4 ひともムジナもおなじ穴

4 ひともムジナもおなじ穴(1)

「そろそろあやねにも、屋敷の隅々まで知ってもらうときが来ましたにゃ」


 得意げに二又尻尾を立てて、小泉さんがお風呂上がりのあやねを見上げる。


「いきなりの同居で、使用人たちも警戒していましたにゃ。しかし同居してからの約二週間、特に問題もにゃかったですし、太白が朝食をいつものパンケーキに戻したということは、それだけあやねに信頼を置いている、ということですからにゃ」


 パジャマ姿のあやねは、スキンケアグッズを手に小泉さんを見下ろす。

 寝たいんですけど。すっぴんだし、太白さんが帰ってくる前に。

 現在、あやねは青葉グランドホテルの相談役の立場にある。辞めてしまった青葉の前プランナーが残した仕事を後始末している真っ最中。正式な入社は、八月末の前会社正式退社をもって行われる予定だ。それも、あと二週間くらい。

 今夜、太白は歳星とともに接待。別行動のあやねは自分の仕事を終えて帰宅し、食事とお風呂を済ませたばかり。なのにまさか、これから屋敷を案内?


「ていうか、なぜ休日に案内してくれないんです?」

「甘いですにゃ。次期高階家頭領夫妻ともにゃれば、休日などにゃいも同然」


 うーん、とあやねは歳星の傲慢で嫌味な顔を思い浮かべる。

 同居を初めて約二週間。そのあいだ、歳星はことあるごとに統括事業部に押しかけてきて、あやねを試すような真似をしてくる。


〝はっはっは、ド庶民でド新参のおまえに、この案件が片付けられるか!〟


 暇か。総支配人のくせに。

 そのたびに太白が、丁重かつ断固として追い返してくれるものの、何分彼も忙しい身。どうしてもあやねが対応しなくてはならないときもある。

 いちいち相手にしていられないので、総支配人の秘書に連絡して引き取ってもらうのだが、正直大変に、大・変・に、邪魔である。

 なんだってそうも突っかかってくるのか。よほどあやねが気に入らないのか。


(たしかに、先日のお見合いのときみたいにいきなり予定を入れられるかも)


 それに恐怖は無知からやってくる。自分が取引する相手は妖かしだ。それを前に毎回震え上がってばかりでは、仕事にならない。

 手始めに、自分が住む場所をきちんと把握しておくべきだ。


「わかりました。でも手短に、手早くお願いしますね」

「了解ですにゃ。では、絶対に小泉から離れては駄目ですにゃよ。ここの結界は入り組んでいて、古いものですからにゃ。もしも迷子になんかにゃったら……」

「えっ、迷子になったらどうなるんです?」


 あやねが訊くと小泉さんは、にぃ、とチェシャ猫みたいに笑った、だけだった。

 なにかいって! お願いだから!

