手を引くもの

ソノミユキ

手を引くもの

 窓辺のデスクで作業していると、小さな女の子の歌声が聞こえてきた。

 光の具合から察するに、夕方には少し早い時刻か。

 それでも今日は既に集団通園で帰宅する子たちも帰っていたはずだ。

 少し気になって、窓の外に目をやった。

 マンション前の歩道と車道を区切る縁石の上を平均台のように歩いていく、黄色い帽子とスモック姿の後ろ姿がチラリと見えた。

「いくよー。せーえのー」

 楽しそうに号令をかけて、縁石の切れ目から次の縁石に飛び移ろうとしているようだ。無邪気で明るい声に思わず視線が幼稚園児の方にひかれていた。

(誰か一緒に帰ってるのか。それなら、気にしなくても……?)

「あはは! もおー、ちゃんと引っ張ってよ~」

 そう言って女の子が自分の左手を差し伸べているのは何もない空間だった。

(あの子、誰にしゃべってるんだろう?)

 いくら注目してみても、彼女の視線の先は虚空だ。

 急に不安が押し寄せてきて、マンションの玄関から飛び出して、女の子の歩いている道に向かっていた。

 まだ女の子は縁石の上を歩いている。左手を斜め前に挙げて。楽しそうな声で。

「きょうはねえー、ハンバーグがいいなあ」

 しかし、取り巻く空気は一変してもったりと重い感触に変わっていた。

(おかしい……。おかしい? きみは誰と話してる?)

 早歩きで女の子に追いつくと、何故かはわからないけれど、体が動いていた。

 ――フッ。

 女の子の挙げた手の先を、右の手刀で切り下した瞬間、辺りの空気が軽くなった。

「あの……?」

 女の子にかけようと発した声を飲み込んだ。

 そこにいる人間は、私一人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手を引くもの ソノミユキ @Knee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