クローサーの歌 (4)
よく俺たちは孤児院の裏手の花畑で過ごした。一本だけ残された木に登り、街を見下ろした。その日の落ちかけた夕日は、遠くの空にポツンと浮かぶ世界樹の島が宙に浮いていた。
「世界樹の島が来てる!」
「揺らすなって! 興奮するのはわかるけど、落ち着けよ」
一段上の枝でツシマは跳ねて葉っぱを散らした。俺は横に居る少し寂しそうな顔をしたコウノの肩を叩く。
この孤児院では最長だったコウノは里親が見つかった。幼い子ほど引き取り手が早いわけではなかったが、いつまでも世話になるのをどこか申し訳なさそうにしていた。身の起き所が見つかったと、やっと家族が出来ると本当の笑顔を見せてくれた。
「良いじゃねぇか、世界樹が来てるんだから。知ってるか? 俺たちの子孫はみんな世界樹の女神様から生まれたんだそうだ。だからかな、浮島を見ると郷愁にかられる。俺もツシマも、もう両親のいる家はない。浮島は俺たち孤児の最後の実家なんだ」
孤児院で過ごす子の目はどこか切なげで、その悲しみを取り除いてあげることはここでは出来ない。二人の目に映る世界はまだ両親への愛を渇望する。両親と過ごす俺にはどれだけ頑張っても、その気持ちを汲み取ってあげることは出来なかった。
「俺は受けた恩は忘れない。新しい家族にも、この孤児院にも。絶対立派になって世界樹の島にも感謝しに行く。もう一度、家に帰る感覚を思い出したいんだ。この翼で飛んで行きたい」
自慢の翼、コウノの誇り。病死した両親の面影。唯一の形見の翼は血の繋がりだと言っていた。その羽根で風を切り、コウノは夕日の空気の中を飛んだ。目標を見つけて幸せそうな顔、世界樹を真っ直ぐに見つめている。
「世界樹なんて嫌い、女神様はもっと残酷」
「珍しいやつだな、なんで?」
「世界樹からはいつも音がする。降り注ぐ嫌な音」
「嫌な音……?」
「猫はね、嫌な音はよく覚えてるんだよ。爪切りを探す棚の音、苦手な人の足音、パパとママの血が飛び散った音……全部、全部覚えてる」
大人しくなったツシマは木の幹にもたれ掛かり、物思いにふけるように世界樹に顔を向けた。コウノが空から戻るとツシマは俺に顔を向けた。逆光を後頭部にした表情に俺は一瞬ゾクリとした。ゆっくりと唇を開いて動かす。
「クローサーは司祭様になるのが目標なんだよね? ここを手伝うのが夢」
「そうなのかクローサー!? じゃあアカデミーに通うのが目下の目標だな。俺も行けるかな」
心臓が嫌に気になる。さっきのツシマの表情が変に気になった。二人が怪訝そうに首を傾げるので俺が平静を取り繕って頷くと、コウノが喜んでくれて俺の肩を抱く。
「ああ、きっと里親も認めてくれるよ。優しそうな人だったじゃないか」
「そうだよな! そういえばツシマの目標は? 大人になってからでもいいからさ」
軽やかな体を使い、ツシマも俺の横に飛び降りた。そういえば、俺はこいつに将来の話しなんかしただろうか。まだ父さんにしか話していないはず……
「将来この孤児院に帰ってくるのが夢。そしたらこの木に私を埋めてね、ダーリン」
頬に柔らかい感触が触れ、俺の思考は停止した。瞬時に赤面して木からずり落ちた。囃し立てるコウノと楽しそうに逃げ出すツシマを追いかけて俺も走り出した。
少しの蟠りも、少年だった俺はすぐ忘れた。目の前のものが全てだった幼い時間。霞むほど、綺麗なこの頃。何故、忘れていたんだろう。何故、気づかなかったんだろう。俺の両親はすぐそばにいたからだ。俺だけ庇護下にいたぬるま湯に浸かっていたからなんだ。
それから何人かの友達が、里親の元に引き取られていった。コウノもそのうちの一人で、俺は毎回笑顔で手を振って姿が見えなくなると涙を流した。ツシマは、横で黙って手を握ってくれていた。酷く、痛いほど握られることもあった。
***
母が大きな荷物を抱えて屋敷に戻ってきた。豪奢に包装された高価な箱を持って。
「見てツシマ! これ全部あなたの里親からよ。良かったわね、とってもお金持ちの方」
らしくない服装に着替えさせられ、ぎこちないというより引きつった顔でツシマは俺に笑顔を向けた。
最後の夜、ツシマと屋敷の屋根で満天の空の下にいた。里親が決まってから、酷く落ち込み元気をなくしていたツシマからの誘いだった。涼しい夜の空気を吸っても、ツシマは塞ぎ込んだまま。俺も、すごく辛かったのを覚えている。
「クローサーに、お願いがあるんだけど」
「おう、なんだ? なんでも言え。お前は一番大事な友達だからな」
出来ることなら何でも聞いてあげたい。膝を抱えたツシマが切り出した
「ノート……孤児院の子一人一人の事をメモしてるでしょ? 里親になる人の力になるからって、おじさんとおばさんに言われて」
「知ってたのか……」
ノートは子供達の体の特徴やかかりやすい病気、今日何して遊んだかとか好きな物嫌いなもの交友関係、年齢の近い俺の目線で事細かにその子の特徴を記した。
いつも夜な夜な俺はノートを付けていた。父と母はたまに読みに来て里親が決まるとそのノートと一緒に子供を引き渡した。院の子には知られていないと思っていたのに、コイツは何故かよく俺の秘密を知っていた。
ツシマは自分の膝の上に顔を乗せ、ゆっくりと顔をこちらに向け様子を探るように俺を見つめる。そうだツシマは屋根に登るのが好きだった。高いところが好きだからと言っていたが、顔はいつも下を向いて空に用なんかなかった。屋敷の上から人の出入りを観察していたのだろう。今向けられているこの目と一緒だ。
「あのノート、里親には渡さないで欲しいの……弱点バレちゃうのが怖い」
「な、何言ってるんだ。あのノートは里親の人が引き取った子と早く仲良くなれる為のものだ。そんなつもりで付けていたんじゃない」
「お願い……」
必死な顔をしたツシマは瞳孔が開いて、亜人の特徴である爪と牙が出ている。尻尾も逆立ち、フーフーと息をして爪で体を押さえつけている。だが……震えている。
「わかった、わかったから。だから落ち着け」
瞳孔が戻ると、ツシマの呼吸がゆっくりと落ち着いてきて涙を零した。
「嫌だ……行きたくないよクローサー、怖いよ」
自分を抱きしめて泣くツシマを俺は慰めた。よく知らない人がいきなり自分の親になるのだ。きっと不安で仕方ないのだろうと。
父と母が認めた大人なら大丈夫だろうと、俺は過信していたんだ。寂しくて泣いているんじゃなかった。まだ見ぬこの先の恐怖に、怯えていた。
「早く、大人になりたい。こんな小さな体じゃ……」
「大丈夫だ。大丈夫だからツシマ、ノートはずっと俺が持ってるから」
震える体を抱きしめて空を見上げた。
今もどこかにいる世界樹の女神様、どうかコイツを守ってください。幼い俺は空にしか願えなかった。
初老の男に、ツシマは引き取られた。皆と同様、地方に行くようだった。手紙も、届かなかった。ツシマの事を記したノートは両親に叱られても俺は隠し持っていた。そのせいか、あの小さな猫を忘れたことは無かった。
少年時代、まだ思い出は綺麗なまま。俺は青年へと成長していった。
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