第5話 耳長




「……え、耳、え?」


「くく、私の耳がどうかしたのかな? エルフを見るのが初めてでもなかろうに」


「え、るふ? エルフってあの指輪物語とか、ファンタジーの? いや、そういう設定……か? コスプレ?」


「ん? なんだい、キミ、本気で混乱しているね。まあいい、それよりも先に確認しておかないとね」


遠山の狼狽を他所に、異様に美しく、異様に耳の長い女は被りを振るい、焚き火に近づく。


「風よ、あまねく風よ。奴らの生死を教えておくれ」



紡がれる言葉は歌うように。


また不可思議に風が辺りを柔らかく包む。そよ風が舞い、遠山の頬を撫でた。



風が止むと女が細い肩を震わせながら、笑い始める。


初めは小さく押し殺すような笑いだったが、次第にそれは抑えれなかったのだろう、大きく大きく笑い出す。



「くく、あはははは。驚いた、本当に死んでるじゃないか!! 風が奴の血の匂いを運んできた! ふふふ、見事だ、こんなこともあるのか! あはははははは!!」


とうとう女は腹を抱えて笑い出す。


大丈夫か、こいつ? 遠山は女の笑い声が怪物を引きつけないか少し心配になった。



「くく……はー、笑った。久しぶりに笑ったよ。入念に準備した計画に、まさかこんなことが起きるとは…… 人生とは面白いものだ、本当に」


目尻に溜まった涙を、細い指でぬぐいつつ女が話す。


ぴこぴこと耳が緩やかに上下した。


「ふう…… トオヤマ、だったね、掛けてくれ、見たところかなり疲労しているみたいだ。ほんの少し休んで行きなさい」


女が焚き火のそばを指差す。


どうする、遠山は少し悩んだが、キリヤイバの使用で疲労尽くした身体の訴えを無視することは出来なかった。


促されるままに焚き火の近くに座り込む。ひんやりした石畳とじんわりとあたる火の温度が心地よい。


「よいしょっと…… ほら、キミの武器だ。丸腰にしてすまなかったね、返すよ」


「……いいのか?」


ロッキングチェアにかけられていた遠山の武器を女が差し出す。槌と拳銃を遠山が手を伸ばし受け取った。


「ああ、問題ない。キミからは今のところ敵意が感じられない。ひどく……疲れているからかな? えーと、すこし待っておくれよ……」


女がモコモコの外套、自分の懐に手を入れる。奇妙な服装だ。探索者の好む実務的な服装ではない。


その華美さや手作り感はまるで民族衣裳のような。


「ああ、あったあった。ほら、これを食べるといい。疲れによく効くんだ」


そう言って女は懐から包みを遠山に差し出し、その中身を開いた。


漂うのは甘い匂い。焚き火に巻かれた空気とともに甘い匂いが鼻をくすぐる。


清潔そうな包みにくるまれていたそれは乾いた焼き菓子のように見えた。


「クッキー……か?」


「くっきー? いや、これはエルフの郷土料理でね。スアラって言うんだ。王国ミツバチの蜜を小麦粉に練りこんでかまどで焼いた携帯食料さ。美味しいよ?」


しゃがんだ女がにひひと笑う。整いすぎた顔が浮かべる笑顔は遠山から警戒を奪う。


ああ、まあいいか。もう疲れたし、可愛い子からくれるお菓子ならいいだろ。


それに毒があってもキリヤイバがなんとかしてくれるし。


遠山は考えるのが面倒になり素直にその焼き菓子へ手を伸ばす。


不思議なことにほんのりと暖かい。つまんだそれをひょいと口に運び、噛み砕く。



「あ、うまい」


噛み砕いだ瞬間、はちみつの優しい甘味が広がる。硬い生地をぽり、ポリと噛み砕くたびに鼻に抜けるはちみつの香りが疲れを癒していく。



「ふふ、口に合ったようで何より。おばあちゃんのレシピなんだ。あまり、人に食べさせたことはないんだけどね」


しゃがみこみ、手にその形の良い顎を乗せたまま女が笑う。


「もう一枚どうかな?」


「ああ、ありがとう、頂く」


そのままその包みに手を伸ばし、2枚目をほうばる。うまい。


女はその様子を満足げに見つめ、ゆっくり立ち上がる。


すらりとした身体が遠山の隣、ロッキングチェアに座り込んだ。


きし、きし。


ロッキングチェアの揺れる音と、焚き火の弾ける音だけが辺りに満ちる。


遠山はお菓子を噛み締めながら、音の少ない空間に目を瞑る。


きし、きし、ぱち、ちちっ、ぱちっ。




無性にその音が心地よい。いつのまにか焼き菓子は食べ終わり、しつこくないさわやかな後味が余韻として残る。



「名前…… そういえば私はキミに名前を教えていなかったね。ねえ、トオヤマ、キミは本当に私を知らないのかい?」


「……ああ、無知ですまん。アンタみたいな人は初めて見た」


「嘘はない、か。くく、奇妙な人間だね、キミは。見慣れない服装、見たことの無い武器、それに黒髪に茶色の瞳。私の方こそキミのような人間は見たことがないよ」


また話がよく分からない。


ここにきてから会話する相手とはどうも疎通出来ない部分が多い。


黒髪やこの服装、何が珍しいのだろうか?


遠山は疑問を感じつつもやらなければいけないことを優先する。


「……ご馳走さま、美味しかった。この恩は忘れない。助かった、ええと、すまん、アンタの名前は?」


遠山の問いかけに、耳長の女が深く唇を笑みの形に裂いた。


綺羅星を閉じ込めた瞳が揺れる炎を写す。



「ウェンフィルバーナ。私の名前はウェンフィルバーナというんだ。トオヤマ」


遠山に弓を突きつけ、遠山に休む場所を与え、遠山に甘味を施した耳長の女。


エルフは自分の名前を名乗った。


ウェンフィルバーナの耳がぴこぴこと愉快げに揺れる。

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