第13話 なぞの転校生

 普段と何一つ変わらない、平穏な朝だった。

「店長、境内けいだいき掃除終わりました」

「ご苦労さん」

 店長のいる部屋に向かうと、店長ともうひとり、見覚えのない人物がいた。

「店長、その方は……?」

 もし客人なら応接室に通しているはずだ。

「ああ、彼は私と契約している死神のネクロという」

「し、死神……ですか?」

 確かにマントに身を包んではいるが、ツインテールのようなフードの形は死神というよりピエロに見えた。顔は暗くてよく見えないが、「どうも」と挨拶している口は笑っている気がする。

「死神とはいっても、そんな凶悪なやつじゃないよ。アンデッドやゾンビとか、魂を刈り取ると倒しやすい種類のアヤカシは多いから重宝ちょうほうしているんだ」

「いつもご贔屓ひいきに」ネクロはペコリと頭を下げる。

「あとは、今みたいに死者の帳簿を調べてもらったりな」

「死者の帳簿……?」

 俺は首をかしげる。

「やっぱり死者の帳簿には黒猫――シュヴァルツェ・カッツェの名前は載ってないね。天国にも地獄にもいない。彼はまだどこかで生きている」

「!」

 ネクロの言葉に、俺は目を見開いた。黒猫さんの本名がかっこいいのもあるが――黒猫さんは、まだこの世界で生きている?

「そうか……」

 店長はどこかホッとした表情を浮かべていた。それはそうだろう。悔しいけれど、好きな人が生きていれば、誰だって。

「ネクロ、調べてくれてありがとう。今日はもう帰っていい。また何かあったら力を貸してくれ」

「そう。それじゃ」

 ネクロは短く言ってふわっと羽のように消えた。

「しかし、黒猫様が失踪しっそうして数十年か……今頃は銀髪のよく似合うナイスミドルかな?」

 ミドルって年齢を超えているのではないだろうか、と俺は思ったがえてツッコまないことにした。

「そもそも黒猫さんはどうして失踪したんですか?」

「はて、どうしてだったか……なにせ何十年も前の話だからな……そうだ、たしかウルフェンの行方を追って……」

 店長の表情が曇る。また、ウルフェンか。

「そんなに悪いやつなんですか、ウルフェンって人は」

「人の心のない極悪人だよ」

 店長の声がどことなく硬いことに気がついた。

 ふと、店長の視線が壁の時計に注がれる。

「君はそろそろ学校に行ったほうがいいな」

「っと、ホントだ! じゃあ、行ってきます!」

「ああ、気をつけて」

 片手を上げて店長は俺を見送ってくれた。


 宝船高校。

 なんとか遅刻せずに走ってこれた(というか半妖なので本気を出せば車並みに走れる)俺は、教室に入ると友人の竜宮たつみや海人かいとに「よっ」と声をかけられた。

「なんかまた転校生が来るらしいぜ」

「へえ、こんな田舎いなか町に転校生が頻繁に来るのも珍しいな」

 頻繁に、と言ってもまだ二人目か。

 最初の転校生、ソフィア・スカーレットは俺の隣の席に座っている引っ込み思案な女の子で、魔女の末裔まつえい。俺に惚れ薬を飲ませようとした前科あり。今は俺を陰から見守っている。

 そのソフィアは隣の席でなにやら調子が悪そうだった。

「ソフィア、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」

「番場くん……わ、私、すごく嫌な予感がするの……」

 吃音きつおん気味にしゃべるソフィアは、眉根を寄せていた。

「すごく……清らかな気を感じる……」

「清らか……?」

 それは、悪いことなのだろうか。

「はーい、みんな席について~」

 教室に担任教師が入ってきて、生徒たちは席につく。

「もう知ってると思うけど、今日から新しい転校生が来ます。因幡いなばさん、挨拶して」

 因幡、と呼ばれた女学生が、教壇きょうだんに立つ。

 他の女生徒と同じセーラー服を着ているはずなのに、何故か彼女だけははなやかに見えた。

 ショートボブの真っ白な髪。美白の肌。赤い瞳。まるで白いウサギのような印象を受けた。

 そして、何より俺が驚いたのは――

因幡いなば白兎はくと、と申します。よろしくおねがいします」

 ――因幡白兎の顔が、店長と瓜二つだったのである。

「店長……?」

 思わず小さなつぶやきが漏れてしまった。隣のソフィアと顔を合わせる。彼女もまた驚いているようだった。

 たしかに清らかな雰囲気は感じるが……まさか、あの因幡という少女が「嫌な予感」の根源なんだろうか?

