サザンクロス

ヅカヨム

いつかの未来【創作百合/青春群像】

「はー今日も同好会終わりーっ!お疲れ様でしたー!」


と、やりきった表情とともに舞峰はそう言った。

教室の古ぼけた時計は17時ちょっと前を指していた。

活動の定時は17時までなので、ややフライング気味である。


私と舞峰は、天文同好会に所属している。会員は私と彼女の2人だけ。

私も「お疲れ。」と一言返して帰宅の準備を始めた。


この高校は2年生になると部活か、あるいは同好会への加入が必須であった。多くの生徒は部活に入っているので、各同好会への加入者は低く、天文同好会はそこからさらに厳選される。私が入った理由は「勉強の邪魔にならないもの・バイトの時間を確保できるもの」という点から。親からは部活に入りなさいと言われたが、自分の力でお金を稼ぐという行為がしたくてバイト優先で押し切った。

舞峰の理由は知らない。私の後に入ってきたことは覚えているが。


会員が2人だけでは当然部室のような部屋の割り当てはなく、適当な空き教室で週に一度の活動を行っていた。舞峰と過ごす天文同好会の活動内容は以下の通りである。


「ねえねえ板垣さん!昨日のガキ使見た??」

「2組の○○君と××さん、別れちゃったらしいよ!同じクラスだと気まずいよね」

「最近女子高生の匂いがするボディソープが流行っているらしいよ!あれ、私たちがが使うとどうなっちゃうんだろう?女子高生×女子高生ってヤバくない?」

「ああ、5兆円欲しいなあ。今すぐに。そしたら今すぐにバイト止めるよ。わたしバイトしたことないけど。」

「古文の■■先生、毎回2分だけ授業延長するの止めてほしいよね。あの2分の私たちの青春が奪われている感は異常だよ。大人が無駄に残業している1時間分に匹敵するよ。ひょっとしてこれが相対性理論なのかな・・?」


とかなんとか。


星に関する話題はほとんどなく、雑談に終始している。舞峰は明るい女の子だった。世間や学校の色々な話題が気になるらしく、はしっこく話題を集めてくる。少し茶色がかった髪を両サイドで短くゴムで留めている。肩までは髪は触れていないので、ツインテールというには短い。そんな容姿とちょっと舌ったらずな口調が相まって、年齢より幼く見える。男子には受けがよさそうである。誰かと付き合っているという話は聞いたことがないけれど。


今日もひとしきり雑談にふけった後、下校時間となった。

同好会としての活動をやりきった私と舞峰は、2人で教室を出て、下駄箱へ向かう。10月も半ばを過ぎると一気に陽の落ちる時間が早くなってきて、17時を過ぎると大分暗くなってきている。校門に続く道に植えられた銀杏は色づいてきて、本格的な秋の訪れを告げているようだった。


学校を出るとすぐ先にあるコンビニで、私と舞峰はいつも買い食いをする。

ここまでが活動の一環だ。


バイトをしているというだけで、私はなぜか舞峰におごりを強要させらていた。

〈ガリガリ君大人の味〉だったり、〈ファミチキプレミアム〉だったりと、舞峰はなぜかワンランク上の商品を指名してくる。


今日も「板垣さんっ!わたしこれ食べたい!」と指さしたものは〈極王肉まん〉だった。確かに寒くなってきたから肉まんが美味しい季節になってきたけど・・。

「そういうところだぞ。」と言いたい気持ちをグッと飲み込んで、私は彼女に肉まんを差し出した。暑がりながらも笑顔で頬張る彼女を見ると、どこか私も満足してしまう。私はシンプルにあんまんを買った。金額は極王肉まんの半分。


