第15話 猫又族の娘

 驚かずに聞いてほしいのだが、俺――番場ばんば虎吉とらきちは現在、猫にさらわれている。

 より正確に言うのなら、人のように二足で立ち、尻尾しっぽが二つに分かれている猫の妖怪――猫又ねこまた、というやつだ。

 その日は相変わらず参拝客もおらず閑散かんさんとした鳳仙ほうせん神社で優雅に茶をすすっていたのだが――この神社、どうやって生計を立てているのだろうと常々つねづね疑問に思っているのだが、それはとりあえず置いといて――突如、バリンとガラス窓を壊す音が聞こえ、俺たちがいる部屋の戸がバァン、と蹴破られた。猫又たちがドドッと部屋に押し寄せる。

「おいおい、アヤカシ堂に殴り込みとはいい度胸してるじゃないか。お前ら猫又族の者だろう」

「な、なんで結界が機能してないんすか!?」

 ニヤリと笑いながら余裕綽々よゆうしゃくしゃくに御札を広げる店長に、俺は焦った声を上げる。

「この神社のある山には何種類か妖怪がんでいてな。停戦協定を結んでいて破ったものはただじゃあ済まない。神社を守っている妖怪もいるからそちらから侵入するとは思っていなかったのだが……さしずめ、猫又族にも切羽せっぱ詰まった理由があるんだろうよ。なにせこの私を敵に回すほどだからなあ?」

 店長は口は笑っていたが、目が笑っていなかった。一番怖いパターンだ。

「おい、もしかしてこいつか?」

「なーんか、思ってたより弱そうだが……」

 猫又たちは何故か俺を指差して小声で話し合っている様子だ。え、なに? 俺なにかした?

「何をブツブツ話し合っている。まず壊したものを弁償してもらおうか」

「へっ、『聖なる魔女』なんて相手取ってたら血の一滴までしぼられて魔法薬の材料にされるからにゃ。マトモに相手にするなって言われてるし、目的のものを回収してトンズラさせてもらうぜ」

