第7話 人造妖怪

 宝船たからぶね市。

 この町には不気味な言い伝えがある。

 昔、異国から来た男が『アヤカシ堂』という店を開いた。

 怪しげな薬や品物を売り、夜な夜な悪魔を喚び出しているといううわさだった。

 しかしある日、その男は忽然こつぜんと姿を消した。

 び出した魔女にわれたと伝えられているが、その魔女はまだ『アヤカシ堂』にみ着いているそうだ。

 そして、誰も『アヤカシ堂』の場所を知らないという――。


「――って、ネットで噂になってるんすけど、うちの店」

「ほう、そりゃ怖いな」

 スマホを眺める俺に、店長はそっけなく答えた。

「まあ、実際はこの神社がアヤカシ堂って町の人間はみんな知ってますけどね」

「おかげさまで誰も来なくて困ったものだ。働きたくはないが賽銭さいせんくらいは欲しいものだな」

「ところでお姉ちゃんは何してるの?」

 鈴が店長にたずねる。店長は紙に十円玉を乗せて、それにさらに人さし指を乗せている。

「店の宣伝だが?」

「俺には独りでコックリさんをしているようにしか見えませんがね?」

 その紙にはひらがなの五十音と、神社の鳥居のマークが書いてあったからだ。

「今ちょうど近所の小学校でコックリさんをやっているようでな」

 すると、十円玉から声が聞こえてきた。

『コックリさんコックリさん、あいかちゃんのボールペンはどこにありますか』

 子供の声だ。どうやらクラスメイトがボールペンを失くし、その場所をコックリさんに訊ねていると推測された。

 今は夕方なので、放課後に友達で集まってコックリさんをしてるとかそんなところだろう。

「『アヤカシ堂に聞け』……と」

 店長は十円玉をひらがなの上に滑らせていく。

「現在進行形でコックリさんで喚び出されてるんすか!?」

「おうよ、リアルタイムよ」

『え、アヤカシ堂って何?』

『どこにありますか?』

「あれ、今の子はアヤカシ堂知らないんだね」鈴が意外そうに呟く。

「まだ幼いからな……ええと、『小学校を出て右に曲がって……』」

 店長は道案内をし始めた。

『え、なにこれ怖い……』

『コックリさんコックリさん、お帰りください』

「いいえ」

 店長は清々しいほど爽やかに笑っていた。

「店長、子供をいじめちゃダメですよ」

「ふん、コックリさんをするときは自己責任だ。――あっ、アイツら強制的に『はい』に移動させやがった」

「コックリさんがなかなか帰らないとビビりますよね」

 コックリさんは多くの小学校で禁止された遊びである。読者の皆さんは決して真似しないように。

「虎吉、お前もネットに宣伝を書き込んでおけ。『アヤカシ堂を訪れた人間は、聖なる魔女に願いを叶えてもらえる』とな」

「……聖なる魔女って自分で言ってて恥ずかしくなりません?」

「私が考えたわけじゃないもん!」

 店長が真っ赤になって反論すると、玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。

「ちわ~。百合ちゃんおる?」

 知らない女性の声だ。

幽子ゆうこか。入ってきていいぞ」

