第17話 8月32日

8月31日。

私は死のうと思った。


明日から学校が始まる。

またあの地獄の様な日々が始まるのかと思うと死にたかった。


いじめられてる訳ではない。

勉強に着いていけない訳でもない。

ただ、教室がとても息苦しい。


通学に使う電車に乗った。

ずっと止まらなければいいのに。

目的地なんて無くて、このまま永遠にどこにも行けなければいいのに。


終点に着いた。

流石にこのまま乗り続ける訳にもいかないので、 降りた。


名前しか知らない駅。

ここはどこなんだろう。

きっと家からも学校からもすごく離れた場所だ。


駅を出ると、小さな住宅街があった。

薄暗い道路の真ん中を歩く。車でも通って轢いてくれないだろうか。


女の子の小さな笑い声がどこからか聞こえてくる。

男の人の大きな怒鳴り声がどこからか聞こえてくる。


住宅街を抜けた。

森があった。

よし、ここで死のう。


森に入る。暗くて足元がよく見えない。

ホーホー。何かの鳥が鳴いている。


「あっ」

足を滑らせてしまった。体が枝や葉を掻き分けて引き摺り下ろされていく。


このまま、どこまでも落ちてしまいたい。

そんな私の願いとは裏腹に、服が枝に引っ掛かったのか、ぴたりと止まってしまった。


「……やっぱり自分の力で死ぬしかないのかよ。」

涙は出なかった。


ふと頭上で何か聞こえる。


「誰か居るの?」


そう言ったのは、私じゃなくて、『誰か』。


いきなり視界が明るくなった。

眩しい。


「君、何してるの?」


スマホのライトで私を照らしているのは、同い年くらいの男の子だった。


「何、って……。

あなたこそこんな所で何してるの?」


私が問い返すと、彼は数秒間唸った末、


「8月に残りたかったんだよ。」


ヘラヘラと笑いながら言った。


「おかしな事言うのね。

でも、まあ、分からなくもないかも」


そうだ。きっと私も8月に残りたいからここに来たんだ。


死にたい訳じゃない。『9月』に行きたくないから生きたくないだけなのかもしれない。


「9月になるくらいなら、死んだ方がマシなんだ。」


さっきまでヘラヘラと笑っていたのに、彼の口の両端は垂れ下がってしまった。


「……マシなだけなら死にたくないんじゃない」


これは彼に対して言ったのか、自分に対して言ったのか、自分でも分からなかった。

ただ、バカみたいに私と同じ考えの彼に物凄く腹が立ってしまったのだ。


「行きたくないから生きたくないだけで本当は逝きたくないんでしょ?」


「ははは、何言ってるの?」


二度目の彼の笑顔は歪んでいた。


「……初めてだ。僕の思いを否定しない人に出会ったのは。」


彼は暗闇からロープを引っ張り出した。

おもむろにそれを首にかける。


目を瞑って、深呼吸を、一回、二回。

瞼の隙間から、何かを決意した瞳が見えた。


「やめてよ。私の目の前で私より先に死なないでよ。」


彼に手を伸ばした。届かない。


「ねぇ、二人で考えよ?8月に残る方法がきっと見付かるからーー」


「そんなのないよ。死ぬしかない。」


彼の口の中は真っ暗だった。


「8月に残るなら、8月にしかないんだよ。


それじゃあね。最後に僕を見てくれてありがとう。


さよなら」


彼は軽くジャンプした。


彼がロープを結んだ木が折れた。


目を見開いた彼が私の体に飛び込んでくる。


そのまま私達は斜面を滑り落ちていった。




「…………痛い」


「…………いきなり飛び込んでくるなし」


「わざとじゃない。暗くてよく見えないから細い枝に結んでたみたいだ」


「バカじゃないの。カッコ悪。」


「ああ、死にてー」


私達は寄り添う様に寝そべりながら、笑った。


「あと三十分で8月が終わる。」


彼はスマホの画面を見ながら呟いた。


「結局、僕達は9月に行っちゃうんだね。」


声は震えていた。顔は見えないけど、きっと、彼も泣いている。


「ねえ、私達は、ずっと8月のままで居よう。だから、明日は8月32日。」


「はは、いいね、それ。

明日は8月32日、明後日は8月33日、明明後日は8月34日。」


「そう。

明日になっても、冬になっても、来年になっても。」


「ずっと8月でいれたらいいよね……」




小鳥のさえずりで目が覚めた。


「……あ」


隣に居たはずの彼の姿が見当たらない。


私達は、一緒に8月を終える事が出来たのだろうか。


8月を終えてしまった彼は、まだどこかで生きているのだろうか。


「……早く学校行かなきゃ」


今日は、9月1日。



今日は、8月32日。















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