逃げるは恥だし情けない、よな

「はい、というわけでぇ! 生放送始めたいと思いMASU!」


 目一杯に伸ばした先のカメラに自分の姿を映しだす。半年も続けていれば自撮りももうお手の物。こんな派手な衣装にも、そろそろ目が慣れてきた。

 

 そして今日からは、多くの人の目にも慣れていくのだ・・・!


「さあ、今日WA! 最近何かと話題のあの! 橘琴葉さんの!! 彼氏を直撃していきたいと思いMASU!」


 生放送を始めて数分、チャットにいくつかのコメントが書き込まれるのをスマホで確認する。ああ、またいつものか。


『今日もおもんな動画か』

『タイトル詐欺乙』


 東大生という売りはある意味有効なようで、こういう冷やかしの書き込みが寄せられることは珍しくない。多くても5人程度ではあるけど。

 しかし今日の僕はそんなコメントにも屈しない心の余裕があった。


「ちっちっち、今日の俺は一味違うZE☆ なんとなんと! 既に目撃情報を手に入れているのです!」


 今さっきSNSで生放送の内容を告知したところ、DMに橘琴葉がとあるスーパーで買い物しているという旨の情報提供があったのだ。


『ふぁ!?』

『嘘松』

『琴葉ちゃん登場はよ』

『いや魔剤?』


 僕の言葉に反応して少しずつ盛り上がってくチャットに、僕の血も騒ぎ出していた。

 もうすっかり明かりを落とした冬空の下で、指先は悴んでいるが、身体は少しも寒くない。少しも寒くないわ。

 

 大学から十分ほど歩いたところにあるスーパーの前で、ひっそりと噂の彼女が出てくるのをひたすら待つ。今か今かと首を長くしていると、その時はやってきた。


「うおお! エビバディお待たせぃ! 琴葉ちゃんの登場だYO!」


 本人には聞こえないよう興奮を抑えつつ、マイクに呼び掛ける。もちろんカメラは、レジ袋を片手に持った橘琴葉の背中をばっちり映している。

 白いコートに落ち着いた橙色のロングスカート、細い足首を僅かに覗かせる黒のタイツ。加えて低めのヒールが彼女の大人っぽさをより引き立たせる。そして名に持つ琴の色にも見える、色素の薄い茶髪が肩まで水流のように伸びている。

 振り向かなくたって美人だとわかる、艶やかな後ろ姿だった。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』

『本物じゃね!!』

『う、うつくしい・・・』

『主、ぐう有能』


 もちろん、チャット欄も一気に過熱。視聴者数も20人を突破。

 SNSでも少し話題になりつつあり、徐々にその波は伝播しているようだ。


「いいNE、いいNE! 皆どんどん拡散してくれるNE!!」


 橘琴葉との距離は実に20メートル程度。

 尾行なんてしたことはないが、見失わない限界の距離を保っているつもりだ。

 僕の人生はここが分岐点。橘琴葉の彼氏が誰なのか、絶対突き止めてやるんだ。


「おっと、彼女の歩くSPEEDがなかなか速いNE!」


 もっと近づいてちゃんと琴葉ちゃんを映せなどという無責任なコメントに応えようとした訳ではないけど、このままだと見失ってしまう。一直線の長い坂を駆け足で上っていく。

 そろそろ家も近いのだろうか。彼女が歩きながらバッグの中をごそごそと探り始めた。


『鍵探してるんじゃね?』

『そろそろ突撃か?』

『俺の琴葉ちゃんを寝取った奴は誰なんだ!』

『ランドルト、いっきまーす!』


 最初から配信を見ていたであろう人たちの囃し立てるコメントが目立つ一方で、SNSで知ったのか、配信に疑念を抱き始める人たちも出てきてしまったようだ。


『いやこれ生配信?』

『プライベートを守る権利も知らない東大生やばいな』

『え、これ彼氏の家まで追いかけてるの?』

『犯罪じゃん』

『通報しました』


 こんなコメントもちらほら見られるようになった。それもそのはず、総視聴者数はなんと三桁に達していた。故にその数の魅力に眩んで、炎上し始めそうな現状をむしろ楽しんでさえいる自分がいた。


