第5話 ギルドの闇


「……オヤジ、酒……いや、水をくれ水を……」


 懐にしまい込んだ皮袋を服の上から触り、しばしの葛藤の後、ユウは目の前のマスターに告げる。

 あれから、ふらふらと力無い足取りで街を彷徨い続けたが、これといった成果は得られず。街行く人々に日本に帰る方法を聞いてみたりはしたが、案の定返ってくる言葉は「知らない」の一言のみだった。

 ここまで来ればいくら国外のことに疎いユウでも予想がつく。そもそもトカゲのような二足歩行の人種などが世界に存在していれば嫌でも耳に入るというものだ。結論、ここは自分の知る、生きた世界ではないということ。

 馴染み深い下町の雰囲気はすっかり消え失せ、どこか西洋染みた、いやそれをベースに多方面の文化が取り入れられた珍妙な街。そこを歩き回り、得た知識といえば一目見てわかる頂上にそびえ立つ大きな城の存在とそこまで行くのには何か通行手形的な物が必要な検問所があるということ。見るからに、他の住民と比べて明らかに裕福そうな人々がそこを行き来していたことを考えると大きな身分差のようなものがこの国には存在しているのだろう。


「お嬢ちゃん、ここは酒場だよ。水が飲みたいなら噴水広場の水でも飲んでくれ」


「……むぅ。なら、一番安い酒でいい。なんでもいいからくれ」


「あいよ。……小銭ばっかだな。お嬢ちゃん、訳ありかい?」


 激しく躊躇し、ユウが適当に掴んで出した硬貨をいくつか摘み、店主は背を向ける。

 足を棒にし、日が暮れるまで彷徨い疲れ果てたユウが手繰り寄せられるように入ってしまった古びた酒場。軋む木床にごたごたと飾られた一貫性のない装飾物、吊り下げられ埃にまみれたランタンや燭台が薄暗い店内をぼんやり照らしている。煤けたカウンターに腰を据えたユウの後方では日本極道とはまた違った人相の悪い客達が大きな木のジョッキを掲げ、立てられた大樽をテーブル代わりに騒ぎ立てていた。

 まるで海賊時代に迷い込んでしまったかのような酒場に見た目成人にも届かないような少女はため息をつきながら店主の出す酒を待った。


「しかし、お嬢ちゃんみたいのがなんでこんな店に……。見てみな、周りの連中が物珍しそうに、いやスケベな目でお前さんを見てるぜ」


 周りと同じような汚いが大きい木製ジョッキに並々と注いだ酒をユウの前に置いて店主は顔を覗き込むように肩肘をつく。

 こんな少女相手にもどうやらぼったくる気はないらしい。店構えの割には良心的とも思える店主の対応に疲れ果てながらもユウは感心する。


「見たきゃ見たらいい。ワシはただ喉を潤しにここへ立ち寄っただけじゃ」


 口にすれば、すぐにそれが安酒に間違いないことがわかる。まるで消毒用のアルコールを飲んでいるかのような舌触りの悪さに鼻抜けの悪さと高いアルコール度数。だが、今のユウにはそれが寧ろよかった。訳もわからず、得体の知れない世界に放り出され、おまけに少女の身体になってしまったのだから嫌なことを忘れるには酒に溺れるぐらいがちょうどいいのだ。

 ただ、人の善意で借りることのできた金をこんなことに使っていいものか、と後ろめたい気持ちがないわけではない。元々、義理人情に厚いユウにとってそれは人一倍強い罪悪感を覚えさせた。


「ワシは抱きたくて襲ってくるようなら返り討ちにしたるわ」


 勿体ぶるようにチビチビと酒を煽りながら、ユウは決心する。まずは金を返さないとな、と。


「はっはっ、なら例の『通り魔騒ぎ』もなんのそのか。お嬢ちゃん気に入った、これも食いな」


 ユウの強気な態度の何が気に入ったのか、店主は気を良くして見たこともない魚の燻製を大量に盛った皿をテーブル放った。


「通り魔? なんじゃ、そないに物騒なんかいなこの街は」


 硬い。魚の燻製を歯で引きちぎり、ユウは咀嚼しながら問う。


「あぁ? 知らねーのか? 最近じゃ美女を狙った通り魔事件が相次いでいてね。中級上級ギルド共々、夜の街を偉そうに巡回してやがる。お嬢ちゃんみたいな美人さんならその通り魔に狙われてもおかしくねーが……大丈夫そうだな」