「受験勉強どう?板垣さん、バイトもやりながらだから大変だよね。」

「まあね。勉強はボチボチ、CやB判定の所も増えてきたし。バイトはシフト減らしてるしね。舞峰は暇そうで羨ましい・・。」

「えへへー。推薦は正義!だよ。このまま働かないで一生過ごしたいな。空から5兆円降ってこないかな」

「お金のありがたみを知らないやつめ・・。」

「いやね、板垣さんこれから忙しくなっちゃうだろうからね、これからはこうやってオゴら、、じゃない。一緒に帰れなくなっちゃうのは寂しいなーって。」

「うーん素直だなあ。いや、活動は週に一度だけだし、大丈夫だよ。これからもオゴってあげるから安心しなよ。」

「いや、それが目的じゃないから!でもよかったー!また来週も話そうね!!」

「うん。じゃあまた来週。」


そう言って、私たちはいつもの活動を終えて別々の帰路についた。

舞峰とは違うクラスなので、週に一度の同好会だけが、私と舞峰を繋げる時間だった。彼女と出会ってから1年と6ヶ月。私は、この時間が嫌いではなかった。



**************************************



同好会と言えども、全く活動しなくてもよいという訳ではない。


月に一度、活動報告という書面の提出義務があった。

しかしこれも真面目に取り組むべきものではなくて、宇宙に関する豆知識的なものを一言、〈天文同好会活動報告書〉と書かれたノートに添えればよかった。


・自分が生まれた曜日と、28歳になる誕生日は同じ曜日になる

・2017年のふたご座流星群の極大予想時間は12/14の16時頃!

・隕石にぶつかって死ぬ確率は160万分の1


とか、こんなレベルである。過去のノートを読み返しても概ね似たような内容だった。中には月の満ち欠けの予測図と、月の様子を毎日落とし込んだ詳細な活動報告もあったが、極々一部のものだった。


『活動しないことが活動である』というのがこの同好会の伝統なのであろう。

ノートの開始日は2014年以降とあるが、ノートの半分以上は余白である。

一体、このノートが埋まる年はいつになるのだろう。私がアラサーになるのが先かノートが埋まるのが先か、と考えたら少し悲しくなった。


そんなわけで、今日は月に一度の活動報告の日である。

同時に、私たちにとって高校生活最後の報告会の日でもあった。

季節は2月の終わり。もうあと10日もすれば卒業式である。

私は第一志望の大学に合格を決めていた。この時期は自由登校の期間ではあったが、私と舞峰は週に一度の同好会開催を継続していた。活動しないことを継続していた。


・南十字星は沖縄県以南でしか見られない。

特に波照間島がおすすめ。夏の間は見ることができない。


「これでよしっと・・。」

最後の活動報告の一文を書き終えた私は、文化祭レベルの催し事をやりきったかのような表情でそう呟いた。時刻は17時を回っている。私は身支度を整え、ノートを持って席を立った。


「行こうか。」

いつもと同じトーンで、いつもと同じリズムで私は舞峰に向けてそう言った。これが最後だと分かってはいるけれど。口に出した言葉の抑揚は、自分でも感心するくらいイメージとギャップが少なかったように思う。そのまま教室を出ようとする私の左手を、舞峰の両手が覆った。その手はとても熱かった。


「あっ、あのっ、板垣さん!もう少しだけ話していかない?話したいことがあるんだよ。」

いやさっきまで結構話はしていたけれども、いつものように雑談を。それに、教室でないとだめな事なの?とは思ったが、彼女の震えた声音と、真っ直ぐな視線、何よりぎゅっと握られた手の熱さに引き戻されるように、私はまた席についた。


「ああ、うん、いいけど。」と返事した私の声は、舞峰につられるかのように落ち着きのないものになっていた。


「あのね。板垣さんとは違う大学になっちゃうからね。今日が最後の同好会の日だから、ちゃんとお別れの挨拶がしたいなと思って。それで。」


「わたしがこの同好会に入ったのはね、板垣さんを見たのがきっかけなんだ。この教室の、その場所で、1人でいる板垣さんを見たときから。1年生の頃からクラスは違ったけど、板垣さんのことは何となく分かってはいたんだよ。その時は本当に何となくだけど、友達と一緒にいる普通の子だ~って位の印象。そう、普通。」


「でも2年生になって、この教室に1人でいる板垣さんを見たとき、その印象が全然変わったの。ああ、この人、みんなといることも1人でいることもどっちもできる人なんだって。わたしはみんなといることしかできないから、それが、なんて言うのかなあ。自立している感じがすごくって、話をしてみたいって思ったんだ。」


「同好会に入ってから板垣さんと話してもその印象は変わらなくてね。むしろバイトも勉強も頑張ってて自立感もっと凄いなって思って。同級生なのに大人な女性?みたいで、かっこいいなってずっと思ってたんだ。この2年間で板垣さんのことを沢山知れてよかったよ。星のことはあんまり興味はなかったけど・・、いつも活動報告書いてくれてありがとうございました!それが言いたかったんだ。また絶対会おうね!」


