第14話 竜宮兄妹

 因幡いなばさんが宝船たからぶね高校に転入してきて、しばらく経った日のこと。

 その日は偶然、友人の竜宮たつみや海人かいとと一緒のグループで掃除をしていて、グループの他の生徒がゴミ出しに行ったときのことだった。

 俺――番場ばんば虎吉とらきちは突然、海人が言っていたことに対して感じていた違和感の正体に気づいてしまったのだ。

「……なあ、海人」

「どしたー、虎吉」

 海人は机と椅子を並べながら、俺に背を向けている。

 俺は掃除道具をロッカーに片付けていて、こちらも背を向けていた。

「こないだ……俺が因幡さんに見とれてたことあったろ」

「ああ、体育の時間な」

「――お前、なんで天馬てんま百合ゆりさんのこと知ってるんだ?」

「ん? だから、お前が以前に天馬さんの話を――」

「それで、なんでお前が店長と因幡さんの顔が同じってわかるんだ?」

 俺は海人のほうへ振り向く。

 海人も俺を見ていた。

「店長――天馬百合に一度でも会ってないと、因幡さんと同じ顔だなんてわかるわけがねえんだよ」

 少し間が空いて、沈黙が流れたあと、

「……あー、しくったなあ」

 たはは、と海人は苦笑いのような照れ笑いのような顔をする。いたずらに失敗した子供のような表情だった。

「海人……お前、本当は何者なんだ?」

「――それは、『聖なる魔女』にいたほうが早いんじゃないか?」

 夕陽が差し込む教室。

 黄金の光を背に浴びて、海人は何でもないことのように微笑ほほえんでいた。

 聖なる魔女。

 その単語を聞いて、俺は息をむ。

「お前、アヤカシ堂のことも知ってるのか」

「たまに、お世話になってる」

 海人は静かな口調で、そっと並べた机を撫でる。

「そうだ、今日もアヤカシ堂に用事があるんだ。よかったら、一緒に行かないか」

「その前にひとつ、聞かせてくれ」

「なんだ?」

 俺は海人を真正面から見つめる。

「――お前は、人間に害を与えるようなやつじゃないよな?」

 海人は、机に向けて伏せられた目を上げて、まっすぐに俺を見た。

「そんなやつだったら、アヤカシ堂に出入りなんてできないだろ?」

 それは、そうなんだけど。

 掃除グループの生徒たちが戻ってきて、掃除を終えてから、俺と海人はなんとなく黙ったまま、鳳仙ほうせん神社へと足を向けた。


「ああ、竜宮のっちゃんはアヤカシだよ」

 アヤカシ堂の店長――天馬百合は、あっけらかんとしていた。

「ど、どうして俺に教えてくれなかったんですか!?」

 海人とは小さい頃からの腐れ縁だったのに、俺だけ知らなかったのが悔しい。

「守秘義務って知ってるか? 本人の許可無く個人情報は教えられないだろう」

 店長はズズッと湯呑ゆのみのコーヒーを啜った。店長は甘党である。砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーは、白い渦を巻いていた。

「それに、前にも『君のクラスにも何人か魔術師やアヤカシがまぎれ込んでいる』って言ったろう」

「たしかに言ってましたけど、まさか自分の幼馴染おさななじみまで妖怪だなんて思わないでしょう!」

「海人くんも虎吉には普通に言ってたものだと思ってたがな」

「はは、すみません。僕もまさか虎吉が半妖になってたなんて思わなくて」

 海人は人差し指で照れくさそうにほほをかく。

「虎吉がバイトのシフト入ってない日を狙ってアヤカシ堂に来てたのでバレてないとは思ってました。虎吉がもし人間のままだったら話すつもりはなかったんですが、どのみちアヤカシ堂で働いてるんだったら妖怪のことも知ってたんだろうなとは思ってましたけど」

「で? お前は何の妖怪なんだ?」

 蚊帳かやの外にされていたことに不機嫌になり、俺は椅子いすにどかっと座って肘掛ひじかけに片肘かたひじをつく。

「虎吉、竜宮城りゅうぐうじょうは知っているか?」

 店長が不意に突拍子もない質問をする。

「日本人なら誰だって知ってますよ」

『浦島太郎』というおとぎ話に出てくる、浦島太郎が亀を助けたお礼として連れて行かれた場所だ。城の主である乙姫おとひめ様に歓待かんたいされ、タイやヒラメの舞い踊りを見たとかなんとか。