「皆が僕を見てる……。僕の声を聴いてる……」


 マイクに拾われないような小声でぽろっと零す。気付けばほとばしる快感に身体が震えていた。

 そして居ても立ってもいられなくなった運動神経が、脳の指令を無視して勝手に僕を走らせていく。上ずった声も勝手に外界に飛び出す。


「さ! じゃあお待ちKANE! 皆の期待にお応えして橘さんに突撃しちゃおっかNA!!」


 そうカメラに呼び掛けて、緑地公園の間を抜けてく橘琴葉に一気に距離を詰めていく。

 もう彼女は家の鍵を手に持った状態だ。ここで突撃すれば、真実はきっと明らかになる。


 これで僕は有名になるんだ・・・!

 


「ないすとみーちゅ! あなたが橘さんですよNE?」

 


     *



「一瀬先生、さようならー」

「はい、さようならー」


 十二月の上旬ともなれば、街の至る所にクリスマスを意識した装飾や電飾が目につくようになる。家庭教師先は大学周辺よりも都会なので、特にそれは顕著だ。

 親御さんと生徒に別れの挨拶を告げて、俺はLEDの星空の下を歩いていく。

 

「いらっしゃい」


 立ち寄ったのは、駅近くの高い建物の間にぽつんと佇む昔ながらの古本屋。毎週、家庭教師の帰りはここで小一時間ほど立ち読みをして、気に入った本は購入するのだ。読書をすると、バイトの疲労も吹っ飛ぶというもの。

 今日もいつものように文庫本を手に取ろうとすると────


 ブブブブ、ブブブブ。


「電話? 誰から?」

 

 本棚に伸ばしかけた手でスマートフォンを取り出すと、画面にはいなふじそうと表示されていた。

 また飲み会の誘いだろうか。それならもう懲り懲りなんだが……。

 前の凄惨な記憶を思い出して、思わず顔をしかめながら店を出て電話に応答する。


「なんだよ? 飲み会ならもう──」

こうやばいって! 琴葉ちゃんが……!」

「!?」


 俺の声を遮った稲藤の声は、事態が只事ではないと理解するのに十分なほど緊迫していた。事故か、事件か、最悪の想定が頭を巡る。


「……何があった?」


 冷静さを保とうと、低く唸るように尋ねる。心臓や肺は尋常じゃないほど動いているのに、稲藤の返事を待つ身体は凍ったように固まっていた。


「琴葉ちゃんが生放送で晒されてんだよ!」

「はあ!?」

「いま彼氏の家に向かってるとこがウーチューブで配信されてんの!!」

「彼氏の家って……」


 ────先に帰って夕飯作っておくわね。


 いや俺の家じゃないか・・・!!


 


 俺は急いで駅に駆け込み、最寄りに着くや否や電車を全力で飛び出した。白い息を吐きだしながら、下宿に向けてひた走る。

 右手には例の生放送が流れているスマートフォンを握っている。リンクを稲藤に送ってもらったのだ。これで、逐一橘の状況を把握することができる。

 俺だけじゃなくて全世界の人が把握できてしまうんだけどな……。


「おっと、彼女の歩くSPEEDがなかなか速いNE!」


 右手から快活なウーチューバーの声が聞こえてくる。

 いや待て。そんなに速く歩いたらすぐ家に着いてしまうじゃないか。

 見えてる映像から判断するに、橘のいる位置からは歩いてあと五分ほどだ。俺の場所からだと頑張って走って五分いけるかいけないか……。


「まずいな……」


 このままだと本当に橘の同棲彼氏が判明しかねない。その相手が俺なのだと広まりかねない。

 実際には半同棲だし、恋愛感情もないが、噂の伝達者や受信者にはそんなことは関係ない。きっと橘は裏では男に媚び売ってるだの、毎日やりまくってるだの、年頃の学生の興味が向く方に歪んでいく。