・・・それってどれを指しているのだろう。私は確かに友達は少なくないが、1人の方が全然気が楽だし、バイトをしていたのは早く大人になりたかったからであり、かっこいいのかは全然分からない。的を射たのはバイトに関することだけなように思う。舞峰の方からは私はそんな風に見えていたのか。なんて返せばよいのだろう。分からない、全然分からない。私は舞峰の顔を見られないまま、

「・・・ありがとう。」とだけ返すので精一杯だった。



**************************************



・・・・時刻は17時をとうに過ぎている。今日も遅くなりそうだ。


あれから6年の歳月が流れた。

大学を順調に卒業し、いま私は社会人3年目。大学時代にインターンをしていた会社からそのまま採用をもらい就職した。


舞峰とは高校卒業以来会っていない。連絡先は交換していたので何度からラインでのやり取りはしていたが。5兆円スタンプが欲しい!的なスタンプを多用してくるので、相変わらずお金がなさそうだった。


大学では特にサークルにも入らず、やはりバイトをメインに日々の生活を送っていた。ゼミはあったので、お酒の味はそこで覚えることができた。まあ学生のお酒なんて覚える種類もそんなにないけれど。大体ピッチャーかジョッキでビールがくるのでそれが飲めれば大抵の飲み会は一線級で活躍できる。


社会人になるとお酒の飲める幅が広がった。日本酒・焼酎・ワインなどなど。特に魚に合うお酒を見つけるのが楽しい。お酒は開拓の余地しかない。若くて酒の話が分かる女子だと印象がよいのか、会社の飲み会にはよく誘われた。

おかげで仕事がいくぶん円滑に行えているような気がする。

世間では『仕事を辞めるのはまずは3年頑張ってからにしなさい』という言葉が流行してから久しいが、予め準備をして自らのイメージと実際の業務との間にギャップがなければ、こんな言葉は無縁だろう。そんな訳で、私は社会人としての生活に適応できているという自覚があった。



そんな折、私の元にこんなクレームがやってきた。


・連絡をまめにしてくれるのはありがたいが、どうにも淡泊である。もう少しなんとかならないのか?


実際にはこの文言はお客様アンケートの備考欄に書かれている類いのものなので、クレームというよりは要望に近い。どちらかというと、この手の要望が数件続いてやってきてしまったことが問題である。悪い意味での再現性の高い工程は、具体的な改善策を示して実行しなければならない。


しかし、〈どうにも淡泊〉な部分を解決するのが難しく、はたと困った。

連絡自体はまめに行うことで問題が起きないようにしているのだから、目的は達成している。淡泊というのはあくまで感情論である、という気持ちが先立つ。


試しに〈淡泊 対義語〉で調べてみると〈濃厚・濃密〉という答えが返ってきた。『その節は誠にありがとうございました』を『ほんと、いやほんとあの時はありがとうね。ほんっとありがと、いやもうまじありがたすぎた』とでもすれば濃厚さが出るのだろうか?逆に薄まっている気しかしない・・。


結局、末尾の部分に追伸として、その時仕入れたお酒の小話(★熱燗とチーズが実は好相性。この時期にぜひ!★等)を載せることで解決策とした。お酒が飲める顧客ならコピペもできる。うん、お酒 is 万能。


この件を受けて上司からは「こういうちょっとした小言みたいな話はよくあるけれど、板垣さんはそれを大きなミスにしないね。安定感があるよ。ロボットみたいに処理してくれる(笑)」と冗談交じりに告げられた。おそらく褒め言葉のつもりだったのだろうが、なぜか私にはドキリと胸に刺さる言葉だった。



この日の帰宅途中、実家の母から久しぶりにメールが届いた。


・元気ですか?たまにはうちにも顔を出してね。あなたは昔から何でも自分でできる子だけど、困ったことがあったら相談してね。お母さんお父さんでもいいし、近くにいる誰かでもいいから。寒くなるから、身体に気をつけてね。