 そう言って猫又の一匹が煙幕玉を床に叩きつける。ボン、と辺りが白い煙に包まれた。

 何も、店長の姿すら見えなくなって一瞬焦った俺のすきを突いて、猫又が俺を担ぎ上げる。

「え? え?」

「おっと、暴れるなよ。なるべく無傷で持って帰れって命じられてるからにゃ」

「まあ、どうしても抵抗するなら殺さない程度に、とも言われてるがにゃあ?」

 ニャハハ、と悪い笑みを浮かべる猫又たち。

「虎吉お兄ちゃん!」

狛村こまむら! 獅子戸ししど! 追え!」

 思わず大声で俺を呼ぶ鈴と、狛犬こまいぬたちに命じる店長の声がどんどん遠ざかっていく。いや、離れていくのは俺の方だ。

 こうして俺は、猫の妖怪に拉致らちされてしまったのである。


「問題はここから村に帰れるかどうかだぜ」

「こいつ背負いながら生きて帰れるかにゃあ……」

 猫又たちは何かに怯えた様子で神社を離れる。

 ウオンウオンと鳴き声がして、後ろ向きに担がれている俺の目に狛犬たちが追ってきているのが見えた。

「チッ……狛犬がしつこいにゃ……」

「やば、前方からも山犬が来てる!」

 俺がなんとか首を曲げて猫又の向かう方を見ると、アニメ映画に出てくるような巨大な犬がグルル……とうなり声を出している。

 おまけに、こけむした地面が突然揺れだして、猫又たちはバランスを崩しそうになる。

「ゲッ、これ地面じゃねえ! 緑青龍ろくしょうりゅうだにゃ!」

 ちょうどその緑青龍とやらの尻尾の部分を踏んでいたようで、べしっと尻尾を振り回され、猫又とそいつらに担がれた俺が宙を舞う。

「うわわ!」

「うにゃー!」

 空中に飛ばされた時、俺は緑青龍の全貌を見た。

 緑色の苔と草が身体にびっしりと生えた――巨大なミミズ。

 本当にこの神社のある山は生態系が豊かだなー、などと、俺は呑気のんきなことを考えながら猫又とともに山の奥へ吹っ飛ばされたのである。


 ちょうど飛ばされた先が幸運なのか不運なのか、猫又族の集落近くであった。

 俺は着ていた学ランをキレイに整えられ――山の中でドタバタしていたので、少し汚れたり着崩れていたのである――猫又族の長の家へ通された。

「メア様、連れてまいりました」

「ご苦労さま。あんたたちは下がっていいわ」

「ははっ」

 俺を拉致してきた猫又がその場を去る。

 メア、と呼ばれた猫又は、今まで村で見た猫又たちとは見た目が違った。

 今までの猫又は全身毛皮に覆われていて、猫が二足で立っているだけといった感じだったが、メアはより人間に近い姿だ。というより、人間の女の子に猫耳と毛皮の服、手袋、ブーツ、尻尾をつけただけのように見える。他の猫又と見た目が違うのは、他の猫又よりも階級が高いから、とかそういう感じなのだろうか。メアは猫又族の長の娘、と聞かされている。

「ふーん……」

 メアは値踏みをするように俺をじろじろと眺める。

「ええと、メアって言ったか。俺に何の用で攫ってきたんだ?」

「私の許可なく勝手に喋らないで」

 外見年齢は俺と同じか少し幼いように見えるが、性格はかなりきついようである。

 突如、メアの毛皮に包まれた柔らかい手が俺の胸を押した。思わず俺の身体が後ろに下がる。

 転ばないように慌ててバランスを整えながら下がると、背中が壁にぶつかった。

 メアの手が俺の胴体を挟むように壁に寄りかかって逃げ場がない。――これは、いわゆる壁ドンというやつでは?

「あ、あの、」

「喋らないでって言ってるでしょ」

 予想外の出来事に思わず顔が真っ赤になる俺をよそに、メアは俺の胸に顔をうずめ、匂いをかいでいるようだった。そして、何故か思い切り顔をしかめる。

「こいつを連れてきた奴らを呼び戻して。今すぐ」メアは執事のような格好をした猫又にそう命じた。

 ――そして、俺を攫ってきた猫又たちは恐怖におびえた顔で、メアの前で正座させられていた。

「話が違うじゃない」

「へ、へえ? 何の話ですかメア様?」

「私は『太陽を克服こくふくした吸血鬼』がいるっていうから連れてこさせたのに、ただの人間臭い半妖じゃないの! 聞いてないわよこんなの!」

「はあ、まあ半妖なら太陽も平気でしょうにゃ」

だまされたー!」

 メアは頭を抱えた。

「太陽を克服した、なんて言い方されたらどれだけ強力な吸血鬼かと思うじゃない普通!? ありえない……ありえないわ……ないわー……」

 なんかよくわからんがとても失望されているのはわかった。

「俺が目当ての吸血鬼じゃないのなら、神社に帰してくれないか?」

「ダメよ、『聖なる魔女』――天馬てんま百合ゆりを敵に回した以上、私達はもう戻れない。こうなったらあんたにも『蠱毒こどくの術』に参加してもらうわ」

 こどくのじゅつ、ってなんだろう。

 俺の頭を疑問符が乱舞する。

「半妖風情ふぜいじゃどうせ生き残れないだろうけど、せいぜい他の妖怪のかてになってちょうだい。――こいつを『蠱毒の壺』へ連行して」

「ははっ」

 屈強くっきょうな体つきの猫又に挟まれて、俺はまたどこかへ連れて行かれる。

「他の妖怪の糧」というのがとても嫌な予感のするワードである。

 狛犬たちがこの猫又族の村を嗅ぎ当てて、店長たちを連れてくるまでに生き延びられるだろうか。

 俺はいったい何をさせられるのか、不安が募った。


「――さあ始まりました、『蠱毒の術』! 実況はわたくし、メア様の忠実なる執事セバと、解説はメア様でお送りいたします!」

「セバ、あなた終始そのテンションで行くつもり?」

 ……一言で言うならば、武闘大会のような雰囲気であった。

 丸くて広いステージの上に、所狭しと古今東西の妖怪たちがギュウギュウ詰めとは言わないまでも、隙間は少ない。そしてステージは出場する妖怪が出揃った時点で透明なドームのようなもので覆われた。これが『蠱毒の壺』と呼ばれるものだろうか。少なくともステージ外に吹っ飛ばされて失格、ということはなさそうである。