「竜宮城はこの世界の海底にある異界だ」

「い、異界?」

「普通に考えて、海底に人間が呼吸できる宮殿なんてあるわけないだろう」

 いや、それはそうだろうけど。

「竜宮城には海を支配するアヤカシの王――海竜王かいりゅうおうんでいる。竜宮海人はその海竜王のご子息であらせられる」

「急に敬語使うのやめてくださいよ、あなたに言われると緊張しちゃうな」

 海人は照れくさそうに頭をかく。

「……おい」

 俺はジトッとした目で海人を見る。

「ん? なんだよ」

 海人は不思議そうな表情をしていた。

「言えよ、そういう大事なことは! 海竜王ってなんだよ、かっこいいじゃねーか! なんで幼馴染の俺にそういうこと一言も言わないわけ!?」

「言ったらびっくりするだろうし、言っても信じないだろうなと思って」

 そう言われると、グッと言葉に詰まる。

 たしかに、俺が半妖になんてならなきゃ、海人の言葉はエイプリルフールには早い冗談として片付けてしまっていただろう。

「それで、海人くんがここに来たご用事は、またあの薬かな?」

「流石店長さん、話が早い」

「薬?」

 首をかしげる俺を放って、店長は店の奥へと消えていく。

「お前、病気なのか?」

「ああ、そういう薬じゃないんだ」

 俺が気遣うと、海人は片手をひらひらさせて否定した。

 やがて、店長が戻ってくる。

「――これ、魔法薬ですか?」

「ああ、人間に変身する薬だ」

「人間に……?」

 つまり用途としては、人間でないものを人間の姿にする薬なのだろう。何かの悪事にでも使えそうだ。

 そういった内容を海人に言うと、

「お前の中の俺は本当に信用ないなあ」

 怒るでもなく、そんな苦笑を漏らす。

「いや、海人がそういうことするようなやつとは思ってないけどさ」

「……俺の妹、竜宮たつみや乙姫おとひめっていうんだけど覚えてるか?」

 来客用のソファに座った海人は、ひざの上で指を組んで話し始める。

「乙姫は俺と違って不完全な生まれ方をしてさ。水を浴びると足が魚に、お湯をかけると人間の足に戻るんだ」

 知らなかった。

 小さい頃、俺が見た乙姫ちゃんは、二本の足で立って歩いていた。

 高校二年生の俺達から三つ年下だから、今は十四歳だろうか。三つも離れていると学校で会う機会はないが、おそらくその体質ではプールや海には入れなかったに違いない。

「そこでこの魔法薬だ」

 店長はテーブルの上に、さっきの魔法薬をコトンと置く。

「人間の姿に変身する薬を応用して、乙姫お嬢さんの足を人間に変身させる――つまり、水を浴びても足が魚にならないようにする」

「おお、なるほど」

「しかも、声と引き換えに――なんてことはないから安心したまえ」

 納得する俺に、店長はいたずらっぽく笑う。

「そこまでしたらガチの魔女っすね」

 チョップされた。

「とりあえず今回も錠剤タイプを三十日分出しておく」

 薬局のような会話をしながら、店長は薬をまとめていく。……そういえばこの人、魔法薬やその材料を取り扱っているが、薬剤師の免許は持ってるんだろうか。いや、魔法薬に薬剤師免許が使えるか分からないけど。