「お邪魔しまっせ~」

 幽子と呼ばれた女性が俺達のいる部屋に入ってきた。

 見た目からして妖狐だった。

 いかにも狐っぽい、目を閉じているような細い吊り目にωオメガのような口、そして足と耳と尻尾が狐のままだ。変化へんげの術に失敗している感じがする。

 しかし、ボブカットにした銀髪は毛艶けづやがよく光を反射して美しい。

「ん~? 百合ちゃん、うちが知らないうちに男なんか連れ込んでるん? しかもそんな若いツバメ」

「馬鹿、ただのアルバイトだ。こいつは番場虎吉。ワケあって半分吸血鬼になってしまっている元人間だ」

「は、はじめまして……」

 俺は幽子さんにペコリと頭を下げる。

「あ、そうなん? うちは近くの稲荷いなり神社で神様やっとる幽子言うもんや。よろしゅうに~」

 それにしても、さっきから関西弁っぽい言葉を話しているが、イントネーションがおかしいというか関西出身でなくても下手くそな関西弁だと分かる。

「稲荷神社の神様って……お前が勝手に神社に棲み着いてるだけだろうが」

「無人なんやしええやん。ま、加護を与えるとか願いを叶えるとかはできひんけどな。にゃはは」

 幽子さんは愉快そうにケラケラ笑う。

「それで? 何の用だ」

「昨日弟と喧嘩けんかして弟が家出してしもうたんや。父ちゃんが『早く連れ戻せ』言うてうるさくてなあ。探すの手伝ってくれへん?」

「え~、めんどくさ……」

「いやん、百合ちゃんのいけず。親友の頼みが聞けへんの?」

 幽子さんの言葉に店長がわずかにほほを染める。

「親友……親友か……じゃあ仕方ないな……」

「よっ、百合ちゃんええ女! やっぱり持つべきは頼れる親友やわぁ」

 幽子さんにおだてられ、店長は依頼を引き受けた。

「……店長、もしかして他に友達いな……」

「虎吉、鈴、『チェシャ猫』のもとへ行くぞ」

 俺の台詞をさえぎって、店長は聞き慣れない言葉を口にする。

「チェシャ猫?」

「行けば分かる。幽子は一応、稲荷神社に戻っていてくれ。もしかしたら戻ってくるかもしれないし」

「ホンマに一応、って感じやけどな。アイツ絶対戻ってけえへんし。でもまあ、わかったわ」

 店長の言葉に、幽子さんはうなずいた。

「それでは、行こう」

 店長、俺、鈴、幽子さんは山の石段を降り、幽子さんとはふもとで別れた。

 今日の鈴は店長の影に潜らず、自分の足で歩いていた。天気がくもりだから体調がいいのかもしれない。

 店長と鈴が手をつないで歩く姿は親子――いや、それは店長が怒りそうだ。仲のいい姉妹のようだった。

 真っ黒い着物。鳥のようにかたうろこおおわれた手と、黒い爪。抱きかかえた黒い竜のぬいぐるみ。

 そういえば、俺は鈴についてはあまり詳しくない。

 鈴は引っ込み思案な性格だが無垢むくなところもあり、最近は俺にも多少懐いてきたが、かなりの人見知りで無口らしくあまり自分から会話をすることはない。

 いつも店長の影に文字通りポチャンと水の中のように潜り、時には頑丈な盾になって守り、時には巨大な竜となり攻撃してくれる、そして鈴が潜った影から蔵の魔道具を取り出せる、店長にとっては頼もしいパートナーだ。

