西洋魔導研究会
戸賀内籐
忘れえぬオサナナジミ 1/5
「きゃーっ!」
わざとらしい悲鳴をあげて逃げるのは、ピンク色の髪の女生徒だった。辺りは真っ暗で、頭上に月が輝いている。女生徒は坂道を走り、その後ろからは身なりの汚い男が追っている。
登りきったところには高校があるが、門はしまっている。おそらくそこの生徒なのだろう。彼女は諦めきれずに校門を叩き、助けてと叫ぶ。
「この辺りにゃ何もねえ。ここにかよってんなら知ってんだろ?」
男の腕に稲妻が走り、青く発光する。浮かび上がる男の顔はえげつなく笑っていた。
しかし、改めて女の表情を見てみると怯えていない。それどころか、くすくすと笑っているように見える。
首を傾げた男が、自分の後ろから近づいてくる足音に気づいて振り返った。そこには別の女生徒が二人立っていたのだ。
「なんだ、まとめてヤられに来たってのか?」
「おやめなさい。魔術はそのように振り回すものではありませんよ」
背の高い女生徒が静かに、なだめるように言う。それを聞いた男はぎょっとした。
「魔術だってわかってんのか。もしかしてだが、お前らも魔女か?」
「ええ。ですが、あなたより格上です。抵抗は無意味です」二人の片割れ、背の低い女生徒が嘲る。
「ムカつくガキだなあオイ! だったら味わってみねえか。俺の
「わっるいんだけどさぁ。私そういうの大っ嫌いなんだよね」
背後からの吐き捨てるような物言いに、怒った男が振り返る。男が目にしたのは、一気にこちらに間合いを詰め、拳を引くピンク髪の女生徒だった。油断しきっていた男は腹にアッパーを食らう。
男はボールのように空中に跳ねあげられた。光った腕が空中で力なく明滅する。
背の低い女生徒が背後に隠していたショットガンを構えて撃つ。流れるような所作だ。田んぼと小麦畑ばかりの周囲に、残響を伴って破裂音が轟く。
「ぐ……クソガキがっ!」
最後のあがきとばかりに男は電撃を放つ。それは自然の稲妻と同じように、背の高い女生徒へジグザグに空を走る。だがその稲妻が届くことはなかった。稲妻の閃光とも違う光にかきけされてしまったのだ。
骨が折れる音とともに落着した男は、坂道で力なく転がりかける。それを足で止めたのは、背の高い女生徒だ。気品のあるすまし顔が、男を見下ろして手をかざした
「ガキども……なんなんだ、お前ら……」
冷たい顔のその手から六角形の障壁が現われ、連なって男を覆っていく。それは電撃を防いだときと同じ、緑色の閃光を放っている。
その光が収まると、残っていたのはガラス質に溶けたコンクリートと、かすかに煙る肉の焼ける匂いだけであった。
「私達は……西洋魔導研究会ですわ」
いなくなった男の問に答えるように、彼女は一言だけつぶやいた。
「さいとぉ……?」
一人の小柄な男子高校生、
老朽化したタイル張りの廊下はところどころ割れてヒビが入り、配管や換気扇のそばは黒ずんでいた。ひび割れも数箇所ではすまない。蛍光灯がまたたいていて、そこに夏の入り特有の羽虫がたかっている。
ペンキが剥げかけているからか、日が落ちたせいからか、余計にくたびれて見える。アパートの囲いの向こうには、さらにその向こうにある川まで延々と畑が続いている。もはや見慣れたとはいえ、寒々しい光景だ。
アパートの住人の名を記憶で確かめたが、やはり斎藤なんて名前はない。
表札がないのにどうして他の住人に詳しいのかというと、彼はこのアパートの大家なのだ。不幸な飛行機事故によって、彼の両親は死に、孤独とアパートという遺産を残した。
両親の名残の強い実家を捨て、彼はここに引っ越した。それから数ヶ月のあいだ生き延びられたのは、大家なのだから責任を果たさなくちゃ、という使命感のおかげだ。義務感とも言い換えられる感情が、喪失感と孤独感に襲われていた彼を緩やかな自殺から救った。
不意に着信音が鳴った。男子高校生には不似合いなピンク色のキャラクターのストラップのついたスマホをとりだす。
『いま風邪で寝込んじゃってて、もし電気代の督促がきてたら、悪いんですけど払ってもらえないですか? 必ず返しますから』
矢淵は「わかった」と返事をしながらも、看病に行くべきだろうか、と考える。
彼女も同じ境遇なのだ。家族ぐるみの付き合いをしていた矢淵家と斎藤家は、一度の旅行で二人分の親を失ったのだ。その説明を旅行会社から聞いた時、窓越しに顔を合わせて「ばかな!」と呆然としたものだ。
『ごめんなさい。今は見せられる顔してないと思うから。あと、風邪とは関係ないんだけど……』
追伸を読んでため息をついた彼は、一転して顔をひきしめると2階にあがる。美智留が住んでいるのは201だが、その隣の202のインターホンを押した。
「大家です。
すると、どたがらという慌ただしげな騒音をともなって部屋の主がドアを開け放つ。
「はいはーいハンコありまーす! って、アマゾンかと思ったら矢渕くんかぁ。えっと今取り込んじゃってるんだけど、何かなぁ?」
ふわりとしたピンク色の髪を揺らし、パジャマ代わりのスウェットを着た美少女が飛びだしてきた。急停止したせいか、薄くはない生地の中にある膨らみも揺れる。
矢淵はとっさにそれから顔を逸らして、なんでもないように取り繕う。
「隣の美智留ちゃんから声が大きいって苦情がありました。何を喋ってるのか知りませんけど、常識の範囲内でお願いしますよ」
「うわ! ガチめなやつー! ちょっと声だしてたからそれだね、ハイハイ。だーいじょぶ、そろそろ終わるから! 枠取っちゃったしさ、期待を裏切るのもみんなに悪いし」
矢淵はまたため息をついてしまう。彼はこの美少女が苦手だった。絶妙な距離感の近さも話していることも、よくわからない。まるで違う人種のようだ、と矢淵は感じていた。
「あのね……」
「あ、ところで明日って数学の宿題あったっけ?」
彼の顔面をがっしとつかんで、彼女は首をかしげる。
「……あるけど」
「くぁーマジかー。准くん見せてくんない? どうせもう終わってるっしょ? 部屋あがってく? お茶くらいだすよ?」
そう言われて矢淵は赤面した。同年代の女子、それもあまり知らない人にそうされるのは、居心地が悪いし、変に勘違いしてしまう。そうでないとわかってはいるが。
「遠慮します」
「相変わらず真面目だねー。マァとにかく、静かにしまーす。それじゃまた明日。学校で」
バタン、と開けたときと同じように慌ただしく扉が閉められる。
すると、全て聞いていたのか美智留からメッセージが届いた。
『ありがとう。木鳩ちゃん苦手だから言ってもらえて助かったよ』
「僕もだけどね……。どういたしまして」
液晶のテキストを読んだ彼は、なんだか疲れながらも自室に戻る。幸いなのは、冷凍のカレーがあったことだ。
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