3 蛙の面に水より涙(5)

〝太白〟との呼び方に、あやねは引っかかる。家同士深い付き合いのはずだが、呼び捨てにするほど当人も仲がいいのだろうか。


「幸運な偶然ですよ」


 太白が淡々と答えると、紅葉は綺麗に紅を塗った唇をゆがませる。


「やっかみたくなりますわ。それに引き換え、あの方の気の利かなさ。わたくしの縁組相手が太白ならよかったのに」

「僕のような若輩者では、紅葉さんの伴侶は務まりません」

「たしかにわたくしからしたら、お尻に殻のついたひよこですわね。人間の血が混じるのも、我が一族のなかには不服に思うものもいるでしょう。でも」


 紅葉は行く手に顔を向ける。公孫樹はとっくに三人を置いてきぼりにして、池の真ん中に造られた島の中央でぽつねんと立っていた。


「こちらを嫌う方と添うのは、ずいぶんと腹立たしいですわ」

「昔は、お互いの家を行き来されていたとうかがっていますが」

「……幼体のときの話ですわ。お互いとても幼くて、雄も雌もなく、むしが群れるように遊んでいただけのころですもの」

「そうして仲よくされていたのに、なぜ急に交流が絶えたのです」


 太白が気遣う口調で訊くと、紅葉はむっとして答えた。


「知るものですか。わたくしが幼体を脱した直後に会ったあと、あちらも幼体を脱して、そこから急に便りに返事もよこさず、家にうかがっても顔も見せない。今回も家同士の縁組とはいえ知らない間柄ではないから承諾したのに、あんな有様」


 紅葉は顔を上げ、公孫樹のいる島を見晴るかす。


「幼いころを懐かしく思うのはわたくしだけで、それも腹が立ちますわ」


(紅葉さん……?)


 仙女のような美しい横顔にかなしげな陰りに、あやねは目をみはる。


「つまらないことをいいましたわね。参りましょう」


 つんとして紅葉は歩き出す。衣装の裾を池の水に浸けて引きずるせいで、すっかり足元はずぶれだ。

 もっとも、飛び石が黒く湿っているのは濡れた衣装のせいだけでなく、ぬめぬめと光る粘液のせいもある。ひええ、とあやねは怖気がこみ上げるが、考えないようにして太白の腕につかまり、慎重に足を進ませた。

 木々を映す緑の水面は美しかったが、それを見る余裕もなく、ようやく島へたどり着く。そのときには紅葉の衣装は芝草や泥で無残に汚れていて、せっかくの美々しさが台無しだった。

 あやねはなんだか痛ましい気持ちになる。


「ここなら、落ち着いてお話ができますわね」


 頭巾をかぶった公孫樹へ向かって、紅葉はいった。


「はっきり申し上げますけれど、これは南陽と九戸同士の縁組ですわ。少しは人前で取り繕うことをしていただかないと、困りますの」

「……わかっている」


 言葉少なの公孫樹に、ますます紅葉は眉を吊り上げる。


「耳目をはばかるので黙っておりましたけれど、わたくし、聞き及んでおりましてよ。あなたには想う方がいらっしゃるとのうわさを」


 いきなりの爆弾に、ええっ、とあやねと太白は紅葉と公孫樹を交互に見やる。


「ですから、ずっとわたくしとの連絡を断ってらしたのですわよね。この縁談も、わたくしも、嫌ってらっしゃる。ですけれど、こちらにも家の意地というものがありますの。そちらも縁組を承諾したなら、自分を納得させてくださいませ」


 だが公孫樹は目も合わせない。紅葉は言葉を叩きつけるようにいった。


「ともかく、最低限の体裁だけでも繕ってくださいませ。ああ、忌々しい。でしたら、わたくしも好きに振る舞わせていただきます。ねえ、太白」


 といって、紅葉はいきなり太白の腕にしがみついた。


「この方のそばにいたくありませんの。お庭を案内してくださるかしら」

「僕が、ですか」

「奥さまは人間でこの場所に不案内そうですもの。よろしいでしょう、奥さま。わたくしの気が収まる少しのあいだだけ、太白をお借りしても。べつに、あなたの伴侶となる方を取ろうという気はありませんから」