 店長と鈴がいつから行動をともにするようになったかは聞かされていないが、きっと俺なんかよりはるかに長い時間一緒にいたのだろう。

 そんなことをつらつらと考えながら、店長についていくと、そこは何の変哲へんてつもないごくごく普通の公園だった。

 緑地りょくちで子どもたちが駆け回る光景は、微笑ましさすら感じる。

 ふと、子どもたちが不思議なものを見る目でこちらを凝視ぎょうしし始めた。理由は簡単、店長が巫女服のままだからである。

「店長……普通の私服買ったほうがいいですよ」

「いや私服は持ってるよ失礼だな。話の流れ的に着替える時間がなかったんだよ」

 持ってたのか。いやたしかに着替えるタイミングはなかったが。

 しかし、子どもたちの親が迎えに来て、ひとりまたひとりと子どもたちは公園を出ていく。そういえばもう夕方だった。

「バイバーイ」

 と声をかけあって家路いえじにつく子どもたち。公園には俺たちアヤカシ堂の面々と、ひとりだけ男の子が残された。

「……そろそろ来る頃だと思っていたよ、百合」

 男の子はそう言って振り返り、ニタリと耳まで届きそうなほど口を広げて笑った。ギザギザの鋭い歯が、ただの人間の子供ではないことを示している。

「なら、用事の内容ももう知ってそうだな、『チェシャ猫』」

 店長は冷静にそう返す。

「ああ、幽子の弟クラウドの行方だね?」

「な、なんでそんなついさっきのことを知って……」

 俺はチェシャ猫の言葉に動揺する。

「風のうわさってやつさ。風が教えてくれたんだ」

「……は?」

「僕は情報屋だ。あらゆるものの声を聞くことで情報を集めるのさ」

 いや、ちょっと何を言ってるのか分からない。

 まさしくチェシャ猫の不可思議な言動に振り回されるアリスの気分だ。

「で? クラウドは今どこにいる?」

「その前に報酬の話をしないかい? 僕だってボランティアでやってるわけじゃないんだ」

「……いくらだ?」

「天国への行き方をひとつ売ってほしい。流石に天使たちの情報はなかなか得られなくてね」

「わかった。後日書類にまとめて郵送する」

「そりゃありがたい」

 チェシャ猫はそう言ってニッコリ笑う。普通の笑い方をすれば普通に純粋無垢な子供に見える。

「クラウドは今、烏丸からすま黒天こくてんのもとに居候いそうろうしている」

 烏丸黒天、という言葉に、店長はピクリと反応した。

「――烏丸黒天、だと?」

「ああ、アヤカシ大戦の生き残りにして、烏丸一族の生き残り。君もよく知ってるはずだ」

「もちろん……覚えている」

 店長はどこか苦々しい顔をしていた。

「どうも、夜中に繁華街はんかがいの裏路地をうろついていたクラウドを黒天が拾ったようだ。家出しても行き場がなかったクラウドはそのまま転がり込んだらしい」

「クラウドくん……」

 はあ、と店長はため息をつく。

「黒天の居場所は分かるか?」

「もちろん。その繁華街の裏路地に、異界に通じるゲートがある。その中にアジトを作っているようだね。気をつけたほうがいい。彼は妖怪を集めて一斉蜂起いっせいほうきたくらんでいる」