「ルールは至ってシンプル! !」

 セバと名乗った猫又の軽いノリに、俺はぎょっとした。そんなハイテンションで、「殺し合いをしてもらいます」って。

「蠱毒の術とはもともと毒虫や蛇などを壺の中で殺し合わせて、生き残ったものが妖力を得ることで家の繁栄などを目的としたものですが、今回の蠱毒の術は皆さんに殺し合いをしていただき、殺したほうが殺されたほうの妖力や呪力を得ることで、最後に生き残った妖怪が強力な妖力を得る上に、メア様の花婿はなむこになれるという栄誉を手にすることが出来るのです!」

「帰る!」

 俺は如意棒で透明なドームを殴る。が、ヒビ一つつかない。

「無駄よ、蠱毒の術は内側から破ることは不可能。最後の一人になるまでそこからは出られないわ」

 メアは片肘をつきながら、つまらなそうに言う。

「そのとおり。俺かお前が最後に生き残れば、妖力を十分蓄えて出られるってわけだ。まあ、お前が生き残れたらの話だがな?」

 聞き覚えのある声がして、振り向くとそこには妖猫ようびょうクロガネ――天馬百合に復讐を誓う猫宮一族の生き残り――がいた。

「あー! ちょっとクロガネ! あんたよくも私を騙したわね!」

 ついさっきまで気だるげだったメアが尻尾を逆立てながらクロガネに叫ぶ。

「あんたが『太陽を克服した吸血鬼がアヤカシ堂にいる』なんて言うからアヤカシ堂の停戦協定を破ってまで蠱毒の術に引き込んだのにどうしてくれるのよ!? 今の猫又族に天馬百合に敵う戦力なんていないわよ!?」

「ふん、その時は俺が天馬百合を殺す。奴は俺の獲物だ」

「かっこつけてんじゃないわよバーカバーカ! ちゃんと最後まで生き残って責任とって『聖なる魔女』をち取りなさいよね!?」

「それでは皆様、準備はよろしいでしょうか!? ルール無用のバトルロイヤル、開幕です!」

 カーン、とゴングの鳴る音がする。

「おやおやァ~? なぜか人間の匂いがするなあ?」

「半妖がいるぞ! 弱いやつから潰して妖力を奪え!」

 俺のすぐ近くにいた妖怪たちがこぞって俺を狙う。

 どうも半妖というやつは妖怪から見れば自分たちよりも劣ったものに見えるらしい。

 以前、店長がしてくれた話を思い出す。

『半妖は人間でもなく妖怪でもない。だが、人間よりも優れているとは限らないし妖怪より劣っているとも限らない。すべては己の心ひとつだ。優しさや勇気といった人間の心を忘れなければ、きっと君は人間を保てる』

「――人間臭くて上等! 俺は人間に戻るためにアヤカシ堂に勤めてるんだからな!」

 俺の握った如意棒は、俺の心に呼応するように、棘の生えた巨大なハンマーになっていく。

「俺は『太陽を克服した吸血鬼』なんかじゃねえ! 『吸血鬼の血に抗うただの人間』だ!」

 俺はそうえながらハンマーを振り回した。


「はぁっ……はぁ……」

 俺は肩で息をする。

『蠱毒の壺』の中は、ひどく血の匂いが充満していた。ドームに空気穴は開いているのか知らないが、換気が良くないのは確かだ。

 血の匂いは……苦手だ。頭が酔ったようにぼうっとする。

「ほう、やはり生き残ったのは俺達だけか」

 ……?

 頭がうまく働いていないせいか、クロガネの声がやけに大人びて聞こえた。

「――見つけた! 斬れ、斬鬼ザキ!」

「おう、真っ二つだ!」

 斬。

 突如、空中から巨大な風刃ふうじんがステージごとドームを真っ二つに切り裂いた。

 俺とクロガネが切り裂かれたステージの対岸に立っている形だ。

 風刃の周りから発せられる風に髪を押さえながら空を見ると、黒竜――おそらく鈴だ――に乗った店長と斬鬼。

「……これはひどい」

 店長は顔をしかめた。

 二つに割られたステージの上は、妖怪の死骸と血で彩られていた。硝子のようなドームにも返り血がついている。

 向こうも本気だったから仕方なかった。生きるために殺さなければならなかった。

 それにしても、このみなぎる力はなんだろう?