 しかし小泉さんは素知らぬ顔で先に立って歩き出す。


「へ、変なものが出ても、小泉さんがなんとかしてくれるんですよね?」

「うーむ、難しいですにゃ。小泉の特技は、人語がしゃべれることと、毒を盛るのと、かんおけりと死体操り、あとは可愛いことくらいですからにゃあ」

「待ってください、毒を盛るって? 棺桶吊りと死体操りって!?」


 さらりとなにか恐ろしいことをいわれて訊き返すと、小泉さんが答える。


「あやねは聞いたことないですかにゃ? 仙台の猫にまつわる昔話を」

「い、いえ……民話はくわしくないので」

「そうですかにゃ。まあ、心配しなくとも小泉はおおむね可愛いだけですからにゃ」


 にぃ、と小泉さんはまた笑った。あやねはひええ、と戦慄する。

 小泉さんはあやねをつれて、リビングルームの一角にやってきた。

 そしてウォークインクローゼットの前で、後脚で立ち上がってちょいちょい、と両の前脚を合わせて扉を引っかく。まるで、拝むみたいに。


「あやね、扉を開けるですにゃ」


 開ける、といってもあやねが知る限り、なかは空っぽのだだっ広いクローゼットだったはず。半信半疑であやねは扉を開けてみる。


「あっ……!」


 クローゼットの向こう側には、ずっと奥まで続く長い廊下があった。

 行く先はほの暗いが、淡い照明に照らされている。ただし電灯ではなく、どうも不思議なことに、宙に浮く……炎の、ような。


「ちょっと暗いですが、きつねがあるので安心するですにゃ」

「狐火!?」


 あやねは思わず一歩下がりたくなるが、そういえばケサランパサランも狐の毛玉だったし、屋敷の使用人も狐なのだから、おかしい話でもない。

 とっとっと、と軽い足取りで薄暗い廊下を小泉さんが歩き出す。あやねは迷うが、小泉さんの揺れる二又尻尾を目印に、ええいと思い切って足を踏み出した。

 風呂上がりの素足に、ひやりと冷たい床板が触れる。

 廊下はどこまでも長く、奥行きが見えない。あのクローゼットの奥にこんな場所があるとは、不思議な心地。

 と、ふいにひとの気配が増える。ざわめきや話し声、足音だ。

 目をこらすと、使用人の狐女子たちが行き交っている。

 洗濯物を抱えたもの、お風呂上がりか浴衣で歩くもの、楽しげにおしゃべりするものと、ふだん目にするよりずっとくつろいだ姿だった。


「この辺りは、主に雌狐の使用人たちの住まいですにゃ」

「なるほど……夜になるといなくなるのは、ここへ帰っていたんですね」


 目が慣れると、狐女子たちが出入りするいくつもの部屋が見えてきた。

 各自の部屋だけでなく、広々した談話室や食堂、大浴場らしい暖簾のれんのかかる入り口。散策のできる坪庭まである。和風様式だが、広くて豪華な女子寮といった感じ。


「まあ、小泉さん。あやねさま。ここでなにを?」


 小泉さんが説明していると、使用人頭の雌狐が見つけて声をかける。


「あやねに屋敷のあちこちを案内しているところですにゃ」

「あら、そうですの。大事なことですけれど、あまり深入りはなさらないように。あやねさまが神隠しに遭われると大変ですもの」


 さらっと使用人頭はいったが、あやねは帰りたい気持ちがでいっぱいになる。


「そうそう、北東の玄関で白木路さまが結界の補強をなさっているところです。ちようちん小僧たちで照らしての大掛かりな夜間施工ですから、近づかないように」

「はあ、やっぱりにゃ。啓明が行方不明で結界が不安定になっているですにゃ」


 ──高階家先代であり、太白の祖父である啓明の行方不明。

 これもさらりといわれたが、かなりの重大事ではないのだろうか。

 引退パーティのあと、啓明氏はだれにも行き先を告げずに旅立ってしまった。どんな手段を使っても連絡は取れず、太白との結婚もいまだ伝えられていない。


「歳星さまは、啓明さまの行方については案ずるなとおっしゃってますけど。もういいお歳で、前々から引退して旅に出たがっていらしたからって」


 使用人頭の心配そうな言葉に、小泉さんがふりふり尻尾を振り立てる。


「ずっと啓明のそばにいた歳星がいうなら、だいじょうぶですにゃ。あるいは隠遁した息子の長庚を訪ねているのかもしれませんしにゃあ。もっとも」


 にやぁ、と小泉さんはチェシャ猫笑いを浮かべる。


「野心家の歳星のことですからにゃ。そういっておいて実は、神隠しみたいに啓明をさらってどこかに閉じ込めていてもおかしくないですにゃ!」


 使用人頭と小泉さんはそろって「あり得る~」「にゃはははは」などと笑うが、歳星の不審な言動を知っているあやねは笑うに笑えない。


「あやねさま、この冗談は太白さまに内緒にしておいてくださいませね」

「え、ええ、もちろんいいませんけれど」

「ああ見えて太白は、歳星に心酔してますからにゃ」


 うんうん、と小泉さんと使用人頭はうなずく。


「十歳のころから昨年まで、ずっとつきっきりの教育係でしたものね」

「にゃんだかんだ歳星に口答えしてますにゃけど、あれは遅い反抗期ですにゃ」


 たしかに、いい合いはしても慣れたやり取りに見えた。


(でも、太白さんは心酔していても、歳星さんのほうはどうなんだろう)


 どうもあやねは、歳星に対していい印象が抱けない。

 使用人たちに噂されるほどの野心家なら、跡目を譲るつもりはないのが本気でもおかしくない。あやねにしつように絡むのも、表立って次期頭領の太白に反目できない代わりに、よそ者で新参者の配偶者の落ち度を問おうとしているのかも。とはいえ、あの自信家な歳星なら、もっとストレートなやり方をしそうな気もするが。


「では、わたくしはこれで。くれぐれもお気をつけくださいね」


 使用人頭が辞して、探索が再開される。あまり長々と時間は取れないのもあり、男性使用人の居住空間などは遠慮して、先へ進む。


【次回更新は、2019年11月22日(金)予定!】

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