「一斉蜂起……?」

 俺は首をかしげる。

「アヤカシ大戦の報復、といったところか」

 店長は納得したようにうなずいた。

「では、クラウドくんを引き取りに行くついでに、そのアジトも潰しておかねばな」

 さらっと物騒なことを言う。

「チェシャ猫、情報提供ありがとう。礼は後日郵送で返させてもらう」

「ああ、道中お気をつけて。――ところで、その子が番場虎吉くんだね?」

 チェシャ猫は俺を見る。

「は、はい」

「ふーん、本当に人間と妖怪の匂いが混じり合っているじゃないか。しかも絶妙なバランスだ。吸血鬼なのに太陽にあたっても焼け死なない。便利な身体だね」

「ど、どうも……」

 俺は何と言ったらいいか分からず、とりあえず頭を下げる。

「君はさながら、アヤカシの世界に迷い込んだアリスだね」

 そう言って、チェシャ猫はまたニタリと鋭い歯を見せた。

「君とはいずれまた会うことになるだろう。またね、アリス」

「あ、アリスって……」

 俺は男なんだが。

 チェシャ猫は手を振って、公園を出る俺たちを見送った。

「あのチェシャ猫って人――人じゃないけど、なんで子供に化けてるんです?」

 俺は素直な疑問を口にする。

 チェシャ猫と言えば、『不思議の国のアリス』の中では、透明になる能力を持っている。

 なら、最初から透明になっていればいいはずだ。わざわざ人間の子供に混じるのはリスクが有るのではないだろうか。

「あれが彼なりの透明なんだ」

 店長は不思議なことを言う。

「子供に化けて、子供にまぎれて、公園で遊ぶ。それは他人から見ればあまりにありふれた光景で――実際、妖怪には見えなかっただろう?」

 俺は子どもたちと無邪気に遊ぶチェシャ猫を思い出す。

 たしかに、あのときは妖怪には見えなかった。

「他の妖怪だって、ああやって人間社会に紛れ込んでいる。匂いや痕跡こんせきを消し――君のように鼻が敏感な者でも気付かないくらい自然にね」

 それを考えると恐ろしい話ではある。電車で自分の隣に座っている人間が人間である保証はない。

「中には人間に紛れたのをいいことに、人間に害をなすものもいる。それを取り締まるのが我々アヤカシ堂や怪異対策課だ」

 そういった話をしながら、鳳仙神社に戻ると。

 境内に、黒い犬がいた。

「ん? なんだこいつ」

「可愛い!」

 首をかしげる俺に、無邪気な笑顔を浮かべる鈴。

「野良犬ですかね」

「ね、ね、お姉ちゃん。この子飼いたい!」

 鈴は頬を紅潮こうちょうさせて店長を振り返る。こんなに興奮している鈴は珍しい。こうしていると年相応の子供だ。

「ダメだ。お客様に犬アレルギーの方がいたらどうする」

 しかし、店長はキッパリと否定する。

「それに、うちには狛村こまむら獅子戸ししどがいるだろう」

「えー……」

 ぷくっと頬を膨らませていじける鈴。可愛い。

 すると、伏せの姿勢で動かなかった黒犬が突然スクッと立ち、社務所の中に駆け込んでしまった。

「あっ、こいつ……! 待て!」

 店長が慌てて追いかけ、社務所の中に入っていく。犬の毛が入ってアレルギーの原因になったら困るからだ。

「店長、大丈夫っすか!?」

 俺と鈴は犬と店長を追って社務所に飛び込む。

 犬の足跡を追っていくと、廊下をまっすぐ進んだ突き当りの部屋に入ったようだった。

 戸を開けると――

 見知らぬ少年が気絶した店長を抱えていた。

 黒い髪。黒い毛皮の服。獣の耳が頭についていて、足と尻尾も獣のものだった。

 ――妖怪!? どうして、どうやって結界を突破した?

 突然のことに混乱しているすきに、妖怪の少年は店長を抱えたまま窓から飛び出していった。

「ま、待て! ――店長!」

 店長は、さらわれてしまったのである。


 ***


「なんやてぇ!? 百合ちゃんが攫われた!?」

 店長の行方を見失い、途方に暮れた俺と鈴は、鳳仙神社の近くにあるという稲荷神社――幽子さんが棲み着いている神社だ――を訪ねた。

「黒い犬だと思ってたらそいつ妖怪だったみたいで……」

「……あー、多分それうちの弟やわ」

「クラウドってアイツだったんですか!?」

 俺はまたびっくりした。しかし、弟というわりには、幽子さんは狐で、クラウドは犬である。

「ああ、アイツは犬ちゃう。狼や」

「どちらにしろ血がつながってないじゃないですか」

「せやな、血はつながっとらん。それでも可愛いうちの弟や」

 幽子さんはωオメガのような口なので表情はわかりにくいが、多分真剣に言っている。

「で、クラウドはその黒天とかいう奴のところに転がり込んでるんやな? ほな、とっとと行ってアイツしばき倒して連れて帰るわ」

「それなら僕も行くよ」

 不意に男の声が聞こえた。

 声のもとを見ると、モノアイのゴーグルをつけた白衣の男が歩み寄ってくる。

「あなたは?」

「僕は、みんなからは『ピクシー博士』って呼ばれてるね。ここにいる幽子とクラウドの父親みたいなもんかな」

 しかし、その男の背にはトンボのような透き通った羽が生えているのである。――妖精、なのかな。

 妖精の父親に、狐と狼の姉弟。何だこの家族。

「父ちゃんもおるならクラウドのやつも説得できるかもしれへんな。よっしゃ、ほな黒天のもとへ向かうで!」

 俺たちは宝船市にある繁華街へと向かう。幽子さんやピクシーさんはあまりに妖怪然として目立つので必然的に人気のない裏路地を進む。おそらくはクラウドもあの姿で表を歩けないから裏路地をさまよって――黒天の目に留まったのだろう。

