策略の鍵は鍵に在り


「えっ、橘。今なんて?」


「だから、私がスーパーにいるって情報提供があったんでしょう?」

「うん、そうだよ」

「それを匿名のアカウントで私本人がしたって言ってるのよ」


「「え、えぇ・・・?!」」



 生放送が終了した後の緑地公園の一角の休憩所に男女三人。

 俺の妻(予定)の橘琴葉がベンチの前に立ち、俺と東大生ウーチューバー、ランドルトCが並んで座っている。

 なんだこのおかしな状況は……。


 全力疾走してかいた汗が、風邪も凌げないこんな場所では冷える一方だ。

 対して、俺たち二人を見下ろす橘は、寒さにもこの事態にも平気な顔をして腕を組んでいる。


「そういえば、だからいきなり直撃された時も全く驚きもしてなかったのか」

「ええ、私はあえて尾行をさせてたんだもの」


〝させて〟を強調させて言った橘は、これでわかるでしょう? と言わんばかりにこちらを見てくる。

 もちろん俺はその言葉で合点がいったが、隣の奇抜な男はきょとんと眼を丸くしていた。


「えっ、ちょ、どゆこと? じ、自作自演?」

「そうじゃない。話のいきさつはこうだ」


 橘に目配せをし立ち上がると、任せるわ、と彼女はゆっくり目を伏せ腰を下ろした。

 それじゃあ、橘の代わりに事の顛末を説明するとしよう。

 俺と橘の顔を交互に見てきょろきょろしている、このお騒がせウーチューバーにな。



「まず、お前は橘琴葉の同棲相手を探る企画を提案した、そうだな?」

「うん!」

「そもそもそこから間違ってるけどな」

「ですよね……」


 いつもの調子で親指を立てて返事するランドルトCに素早く突っ込む。

 流石にこいつにはちゃんと反省してもらわないとな……。


「自分の売名の為に他人の私生活を侵害したら、それはもうエンターテイメントじゃない」

「はい……」

「そんなわけで、危うくうちの住所まで晒されるところだったんだが、橘の機転によってそれは回避されたわけだ」

「き、機転……?」


 ふっ。話題の当人は、完全犯罪を成し遂げた犯人のように口角を釣り上げ、不敵な笑みを浮かべている。

 いや、立場的にはどっちかというと探偵側だけどな。


「あなた、SNSで私の名前を出して告知をしたわよね?」

「う、うん……」

「偶然それを見かけたの。そして目をつけられた以上、こっちから手を打つことにした」


 橘が誰かと同棲しているという噂が広まっていることを、恐らく彼女自身は俺よりも前から知っていた。もしかしたら、誰かに直接尋ねられたこともあったかもしれない。

 そして彼女はその度に、稲藤にもそう返したのと同じように、堂々と言い放ってきたのだろう。


 ──私の言ったことが真実だとしか私は言えないわ。

 

「目立つのにはもう充分慣れたし、いっそ宣言しておいた方が勝手な憶測で言われるよりいいでしょう?」


 俺の心の内を読んだかのように、橘が口を開く。

 確かに橘の言うように結果的に俺たちが宣言したことによって、これ以上変な憶測が立てられることはないだろう。なにせ結婚するらしいからな。

 