「そういえば、その妹――竜宮乙姫のことで今回は他にも相談があって……」

うかがおう」

 海人は背を丸めて、組んだ指を口に当てる。

「今度、妹が男とのデートでプールに行くんですよ」

「はあ」

 店長はいまいちピンときていない顔でうなずいた。

「なら、今回の薬がちょうどいいんじゃないか?」

「ええ、まあ、それは別問題として……」

 海人は視線をさまよわせる。

「乙姫が心配なので、虎吉も借りていっていいですか?」

「なんで俺? やだよ、男二人でプールとか」

「では面白そうなので私も行こう」

「!?」

 俺は目を丸くして店長を二度見する。

「私と……数人連れて行こう。それで乙姫お嬢さんと男のデートを監視すればいいんだな?」

「助かります」

 海人はニッコリと微笑んだ。

 海人は昔から何でもそつなくこなす、要領のいい男だった。

すず、水着を買いに行くぞ。着物ではプールに入れないからな」

「わーい、プール初めて! 楽しみ!」

 鈴は店長の影からぴょんぴょん跳び上がる。

「それでは、日時と場所は決まり次第またご連絡いたします。僕はそろそろ失礼いたします」

 海人が店長に丁寧に頭を下げる。

「――なあ、海人」

 俺の呼びかけに、海人は視線を向ける。

「お前は……何年生きてきたんだ?」

 アヤカシは基本的に長生きゆえに外見が変わらず何十年何百年と生き続けるものである。

 幼馴染だと思っていた海人は……今、果たして何歳なのか。

「……ああ、大丈夫だよ、虎吉。俺もお前と同じ十七歳だ」

 海人は俺を安心させるように優しく笑いかける。

「お前と同じ年に生まれて、十七年間生きてきた。外見年齢がいくつで止まるかは分からないけど、お前と同い年なのは変わらない」

 店長がいつか話していたことを思い出す。アヤカシは変化へんげ以外では基本的に自分の外見年齢がいくつで止まるかは決められない。

 だからずっと子供の姿のままの妖怪もいるし、しわくちゃのじいさんばあさんの外見になった妖怪もいる。完全に運次第だ。

 ただ、俺は半妖になった経緯が特殊であるがゆえに、おそらくは今の姿のまま変わらないだろうとも言われている。

 若いままで変わらないとしたら、それはとても運がいいことなのだろう。身体も自由に動くし、自分が老いていく苦しみもない。

 でも――自分の妖怪の血が、いつか人間に危害を加えるとしたら。

 俺は、因幡さんのりむいた膝からにじんだ血を思い出す。

 あのとき、人間の血を吸ったら間違いなく自分が暴走する未来が見えた。

 あの未来を阻止するために、俺は人間に戻らなければいけない。

 ――たとえそれが、店長や海人を置いて死にゆく定めだとしても。

 海人が帰ったあと、店長と鈴は洋服に着替えて水着を買いに出かけた。

 俺は店番をしながら、自分の手を見る。

 半妖と化してから、爪が鋭く長く伸びるスピードが早くなった。妖怪の中には自分の意志で一瞬にして爪を伸ばせる種類のものもいるらしい。

「……爪、切らないとな」

 爪もそうだし、髪の伸びるスピードも早い。毎日自分で切ってる気がする。まあ妖怪化したら一気に爪も髪も伸びるからあんまり意味はない気がしている。

 半妖になって便利なことも不便なこともある。人間に戻る方法はピクシー博士の研究の進捗しんちょく次第なので、今は自分に出来ることをするのみ。

 俺はそんなことをつらつらと考えながら、店長と鈴の帰りを待ったのであった。


 ***


「ひゃー、湿気がムワッとしてすごい熱気ですね姉さん!」

「なんで因幡さんまでここにいるの……?」

「姉さんの行くところ、僕ありです」

「ナチュラルに怖い」

 約束の日。俺たちは『トロピカルビーチ』というレジャー施設に来ていた。

 流れるプールから波の出るプール、ウォータースライダーから普通のプール施設にあるような二十五メートルプールまで、一日中遊び尽くせるほどのプール三昧ざんまいである。

 今日は乙姫ちゃんとデート相手のために貸し切りらしいが、俺たちも招待客として特別に入れてもらった。

 俺、店長、鈴、幽子ゆうこさん、そして呼んでない因幡さん。招待とはなんだったのか。まあ海人がいいと言ったのでいいのだろう。

「幽子さんって普通に人間の姿にもなれるんですね……」

 俺は幽子さんをしげしげと眺める。今日の幽子さんはあのキツネ顔は変わっていないが、狐耳も尻尾もついていないし、足も普通の人間のものである。ちなみに水着はセクシーな黒ビキニ。