 裏路地のある地点で、ピクシーさんが立ち止まった。

「ふむ……おそらくはこっちだ」

 ピクシーさんが先頭に立って裏路地をどんどん進む。

 やがて袋小路にたどり着いた。

「ここだな」

「ここって……行き止まりじゃないですか」

「妖精の魔力感知能力を侮ってもらっては困る。この壁を真っ直ぐ歩くと――」

 ピクシーさんは壁に向かって歩く。

 ぶつかる、と思ったら壁をすり抜けた。

「ここから異界に繋がっているんだ。この先は敵のアジトだ。覚悟してのぞむように」

「は、はい!」

 こうして俺たちは烏丸黒天のアジトへ乗り込んだのである。


 ***


 一方その頃、烏丸黒天のアジト。

 百合は地下牢に囚われていた。

 地下牢とは言ってもカーペットが敷かれ、ふかふかのベッドにテレビ、本やゲームなどが完備されていて破格はかく好待遇こうたいぐうである。これ地下牢か?

 一応門番は控えていたが、百合はもとより脱獄する気がなかった。ベッドに寝転がりながら、テレビでお笑いを見てケラケラ笑っている。

「ったく、随分のんきな人質様だぜ」

「しかし、結構美人じゃねえか?」

美味うまそうだよな……ああ、腹減ってきた……」

 妖怪の門番たちは牢屋の中の百合を見てよだれを垂らす。まるでエサの前で「待て」をされている犬だ。

「ハッ、お前らにはもったいない上玉じょうだまだよ、あのお方は」

 門番たちが声のした方を見ると、クラウドが歩いてきた。

「新米のくせに相変わらず生意気だなテメーは」

「おっと、ここのルールは『強いやつがえらい』んだろ? もっかい力比べするか?」

 クラウドがそう言うと、門番たちは気まずそうに黙り込む。

「お前らは下がってろ。俺はあの方に話がある」

 門番たちはチッと舌打ちをしながら地下の階段を昇っていった。

百合姉ゆりねえ、黒天さんが一緒に食事しようってさ。まったく、百合姉はマイペースだから鍵をかけて閉じ込める意味もないね」

 クラウドはそう言って笑う。

「――百合姉。俺のこと覚えてる?」

「クラウドくんのことはきちんと覚えているさ。しばらく見ないうちに大きくなったな」

 百合は優しく微笑む。

「いつでもアヤカシ堂に遊びに来てもいいように結界を通れるようにしたのがあだとなったがね」

「ごめんね?」

「構わない。黒天に頼まれて断れなかったんだろう? 一応は居候だものな」

「ああ、そこまで知ってるんだ? ……俺、あの家に戻りたくないんだよ」

「そうか……」

 百合はうなずいた。

「とりあえず、黒天さんが待ってる。俺と一緒に来て」

 クラウドは牢屋の鍵を開けると、百合の手を取った。

 地下の階段を昇り、廊下を歩いて黒天の待つ食堂へ。

 テーブルには、既に黒天が座っていた。

 黒い髪。羽毛を寄せ集めたような黒い服。鳥を思わせる硬い鱗に覆われた手と黒い爪。くれないの瞳が百合を捉える。

「ようこそ、アヤカシ堂のお姫様。……いや、『聖なる魔女』だったか?」

「自分でそれを名乗りたくはないがな」

 百合は食卓につく。妖怪の給仕きゅうじによって次々と料理が並べられる。

「しかし随分ずいぶんと好待遇じゃないか。お前なら私に恨みを持っていてもしょうがないのに。拷問ごうもんくらいは覚悟してたぞ?」

「たしかに、アヤカシ大戦で烏丸一族は滅ぼされた。私はそれをゆるすつもりはない。……だが、お前は鈴を大切にしてくれているからな。鈴を悲しませたくはない」

「チェシャ猫にでも聞いてたのか。なら、なんで迎えに来なかった」

 百合は責めるような目で黒天を見る。

