麺が伸びないうちに召しあがれ
東京大学にはレトロな雰囲気を基調としている建物ばかりだ。
明治を想起させるような、旧字体で右から読む看板もなかにはある。
そのくせ中を覗けば、自動ドアや監視カメラなど現代的なものが目立ち、当初は外観とのギャップに
「今日はどこにする」
「え~、
「お前はいつもそれだな」
稲藤とともに授業を終え、昼食に向かう途中だが、こいつの返事はいつもこうだ。
自分で自分以外の選択をするのは、荷が重くて俺も苦手なんだがな。
「たまにはお前が決めろよ」
「え~、女の子なら喜ぶんだけどな~」
「はあ。じゃあ今日も中央食堂でいいな?」
「いいってばよー」
気だるげな返事を気だるげに聞き流す。
なんでもいいよと言いつつサイゼに連れて行くと文句を言う、面倒な彼女みたいなことを稲藤はしないのでまだいいか。そう諦めたのだった。
正午過ぎとはいえ、日陰ではやはり肌寒い。
コートのポケットに手を突っ込んで、さらに身体を縮める。
そんな俺とは対照的に、稲藤は背筋をまっすぐに伸ばし、遠くの景色まで見ているようだ。
姿勢と性格には一定の相関関係がある、みたいな論文どこかにありそうだな……。
なんとなくそう思って少しだけ胸を張ってみる。
「なんか変わったか?」
「え、急に待ち合わせ直後の彼女みたいなこと言わないでよ」
「うるせえ、そう言われると凄く気持ち悪く聞こえるだろ」
「えー、じゃあ浩貴シャンプー変えたぁ?」
「本当に彼女が言いそうなことじゃねえか」
はあ。まあそうだよな、この程度で性格が変わるわけでもない。
そもそも目に見えるものじゃないしな。聞いた俺が馬鹿だった。
そんな会話をしたりしなかったりしながら、神殿のような石造り、略して神殿造りの建物の間を抜けていく。
昼休みということもあって、食堂はなかなかに混んでいたが、なんとか座ることができた。
「赤門ラーメンひとつ」
「あ、じゃあ俺もー」
禍々しいほどの赤い餡が目を引く、うちの定番メニューである。
見た目ほど辛くないので、辛味に強くない人でも安心して食べられるのがいい。
逆に辛いもの好きは───
「浩貴はかけないの?」
「俺はそんなに得意じゃないからな」
器の中に唐辛子をたっぷり投入した稲藤は、俺にそれを手渡そうとしてくる。
いらないと俺が手振りすると、ホント舌はおこちゃまなんだから、と茶化してきた。
余計なお世話だ。
「いただきます」
「律儀だねえ」
「そんなに褒めるな」
「ははっ。じゃ、いただきまーす」
もやしや椎茸、人参そして挽肉など、具沢山のとろとろの餡。
その最深部に眠るは、中細のちぢれ麺。黄色みがかかったそれを箸で外界に勢いよく出現させ、よく餡と絡めて食べるのだ。
この喉ごしと餡の絶妙な塩加減が病みつきになる。
実際、学外の人もこれを食べにわざわざ来るほどの人気ぶりらしい。
「あーかれえぇ!」
「そりゃあんなに唐辛子入れたらな……」
「でもそれがいい!」
「あっそ……」
麺を啜り上げる稲藤の額には汗が滲んでいた。
きっと身体の芯から発熱していることだろう。確かにこの季節にはぴったりと言える。
もしかしたら冬は売り上げが少しだけ伸びてるかもしれないな、麺だけに───。
ふいに背筋がぶるっと震えて自分の身を両腕で抱いた。隙間風でも吹いたかな。
「ご馳走様」
「ごち~」
二人してトレイを返却して、階段を上り開放的な中庭に出た。
服を貫通するような鋭い寒さに見舞われ、すぐにポケットに手を突っ込む。姿勢もすっかり元通りになってしまった。
そこに、ちょうど見覚えのある姿を見つけて、俺は声をかけた。
「大学で会ったのは初めてか? 橘」
「あら、一瀬じゃない」
「えっ、噂の琴葉ちゃんだ! はじめましてだねー」
「誰かしら」