「因幡さんはあの席に座って」

 担任教師の言葉で、因幡さんは俺の方へまっすぐ歩いてくる。俺のひとつ前の席が空いているのだ。

 因幡さんが椅子を引いた時、

「――よろしくね?」

 彼女は慈悲深じひぶかそうな微笑みを浮かべて、俺に挨拶してきた。

 ドキッ、とした。

 店長と同じ顔で、そんな表情を浮かべられたら。

 ソフィアがぷくっと頬を膨らませたことにすら気づかないほど、俺は一瞬にして心を奪われたのである。


 その日は体育の時間が入っていた。

 因幡さんは転校初日から既に制服だけでなく体育着も用意していたようで、学校指定のTシャツと短パンジャージ。真っ白な太ももがまぶしい。

「お前なに見とれてるんだよ。恋か?」

 ぽーっと因幡さんを見ていた俺を、海人がからかう。

「まあ、因幡さん、天馬てんまさんにそっくりだもんなあ。あんな美人にれるなって方が無理か」

「……? 海人、お前なんでてんちょ……天馬さんのこと知ってるんだ?」

「え、なんでって……お前、以前バイト先の神社で働いてる天馬さんっていう巫女みこさんがすげえ顔がキレイとかそんな話してただろ? 随分前のことだからもう覚えてないか」

 なにか違和感があったが、頭にモヤがかかったようにぼんやりしていた俺は、ああそうなのか、と納得してしまった。

「――キャッ」

 ずさっと音がして、なんだ? と音のしたほうを見ると、因幡さんが転んだようだった。ひざりむき、血が出ている。

「ほら、虎吉とらきち、保健委員だろ? いいとこ見せてやれよ」

 海人に押されて、俺は恐る恐る因幡さんに近寄り、水道のあるところまで肩を貸して連れて行く。

「だ、大丈夫か……?」

「ありがとう、番場ばんばくん」

 水で傷口を洗ったが、まだ少し血がにじんでいる。

 ――美味おいシソウ。

 俺の中でなにか――吸血鬼の血がざわめいた。

 傷口をめたい。血をすすりたい。

 俺の中の吸血鬼がそう騒いでいる。

「ッ――……」

 ああ、やっぱり半妖のままじゃダメだ。早く人間に戻らないと、いつ人間を襲うか分からない。

「番場くん、大丈夫?」

 立ち尽くす俺を、因幡さんが下から覗き込む。

「よだれ、すごいけど。――私の血、ほしい?」

「!?」

 思いもしない言葉に、ぎょっとした。

 半吸血鬼であることがバレている?

「冗談」

 因幡さんはニッコリと笑っておどけた仕草をする。

「番場くんは女子高生の膝を舐めたがるような変態には見えないもんね。ごめんごめん」

「じょ、冗談きついな……ほら、絆創膏ばんそうこう貼るぞ」

「はーい」

 体育の時間は、それで終わった。


「番場くんは、バイトとかしてるの?」

「ああ、一応」

 放課後、因幡さんと帰りの支度をしながら少し話す機会があった。

「よくぞ聞いてくれた、因幡さん。実はこいつのバイト先に因幡さんにそっくりの美女が――」

「おい、海人」

 横槍よこやりを入れた海人を、俺は軽くにらむ。

「私が美女かどうかは分からないけど」因幡さんは謙虚けんきょに苦笑する。

「私にそっくりな人がいるっていうのは興味あるな。ちょうどバイト探してたし、今日ついていってもいい?」

「え、ああ……いいけど……」

 店長なら一般人が鳳仙ほうせん神社に来ても、香澄かすみが取材に来たときのように「普通の神社」を簡単に装ってくれるだろう。

 因幡さんと店長を鉢合わせさせてどんな反応が返ってくるかも気になるところではあった。

 そういうわけで、俺と因幡さんは鳳仙神社まで一緒に歩いていくことになったのである。

 鬱蒼うっそうとした木々のトンネルの中、石段をのぼると、彼岸花ひがんばなの咲き乱れる開けた境内に出る。いつ見てもあの世に来たような光景である。

 彼岸花の生えていない石畳いしだたみの上を歩き、因幡さんを導きながら社務所の戸を開ける。

 店長と因幡さんをいきなり会わせてびっくりさせようと企んでいた俺は、何も言わず社務所の居住スペースに因幡さんを入れた。

 店長がいるであろう居間の戸を開ける。

「ん、ああ、虎吉。学校は終わった、の、か…………」

 こちらを振り向いた店長は、因幡さんを見て固まった。

 サプライズ大成功、と内心ほくそ笑んでいた俺は、

「――!」

 因幡さんの台詞に、「え?」と自分も固まる羽目になったのである。

「ゲェッ、白兎ォ!? お、お前がなんでこんなところに……!?」

「姉さんを追いかけて、僕も地上に降りてきたんです!」

「え、え? 店長、因幡さんのお知り合いだったんですか……?」

 姉さん、ということは、因幡さんは妹ということになるのだろうか。名字が違うのが気になるが。

「虎吉……お前とんでもないものを連れてきてくれたな……」

 店長は恨みがましい目で俺を見た。

「因幡白兎。私の弟……というか、弟分というか……」

「は? 弟、って……」

 俺は因幡さんのセーラー服姿を見ながら引き気味に言った。弟さんが女装癖とかやだな。

「それだ。白兎、?」

「姉さんを追いかけようと慌てて女性の体で受肉しちゃったんです! 姉さんのせいですよ!」

「いや知らんがな! お前のケアレスミスだろうそれは!」

 ギャーギャーとわめく姉妹――いや姉弟? をなんとかなだめて、俺は二人から話を聞くことにした。

「僕は天界から姉さんを追って地上に派遣された天使なんです」

 因幡さんはそう説明した。

「かれこれ百年以上、姉さんを探して日本中を歩き回ったんですよ」

「ひゃ、百年!?」

 それはちょっと時間がかかりすぎではないのか。

「まずは南の端から順番に探していこうと沖縄に降臨して、海水浴をしながら人混みの中の姉さんを探したり、広島のもみじ饅頭まんじゅうとか香川のうどんとか美味しかったですね」