「迎えに行くも何も、あの神社に結界を張って妖怪が入れないようにしているのはお前だ。だからこうして人質にとって、鈴が向こうから来るように仕向けるしかなかった」

「つまり私はおびき寄せるためのエサってわけだ。なるほど合点がてんがいった。で? 鈴を取り戻して如何いかんとする」

「鈴さえ戻れば、もう人間に未練はない」

 黒天は椅子いすの背もたれに寄り掛かる。

「――本格的に、人間を滅ぼすだけだ」

「妖怪を集めて一斉蜂起する企みは、どうやら本当のようだな」

「大戦後の妖怪の立場は、それはもう酷いものだ。人間に奴隷どれいのように使役しえきされ、あるいは山奥に逃げ延び、あるいは人間におびえながら人間と共存という名の迎合げいごうをする羽目はめになった。赦せると思うか?」

 百合は何も言わない。ナイフとフォークが皿とこすれ合うカチャカチャという音だけが食堂に響く。

 そこへ、

「黒天様! 大変です、侵入者です! 知らない妖怪がアジト内で暴れまわってます!」

「どうやらお姫様をお迎えに来たらしいな」

 黒天はナプキンで口を拭く。

「食事中に無粋ぶすいな奴らだな。結構美味おいしいぞこの肉」

 百合は食事どころではなくなる前に料理を胃に詰め込むのであった。


 ***


「おーい、クラウドどこや~。さっさと出てこんかいボケェ! しばき倒してから無理矢理にでも連れて帰るからなあ、覚悟しときや~」

 幽子さんはωオメガの口で恐ろしいことをサラッと言う。こういうとこ、店長に似てるな、と思いながら、俺はアジト内の妖怪を片っ端から如意棒でぶんなぐっていく。

「おいおい、お姉さんよぉ。随分変化の術が下手くそなんじゃねえか?」

 先頭に立ってアジト内を歩く幽子さんに、敵の妖怪が武器を片手にニヤニヤする。

「あぁ? なんやお前、邪魔じゃボケ。うちはクラウドを探しててん、お前に用はないんや」

「ああ、アンタがクラウドの姉ちゃんか。早くアイツ引き取ってくれよ。新米のくせに態度はでかいし邪魔で仕方ねえ」

「そういやクラウドも変身が下手くそだよなあ。妖怪なんだか人間なんだか中途半端なんだよなあ」

 敵妖怪の言葉は、幽子さんの触れてはいけない逆鱗げきりんに触れてしまったようだった。

「そんなら、うちの正体見せたるわ。腰抜かすなよボケナスが」

 ドロン、と幽子さんの周囲を煙が包み、シルエットが巨大な獣のそれになっていく。

 煙が晴れると、幽子さんは黄金の毛皮をまとった巨大な狐になっていた。しかもただの狐じゃない。尻尾が何本も生えている。

「きゅ、九尾の狐!?」

「嘘だろおい、なんでそんな大物妖怪がこんなところにいるんだよ!?」

 敵妖怪たちは恐慌状態に陥った。

 九尾の狐。おそらくその名を知らない日本人はいないだろう。俺でも知っている。

 かつて中国や日本で暴れまわったと言われる大妖怪だ。

 それが――幽子さん?

「クラウドのとこまで案内せえや。うちを怒らせたらどうなるか分かっとるやろなあ?」

「ひ、ヒィィ……」

 再びドロン、と煙が発生し、幽子さんはまたあの変化に失敗したような人とも狐とも分からぬ姿に戻る。

「幽子さんってそんな有名な妖怪だったんですね」

 俺は感心した声を上げる。

「正確には、九尾の狐の遺伝子を組み込まれた狐の妖怪さ。オリジナルとはちょっと事情が異なる」

 ピクシーさんは平坦へいたんな口調で俺に話しかける。

「? どういうことですか?」

「幽子とクラウドは僕の子供みたいなものだと言ったけど、ふたりは人為的じんいてきに造られた妖怪――人造じんぞう妖怪なのさ」

 人造妖怪……?