「わざわざ自分で情報を送って、僕に直撃させるつもりだったってことか……」

「そうだ。そして、お前をこんなところまでおびき出した」

「こんなところまで……?」

「この緑地公園は、俺の自宅の付近でもなんでもないんだよ」

「ええっ!?」


 そう。俺は生配信に映る橘に追いつくために、帰路を全力疾走していた訳だが、途中で急遽方向転換をせざるを得なくなった。

 理由は簡単。彼女が俺の家とは全く異なる方向へ進み始めたからだ。


「橘のずる賢いところは、家に近いと思わせる仕草をしてみせたことだな」

「ずる賢いじゃなくて、賢いでしょう?」


 誇らしげに見上げる橘と、ポカンとしているランドルトC。


「家に近いと思わせる仕草って……あ!」

「やっと分かったか。そう、これだ」


 閃いたらしい彼に、ポケットから家の鍵を出して見せる。

 実家の鍵も一緒にチェーンで繋がっているので、チャリチャリと小気味いい金属音が鳴った。


「鍵を出す仕草を見せたからと言って、すぐに直撃してくれるかは賭けだったけれどね」


 とはいえ、自宅突撃は配信者側にとってもリスクが高い。ある程度近くで突撃したい心理に駆られるだろうというのも、橘の計算内だったろう。

 だが、それにしても。そんなことよりも。


「一人で無茶しすぎだ」

「む」

「まずは相談してくれても良かっただろ」

「だって……」


 ぷいと横に顔を逸らし、言い淀む橘の姿はなんとも素直じゃない。

 自らは言いたがらないが、やはり自分の噂の所為で俺が迷惑を被るのは避けたかったんだろうな。俺も似たような性格なので、その気持ちは何となくわかる。


「あなたがまさかそんなに目立ちたがり屋だなんて知らなかったんだもの」

「うっ」

「ふふ」


 やはりあんなこと言わなければ……。


 今更になって羞恥心が湧いてくる。顔が熱い。

 そんな俺の様子を察したのか、橘が悪戯を思いついたような顔でランドルトCに声をかける。


「そうだ、カメラ出して頂戴」

「え?」


 困惑しつつも彼は従順にカメラを橘に手渡した。

 橘の掌の上で転がされた身としては、もう反抗する気も起きないのだろうか。

 こころなしか顔も少し青ざめている気がする。


「一応、余計な情報が映り込んでないか確認しておきたいの」

「あのっ、ちゃんと生放送配信はこれ以上見られないように削除するから……! リアルタイムで見た人はどうしようもないけど……」

「そう? なら有難いけど」

 

 どうやらあの映像が今後も電子の宇宙に漂い続けるわけではないらしい。

 そうひとまず安堵したのも束の間。

 

「でも生放送でどこまで映ってしまったかはやはり見ておくべきね」

「そ、そう……。僕は別に構わないけど……」


 ランドルトCと会話してるはずなのに、何故かチラチラとこちらを見てくる橘。

 なんか……いつもの嫌な予感が……。


『お前ばかり目立つのもなんかずるいだろ?』


 唐突に橘の手元のカメラから誰かの気持ち悪い声が聞こえる。

 誰かの、というか俺のだ。


「おい! なんでそこから再生なんだ!」

「あらー、早送りしてしまったみたい」

「確信犯でももう少しうまくやれ……」


 あまりに分かりやすい棒読みにもはや呆れ返ってしまう。

 こいつ確認なんかハナからどうでも良かったな……?

 俺をからかうことばかり考えて、どこまでもいつも通りのやつだ。


「じゃあ、これは返すわね」

「ちょっと待て! 俺だけ辱められるのは癪だ、最後まで見よう」


 俺は橘が閉じようとしたカメラを奪い取り、続きを再生する。

 きっと最後の言葉は、橘も勢いで言ってしまって後悔しているに違いない。


『私、この人と結婚するの』


 凛とした涼しげな声がカメラのスピーカーから流れる。

 カメラ目線の橘に、恥じらいは微塵も見られない。ところが……。


「あらー?」


 黙って画面を見ている俺の右肩に、にやにやとした顔を寄せてくる橘。

 少しだけ鼓動が早くなっている気がする。

 しかし、異性に触れられたら好きでなくてもドキドキするのは当然のことだ。


「私より顔が赤い人がいるわね?」

「……」

  