「やっと来たか、アヤカシ堂」

 笑いを含んだクロガネのその声は、やはり成熟した男性のものだった。

「ハッ、随分ずいぶんいい男に成長したじゃないか」

 店長の言葉は正しい。クロガネはあの身長を気にしていた少年の姿から、だいぶ背の伸びた青年の姿に変わっていた。

「虎吉まで巻き込んで、今回は何を企んでいるんだ?」

「なに、子供の姿じゃどうしても不利だからな。大量の妖力が欲しかっただけさ」

「天馬、虎吉の様子が変だ」

 斬鬼の言葉に、店長が俺を見る。

 このときの俺はほとんど意識がなかった。肌は浅黒くなり、髪は腰まで伸び、耳は尖り、目の色が紅く染まっていく――妖怪化。鋭い牙をむき出しにして、フーッフーッと息を漏らす。

「クロガネと同じく、大量の妖気を浴びすぎたか……!」

 ぬかった、と言いたげに、店長は顔を歪ませる。

「さあ、選べよ聖なる魔女! 俺がこの吸血鬼のなり損ないを殺すのを眺めるか、お前がここに降りてきてこの正気を失った吸血鬼もどきに血を搾り取られるか!」

「――そんなの、選択肢になっていない」

 店長は黒竜の背中からふわっとステージに降り立った。俺の前に立ち、首筋を見せる。それはあまりにまぶしく――美味しそうな白い肌だった。

「ウ、ウウ、ウ、」

 俺はよだれが止まらなかった。口を開けると、上の牙と下の牙の間に銀の糸が引いていくのがわかった。

 店長の首筋に、俺の牙が迫る――

 ――が、ひとかけらの理性が、人間の心が、そのとき無意識に働いたのかもしれない。

 俺の牙は、自らの腕を噛んでいた。

「フーッ、フーッ……」

 腕には牙が食い込み、血が流れていく。黒竜の翼と斬鬼の起こす風で血の匂いもだいぶ吹き飛ばされて、俺の気持ちも落ち着いてきた。

「よくがんばったな。よく人間の心を失わなかったな」

 店長は俺の耳元で優しく囁いた。

「――どうやら選択肢はまだあったようだ。ここで私と戦え、クロガネ。私の店員を吸血鬼のなり損ないだの吸血鬼もどきだのと侮辱ぶじょくした罪、決して許さぬ」

「上等だ! 結局俺たちは殺し合う定めよ!」

 クロガネは凶悪な笑顔を浮かべて刀を握り直す。店長との戦いすらも楽しんでいるようだった。

「ちょっと待ちなさいよ! 蠱毒の術を壊された上に勝手なことされたら困るんだけど!?」

 メアは放送席でマイクを持って怒鳴る。

「クロガネ! あんた最初から私に嫁ぐ気なんてなかったわけ!?」

「当たり前だろう、猫又族なんて辺境の部族に興味ないわ」

 ハン、とクロガネは鼻で笑う。

「俺は誇り高き猫宮一族。復讐のために蠱毒の術を利用させてもらったに過ぎない」

「なんですって……!」

 メアはギリリと歯を食いしばる。

「おかげさまでこのみなぎる力はなんだ! お礼にメア、お前で試し斬りしてもいいか?」

 クロガネも妖力を浴びすぎて、多少理性を失っているらしかった。

 刀を構えて、放送席へ突っ込んでいく。

「メア様、お下がりください!」

 セバがメアをかばうように前に立ったが、このままでは彼も死んでしまう。

「セバ!」

 メアは見ていられない、というように固く目を閉じる。

 ガキィン。

 俺はクロガネと、メア・セバの間に立って、クロガネの刀を如意棒で受け止めた。

「……いい加減にしろよ……」

 俺は顔を伏せたまま、目だけはクロガネをにらみつける。

「店長に恨みがあるのかなんだか知らねえが、復讐のためなら誰を巻き込んでもいいのかよ……」

「誰が巻き込まれようが知ったことか! 俺はかたきを討つためなら手段は選ばない!」

 クロガネの脳裏に、『あの日』の記憶が蘇る。

 血溜まりの中に倒れ伏す父と母。その傍らに立ち尽くす天馬百合。シロガネに手を引かれ、泣きじゃくりながら人間の魔の手から逃げる自分。

 ――アヤカシ大戦は、何をきっかけに始まったんだったか?