 硬い魚の燻製と格闘し、野蛮極まりない所作でぶちぶちと身を引きちぎるユウの姿を眺め、店主はうん、と小さく頷いた。


「中級上級ギルドっちゅーのは大層な奴らなんじゃろ? なんでそんな嫌がっとるんじゃ」


「あー……お嬢ちゃんも新参かい。中級上級ギルドなんてのはな、他所から見ればそりゃあ栄誉あってお国や国民のために〜なんつって奮闘するお優しくて気高い奴らの集まりに思われてる。だが、現実はそうじゃねー。どいつもこいつも自分のために働く、どんな汚いことにでも手を染める意地きたねー奴らの集まりなのさ」


「……聞いた話と違うのぅ」


「ここに住んでる奴ら、特に俺らみたいな下層に住んでる住民はみんな言うぜ? 中級上級ギルドの奴らはくたばりやがれってな。上級ギルドなんてのは一位になってあの馬鹿でかい城を我が物にすることしか考えてねーし、特に酷いのは上級ギルドの傘下組織に入った中級ギルドだな。あいつらは人殺しなんて気にもしてねー。その通り魔事件だってそいつらが強姦ついでに口封じで殺したなんて噂が立ってるぐらいだ」


「傘下組織か……なんじゃ極道と似たもんを感じるな」


「きっと夜の巡回だっててめえらの手柄のために決まってる。犯人さえ捕まりゃ、人が何人死のうが気にしちゃいねーさ。だからお嬢ちゃんも気ぃつけな。お前さんみたいな美人、通り魔の目につけば1発だぜ?」


 華やかに見えた街の闇を知った気がし、ユウは沈黙したまま酒を口に含む。ピリピリと舌が刺激され、身体を熱くするが、なぜか酔えない。こんな状況だからだろうか。

 別れたセルシオの事も気にかかり、ふっとコップに映る自分の顔に目を落としたその時、ユウの肩に毛だらけの太い腕が回された。

 揺れた酒がテーブルに滴り落ちる。


「そーそっ。お嬢ちゃんみたいな美女、通り魔じゃなくても襲っちまうさ。ん〜、いい匂い……女の匂いだ」


「なんじゃ、お前ら」


 どうやら店主との話に夢中になっている間に取り囲まれてしまったらしい。

 人数にして4人。どいつも少女の姿となってしまったユウでは太刀打ちできなそうにない大柄な男たちだ。

 そのさらに後方には輪に加わりはしないが、ニヤニヤと顔を綻ばせてこちらを眺める者たち。どうやら、止めに入る気はなさそうだ。いや、むしろおこぼれを目的としているのかもしれない。


「ちょっと待て、あんたら。店じゃそういうのはやめてくれ」


「うるせぇな。夜に一人でこんな男しかいねー危ない店に来る方が悪いんじゃねーか。誰だって男を誘ってやがる尻軽女としか思わねーぜ? それに、俺はまだなんもしちゃいねー。ただ、お話をしてるだけじゃねーかよ」


 唯一の良心といえばこの店主ぐらいだろうが、その細身の身体では一蹴されてしまうのが落ちだろう。

 睨みを効かせながら、ユウは男の腕を振り払うとコップに入った酒を一息で飲み干して豪快なゲップを鳴らす。


「ワシに喧嘩売っとるんかいな、おどれら」


「喧嘩じゃねぇよ、ゲヘヘ。ちょいとばかし、『お楽しみ』をしたいだけさ」


「下衆な奴らじゃ。女一人口説き落とすこともできんのかい、ドアホが」


 短い舌打ちをし、ユウはコップを足元に叩きつける。

 正直言ってむしゃくしゃしていたのもある。わけのわからない世界に飛ばされて女にされたのだ。当然と言ってもいい。ちょうど誰かに当たり散らして鬱憤を晴らすのにはもってこいの相手ではあるが。

 頭を抱え、カウンターの隅に縮こまる店主を横目で捉え、ユウは首を振る。


「騒ぎを起こしてカタギに迷惑かけるのはワシの任侠に反するわ。ええじゃろ」


 2メートルはあろう大男を前にしても臆することなく、ユウは射殺すような眼光を放ちながら立ち上がった。




「ワシに飲みで勝ったらいくらでも抱かれたるわ」


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