3 蛙の面に水より涙(4)

「ええ、ご自由に」


 冷たく紅葉がいうと、公孫樹は「では失礼する」といってずんずんと早足で歩き出す。太白はまだしも、着物のあやねと大仰な衣装の紅葉は遅れがちになる。


「公孫樹さん、早すぎます。少しペースを落としていただけますか」


 太白が声をかけるが、公孫樹は一瞬振り向いただけで、また歩いていく。


「いいのです。ああいうお方なのですわ」


 紅葉はなりふり構わず、長く引く着物の裾をばさばさ引きずりつつ足を早める。かなり重そうで歩きにくそうなのに、あやねを追い抜いていってしまった。


「太白さん。あのおふたりって、お知り合いではなかったんですか」


 あやねを気遣って歩みを合わせる太白に、そっと声をひそめて尋ねた。


「そのはずです。高級家具屋と観光業で種別は違っても、両家の交流は長年ずっと密でした。ただ、三十年ほど前から両人の行き来は断絶していたようですが」

「いったい、なにが?」

「たしか、公孫樹さんが成人されたのがきっかけとか。くわしくはわかりません。そのころは、まだ僕は生まれていませんでしたので」

「ええっ!?」


 意外な言葉にあやねの声が跳ね上がる。


「太白さん、その、おいくつです……?」

「二十五歳です。年明けに二十六になりますが」


 年下。

 まさかの年下!

 あやねは今年の冬に二十八になるから約二歳差だ。落ち着いているし、冷静だし、外見だけなら三十前後かと思っていたのに。


「妖かしだっていうから、百歳にはなられてるかと思いました……」

「ですから、僕は正真正銘の若僧なのですよ」


 苦笑気味に答える太白に、あやねはパーティで小耳に挟んだ会話を思い出す。


〝やっぱり、後釜は土門か〟〝当然だろ、実績もない若僧なら……〟

〝ご両親も亡くて、後ろ盾もないのではねえ〟〝片親も……ですし〟


 やっとあやねは納得した。

 物腰穏やかで有能なのに、ひそかに風当たりが強いのは、母親が人間だからという以外にも、年齢が真実若いからなのだ。

 長命な妖かしたちにとっては、若僧も若僧、いっそはなたれ小僧扱いでもおかしくない。


「啓明氏も、歳星さんも、見かけどおりの年齢ではないんですよね。でしたら、妖かしの外見って、自分の好きに、自在に変えられるんですか」

「妖かしの持つ妖力にもよりますが、おおむねそのとおりですね」


 なるほど、とうなずきつつ、あやねは太白を見上げる。

 太白の母親は〝人間〟。

 しかし祖父の啓明が五百歳以上なら、父親もそれなりの年齢のはず。どういう経緯で人間と結婚し、太白が生まれたのか。

 大事なことのはずだけれど、ビジネスの関係でしかないなら、踏み込んで訊けない。太白の優しさは、自分のテリトリーに入れないためのバリアにも思えるし……。


(向こうから話してくれるかもしれないし、まだ様子見かな)


 悩みつつ歩いていると、前方で公孫樹が立ち止まった。


「ここならばいいだろう」


 といって狐の使用人を呼び寄せ、履き物を靴脱ぎ石に置かせると、おもむろに濡れ縁から下りていく。

 しかし、そこは池のほとり。しかも公孫樹が歩んでいく先は、池の真ん中を渡る飛び石だった。ふつうに歩くならいいが、紅葉の大仰な衣装では、足を乗せることも難しいだろう。