 もうあの泣くことしか出来なかった自分とは違う。どんな手段を使っても妖力を増し、必ず天馬百合を殺す。

「……そういえば、お前を殺せば蠱毒の術は完成するのか? お前の死に顔を見たら、天馬百合はどんな顔をするかな?」

 クロガネは歪んだ笑みを浮かべる。俺は背すじがゾッとした。

「そこまでよ」

 メアの硬く冷たい声がする。

「蠱毒の壺が破壊された以上、儀式は失敗したわ。虎吉を殺してもこれ以上妖力が高まることはない。そして、私に婿入りするつもりがないのなら、私もあんたにはもう用はない。この村から出ていってもらう」

 クロガネは大柄な猫又たちに囲まれていた。

「クロガネ様、どうやらここいらが潮時のようですな」

 観客席に座っていたシロガネが声をかける。隣にはコガネもいた。

「……フン、そうだな。引き揚げるぞ」

「はーい」

 クロガネはさっと踵を返す。

「……天馬百合に対抗するための妖力は手に入れた。あとはあの女を殺すための武器を手に入れる」

「最後までお供いたします、クロガネ様」

「俺も俺もっ!」

 クロガネ、シロガネ、コガネの復讐の旅路。

 何が彼らをそこまで駆り立てるのか、俺には知る由もないが。

 ――誰が巻き込まれようが知ったことか!

 その考え方だけは間違っていると、俺は思ったのである。

「虎吉、身体は大丈夫か?」

 店長が俺に駆け寄る。

「かなり調子がいいですね。今なら空も飛べそうです」

「妖力がかなり高まっているな……。私の血で少し中和できるといいんだが」

 そう言って、店長は人差し指の腹を軽く切って俺に差し出す。プツ、と血の玉が指の先に浮かんだ。

「え? もらっちゃっていいんですか?」

「特別に少しだけだぞ」

 店長の血の匂いは、人間や妖怪とは違う、なにか特別な匂いがした。ルナールやイービルが『女神の血』として狙っていた理由がわかる気がする。

「で、では……いただきます」

 恐る恐る店長の手を取り、人差し指の先を口に含む。

 ジュワッと舌の先が灼けるような感覚がした。痛くはない、けれど自分の中の何かが浄化されていくような感覚。

 思わず吸血が止まらなくなってしまう。イービルは「ゲテモノ」などと評していたが、俺には何よりも甘露かんろに感じた。喉を通った女神の血は、俺の身体を駆け巡り妖気を霧散むさんさせていく。

「吸いすぎだ。もういいだろう」

 店長が俺の頭に軽くチョップを当てる。何故か彼女の顔は赤かった。

「うん、だいぶ妖力が減ったようだ」

 店長は俺の顔を見て一人うなずく。自分の手を見ると、浅黒かった肌は元の健康的な肌色に戻っていた。髪や爪なんかは伸びっぱなしになってしまうのが困りものだ。

「ちょっと、虎吉! あんたいつまでその女とイチャイチャしてんのよ!」

 メアの声に驚いて見ると、メアはすねたような顔をしている。

「天馬百合! あんた虎吉の何なわけ!?」

「えーと……雇い主?」

「その程度の関係なら、あんまり私の虎吉とベタベタしないでよね!」

「は? 『私の』って……」

 メアの言葉に、俺は困惑するばかりである。

「蠱毒の術が中断された時点で、クロガネ様はこの場を去りました。蠱毒の術を生き残ったのは虎吉様お一人ということです。つまり、最後の一人となった虎吉様は、見事メア様の婿殿ということになります」

