4 ひともムジナもおなじ穴(3)


 急いで軽く化粧をし直し、パジャマから部屋着に着替えてダイニングに赴くと、太白は親切にコーヒーを淹れて待っていてくれた。こういう太白の、仕事相手にもきちんと気遣う親切さが、あやねは好ましくてほっとする。

 コーヒーを飲んで一息ついたところで、太白は本題を切り出した。


「今回の相手は、よこはま在住の立沢夫妻。六十代半ばで、輸入商社の経営者です」


 夫のろうは宮城県出身。妻のゆきとの出会いを機に、彼女が住む横浜に移住。そこで彼女とともに会社を設立し、アジア中心に食材を買いつけてきた。

 今回は四十二年ぶりの帰郷で、結婚四十二周年記念の旅行だという。

 そして、一番大事なポイント。

 太郎は〝大ムジナ〟という妖かしで、深雪は人間である、ということ。


「今夜の立沢夫妻との会席で、歳星が断りもなく僕らの結婚を伝えたため、大変に興味を持たれまして。人間と妖かし、同じ組み合わせだと」

「また勝手に……歳星さん……」


 あやねはため息をついた。

 正式お披露目は、あやねの退社後の来月頭を予定している。それも残りあと十日ほどだし、すでにホテル内や関係者内では周知の事実だが、当人に無断で話を持ち出すのはやはりしやくに障る。


「しかも歳星が、いい機会だから仙台市内を観光案内してさしあげろと。数十年ぶりの帰郷で、色々変わっていて見どころも増えただろうから、とあおりまして」

「森羅万象すべてをご自分のいい機会にするつもりですか、歳星さんは。よほど、わたしたちの結婚にご不満なんですね」

「わからないでもありません。僕の縁談を祖父から一任されていたので」


 えっ、とあやねは目を見開く。たしかにそれなら、ムキにもなるだろう。


「縁談絡みといえば、先日のパーティでの二つ口家令嬢襲撃の件。歳星に頼んで調査してもらったところ、昨日の夕刻に調査結果が届きました」


 トイレで見た、顔がふたつある女性の姿。あれはいつ思い出しても衝撃だ。

 自分の知らない妖かしの世界が、たしかに存在しているという事実。そして、その世界に足を踏み入れるきっかけとなった事件だから。


「あれは内部のごたごたで、どうも僕との縁談話が原因だとか。令嬢の周囲が勝手に画策していただけで、令嬢本人は蚊帳の外だったらしいのですが」

「内部でごたごたを起こしても、高階の家と縁組したい理由があるのですね」


 あやねがいうと、太白はうなずいた。


「二つ口家は古い温泉旅館をいくつも経営しています。昨今、安価なゲストハウスや民泊に旅行客が流れて経営が苦しく、青葉グランドホテルグループの傘下に是が非でも入りたいようです。令嬢本人は提携先を探していましたが、外部の手が入れば経営刷新でリストラが発生しますから、反対する者は非常に多いようです」

「……もしや、パーティでご令嬢を探しておられた男性って」

「ええ、提携先候補のひとつの関係者です。ちょうどお互いパーティに招待されていたため、反対派の目をごまかすために偶然を装って話をする予定だったと」

「じゃあ、それを阻止するために、縁組推進派が令嬢を襲ったわけですね。でしたら、その襲撃犯はどうなったんですか」

「経営している旅館の住み込み従業員で、一族の端くれだそうですが、すでに辞めています。旅館からも出ていって行方知れずだという報告でした」


 行方不明。

 その言葉にあやねはなんとはなしに不安がつのる。


「トカゲの尻尾切りで済んだならいいですけど、反対派がかくまってたりしませんか」

「あり得ますね。薬まで使って酔わせてつぶして、身を隠させる。そこまで強硬な手段に出るなら、切羽詰まっているはずですから」

「ですよね……つまり、その襲撃犯がまた使われる可能性がある……」


 あやねの言葉に、太白も難しい顔になる。


「そのとおりです。歳星は、こうも忠告していました。二つ口家は身を持ち崩しかけているが、古いだけあって人脈がある。高階に反目する連中で手を組まれたら厄介だ、足をすくわれないようにしろ、と」

「太白さんの結婚が周知されれば、そんなよこやりも減りませんかね」

「どうでしょうね。そう忠告する歳星自身が、横槍を入れてきていますから」


 はあ、とふたりはそろって深く嘆息した。


「僕には、圧倒的に後ろ盾が足りません」


 太白はテーブルのうえで、ぎゅ、と両手を握り合わせる。


「帰郷は四十二年ぶりでも、太郎氏はこの地のムジナ一族に顔が利く。十一月にある百鬼夜行祭のためにも、味方とはいいませんが敵にはできません」


 聞き覚えのある単語。あやねは思わず身を乗り出す。


「あの、さっき小泉さんに方相氏の衣装を見せてもらったとき、名前だけ聞きましたが……〝百鬼夜行祭〟って、なんです?」

「説明がまだでしたね、申し訳ない。毎年十月のひつじの日に、高階の頭領が総代となって行う、妖かしたちの祭りです。祖父が引退したので、今回から僕が総代を務めることになるでしょう。今年の十月未の日は、三十日です」