「まあ、うちはクラウドにレベルを合わせとるだけやし? あの子はホンマに変化へんげがヘッタクソやからなあ」

「ああ、だから今回呼ばれてないんですか」

「『やだやだ俺も行く』言うて駄々こねとったけど、獣の毛がプールに入ったら掃除大変そうやしなあ」

 と、愉快そうにケラケラ笑う。

 まあ俺としても、「百合姉、百合姉」とベッタリしているクラウドを見るのは不快だったのでラッキーではある。

 クラウドを見ると不快感が湧くのは、奴が狼男だからだと思っていたが、それだけでなく、単純に嫉妬だったのだろうと最近気づいた。

「それにしても、百合ちゃんは相変わらず可哀想になるほどの絶壁やねえ」

 店長はキャミソール型のトップスとショートパンツという、水着としては露出が少ないものであるが……なんというか、起伏がない。スリムなだけ。

「私は全然気にしてないがな。私は全然気にしてないがな」

「なんで二回言ったんですか?」

「いま姉さんをバカにしたのか、そこの獣臭い女」

 因幡さんが怒りに染まった目を幽子さんに向ける。

変化へんげがいくらお上手でも獣の臭いが抜けきっていらっしゃらないようですね。どうせその胸も変化へんげでしょう?」

「おっ、ぽっと出の新キャラさんやないの。自称弟登場でテコ入れか?」

「幽子さん、それ違うところにもダメージ行ってます」

 バチバチと火花を散らす天使と狐、弟と親友。

 そんな二人をよそに、店長は浮き輪を借りる手続きをしていた。

「さあ、鈴。これに乗っていればおぼれないからな」

「わぁ……! おっきな浮き輪!」

「鈴は可愛いなあ」

 鈴の水着はワンピースタイプの可憐かれんな少女らしいデザイン。浮き輪というよりボートのようなそれにちょこんと乗っている姿にやされる。

「姉さん、ちゃんと話を聞いてください! 姉さんの女神としての沽券こけんに関わることなんですよ!」

「なんだ、いま写真を撮るのに忙しいからあとにしてくれ……」

 店長は防水仕様のデジタルカメラで鈴の撮影会を始めていた。完全にここに来た目的を忘れている。

「姉さん、貴女あなたは変わってしまった。神の身でありながら地上にち、こんな薄汚い半妖やら妖怪やらとたわむれて何がしたいんです」

白兎はくと、お前は何も変わっていないな。天界こそ神々は堕落だらくし、お前たち天使を使って何をたくらんでいる」

「その答えが知りたければ一緒に天界に戻りましょう」

「断る。私が一度天界に戻れば二度と地上に返す気はないのだろう」

「返すも何も、天界こそが貴女の帰るべき場所なのですから」

「これだから神の造った天使は話が通じない……」

 台詞だけ見ればシリアスだが、その光景は店長に近寄ろうとして幽子さんと取っ組み合っている因幡さんと、妖怪の幼女を撮影しまくる女神とやらである。

 というか、「薄汚い半妖」ってさり気なく俺もけなされなかったか?

 この頃になると、もう因幡さんは学校以外では素の自分を隠さなくなっていた。

「あの、お話はそのくらいでいいですか? 撮影も一旦やめていただいて……」

 声のする方を見ると、海人が歩いてくるところだった。

「そろそろ妹と妹の婚約者が到着するので、皆さんは二人の監視をお願いします」

「へえ、乙姫ちゃん婚約したのか」

「……要は政略結婚さ」

 俺の言葉に、海人は少し悲しそうな顔をする。あっ言わなきゃよかったかな、と思ったがもう遅い。

「一応貸し切りだったものを僕が招待客を呼んだというていにしてあるので、皆さんは普通にレジャーを楽しんでいるフリをしてそれとなく監視してください。飲食物も好きに注文していただいて結構。お代は全部僕が持ちます」