とあった。何だかこれも見透かされたような感覚で、心がざわざわする。

私は、「ありがとう。今は大丈夫。お正月の前に1度帰るね。」とだけ返事を打った。


帰宅して、シャワー浴びて缶ビールを開けながら一息つく。頭をよぎるのは、上司からの一言と母からのメール。


母の言うとおり、私は今まで自分のことは自分で決めてきた。中学も、高校も、大学も、そして今も。もちろん学生の頃はお金もなかったし自分で意思決定できる範囲は狭かったけれど、その中でできる限りの手段を取った。バイトやインターンもその1つだし、自分の選択肢を広げて、それを自分の意思で選ぶことが好きなのだったと思う。昔から。


もう少し詳しく考えてみる。人生において、敷かれたレールにそのまま乗って生きることはいやだと、特に若い頃は誰もが一度はそう思うはずだろう。その中で私は、列車の進む方向であったり、速度であったりを、自分で調整することチューニングにすることに喜びや楽しみを感じる人間であったのだと思う。


でも、今は、この列車がどこに進むのか、進んでいいのか、それが全く見えないのだ。


いつの間にか、缶ビールは2本飲み終わり3本目に突入していた。


順調にステップを登っていると思っていた。

いつも目の前の少し先を見据えて行動していた。

そうやって中学3年間・高校3年間・大学4年間を過ごしてきた。地に足をつけて、自分で選んできたつもりだった。でもこの先が分からない。


上司の言うとおり私がロボットだったなら、永遠に今していることを続けられるだろう。ロボットなら答えは簡単だ。いつか動かなくなるその日まで動き続ければいい。


母の言うとおり誰かに相談すればよいのかもしれない。でもどうにもその方法が分からないのだ。こういう話を誰かにしたことはない。両親にだって、進路の相談をするときは前もってこうしたい、という意思決定を持って話をしていた。それで喧嘩をすることは沢山あったが、結局私の頑固さの前に両親が受け入れてくれることがほとんどだった。だからあのメールも、自分たちに相談することはないと分かった上での言葉なのだろう。気にかけてくれることはありがたいが、見透かされていると思うとやはり心はざわついてしまう。


こんなに考え込んだことはもしかしたら生まれて初めてかもしれない。しかし不思議なことに、悲しくて塞ぎ込む、とか動けなくなる、という気持ちにはならない。

多分明日も普通に出社するだろう。いつだってそうやって生きてきたのだから。


地に足つけて・・というより両手も床に手をついたまま、私は4本目の缶ビールを目当てにズルズルと這うように冷蔵庫へ向かった。冷蔵庫を開けると缶ビールはもうない。冷蔵庫から発せられるブウウウンという機械音だけが、一人ぼっちの部屋に響きわたった。


**************************************


時刻は17時を6時間ほど過ぎ、23時をまわっていた。


年の瀬になると繁忙期になるため、最近は毎日この時間である。

「働き方改革元年」なんて世間で言われはじめて久しいが、この時期の弊社はパソコン使用時間の期限はない。

とはいえ、私はロボットのような無尽蔵な体力もなければ終電の時間も迫っているので、バタバタと帰宅準備をして会社を出て、電車に飛び乗った。


今週の仕事もようやく終わり。

大きく息を吐きながら、電車の椅子に深く座る。時間も時間なので、電車にはほとんど人がいない。スマホをいじりSNSやニュースなどを眺めていく。昨日まで季節外れの大雨があり、結構な被害が出ているようだ。毎日、当たり前のように悲しいことが起きる。仕事の疲れも相まって気が滅入る感覚があったので、私はすぐにスマホを閉じて目を閉じた。




「~○○。~○○。この電車の終点です」


・・・どうやら寝過ごしてしまったらしい。やってしまった。お酒も飲んでないのに。電車は私の最寄り駅から2駅ほど通り過ぎていた。逆方向の電車はもうない。改札を出ると、タクシー乗り場があったが、大きな駅ではないので一台も止まっていない。この寒さの中、立ちっぱなしでいるのは辛い。



仕方ない、歩いて帰るか。

2駅なら無理な距離ではないし。

昨日までの雨の影響か、冷たく、湿った風が頬に当たる。さっきまでの暖房が効いていた電車内との温度差がはげしい。私はマフラーをしっかりと顔にかぶせ、ポケットに両手を突っ込みトボトボと歩き始めた。