 それは絶対に避けたい。橘にそんな汚名はつけられない。


「さ! じゃあお待ちKANE! 皆の期待にお応えして橘さんに突撃しちゃおっかNA!!」


 ────えっ。


 画面に映った景色を見て、俺は急いで交差点を急旋回。面舵を回し、緑地公園めがけて一直線に駆けた。

 危険だが、スマートフォンの画面からは目を離さなかった。

 


「ないすとみーちゅ! あなたが橘さんですよNE?」


 カメラが一気に橘の後ろ姿に寄って、そう声をかける。


「ええ」


 取り出していた家の鍵をバッグにすっと戻し、素っ気ない返事とともに彼女は振り返る。そのあまりの優美さに、令和の見返り美人はこいつかもしれないと呑気に思った。


「ウーチューブの企画で、今日は橘さんにインタビューしてくYO! OK?」

「構わないわ」


 全く動揺する様子のない無表情の橘にこっちが動揺してドキドキしてしまう。恋かな?いや全力疾走してるからだ。


「それじゃあ早速いくYO! いま同棲中のお相手が橘さんにはいるYONE?」


「ええ、そうよ」

 

 橘は間髪入れずにあっさり認めてしまった。

 より強気なその目は何を考えてるのか俺にも読み取らせてはくれない。


「だけど、私と彼は別に好き合ってる訳でもないわ。あくまで恋愛感情のない関係よ」


 ウーチューバーの方ではなく、カメラをじっと見据えているのは、噂が広まっている自覚があるからだろう。彼女は噂を隠すのでなく、事実を宣言しようというのか。


「恋愛感情がないのに同棲? よくわかんないけど、ぶっちゃけその彼って誰なんだい?」

「そんなこと、こんな場で言う訳ないでしょう」


 そこは譲れないといった毅然とした態度で、彼女はそう言い張った。

 

 ……そうか。全部受け止めるつもりなのか。


 橘は強いな。注目を浴びることなんて、俺はできるなら避けて生きていきたい。

 

 ……いや、それはきっと橘も同じのはず。なら、ひとりだけ安全圏にいるのも男として情けないというものかな。



「ねね~、そこをなんとか教えてYO! じゃなきゃボク帰れないYO」

「じゃあ私もここにいるわ」

「ボクだってずっとここにいるけど!」

「そう、別に構わないわよ」


 ふたりのやりとりが千日手のように繰り返されているのを俺は確認した。

 肉眼で直接。


「その必要はない。橘の同棲相手は俺だ」


 俺は二人の背後から、息を整えてそう口にした。カメラには映っていないが、マイクには届いた距離だろう。

 何とか間に合ったと安堵しつつ、俺は少しずつそのウーチューバーとやらに歩み寄った。


「お、お前!?」

「ええええ、アドバイスくれたあの時のイケメンくんじゃん!!」

「なんだっけ、名前忘れたけどお前何してんだよ!」

「ランドルトCだYO! 忘れんなYO」


 そうだ、そんな名前だった。生放送を見てるときは声だけだったし、チャンネル名なんて確認している余裕がなかったから今の今まで気付かなかった。


「あんたが東大生に食いつきそうな話題がいいって教えてくれたからこうして企画やってんだYO」

「え……」


 お、俺のせいだったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。

 まじかよ、最悪だな。あのままつまらない企画やらせておけば橘がこんな目に遭うこともなかったのか……。


「すまん、橘。なんか俺が余計なことをしたばっかりに」

「全然わからないけど、あなたはいいの? これ生放送みたいよ?」

 

 少し不安そうな表情でこちらを見つめる橘。確かにもう俺はばっちり画角に収まっているだろう。しかし、それはお互い様だ。


「お前ばかり目立つのもなんかずるいだろ?」


 いつもの冗談を言う口調で俺は笑った。目立つのなんて俺が好きじゃないことを橘は勿論分かっていて、呆れたように優しく微笑んだ。

 

「じゃあこの際、言っておくわね」

「何をだ?」


 そう尋ねると、返事の代わりに両手に腕をとられる。抱き寄せたような体勢で、橘はカメラに向かって意地悪な笑顔で堂々と宣言した。

 


「私、この人と結婚するの」


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