「いえーい! タダ飯最高!」

「幽子、もう少し本音をしまえ」

 関西弁の狐はやはりお金に目がないらしかった。店長に軽く頭をチョップされる。

「ええやんええやん、そりゃ弁天べんてん様は金運の神様やからお金には困ってないかもしれへんけど~? もらえるもんはもらっとき! 何頼む? 何頼む~?」

「トロピカルジュースには興味があるな」

 なんだかんだでメニュー表を見ながら幽子さんと店長は盛り上がる。割り込む隙間が見当たらず歯を食いしばる因幡さん。

「鈴、流れるプールにでも行こうか」

「うん!」

 俺は戦禍せんかから逃れるように、鈴を浮き輪に乗せたまま流れるプールまで運ぶ。

 浮き輪についた紐を引いて、馬車の御者のように先導した。

 プールの水流に身を任せると、一旦外に出るコースがあって、この施設のシンボルとなっているマーライオンが水を吐き出している。マーライオンの滝をけながら、しばらく流されているとまた室内に戻るゲートが見える。

 ふと、頭上に影ができた気がして上を見上げると、マーライオンの頭の上に何かがしゃがんで、こちらをじっと見ていた。

 全身毛むくじゃら、人間のような体つきで、頭は犬――

 いや、狼だ。

「!?」

 俺が咄嗟とっさに身構えると、その狼男はヒュンとマーライオンからび下りて、姿を消した。

「店長! てんちょー!! なんか変なやつがー!!」

 俺と鈴が店長に報告に戻ると、

「ああ、こちらでも妖気を感じた」

 店長は口いっぱいにホットドッグを詰め込んでいたので、とても威厳がなかった。

「狼男……ってことは、またクラウドが裏切ったんでしょうか?」

「いや、それはあらへん」

 俺の言葉を、幽子さんは即座に否定した。

「それはない……って、どうしてそう言えるんですか? 実際アイツ一回裏切ったでしょ」

「――クラウドは、狼男にはなれへん狼男なんや」

「……意味がわかりません」

 クラウドは狼男である。狼の姿に変身したアイツを、俺は見ている。

「クラウドは、あの人間に狼の耳と足と尻尾が生えただけみたいな中途半端な姿と、狼にしかなれへん。虎ちゃんの見たような完全な『狼男』にはなれんのや」

「それをウルフェンが『失敗作』と断じ、処分されそうになったところをピクシーに引き取られた……」

 店長が重い表情で言葉をぐ。

「は? ま、待ってください、ウルフェン、って……」

「ウルフェンとピクシーは、共同研究者だったんだよ。『不老不死』に関する研究の」

 点と点が繋がった。

「ピクシー博士は、その……悪いやつ、だったんですか?」

「世の中のものを善か悪かだけで判断するのは危険だぞ、虎吉よ。……まあ、ウルフェンは悪いやつだが、ピクシーはそれほどでもない。クラウドと幽子を引き取って共同研究を打ち切った――まあ要するに逃げた側だからな」

「うちもクラウドのマネして変化へんげが下手くそなフリして逃げ出したからよかったんやけど、あの研究所に取り残されてたらどんな目にわされたか……お~こわ」

 幽子さんはブルッと身を震わせた。

「そういう意味でも父ちゃんには感謝してもしきれへんわ。……で、何の話やったっけ?」

「あ、そう! その変な狼男ですよ!」

「プールで狼男、ねえ? まさか水飲みに寄り道……なんてことはなさそうやけど」

「……乙姫お嬢さんの婚約者……なーんか、嫌な予感するなあ」

 店長が悪寒がするとでも言いたげに重苦しそうな顔をする。

「店長さん、鳥肌立ってるけど大丈夫? 寒いのかな? 抱きしめて温めてあげようか……?」

「ギャアァァァッ!」

 突然何者かに背後から抱きしめられ、耳元でささやかれた店長は絶叫しながら見事な体捌たいさばきで謎の痴漢の脇腹に肘鉄を食らわせ、相手の側頭部に回し蹴りを食らわせながら距離をとった。