15分ほど歩いただろうか。あともう半分歩けば家に帰れる。ここからは川沿いの遊歩道を進んでいくことになる。頬にあたる風が一際強くなった。考えることはいつも同じ。私はどうなっていくのだろう、私はどうなりたいのだろう。分かっている、答えは出ないことを。分かっている、答えは自分で出さなくてはならないことを。いつだってそうやってきたのだから。いつも堂々巡りだ。考えたくて考えている訳じゃないのに。


ビュオッと、これまでで一番強い風が吹いて、私は立ち止まった。

風が落ち着いて、ふと顔を上に向ける。


そこには沢山の星空が広がっていた。12月の澄んだ空気と、昨日までの大雨のおかげか、とても星がよく見える。満天の星空だった。


「あっ・・・。」と思わず声が出ていた。

そうだ、私は天文同好会にいたじゃないか。あれはおうし座・ペガサス座・ぎゅしゃ座、、。冬の星座が浮かんでいる。

ろくに星座の勉強もしていなかったし、もう何年も口にしていない言葉なのに、不思議と覚えているものだ。



そして記憶の底から浮かんできた光景は、夕陽の差し込む教室。その暖かな光を、少し眩しそうにしながら、笑顔で話す彼女の姿だった。いつか彼女に握られた左手が、急に熱を帯びていく。あの時、強く手を握り返していたならどうなったのだろう。「ありがとう」としか返せなかった自分を恥じる。多分私の根っこは、あの時から何も変わっていない。



「ねえねえ板垣さん!良く言われるけどさ、星の光が届くのって時間差があるっていうじゃない?ものすごく距離があるからさ。だからあの星は実際にはもうそこにはないってやつ。やっぱりそれってとても切ないよね。でも、確かにそこには存在していたっていうか、うまく言えないけど・・。」



ある日の舞峰はそう言っていた。いつもは何でもない雑談ばかりだったのに、その日は真面目な顔をして星の話をしていた彼女。次から次へと、同好会で過ごした日々が蘇ってくる。また、風が吹いた。今度は後ろから前に吹き抜けるような強い風が。私の中の淀んだ空気を押し流すような感覚があった。



舞峰の言った言葉が、文字通り時間差を受けて届いてくるようだった。


私はもう一度、空に浮かぶ星々の光をじっと見る。もしかしたら、あの星の光の元にはもう何もないのかもしれない。もしかしたら、今より明日の方が強い光を放つ星もあるかもしれない。もしかしたら、放たれた光を、見たくても見られなかった人がいるかもしれない。


そして、遠い遠い未来では、全ての光が見えなくなってしまう日が来るかもしれない。私にはそれが、どうしようもない程の救いのように感じた。誰も彼も届かない世界がある。


喜劇も、悲劇も。

天才も、凡人も。

お金持ちも、そうでない人も。


きっとたどり着く場所は同じなのだ。星空を見てから、そんな不思議で大げさで突拍子もない考えが溢れてくる。







帰りたい。

もう一度、あの教室で彼女と話がしたい。

楽しかった。

あの時間が、好きだった。


こんな願い、もうどうしたって叶う訳がないと分かっているのに。

いつかこの思い出も、消えてなくなってしまうものだと思うと、願わずにはいられなかった。


もう一度だけでいい。

あの時に戻りたい。帰りたい。彼女と話がしたい。


気づけば涙が止まらなくなっていた。

いつ以来だろう、こんなに涙を流したのは。

私は、こんなになるまで私の事を知らなかったのか。



でも、それでも、歩き続けなくてはならない。

私は涙を拭って、深く呼吸をする。

いつも少し前を見て歩いて行く、私にはそれしかできないのだから。

風はまだ後ろから吹き続けている。

家までもうあと半分、私はまた一歩、地面をしっかりと踏みしめて

歩き始めた。




ピコン




ラインの通知音が鳴った。


『板垣さん!久しぶり!

 南十字星見に行かない?冬にしか見られないんだよ!

 沖縄の波照間島でさ!

 わたし、会社入って、仕事して、お金頑張って貯めたんだ!』


舞峰からの何年振りかの連絡に、私は

「オリオンビール、おごってね」とだけ返事を打った。


満天の星空のもと、私は家路につく。

その足取りは、とても軽やかだった。

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サザンクロス ヅカヨム @zukayomu

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