1 エピソード 2 プロローグ

「やった!」


手のひらの携帯を見つめて、山田啓太やまだけいたは小さく震えた。

さっきまでテーブルの上にあった母のスマートフォン。恐る恐るスイッチを押すと何度か見たことのある起動画面が現れた。

「よかった。壊れてない。」


小学五年の啓太は携帯を持っていない。

テレビのリモコンで成功していたとはいえ、今回の精密機械の移動実験はある意味ギャンブルだった。壊しでもしたら・・・母の怒った顔が一瞬目に浮かんだ。


次はどんな実験をしようか。啓太はわくわくしながら自分の右手を見つめた。


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啓太は学校からの帰り、遠回りした。授業終わりに友達の誘いも断って、今日もひとりで。


何を動かそう。右手の中に。


これまでの実験で動かせる物もかなり分かってきた。

まず大きさ。長さ30センチ、直径10センチ程度まで。重さは関係ない。


砲丸ってのがあんなに重いなんて。動かした時は死ぬかと思った。

恐々足を延ばした高校で見つけた。動かした途端、支えられずにそのまま地面に落ちた。手を挫いただけで済んでラッキーだった。もとあった場所へ動かす能力ちからはないので、両手で抱えてこっそり戻した。あれ以来、重たそうな物は動かしていない。

これには例外があって、縦笛や物差し程度なら範囲より長くても動かせる。軽いからか。動かすもののイメージが良く分かっているからか。いまだに謎だ。

生物もダメだ。カエルを動かしたときに、手の中に現れたミンチ状態の肉塊。思い出しても吐きそうになる。


まだまだ実験してみないと。

キョロキョロ辺りを見回しながら歩く。

あれ?


排水口の前でしゃがみ込む女の子を見つける。啓太も通った幼稚園の制服。泣きそうな顔をして、制服が汚れることを気にもせず、時折腹這いになっている。排水溝の中に手を突っ込んでいるようだ。

あの排水口だ。啓太にも思い出があった。

大切な100円を吸い込んだ悪魔の口。

あの20センチ四方の排水口は悪魔の口だ。あらゆるものを隠してしまう。ただ、啓太の場合は深さ20センチほどの上層部とそれに続く細いパイプが水でいっぱいだったが。最近は雨が降っていないので、多分、あの排水口は枯れている。


また泣きそうな女の子の顔が目に入った。たまらなくなって、啓太は近寄って声をかけた。

「どうしたの?なんか落とした?」

女の子はビクッと震えて振り返る。わちゃー。泣いてる。

女の子は肯きながら排水口を指差した。「うさちゃん。」

啓太がのぞき込むと、小さな白うさぎのぬいぐるみが見えた。ご丁寧にも上層部で引っかからずにその下70センチほど、細いパイプ最低部にはまりこんでいる。誰かが掃除した後、金網のふたを閉め忘れたにちがいない。啓太が見回すと、あった。金網はすぐ横の歩道に立てかけられていた。

女の子の涙に濡れた目がこっちを向いている。


ここで能力ちからを使わない手はない。よーし!


ただ、幼稚園児とはいえ見られるのはまずい。

「お兄ちゃんがとってあげるから後ろ向いて目をつぶってて。」

一人っ子の啓太は自分の口からでた「お兄ちゃん」の言葉に、むず痒いような、うれしいような、そんな気持ちがわいてきた。女の子は肯くと後ろ向きに目を閉じる。

啓太は立ったまま排水口の上に手をかざし、うさちゃんに集中した。瞬時に手の中に柔らかくフワフワした物体が現れる。

「もうこっち見ていいよー。」


「すごーい。お兄ちゃんありがとう。」

一瞬で笑顔に変わった女の子を見て、誇らしくなる。「たいしたことないよ。」


そっけなく言ったつもりでも、啓太は顔中笑っている。

「蓋がはまってなかったんだなー。」照れ隠しに独り言をいいながら、立てかけてあった蓋を引きずって嵌め戻した。本当はカッコ良く持ち上げたかったが、重すぎた。


「みどりちゃん。」

蓋の嵌まり具合を見ていた啓太は慌てて振り返る。黒いスーツ姿のキレイな女の人が立っていた。

「あ、ともおばちゃん。」みどりと呼ばれた女の子が駆け寄る。啓太と排水口を交互に指さしながら何か言っている。啓太がバツが悪くなって立ち去ろうとしたとき。

「けいたくん。けいたくんって言うんでしょ。」驚いて女の人を見上げる。中腰で目線を合わせた女の人は、微笑みながら啓太のランドセル横の名札を指差す。啓太がドギマギしてうなずくと、みどりと並んで声を合わせた。「けいたおにいちゃん、ありがとう。」

直ぐに女の人が側により、耳元で囁いた。

能力ちからを使う時は見られないようにね。」


啓太が呆然と立ちすくむ間に二人は手をつないで去っていった。みどりは何度も振り向き、啓太に手を振った。

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