだね。ワタリビトとは」
「は? ワタリビト?」
遠山がその言葉をおうむ返しにしたその時。
きらり。
出口、光が差す。松明の光ではなく、外から差し込む明かりが見えてきた。
「トオヤマ、と言ったね。ご覧、出口だ。私の予想が正しければ、キミはきっとその光景に驚くと思う」
「……」
なんだ、こいつ。遠山はウェンフィルバーナの言葉の意図がつかめない。
しかし、出口があるのは助かる。手近なセーフハウスを探して、自衛軍や組合に救援を頼めばーー
「トオヤマ、1つキミに伝えなければならないことがあるんだ」
足取りをそのままに、ウェンフィルバーナがポツリと言葉を漏らした。
「なんだ?」
「知らない」
「は?」
出口が近い、通路に差し込む光が強く大きくなる。
「知らないんだ。ニホン? ヒロシマ? バベルノオオアナ? タンサクシャ? キミの言葉はどれもが始めて聴く言葉だよ」
は?
「トオヤマ」
歩みは止まらず。
「一体キミはどこからきたんだい?」
ーーあ?
ヒュオオオオオ。
風が顔に砕ける。
広がる青い空、白い雲。
眼下に広がる、建物。街。
遠くには壁か? 街並みの奥に遠近感も掴めないほど巨大な壁がそびえ立つ。
「あ…… あ?」
遠山の目の前に広がるのは、地下に広がる異なる世界、現代ダンジョンではない。
ここは、ここは。
「ここはニホンでも、バベルノオオアナでもない。冒険都市アジャスタが誇る神秘の地、ヘレルの塔さ」
ここは、どこだ。
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