【悲報】橘琴葉に同棲彼氏がいることが判明

 ぽかぽか。


 そんな擬音がよく似合う陽気だった。

 こんな日には大学構内のベンチで、読書に耽るに限るというものだ。


 しかし、読み始めた青春小説はすぐに閉じられることになる。


「どうもぉ、東大生ウーチューバーのランドルトCでぇす!」


 突然、ありがちな文句が閑静な大学の敷地に響いた。

 そう近くない俺のところまで届いてくるほどだ。顔も判別できない距離だが。

 歩行者たちが何事かと一瞬だけ視線を向け、彼を認識するとすぐに見なかったふりをして去っていく。


 それもそうだろう。

 ランドルトCと名乗った彼の格好は、落ち着いた大学の雰囲気に全く似つかわしくないのだ。

 まず目を引くのが、パーティー用かと見紛う程に大きいピンクの伊達メガネ。黄土色に近い明るい茶髪に、ネオンカラーをふんだんに取り入れたジャケットとパンツ。

 まるで一昔前のクラブ街からここに転送されてしまったかのような男と、誰が好き好んで関わりたがるだろうか。反語。


 まあでも滅多にこんな場面お目に懸かれないからな。今日は動画配信者の裏側でも観察することにしよう。


「はい! というわけでねぇ! 今回は東大にやってきたんですけどもぉ! 今回の企画は、どぅるるるるる、でん! 東大生で一番可愛い子を探せ! ちょりぺい!」


 独特な鳴き声と共に、彼は満面の笑みで舌を出してウインクする。

 そしてそのままカメラを持ちながらきょろきょろ周りを見渡し始めた。


「ねえ君! ちょっといいKANA?」


 ターゲットにされたのはちょうど今、校門から入ってきた幼気いたいけな女子大生。明らかに困惑した顔で、仕方なしに歩みを止める。


「いま動画の撮影でさぁ、東大で一番可愛い女の子を探そうって企画やってんだよNE!」

「い、いや……。私はちょっと……」

「そんなこと言わないでSA、あ、ちょっとぉ!」


 足早に立ち去られて肩を落とすランドルトC。いやランドルトCって長いな。なぜに視力検査の時に見る環を名前にしたんだ。


「さむっ」


 冬は太陽が雲に隠れた途端、月の裏側だ。急激に体感温度が下がったのも相まって、俺は本を仕舞って腰を上げた。万が一にも彼に話しかけられたら困るしな。


「スタバでも行ってみるか……」


 うちの大学特有なのかは知らないが、構内には有名喫茶チェーン店があるのだ。

 普段は女子大生がきゃぴきゃぴとした会話に花咲かせているので、あまり入ったことはなかったが、今日は中年の男性教員がひとりいるだけだった。

 カフェラテを一杯頼んで、窓際のカウンターに座る。わびしげな中庭を臨むこの特等席で、暫し読書に勤しむとしよう。

 