「待ってください、公孫樹さん。いくらなんでもそんな道は」


 太白が呼び止めると、公孫樹は振り返る。


「選んでいいといわれたから選んだまでだ」

「ええ、そうでしたわね」


 紅葉はまなじりを吊り上げて庭へ下りていく。


「無茶です、紅葉さん!」


 あやねもあとを追い、草履の鼻緒をつっかけて庭に下りる。

 紅葉が飛び石を渡ろうとするので、衣装の裾を水にけて汚さないために、急いで身をかがめて持ち上げる。だが紅葉が気づいてそれをとがめた。


「けっこうですわ。おかまいなく」

「ですけれど、このままでは汚れます」


 バンケットスタッフとして、あやねはウェディング関連のパーティでも働いた。ドレスやヴェールの裾を直し、移動の際に抱いていったこともある。サービス業の習性のような無意識の自然の動きだった。

 しかし紅葉はばさりと裾を引いて、あやねの腕から外す。


「高階の奥さまになろうともいう方が、使用人のような真似をなさる必要はありません。わたくしは気にしませんから」


 といって紅葉は飛び石を渡り始めた。案の定、上衣の裾が飛び石から垂れて、濡れてくる。あやねは内心あわてるが、手出しはできず見守るしかない。

 とりあえず追いかけよう、と足を踏み出すと、すかさず隣から手が伸びる。


「あやねさん、よければ腕につかまってください。歩きにくいでしょう」

「……太白さん」


 感心半分、呆れ半分にあやねはいう。


「とても、よく気がつかれるんですね、太白さんて」

「仕事柄でしょうか。体の弱い母を気遣う父を見てもいましたから」

「仲のいいご夫婦だったんですね……。うらやましいです」


 あやねは少し目を落とすと、それからきっぱりと答える。


「でも、だいじょうぶです。太白さんのご心配はありがたいんですけれど、ずっと手助けされていると、なんだかなにもできない子どもみたいな気持ちになるので。すみません、せっかく親切にしてくださるのに」


 太白は眼鏡の奥で目を丸くする。


「子ども扱いしているわけではありません。足元が不安定ですから、手助けできたらと思っただけなのですが」

「わかってます。ただ、その、なにもできない自分が辛いだけなんです」


 我ながらなんて可愛げがないんだろうとつくづく思う。太白の気遣いが申し訳なくて、あやねは言い訳のように言葉を重ねる。


「小さいころに父が亡くなって、母がひとりで働いて育ててくれて。母がそばにいないことが当たり前で、なんでもかんでも自分でする癖がついたんです。独りでできると、偉いねっていわれるから、それも嬉しくて。だから……ですかね」

「だれかに頼ることに、慣れていないのですか」

「そうですね。そうかも、しれません」


 上手くいえないな、とあやねは苦笑する。


「太白さんのご両親は素晴らしい方だと、太白さんを見ていて思います。それをうらやましいって感じるわたしがいて、だけど手助けされるのが情けないわたしもいるんです。……めんどくさいですね。親切を素直に受け取れないなんて」

「いえ、そうではありません。それが、あなたには大事なのですね。自分の力ですること、自分でできることはひとには頼らないことが」


 太白は考え込むように目を伏せる。そしてあやねを見つめて静かにいった。


「僕の振る舞いや、白木路の言葉が、あなたの誇りを傷つけてしまったのなら、謝ります。ですが、ロビーでもいったとおり、困っているときに助け合うのがパートナーだと僕は考えています。どうか僕が歩けないときに、あやねさんが手を貸してください。それでフィフティフィフティです」


 今度はあやねが目を丸くする。


「太白さんみたいな方が独りで歩けないときなんて、あるんですか」

「山ほどあります。今回の結婚のように」


 真摯なまなざしの太白を、あやねはしばらく見つめ、それからほほ笑んだ。


「わかりました。支えられるよう鍛えます。今日は……お願いします」


 そっとあやねは太白が差し出す腕につかまった。

 気恥ずかしさが募るが、こらえてぎゅっとスーツの肘を握りしめる。着物の裾に気をつけつつ、太白に支えられて飛び石を渡っていくと、行く手で紅葉が足を止めて振り返っていた。


「本当に、おふたりは仲がよろしいのですね。どこで知り合われたのかしら。堅物で通ってきた太白が、ここまでれ込むだなんて」




【次回更新は、2019年11月10日(日)予定!】

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