「ゲハッ……」

 痴漢――イービル・ダークは脇腹と頭を押さえてうめいた。

「やっぱりお前絡みか! 乙姫お嬢さんに何をするつもりだ変質者!」

「店長さん、胸がないみたいだけど、もしかしてボク、男に恋しちゃったのかな」

「お前殺すぞ」

 店長から放たれるストレートな殺気。る気満々。

「ははは、いやあ、うちの弟がすみません」

 呑気のんきな笑い声をあげながら、ルナール・ダーク――イービルの実の兄であり、魔界の王子様――がゆっくりと歩いてきた。

 その三歩後ろをついてくるのは、俺の記憶の中と遜色そんしょくない、顔立ちは幼いながらも美しい姿の竜宮乙姫であった。プールということで白ビキニとパレオ姿である。

「えっ……もしかして、乙姫ちゃんの婚約者って、ルナールさん!?」

「なぁるほど、これは百合ちゃんルナールはんと結婚できひんわぁ」

 驚く俺に、納得した表情の幽子さん。

 店長も乙姫ちゃんも比較できない美貌なのだが、まあどちらも美しいなら若い方を取るだろう。乙姫ちゃんが海人の言う通り海竜王の娘なら権力的な関係もあるだろうし。

「にしたって、若すぎでしょ。たしか乙姫ちゃんまだ十四歳……」

「ええ、ですから結婚適齢期になるのを待って結婚する予定です」

 ルナールさんは全く動揺していない。

「魔界の王子様に海竜王のご令嬢……なるほど、政略結婚と言われても仕方ない」

「まあ事実そのような形にはなってしまいましたが、別に愛情がないわけではないんですよ?」

 店長の言葉に、ルナールさんは恥ずかしげもなく微笑み、乙姫ちゃんはポッと顔を赤く染めている。

「で、あなた方がここにいるのは……海人お義兄にい様の心配性、でしょうか?」

 見抜かれている。海人は「えへへ……」と照れくさそうに笑う。

 それにしても、おそらく海人より遥かに年上のはずのルナールさんが海人を「お義兄様」と呼ぶのも奇妙な気分だった。

「だが、どうやらその心配は別の方向で当たったみたいだぞ?」

「どういう意味ですか?」

 店長の言葉に、俺は疑問をていする。

「君も知っていると思うが、吸血鬼と狼男は天敵だ」

「あんな野蛮な獣、好敵手ライバルとすら言えませんがね」

 ルナールは肩をすくめる。どうやら吸血鬼というのは思ったとおりプライドが高いらしい。

「そして、海竜王とつながりをもって更に魔界での権力を高めようとする吸血鬼を、狼男が放置するわけがない」

 グルル……と何処からともなく獣のうなり声が聞こえる。

「おまけに施設を貸し切って本来二人きりで楽しむはずだった、となれば暗殺者が来てもおかしくはないよな?」

 プール内はいつの間にか狼男の集団に囲まれていた。

「店長、水着じゃ御札の用意もないみたいですけど、大丈夫ですか?」

「なに、鈴さえいてくれれば蔵は開けるから問題ないさ」

 首に下げていた如意棒のネックレスを手に持つ俺に、店長の影に潜り込む鈴、そして不敵に笑う店長。

「僕も手伝いますよ、姉さん」

 ここぞ自分の活躍の場とばかりに、ハートマークでもついていそうな口調で微笑みかける因幡さん。

「因幡さん、なにか得物とかあるの?」

「ふん、半妖ごときが僕の心配をする前に自分の心配をするんだな」

「ホントお前最初と性格変わったよな!」

 全く本音を隠さない因幡さんに怒りよりも笑いがこみ上げる。

 因幡さんは目を閉じ、両手を前に突き出す。

 店長が自らの翼を広げるときのように、清らかな気が手先に集中し、光が槍を形作る……。

 因幡さんは光のエネルギー体で出来た十字槍を持って身構える。

「かかってこいよ、姉さんにあだなす小汚い獣ども」

「いや、別に私に仇なしてるわけではないんだが……」

 因幡さんは聞こえなかったふりをしていた。

「幽子はルナールさんと乙姫お嬢さんの警護を頼む」

「うちそんな強うないから、あんま期待せんといてや~」

 と言いながら、幽子さんはルナールさんと乙姫ちゃんをかばうように下がる。

「鈴、『御魂みたま宿しのつか』を出してくれ」

「はーい」

 鈴が返事をすると、店長の影から何かがズズ……と出てくる。

 宝石強盗のときにも活躍した、刀の柄だけの部分しかない不思議な武器。