 画面では橘に腕を抱き寄せられ、驚きつつも顔を赤らめている俺がいた。

 普段殆ど触れないんだから仕方ない。意識したとかじゃない。本当に。今の動悸もそうだ。


「そんなことよりな、ランドルトくん」

「露骨に話変えたわね」

「今回はこうして橘が色々計らってくれたから良かったが、本当だったら訴えられてもおかしくなかった」

「そうだね……。ごめんよ本当、迷惑かけて」


 橘の小言は無視して、しっかり彼の目を見て伝える。俯いていた彼も、顔を上げてくれた。

 やっぱり、根は悪くないみたいなんだけどな。


 何より、学生でありながら彼のように自分で何かしようと目標持ってやってる人間は、実際多くない。

 それは、実際問題俺が羨ましい部分でもあり、昼間からこいつをどこか放っておけなかった理由でもあるのだろう。


「まあ、これからもウーチューバー頑張ってくれよ。ファッションは再考の余地があると思うが」

「そう? 私はその恰好、嫌いじゃないけど」


 え、まじ?

 思わぬ橘の発言に耳を疑う。

 お世辞を言ってるとも思えないので、橘のセンスがずれているのかもしれない。橘自体はオシャレな着こなしをしているように思うが。


「やったぁ! やっぱ橘さんは分かってるNE!」


 褒められて調子に乗ったのか、いつものキャラにすっかり戻ったようだ。

 ん? こっちがデフォなの?


「さて。夜も更けてきたし、そろそろ帰りましょう」

「そうだな」

「今日はホントすんませんでした! あと、今後も応援よろしくぅ!」

「どの口が言ってんだ……?」


 なぜか最後に宣伝していったランドルトCを見送って、俺たちは見慣れない帰り道を肩を並べ歩いてゆく。


 どうやって帰るのか正直分かってないが、まあなんとかなるだろう。

 バス停や地下鉄の駅は適当に歩くだけでいくつも見られる。道路標識も交差点毎にご丁寧に目的地までの方角を示してくれるのだ。


 ただ、知らない町を歩いていても不安じゃないのは、そういう理由ではないのかもしれない。いつも日常を共にする人物がこうして隣にいるから、だったりするのかもな。

 

「どうしたの、そんなに見つめて」

「いや、別に」


 橘を見ていたのは事実だが、けして見つめていたわけではない。

 それなのにそんな言い方をされると、なんだかどぎまぎしてしまう。さっきの動揺を引き摺っているのだろうか。

 とりあえず誤魔化すの術。


「ゆ、夕飯なにか聞こうと思ってな」

「そういうこと。それなら今日はポトフよ、好きだったでしょう?」

「よく覚えてたな」

「まあ、妻ですから?」

「まだお試しなんだろ?」

「そう、ね……」


 そこで軽やかに弾んでいた会話が一時停止される。不意に橘が足を止めたのだ。

 何か考え込んでいるのか、手を顎に当てて俯いている。


「橘、どうした?」

「このお試しっていつまでなのかと思って」

「いや、それは俺も知らないけど」


 この半同棲生活はお互いが夫婦として暮らしても問題ないかを確かめる為のものだ。確かに、いつまで過ごせばそれが証明されたことになるかは決めていなかったな。


「じゃあ、クリスマスまでにしましょ」

「早いな、もう二週間くらいしかないぞ」

「いいじゃない、ロマンチックだし。それに長期的にお試ししないと分からないような問題点なら、それこそ夫婦で乗り越えるべきだわ」

「そうか、そうだな」


 要するに、あと半月でどうしても無理ってならなきゃ、クリスマスにめでたくプロポーズ。ということになったわけだ。

 現実味を全く感じないが、いや。元々そんなものはなかったか……。


「ところで、これはお願いなのだけれど」


 数歩前を歩いていた橘が振り返り、白い息を零しながらそう言った。

 もうすぐ自宅も間近という局面だった。俺の鼓動を更に揺さぶる言葉が橘の口から飛び出たのは。




「今日、泊まってもいいかしら」



「え……」



 刹那、抱き寄せられた右腕の柔らかい感覚が蘇る。

 ひゅう、と冷風と呼ぶべき冬将軍が思考をさらって、俺はぎこちなく頷いたのだった。


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