珈琲が飲める人間にろくな奴はいない



 

 前回のあらすじ。


                   ────後輩に告白された。



「はあ……」

「なに重いため息ついてるんですかせんぱいっ。こんなに可愛い女の子とご飯食べてるのに失礼ですよ?」

 

 そして俺は今、その問題の張本人、あされんと昼食をともに食べていた……。


「だってもうこれで何日目だ? あの日から毎日だぞ」


 そう、彼女に出逢った土曜日から数日間、俺は完全に付きまとわれていた。こうして食堂で急に向かいに座ってきたり、あるいは帰り道に話しかけてきたり、果てにはバイト先のコンビニにまで顔を出された。そろそろストーカーと呼べそうだが、しっかり正体を現し堂々と話しかけてくるのでそこはまだマシ……なのか?

 俺はそれを回避できないでいる。橘と帰ることもなければ、稲藤も最近用事があるとかで会っていない。そういうわけで一人で過ごしていた俺は、朝比奈の強引なアタックを無視できなかったのだ。


「そりゃあ好きな人にはアプローチしますよ! 何日でも!」

「少しは遠慮とかないのか? というか本当に俺のことが好きなのか?」

「えー、そう言ってるじゃないですか! 一瀬先輩、一年生の中で結構人気なんですよ?」


 そう言って軽く肩を叩かれる。こういった自然なボディタッチから考えても、やはり異性慣れしてるようだ。慣れていない俺は身体が固まるも、なんとか平静を装う。


「そんなの聞いたことないが……」

「えー、ほんとなのにー」


 それに、もしそれが本当だったとしても、俺はあの生放送で橘との結婚を宣言している。アレを聴いてもなお告白をしてくる猛者など、普通はいないだろう。普通は。

 俺は目の前でラーメンを啜る「普通でない」女の子を、ちらりと目線だけで見る。大きな青のリボンの先に、麺を啜るリズムでポニーテールが揺れている。

 俺はこの子のことを何も知らない。

 少しくらい、こちらからも話しかけてみるか。


「朝比奈さんは元々、部活とか何やってたんだ?」

「ソフトテニス一筋です! なんなら今もサークルでやってますし」


 自信がみなぎっていそうなぱっちりとした蒼い瞳がそう答える。なるほど、健康的に焼けた肌はそれの影響だろう。つくづく夏が似合う子だと思う。

 

「ならそっちで忙しいんじゃないのか。俺のためとか訳の分からないことを言っていたが、ディベートサークルなんて来てる場合じゃないだろ」

「むう。そんなことありません! ソフテニの方もきつくないし、何よりディベートなんて月イチじゃないですか!」

「まあそうだが……。でも君ディベートなんて興味なさそうに見えたけどな。前やってた時も、感情的に意見を言ってたろ? ディベートは自分の気持ちに反しても、与えられた役割で相手を納得させる意見を言わなきゃいけないんだ」

「わー、先輩が先輩っぽいこと言ってる~」

「先輩なんだから当然だろ」


 茶化したような言い方に俺は少しむっとして返す。


「確かにディベートは今まで興味なかったけど、これから好きになります。だって、好きな人の好きなものですから」


 唐突に落ち着いた声色で、こちらの瞳をまっすぐ見て朝比奈はそう言った。

 一瞬彼女の本当の顔が垣間見えたような気がして、心臓が逸る。


「お、おう……」


 どぎまぎした返事を返すと、彼女の真剣だった顔はみるみるうちににやけ出した。


「あれ~? もしかして惚れちゃいました? 橘さんじゃなくてあたしに乗り換えます?」

「ば、馬鹿言うな。今更そんなことしない」

「でも橘さんのことが好きなわけじゃないんですよね? だったらあたしにも、チャンスあるかなーって」

「いやいや……」


 そうか。結婚宣言したとはいえ、俺たちの間に恋愛感情がないことも併せて周知されている。ならばこのように、そこを隙と見てアプローチされることもある訳だ。これは橘の方が心配だな……。まあ、まだ返信もくれてないんだが。


「俺食べたから、じゃあな」

「あっ! ちょ、待ってくださいよ~」


 俺はまだスープを飲んでいた彼女を置いて、食堂をあとにする。次の授業の教室に向かう前に、水でも買っておくか。そう思い、食堂を出てすぐの自動販売機の前で立ち止まった。


「あっ! いた!」

「早いな」


 朝比奈は速攻で片づけを済ませ、俺のもとへついてきた。ここ数日で気づいたが、呑気に彼女の相手をしていると振り回されっぱなしになってしまう。少しくらい俺が置いていくくらいがちょうどいいのだ。


「先輩、あたしを置いてく時大体すぐ近くで待ってますよね。やっぱり惚れました?」

「はは。面白い冗談だ」


 本当に惚れてなどいない。

 ただ、稲藤とかもそうだが、俺はこうして自分を振り回してくれる存在に、どこか焦がれているのかもしれない。だからこそ、日常を引っ掻き回してくれる朝比奈の存在は、強く拒めるものではなかった。空気の読めない所は、やはり少し苦手だが。


「しつこい後輩に付き合ってやってるだけだ」


 そんな俺の本心はおくびにも出さず、あくまで塩対応を心掛ける。


「まったく先輩ったらツンデレなんだから~」

「デレた覚えはない」


 彼女の言葉を受け流しつつ、小銭を自動販売機にいくつか投入する。そして、俺が天然水のボタンを押そうとすると────


「あっ、これ美味しいんですよ!!」

「お、おい……!」


 ────ガタン。


 落ちてきた無糖の缶コーヒーを手に取る。彼女が俺より先に勝手にボタンを押したのだ。


「俺は水が欲しかったんだが!?」

「まあまあいいじゃないですか! 同じ液体ですよ!」

「そりゃそうだ!」 

「え、まさか先輩コーヒー飲めないんですか? そんな訳ないですよね! クールで頭のいい先輩がコーヒー飲めなかったら皆がっかりですよ」

「ま、まさか!? 飲めない訳ないだろ!」


 飲めない。特に無糖は絶対と言っていいほど飲めない。俺は甘党なんだ。

 しかし、朝比奈にこれを突き返すのもなんだか悔しい。も、もしかしたら案外普通に飲めたりしてな。もう俺も成人だ。意外と舌も成長しているかもしれない。


「仕方ない……飲んでやるか……」

「いやでもそれホントに美味しいんで。後悔しませんから! ほら! 飲んでみてください!」

「いや、え……」


 瞳を輝かせた顔が近づく。おでこを覗かせた前髪も相まって、かなり幼い印象を与える童顔だ。それ故に、こんなに甘やかしてしまうのだろうか。いや、むしろこの子が甘え慣れすぎている気が。


「と、とにかくこれは次の授業の為に今は飲まない。じゃあな!」

「ちょっと先輩、逃げるんですか~?」


 逃げるは恥だが役に立つ。ハンガリーの素晴らしいことわざだ。情けない? そんなチンケなプライドは捨ててしまえ。今の俺じゃ珈琲には勝てない。



 ……その後、俺は買った(というか買わされた)珈琲を一口含んでみた。


「に、にがぁああぁあああ……!!」


 端的に言えばそれは人間の飲み物じゃなかった。あまりの苦みやら渋みやらに顔がとんでもなく歪む。


「どこが美味しいんだこれの!!」


 今更、朝比奈に無理矢理買わされたことにふつふつと怒りが湧いてくる。

 甘やかすのも大概にしないとな……。


 それに、俺はそろそろ橘とのことを解決させなきゃならない。

 今日はもう十二月二十二日だ。



 クリスマスまで、あと三日────。

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