「それ、『御魂宿しの柄』っていうんですか」俺は訊ねる。

「炎や水など、自然のチカラを刀身に変える魔道具だ。ここは水だらけだから武器とり放題よ。おまけに――」

 店長はプールに突っ込んだ柄を引き抜き、さらにその水の刀身に指を触れる。

「弁財天はもともと水を司る神。触れた水は浄化され聖水となる。さしずめ聖水剣といったところか。魔物にはよ~く効くぞ?」

 狼男たちはひるんだように動揺している。もともとルナールさんと乙姫ちゃんしかいないという事前情報だったのだろう。こんなヤバそうな集団がいたら俺でも怯む。

 しかし狼はさすがに素早い。俺はともかく、店長や因幡さんは狼男のスピードに対応できないらしく、爪や牙をいなすので精一杯だ。

「チッ……」

 店長と因幡さんは一旦エネルギー体の翼で飛び上がり、狼男たちと距離を取る。

「どうします姉さん、意外と厄介ですよ」

「本当に野生の力というのは恐ろしいな……爪と牙のみという原始的な攻撃ながら、まともに食らえば大怪我だぞ」

「ちょいちょいちょい、百合ちゃん白ちゃん、戦線離脱すんなや! うちホンマに戦闘力ないんやって!」

 幽子さんの慌てた声に振り向くと、幽子さんはルナールさんと乙姫ちゃんを守ろうと、狐火きつねびで狼男が近寄らないよう、必死に応戦している。

「わあぁ! 幽子さんすんません!」

 俺はいま相手している狼男を蹴り飛ばすと、幽子さんたちのほうへ向かっていく狼男たちを如意棒で横一線になぎ倒す。

「っていうか幽子さん九尾の狐なんでしょ!? なんかすごい能力持ってないんですか!?」

「うちが九尾から引き継いだモンなんて幻惑眼げんわくがんと九尾の姿くらいのもんやで。狼男を化かしても次から次へわいてきよるし、管狐くだぎつねとかも効きそうにないしなあ」

 幽子さんの言葉に頭を抱えそうになったが、まだだ。まだルナールさんがいる。なんとなく強そうな気がするし。

「ルナールさんはなにか闘う手段ないんですか?」

「いやはや、王族が闘う機会なんて滅多に無いものですから……コウモリになって逃げるくらいですかね」

 使えねー!

 と内心思ったが、言わないことにした。

 すると、狼男たちの動きが止まった。

 というか、狼男たちが水のかたまりに包まれて、身動きが取れなくなったのだ。

 何が起こったのか分からずにいると、「乙姫!」と海人の声がした。

「動きは封じた! あとは頼む!」

「……はい……」

 乙姫ちゃんは不意にプールに飛び込んだ。と思うと、イルカがジャンプするように水中から跳び上がる。

 ――乙姫ちゃんは、魚のうろこのような柄の入った白い着物に、人魚のように下半身が魚という、世にも美しい姿だった。

「……消えて……」

 施設のプール中の水がドッと噴き上がり、龍のような姿になって狼男たちを飲み込む。そのまま施設のガラス窓を突き破って、獣たちは水龍に飲み込まれたまま遠くへと吹き飛ばされた。

「すげー……」

 俺は呆然と割れたガラス窓の向こうの空を見上げる。

「これ、俺たちいらなかったのでは……?」

「そんなことないよ。竜宮家は水さえあれば最強ってだけで」

 海人がそんなことをサラッと言った。

「ところで乙姫ちゃん、普通に変身してたけど、あの魔法薬は飲んでないのか?」

「? あれは日常生活で使うやつ。今回のデートは相手も妖怪だから正体を隠す必要もないだろ?」

 言われてみれば、たしかに。

「やはり貴女は強く美しいですね、乙姫」

「……ルナール様……」

 ルナールさんが優しく微笑みかけると、乙姫ちゃんはポポポ、と顔を赤く染める。

 いい雰囲気だけど、せめてルナールさんもマトモに戦えてたらなあ……。

「うう~……虎吉、飲みに行こうぜ」

「はいはい、自販機でサイダー酌み交わすかね」

 妹をとられて傷心気味の海人の肩を叩き、俺は海人と一緒に自販機へ向かう。

「店長さん、ウォータースライダーやろ~」

「お前とはやらん」

 店長はイービルの誘いを無視して、帰り支度を始めるのだった。


〈続く〉

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