「三十日ならハロウィン前日ですね。って、これは日本の妖かしの話ですけど」

「僕も、ハロウィンのほうが馴染みやすいです」


 太白は正直なことをいった。


「グローバル化が進んだいまは、異国の妖かしも日本に溶け込んで住み着いています。異文化の妖かしの概念が導入され、日本に住む者たちに浸透したから、彼らも日本に居着いたのです。日本の妖かしと融合する例もある」


 冷静で分析的な口ぶりで太白は語る。


「妖かしは人間の抱く〝おそれの形〟。人間あってこその我らです。ゆえに暴走を抑え、共存を維持するためにも、妖かしを束ねる高階の役割は重大です」


 半妖の太白は、冷徹に妖かしと人間の双方を観察している。

 年若い彼が年経た妖かしたちに相対するのは、かなりの重荷だろう。冷静なのは性分もあるけれど、懸命にそう努めているはずだ。そう思って、なんだかまた痛ましくなる。


「百鬼夜行祭は、この地の妖かしたちが一同に介する祭りです。その祭りの際、高階の頭領が方相氏に扮して、目に見えぬ脅威を追い払い、この地の安寧を祈ります。儀式の一貫ですが、重要な役目です」

「な、なるほど、なるほど」


 いっぺんに色々聞かされて、あやねは必死に頭のなかで情報を整理する。


「そうして百鬼夜行祭は、ふだんは人間界に溶け込んで暮らす我々が、正体を現して自由に過ごせる夜なのです」

「正体を現してって、人間たちはだいじょうぶですか。大騒ぎなのでは」

「ご心配なく。参加者は全員、青葉グランドホテルの客として迎え、祭り自体は結界内で行います。羽目を外して夜の街に出る者もおりますが、ごくわずかです」


 太白は落ち着いて答えたが、あやねは逆に心配が募る。

〝若僧〟扱いの太白が、周囲の協力もろくにないなかで、大きな祭りの総代を務めるなんて、無謀だ。彼を侮る輩が、わざと騒ぎを起こさないとも限らないのに。

 だがどんなに厳しい状況でも、高階の頭領とあるべく育てられた彼は、強い責任感をもって挑もうとするはずだ。それは、なんて孤独な務めなのだろう……。


「わかりました。仙台市内をご案内すればいいんですよね。夫妻のデータをいただければ、コンシェルジェにおすすめコースを聞いておきます」


 孤独に戦うしかない彼のために、あやねは尽力しようと思った。

 仕事としても、太白の有利になる話なら、ぜひ受けるべきだ。それに人間と妖かしの組み合わせという立場が同じなら、有用な話が聞けるかもしれない。妖かしとの結婚を選んだ深雪氏にも、興味をそそられる。


「本当に、あやねさんは頼もしいですね。あなたの強い意志と優れた能力を、適切に評価しないものの気が知れません」

「い、いやあ、そんなあ」


 真正面から手放しで太白に褒められて、あやねは正直に照れまくる。

 しかし、以前あやねがかかわっていた〝妖忍フェス〟もちょうど同時期だ。

 他県からもひとが集まり、人口も膨れ上がるそんなとき、百鬼夜行祭に集まった妖かしたちが、街へさ迷いでたら……?

 やだ、やだ。考えたくない。でも備えておく必要がある。


「では早速、コンシェルジェにお願いして車の手配をしますね。明日も仙台市内は酷暑みたいですから」


 あやねが腰を浮かせたとき、テーブルに置いた太白のスマホがブルッと振動する。スマホを手にして画面を見ていた太白が、急にそうはくになる。


「申し訳ありません、歳星からの連絡で、明日は徒歩に……なりました」

「はあ!?」


 思わずあやねはダイニングに響き渡る声を上げてしまった。


「この暑さで徒歩って、ご夫妻は還暦間近ですよね。倒れますよ!」

「立沢夫妻は、四十二年ぶりの故郷をじっくり見て回りたい、車ではたんのうできたという実感がない、なので徒歩とバスがご希望だそうです。それと、もうひとつ。歳星から忠告がありました」


 いやな予感で青ざめるあやねの耳に、太白の呆然とした声が響く。


「もっと、結婚を控えた婚約者同士らしくしておいたほうがいい……と」


【次回更新は、2019年11月27日(水)予定!】

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