「完全に観光を満喫してるな?」俺は呆れた声を出す。

「いや、でも私なら多分そうしてた」

「店長……」

 血は争えないというか、なんというか。

「そういえば、店長は何度か自分を女神と自称してましたけど、結局何の女神なんですか?」

「自称って言うな」

「番場くん、君は姉さんと一緒にいておきながら何も知らないんですね」

 因幡さんは学校にいたときとは違う、無機質で冷たい目をしていた。

「姉さんは地上でも有名な『七福神しちふくじん』の一柱にして紅一点こういってん、音楽と弁舌、財産を司る女神。その名も『弁財天べんざいてん』ですよ」

 七福神。それは日本人なら知らない者はいないであろう、七柱の神様のグループである。全員の名前は知らなくても、弁財天は紅一点で目立つので聞いたことがある。

「あの、井の頭公園のボートにカップルで乗ると嫉妬から別れさせてしまうという恐ろしい女神様ですか……?」

「嫌な覚えられ方されてる!」

 店長は思わず両手で顔をおおった。

「あとは財産の神なので『銭洗ぜにあらい弁財天』といって小銭を水で洗うことで金運を上昇させる神社もありますね」

 因幡さんは敢えて否定せずスルーした。

「そういえばこの鳳仙神社も弁天様をまつってませんでした? 自分を祀ってる神社の巫女さんをしてたんですか?」俺がたずねる。

「色々事情があってな」

「それより姉さん、姉さんの話を聞かせてください。この百年以上の間、天界を離れて何をしていたのか」

「そうだな……」

 そうして、店長は自らの過去を語りだした。


「天馬百合」という名前は、『彼女』が弁財天になる前の幼名ようみょうのようなものである。

 天界において、神の名は襲名しゅうめい制である。

 神は基本的には不老不死であるが、天界には権謀術数けんぼうじゅっすうが渦巻いており、陰謀による失脚しっきゃくや単純にその神がきたなどの理由で代替わりが行われていた。

 天馬百合と因幡白兎は、弁財天に仕え、いずれは弁財天を継ぐために製造された天使であった。

 結果として、『彼女』――天馬百合は弁財天を襲名した。彼女以前の弁財天は、失脚したのか飽きたのか、理由は判然としない。

 しかし、弁財天を継いだ彼女もまた、神々が堕落だらくした天界の状況に嫌気いやけが差し――天界を離れ、地上に降りることにした。

 最初は琵琶湖びわこのほとりに降臨したが、そこでは琵琶湖の主である黒竜が暴れ、民は困窮こんきゅうしていた。

 弁財天は民を救うため、琵琶湖を荒らす黒竜に嫁入りし、琵琶湖を鎮めて住人を救ったとされる。

 しかしその話には続きがあり――夫である黒竜を得意の札術で封印してしまった彼女は、琵琶湖をこっそり抜け出して、妖怪を倒したり使い魔を増やしたり観光したりしながら北上し、やがて北海道の小さな農村にたどり着いたという。

 村は困窮しており、村を訪れた女旅人が財産を司る弁財天と知るやいなや、財産の女神を祀るという名目で、現在の鳳仙神社に封印してしまったのである。

 女神がとどまったことで村は金運でうるおったが、弁財天の怒りを恐れた村の人々は、自らの村を『宝船村』と名前を変え、神社には読みと漢字を変えた『鳳仙神社』という名前が残った。

 そこから百年経って、宝船村は宝船市になり、宝船市を訪れた黒猫――シュヴァルツェ・カッツェという男が弁財天を封印から解き放った。

 以降、弁財天はかつての「天馬百合」という名を名乗り、黒猫に付き従うようになったという。


「つまり……店長はバツイチ……?」

「そこを聞いてほしかったわけじゃないんだがなあ」

 俺の疑問に、店長は額へのチョップを返す。

「姉さん、可哀想に……人間に恋をして天界に帰れなくなってしまったのですね……」

「いや、そういうことじゃないんだが」

 よよよ、と泣くフリをする因幡さんに、店長は冷静に言った。

「わかりました! その黒猫ってやつ探すの手伝います! そして殺します!」

「殺すな」

「極端すぎて怖ぁ……」

 過激すぎる因幡さんに、俺は思わず身震いした。

 こうして、因幡さんは店長をしたって鳳仙神社にびたるようになるのだが、それはまた別の話。


〈続く〉

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