「……眩しすぎる」


 窓から差し込む陽射ひざしのことではない。それは冬らしい穏やかな光で、ぼんやりと身体を温めている。眩しいのは、青春小説の内容の方だった。

 高校生たちがそれぞれ目指す夢、絡み合う恋愛、抱いた葛藤……。

 あまりに夢中で読んでいたので、もう二時間も読み耽っていることに気付かなかった。自分にはできない疑似体験ができる読書というものは、やはりいい。


 ブブ。

 しっとり午後の休日を堪能していると、メッセージの通知音が鳴った。たちばなからだ。


『今日はバイトでしょう? 先に帰って夕飯作っておくわね』


 橘にはもう合鍵を渡してあるので、こんな本物の夫婦のような連絡もできるのだ。

 働いて疲れて帰宅したら、温かいご飯と人が待っているというだけで、いちのせのQOLはぐーんとあがった。


「……というわけで頑張りますか」


 バイト先の塾へは電車で向かうので、そろそろ駅に向かわなければいけない。

 扉を開けるとすぐに冷たい風に見舞われ、また店内に戻りたくなる。いや、出るぞ。うーん、まだ少しだけ時間はあるしな……いやいや。


「ちょりぺい……」


 俺がある種の青春の葛藤に打ちひしがれていると、元気のない鳴き声が聞こえてきた。

 いや、どんな幼少期を経たらそんな口癖になるんだよ。


「はぁ。風邪引くからもうやめとけよ」


 自分でも驚いた。気づいたら俺はランドルトCに声をかけていたのだ。

 見ているうちに親心か老婆心みたいなものでも芽生えていたのかもしれない。


「普通にもっと地味なコートとか着たらいいんじゃないか? そんな派手な服じゃ朝まで企画終わらないだろ」


 困っている人に手を差し伸べるなど、本来俺の役目ではない。むしろ今までは手を引かれる側だったのだから。

 だが、それでも。いやだからこそ。

 余計なお節介に救われてきた身としては、そろそろ俺も幸運の輪廻を担わなければならないという使命感が芽生え始めてはいたのだ。些かぶっきらぼうな言い方にはなってしまったが、自分の誠意が少しでも伝われば────


「はぁ? 何言ってんNO! この派手な衣装とキャラが俺っちの売りなんだよ、YOU分かってないねぃ、ちょりぺい!!」


 リズミカルに反論されてしまった。

 両腕をクロスさせて作られた大きなバツが、俺の顔に寄せられる。彼の方がかなり背が低いので、彼は自分の頭の上にバツを被らせているような形だ。

 さっきまでの陰鬱な表情はどこへやら。彼の顔にはもうはっちゃけた笑顔が張り付いている。俺のなけなしの優しさだったが……。


「そうか。余計なお節介ですまなかったな」

 

 慣れないことはやっぱりするもんじゃない。そう少しだけ後悔して、俺が踵を返そうとすると、ガシッと右腕を掴まれた。あまりの力強さに一瞬身体が強張る。


「なんだよ」


 僅かに語気を強めた声でそう言いながら彼の方に向き直ると、彼が顔をぐっと寄せていた。笑ってはいるが目は紛れもなく真剣で、鬼気迫るといった表情だ。

 

「ちょいちょい待ってYO! YOUが初めてマトモに話してくれたピーポーなんだからもう少しアドバイスとかあったら聞いちゃったりするケド?」

「え、えー……」


 握られた両手を勢いよく振られながら頼まれた俺は、面倒なことになったと今度こそ本気で後悔するのだった。


「じゃあ、バイト行くまでの少しの間ならいいが……」

 

    *


 僕は焦っていた。

 ただただ焦っていたのだ。


 この息苦しさから逃げ出すために、僕はやらなくちゃいけない。


「いや~、あの兄ちゃんからいいこと聞いたZE☆ 確かに可愛い子を探すなんて企画、ミス東大が終わったばっかの今やっても意味ないんだよNE!」


 なぜか声をかけてくれたあのイケメンくんには感謝しなければいけない。

 最初は億劫そうな顔をしていたが、なんだかんだで企画に関する助言を色々してくれたのだ。

 

 ──登録者を増やしたいならまずは目を引く話題が大事だろうな。東大生ウーチューバーで売りたいなら最初は東大生をターゲットにするのも一つの手だろう。


「東大生が食いつきそうな話題なんかないKANA?」


 そんな風に企画の練り直しを食堂でしていたその時、幸運にも人混みの中で鮮明に聞こえる話し声があった。

 文系生だろうか、明るい髪色にイケイケの革ジャンを着ている連中の会話だった。


「ねね、琴葉ちゃんに彼氏いたって知ってた?」

「あ、やっぱ? ミス東大断ってたのもぜってえ彼氏に止められてるからだと思ってたよ俺は」

「でも誰も男といるとこ見たことないって話じゃなかったか?」

「いやね、それが最近男にお持ち帰りされたって話なんだって」

「まじ!? クールな顔してやることやってんだな~」


「誰なんだよ俺の琴葉ちゃん食ったやつ~~」

「お前のじゃねえよ! ははははは!」



 ・・・こ、これだ。


 確かに次席合格した美人一年生、橘琴葉の噂は友人のいない僕の耳にも頻繁に入っていた。きっと今HOTな話題なんだろう。

 これを使わない手は────ない。


 これで一気に登録者も再生回数も爆上がりだ……!


「早速準備しないとNE!」


 僕はカメラとPCを取り出して、生放送の準備を始めた。

 分泌されたアドレナリンが僕を逸らせ、タイピングの速度もこころなしか速い。


 勢いで動画配信サイトの生放送タイトルを打ち込み、Enterキーを軽快に弾いた。

 

 そのタイトルとは──────



【速報】ミス東大を断り続けた謎の美女の同棲者がついに判明!?



 善は急げ。

 決行は今夜だ。

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