 セバはにこやかにそう言い放った。

「は…………ハァァ!? 勝手に連れてきて勝手に参加させて勝手に婿入りってお前らどうかしてんじゃねえの!?」

「妖怪は大概たいがいどうかしてるからな、仕方ないな」

 目をいて叫ぶ俺に、店長は意外と冷静だった。

「どうかしてるって失礼な話ね。あんたたちの価値観と一緒にしないで」

「とにかく、俺はメアの婿にはなれない」

「どうしてよ?」

「俺は、店長が――天馬百合が好きだから」

 猫又たちに動揺とざわめきが広がる。

「そんな……そんなのって……」

 メアはショックを受けて固まっているらしかった。

「パパは――猫又族の長は病気で倒れて余命が少ないの。すぐに世継ぎを作らなきゃならないの。お願い――」

「それは……気の毒だけど。そもそも愛もないのに子供を作りたいがためだけに結婚相手を無理やり選定するのって、俺の主義じゃない」

「愛ならあるわよ! 私、あなたがクロガネの刃から私とセバを守ってくれた時、好きだって、この人ならいいって思ったもの!」

 メアの告白に、猫又たちがまたどよめく。

「……お前ら妖怪は純血主義じゃないのか。半妖の血が混じってもいいのか?」

「いいわよ。私だって『出来損ない』なんだから」

 そう言って、メアは腕の毛皮を外す。……それは、ただの毛皮の手袋だった。メアの、人間のように毛のない手が晒される。

「メア様が人間!?」

「いや、耳と尻尾は間違いなく本物……」

「どういうことだ!?」

「メア様は半妖なのですか!?」

 猫又たちが口々に騒ぐ。

「私は純血の妖怪よ。……ただ、生まれたときからこの姿で、猫にも変身できない、出来損ない」

 メアは静かに語る。

「それでも私は長の血を引き継がなきゃいけないの。長の子供は私しかいないの。強い妖怪の血で、私の出来損ないの血を、少しでも薄めてほしかった」

 そのための、蠱毒の術。

「どうせなら、出来損ない同士で結ばれたほうがいいじゃない! そこの女神様はどうせ黒猫しか見てないんでしょ!」

 メアは叫ぶように訴える。

「……あのさ」

 その重い言葉を受け止めて、俺はなるべく冷静に努める。

「俺は半妖である自分を『出来損ない』とは思ってない。お前らの価値観と一緒にしないでくれ」

 メアは愕然がくぜんとした様子であった。

「帰りましょ、店長」

 立ち尽くすメアを置いて、俺は店長の手を引いて黒竜――鈴の背に向かった。

「ああ、そうそう」

 店長は思いついたように、近くに立っていたセバに紙片を渡した。

「? これは?」

「お前らの放った猫ちゃんの壊した神社の修理代請求書。耳揃えてきっちり払ってくれ」

 店長はにっこり笑って、俺とともに鈴の背中に乗り、斬鬼と一緒に飛び立っていく。

「……やはりあの方は魔女ですね」

 引きつった顔で、セバはつぶやくのであった。


「ふと思ったんですけど、店長の血をたくさん吸ったら人間に戻れたりしませんかね」

「私の血が何リットル必要だと思ってるんだ」

 いつもの鳳仙神社。

 猫又に破壊された箇所もキレイに修復され、今回の事件は解決したかに見えた。

 ――俺の腕に抱きつき、すりすりしてくるメアがいることを除いて。

「メア様、そろそろお帰りになりませんと」

「イヤ! 召喚契約だけでもしてもらわないと帰らない!」

 困り顔のセバに、メアは断固とした態度で腕に抱きつく力が強くなる。

「使い魔契約か、いいじゃないか、しておけば」

「そんなこと言われても、召喚なんてやったことないですよ」

 店長の軽いノリに、俺は困惑する。

「なに、妖力や霊力――ゲームでいうMPみたいなもんだな――を消費して、私の御札や黒猫様の魔弾のような触媒を使えば召喚自体は簡単だ。使い魔との契約条件の調整は大変かもしれんがな?」

「俺、触媒なんか持ってませんし……」

「君の場合は『口寄せの術』のように血だけでもいけそうな気はするが」

「……で? メアの契約条件は?」

「私のお婿さんになること」

「イヤです」

「敬語になるほどイヤなの!?」

 ホント信じらんない! とメアはテーブルを叩く。

「もういい! 帰る! 私は絶対諦めないんだからね!」

 心なしかホッとした顔のセバが巨大な猫に変身すると、メアはその背に乗って猫又の村へ帰っていった。

「また厄介なのが増えたなあ……」

「モテモテでいいじゃないか」

「店長以外にモテても困ります」

「……お前本当にブレないな」

 店長は呆れているのか照れているのか、複雑な顔で俺を見るのだった。


〈続く〉

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