4 ひともムジナもおなじ穴(5)



 太白の真剣な顔に、あやねは芸もなくオウム返しをしてしまう。


「先日のお見合いのとき、腕を組みましたから」

「でもあれは……恋人というより補助とか介護って分野では。というか、太白さんはお付き合いの経験がないのに、とてもスムーズなお気遣いができますよね」

「仕事柄でしょうか。僕の仕事はドアマンから始まりました。末端まで知らなければ、ホテルの仕事はできないという祖父の命令でしたので。ですから、お客さまへの気配りは身に染みついています。それと」


 眼鏡の奥で、太白の目が遠くなる。


「病弱だった母を気遣う父を見てきたせいも、あるかと」


 あやねはほほ笑む。

 少しずつ、太白が自分の過去や想いを話してくれるのが嬉しい。仕事のパートナーとしての信頼が築けている証拠に思えたから。


「ご両親を見てきたから、っていってましたものね。素敵です」

「あやねさんはいつも肯定してくれますね。ありがとうございます」


 ふたりは顔を見合わせて、そっとほほ笑み合う。

 いい雰囲気だった。実態は取引先同士の心の通い合いだが、これなら恋人同士の空気といえなくもなくない? と勇気が湧いてくる。


「じゃあ、太白さん。ちょっとやってみますか。恋人らしく手をつなぐのを」

「了解です」


 あやねは手を差し出す。そのうえに太白が手を乗せる。

 ふたりとも大真面目だった。だがどう見ても〝犬のお手芸〟感が否めない。


「違いますね」「そうですね」


 コレジャナイ、ことだけはよくわかった。あやねは内心頭を抱える。

 無理なのでは。

 こんな付け焼き刃で恋人同士らしく振る舞うなんて!


「失礼いたします。立沢ご夫妻がお見えになりました」


 スタッフが呼びにきたので、あわててふたりは身を起こす。

 いましもスタッフに案内されて、初老の男性と女性がラウンジに入ってくるのが見えた。

 夫妻の姿を見てその意外さに、あやねは一瞬目をみはる。

 妻の深雪は、上品で歩きやすそうなパンツコーデ。優雅にかぶったつば広ハットと洒落しやれたサングラスで、いかにも観光地のマダムといった風情だ。

 だが夫の太郎はまったく違った。

 民族衣装風の柄シャツ、真っ黒に日焼けした顔に目立つ白いしようひげ。魔法使いのようなつえを持ち、足元は使い込んだ革サンダル。奇抜な格好だが、でっぷりした腹回りや日焼けして骨ばった二の腕には、ある意味存在感があった。

 ラウンジにいる客やスタッフの視線を一身に集め、ふたりは歩んでくる。長年連れ添った夫婦なら似通うことが多いのに、彼らはあまりに対照的だった。


「おはようございます、よくお休みになれましたか」


 太白は慇懃な口調で出迎える。さっきまでの意気消沈ぶりが噓みたいな完璧な仕事モードは、さすがである。あやねは一緒に頭を下げながら感心した。


「おお、いいベッドだった。さすが仙台一のホテルだ」


 大きな声でいって、太郎は太白の手を握り、ばんばんと肩を叩く。


「しかしまったく、四十二年ぶりの故郷はとんでもない暑さだな。いや、東京も同じだった。赤道直下の国のほうが、海沿いの分涼しくて過ごしやすいぞ」

「あなた、少し声の大きさを抑えなさいな」


 深雪は夫をたしなめると、太白に向かってほほ笑んだ。


「昨夜は素敵なお食事をありがとう。いいシェフがいらっしゃるのね」

「ありがとうございます。ご満足いただけてなによりです。あとで厨房にも伝えます。こちらが花籠あやねさん。結婚予定の方です。一緒に仕事もしています」

「花籠あやねと申します。バンケットサービス部門で相談役としても働いております。なにかご用命ございましたら、ぜひ」

「有能そうな方だこと。わたくしは立沢深雪です。対等のパートナー関係は大事よ。これなら、啓明氏引退後も青葉は安泰ね」


 ちょっと食い気味の紹介だったかなと思ったが、深雪はにっこりと笑った。夫と共同経営者である彼女らしい言葉だった。


「さてさて、早速仙台観光に出かけるとするか」


 大きな杖を掲げる太郎に、深雪が顔をしかめた。


「あら、ロビーに出てもう出発? せわしないこと」

「もう十時だぞ。おまえだって準備万端の格好じゃないか」

「あなたなんて、そのくたびれたサンダルで行くおつもりなの」

「なにをいう。マレーシアのキナバル山もインドネシアのキンタマーニ高原も踏破したサンダルだから、これで行くといったはずだぞ」


 ふたりとも歩く気満々なのがよくわかる発言だ。そっと横目で見ると、あきらかに太白は青ざめている。あやねは心ひそかに同情した。


「こちらが仙台市内の地下鉄・バス共通一日乗車券です」


 太白がチケットの入った封筒を差し出しつついった。


「しかし、本当によろしいのですか。今日の暑さはだいぶきついかと」

「なに、市内をすべて歩くわけじゃない。平気、平気」

「気をつけてくださいね。あなたが倒れたら運べるひとなんていませんから」

「わかってるさ。どうせ倒れてもおまえは涼しい顔で先に行くからな」


 夫妻は遠慮なくぽんぽんといい合う。長年連れ添って、気心の知れた夫婦らしい様子に、あやねはほほ笑ましい気持ちになる。

 もちろん、このあとの苦行を思えば吞気に笑えはしなかったのだけれど。



【次回更新は、2019年12月1日(日)予定!】

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