橘が冷ややかな目でこちらに説明を求めてきた。なんなら若干引いてるな。
「俺の友達の稲藤。チャラいことで有名だからあんまり関わらないことをお勧めする」
「ええ、そうするわ」
「ちょいちょい! そんなに酷い他己紹介初めて聞いたんだけど?」
橘は一切視線を稲藤に向けることはなく、あくまで無視を貫いていた。
本気で嫌がっているというよりは、こいつなりの軽い冗談だろう。
「こういう軽そうな人、私嫌いなのよね」
「せめてこっち見て言ってよ~」
あ、これは本当に嫌がってるかも。
まあそんなことはどうでもいいとして。
「なんで稲藤が橘のこと知ってるんだ」
「え? なに言ってんの浩貴。琴葉ちゃんって、ミス東大のエントリーをずっと断り続けてたってことで有名人じゃん」
「そうなのか……?」
「
そうだったのか。
いかにも橘らしいが、全然聞いたことがなかった。確かに容姿は申し分ないとは思うが。
そもそもミス東大とかいつやってたのだろう。
これは、稲藤の顔が広いとか噂話に敏感だとかそういう次元ではないんだろうな。
変なとこで俺が凹んでいると、稲藤は興奮したように俺に顔を寄せてくる。
……にしてもこいつ、いい顔してるな。あざとい犬みたいな顔して。ムカつく。
「え、てかお前知り合いなら紹介しろよなー。なに、どういう繋がり?」
そう聞かれてちらっと橘の方を見ると、露骨に不機嫌な顔をしていた。
余計なことは話すなということか。
「ただの高校の時の友達だ」
「へえ~、ねえ琴葉ちゃん連絡先交換しよ~」
「ごめんなさい私スマホモッテナイノ」
明らかな棒読みで橘は一気にまくし立てた。
それが嘘だと明らかに稲藤に分からせ、そして絶対的拒絶を暗に伝えていた。
だが、この男もハナから本気などではない。
「ははっ、琴葉ちゃんって面白い冗談言うんだね」
「あなたの冗談は面白くないわね」
相手のペースを乱せていない橘も新鮮だが、突き放される稲藤は相当珍しい。
このふたりの絶妙なやりとりを勝手に楽しんでいると、稲藤が意外な一言を発する。
「琴葉ちゃんに彼氏いなかったら本気で狙うんだけどな~」
「え、お前彼氏いたのか」
もしそうなら俺と同棲なんて言ってる場合ではない。
「まさか、いる訳ないでしょう」
「えー、でもなんか男と一緒に歩いてるとこ見たって誰かが言ってたからさ~」
うむ。もしかしなくても俺だな? ここは適当に誤魔化しておくか。
そうそう、実は俺たち結婚するんだよね、とは流石に言えないからな。
「大学生にもなれば異性と帰ることだってザラにあるだろ」
俺はこの二年の冬まで一度もないが。自分で言っていて悲しくなってくる。
「でもそいつが言うには一緒に部屋まで入っていったらしいからさ~」
「み、見間違いだろ」
間違いではない。
橘が初めて家に来た日の時だ。誰かに見られていたのか。
俺が少しだけ焦っていると、橘がはあ、と重々しく息をついて、
「私の言ったことが真実だとしか私は言えないわ。噂をどう受け取るかは好きにして頂戴」
そうあっさり言ってのけた。確かに彼氏はいないので嘘ではない。
しかし稲藤が真っ先に俺にその話をしなかったことを考えると、噂の相手が俺であることは知らない様子だ。
所詮大学だ。中高のように噂が一気に広まるなんてこともないだろう。
それに稲藤が知ってたのも、こいつが女子の噂に人一番敏感だというのもきっとある。
「じゃあ、そろそろ次の授業だし行くぞ」
「私も行かないと」
「ちぇー、フリーなら連絡先くれてもいいのに」
「またね一瀬」
「ああ、またな」
橘に完全にスルーされた稲藤を連れて、俺たちは午後の授業に向かうのだった。
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