 あまりに聞き慣れない単語に、俺は理解力が追いつかない。

「人為的に、って……?」

「僕はとある科学者と一緒に妖怪の研究をしていた。不老不死を追い求める研究だ。その過程で妖怪の遺伝子を組み込む実験をしていて、生まれたのが幽子やクラウドだ。結局そのふたりは僕が引き取って世話をしているんだけど」

「逆や。うちが父ちゃんの世話しとるようなもんやろ。実験や研究に没頭するとトイレすら忘れるからなあ、父ちゃんは」

 幽子さんはあきれたような口調でピクシーさんの言葉に反論する。

「それより、はよ行くで。コイツらがクラウドのとこまで案内してくれる言うてなあ。ええ奴らやな」

 いや、あなたがおどしたんでしょう。

 そう思ったが、俺はえて言わなかった。

 そうして、俺達は敵妖怪の案内でアジトの中を突き進んでいくのであった。


 ***


 俺たちが通された場所は、謁見えっけんのようなところだった。

 奥行きのある空間の最奥さいおうに、玉座のような椅子があり、そこに親玉と思われる人型の妖怪がひじをつき、足を組んで鎮座している。おそらくアレが烏丸黒天なのだろう。

 その傍らには店長を攫った狼耳の少年――クラウドと、店長が控えていた。店長は特に縛られたりなどはしていない様子である。

「店長! 大丈夫っすか!?」

「ああ、全然平気だ。むしろ丁重に扱われた。ここにずっと住みたいくらいだ」

「は?」

 俺が店長に声をかけると、店長はすっかりこのアジトが気に入ったようだった。

「クラウド! お前何してんねん!」

「げっ、姉貴に……親父まで来てんのかよ」

「クラウド、家に帰ろう」

 幽子さんとピクシーさんはクラウドに呼びかける。

「やだ! 姉貴が謝るまで帰らねえからな!」

「あーはいはい、ごめんごめん。ほな、帰るで」

「ふざけんな! ぜってぇ反省してねえだろソレ!」

 幽子さんの投げやりな言い方に、クラウドは逆上ぎゃくじょうする。

「そもそもなんで喧嘩したんすか?」

「さあ、覚えてへんけど」

「そのヘッタクソな関西弁やめろバーカバーカ! 北海道出身のくせに関西弁使うんじゃねーよ!」

「なんやとぉ!?」

 クラウドの野次やじに幽子さんもキレる。

「うちは本当に関西が好きだし憧れてるしリスペクトしてんねん! 方言はアクセサリーや! 関西生まれじゃないだけでなんでアクセサリーをつけたらあかんのや!」

「いや、幽子……」

 幽子さんの熱弁に、店長は申し訳無さそうな顔をする。

「こういうこと言ったらアレなんだが、例えば東京のギャルが『わやだな』とか『~だべ?』とか言ってたら正直ちょっとイラッとしないか?」

「うっ……そ、それは……」

「さっすが百合姉! 弁舌の神様!」

 店長の言葉に、クラウドが味方認定して抱きつく。なぜかその姿を見ると俺がイラッとした。

 ――そういえば、吸血鬼と狼男は不倶戴天ふぐたいてんの天敵とされているんだっけ。

 どうもあのクラウドってやつとは仲良くなれる気がしない。

「話はそのくらいでいいか?」

 玉座に座った黒天がやっと口を開く。正直存在を忘れてた。

「鈴を連れてきてくれてありがとう。鈴さえ戻ればもう貴様らに用はない。早々に立ち去るがいい」

「え? 鈴、って……」

 俺が鈴を見ても、鈴は首をかしげるばかりである。

「あなた誰? なんで私を知ってるの?」

「――は?」

 黒天は目を見開き驚愕きょうがくの表情を浮かべる。

「鈴……? 私を覚えていないのか……?」

「……鈴は、過去の記憶を失っているんだ」

 店長は黒天のかたわらから、静かに俺と鈴のほうへ歩み寄る。

「烏丸黒天は、烏丸鈴の実の兄だ」

 そして、店長は語り始める。

 烏丸鈴の悲しい過去を。


〈続く〉

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