 面と向かっていわれて、あやねは戸惑いつつ考える。

(この場合、クライアントの太白さんの立場が第一だから……)


「はい。ここでお待ちしてますので、行ってらっしゃいませ」

「ほら、奥さまのお許しをいただきましたわ。さあ、太白」

「わかりました。あやねさん、なにかありましたら呼んでください。そう遠くには行かないつもりですから」


 紅葉に腕を引っ張られるようにして、太白は歩いていく。不自由な衣装で池を渡る紅葉を太白はちゃんと支えてあげていた。

 しかも、ちゃんと手を握って。紅葉の顔色はすっかりよくなっていた。草鞋亭にいたときは色白を通り越して真っ青だったから、庭を散策するのは気分転換によかったらしい。

 ふたりを見送るあやねの胸は、どうにもざわざわ、もやもやする。

 太白はだれにでも親切なのだなあ。

 いやいや、なにをねてるの。親切なのはいいことでしょう。懇意の家同士なのだし、気を使うのは当たり前なのだし。

 そこではっと、かたわらに無言で立つ公孫樹の大きな体に気がつく。

 そうだ、いまここには公孫樹と自分しかいないのだ。気まずい。とても気まずい。話題もないし接点もない、初対面だし種族も違う。さらにこの沈黙、向こうに会話をしようとする意志も友好を深めようとする空気も見られない。どうすれば!

 しかしそこは身に染みついたサービス業のさが、なんとか話題を探して口を開く。


「あの、公孫樹さま。おうかがいしたいことが……」

「なんだ」


 ドスの利いた低い声。頭巾のなかからぎろりとにらむ、非人間的な瞳。

 あやねはひるむ。そう、このひとも〝妖かし〟なのだ。でも、高階の領域で下手な真似はしないはず。それに太白さんたちも、そんなに遠くには行かないはず。


「先ほど、紅葉さまがお話ししてくださったんです。おふたりの昔のこと」

「……なんだと」

「幼いころは、とても仲よく遊んでいたのに、と。でも急に交流を断たれてしまったと。紅葉さまと公孫樹さまが幼体……? ええと、成人されたことでしょうか。そのタイミングで。それを、とても哀しがっておられました」


 頭巾の奥で、かすかに息を吞む気配がした。


「紅葉さまはつんけんした態度をされてますけど、あんなに美しく装われたのは公孫樹さまにお会いするからではないですか。この散策も衣装が汚れるのにかまわず、ここまでこられました。きっと公孫樹さまと向き合ってお話したかったんです」

「そちらには無関係の話だ」


 どこまでもそっけない公孫樹に、あやねは食い下がる。


「ですが、高階のホテルをお見合いの場に選ばれました。でしたら、高階にはおふたりの仲を取り持つ役割があると思うんです」


 無言の公孫樹に、あやねはさらに問いを重ねた。


「もしかしたら公孫樹さまも紅葉さまに内密にお話したいことがおありだったのでは? だから付き添いの方たちががいないここまできたのでは? それに、なぜ散策にこのルートを選ばれたんですか。なにか意図があったのではないのですか」

「詰問か」


 低い声で返されて、はっとあやねは言葉を引っ込める。


「も、申し訳ありません。そういうつもりではなく」

「たしかに、幼いころに行き来はあった」


 公孫樹は無愛想に答える。


「だが、それはごく一時のこと。自分も向こうも幼体だった。雌雄も定かでないときの交友など、ままごとに過ぎん」


〝わたくしが幼体を脱した直後に会ったあと、あちらも幼体を脱して、そこから急に便りに返事もよこさず、家にうかがっても顔も見せない……〟

 紅葉の声があやねの脳裏で響く。成人の時期に、いったいなにがあったのか。その疑問をどうしても尋ねたくて、顔をそむける公孫樹にあやねは語りかける。


「先に紅葉さまが成人されて、直後に公孫樹さまが成人されたのですよね。なぜそれが、交友を断つきっかけになったのですか。お体の成長と変化に心がついていかなかったとか、そんな理由なのでしょうか」

「……いやに鋭い人間だな」


【次回更新は、2019年11月13日(水)予定!】

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