1 仇も情けも我が身から(4)


 パーティが始まった。

 招待客は二百人程度で、パーティとしてはそこそこの規模。年齢層は上下の幅があり男性が多め、服装も比較的フォーマルだ。

 ただ、やはり高級ホテル。広い会場内の演出はとても上品だ。

 落ち着いた和風の色合いの壁に合わせ、ガラス鉢入の大きな観葉植物。テーブルの装花はさりげない分、艶やかな着物のレセプタントが華を添える。

 照明はほどよい明るさでテーブルや料理を優しく照らしていた。

 決して華美にせず、品を重んじた装飾。それが心地よかった。

 パーティの形式は着席ブッフェだ。周囲に料理ボードが置かれて客が自由に取りに行けるこの形は、うたげが進むと立って歓談する客が多くなる。

 せいさん式のように席が決まったものと違って、堅苦しくないが座は乱れがち。

 会場は広く、各テーブルやボードが余裕を持って配置されていた。サーブする者が邪魔にならず動けると、あやねはこっそりほっとする。

 そして、ブッフェの料理は種類が豊富で量も多い。

 使われている食材も高級で、星付きレストランのディナーで出されていてもおかしくなかった。いくら最高級ランクのホテルとはいえ、どれだけお金をかけているのだろうと、あやねはいちいち細かいところにまで目を丸くしてしまう。


(いやいや、驚いてばかりじゃ駄目。ちゃんと仕事しなきゃ)


 耳につけたインカムのズレを直し、あやねは背筋をピンと伸ばす。


『このたびは、高階啓明引退記念会へ、ようこそお越しくださいました』


 壇上で、マイクを持った男性が口を開く。

 海外映画で主役を張る俳優に似て、怜悧な面立ちの貴公子然とした男性だ。スーツの胸元に差した鮮やかなブルーのチーフがお洒落で目立つ。

 堂々とした態度は、美形だがどこか堅苦しい高階とは、正反対な印象だった。


『進行はわたくし、当ホテル副支配人のもんさいせいが務めさせていただきます。それでは、啓明より皆様にごあいさつを』


 拍手が起こり、中央のテーブルから主役らしい初老の男性が立ち上がった。

 でつけた髪は真っ白で、顔には多少しわがあるが、背筋はぐで姿勢がよい。優しく穏やかな顔は鼻筋が通って高く、若いころはさらに美形だったに違いない。

 どことなく、統括事業部長の太白に似ていた。

 やはり親戚なのか。

 そして高階といい土門といい、このホテルでは顔面偏差値と地位が比例しているようだ。

 その高階は、と会場をそっと見回すと、壇の下で拍手をしている。控えめな立ち位置なのに、すらっとした長身と綺麗な横顔は、場内でとても目立っていた。女性スタッフやレセプタントたちが、仕事そっちのけでこっそり目を向けている。

 わからないでもない。あれほどの美形なら。


『今日はこのじじいの引退パーティにご足労いただき、ありがとうございます。あとはくたばるばかりですが、こうして皆様に集まっていただけるなら引退も悪くはない。葬式の際もぜひ、お誘い合わせてにぎやかにお越しくださいますよう』


 壇上の啓明のあいさつに、場内から笑い声が起こる。

 お追従だけとも感じられないのは、啓明の話しぶりが明るく楽しげで、親しみやすいからだ。


『とはいえ、今日はわたくしの引退祝いのためだけに、お集まりいただいたわけではありません。歳星、こちらへ』


 啓明は、袖にいた歳星に声をかける。呼ばれた歳星は啓明の隣に歩む。初老の啓明と並び立つと、歳星のはつらつとした容姿が際立った。


『各所への正式なご報告はこれからですが、内々にこの場でお伝えいたします』


 啓明はよく通る声でいった。


『青葉グランドホテルの次期総支配人は、この土門歳星となります』


 歳星が頭を深く下げた。おお、とどよめきが上がり、拍手が一斉に起こる。

 しかし、歓迎の声ばかりではない様子。後方では拍手しつつ顔を見合わせ、ちらちらどこかへ意味ありげに目をやっている者たちもいる。

 彼らの視線の先は──壇の下にいる高階太白。


『孫の太白はいまだ若輩者ゆえ、当面は事業統括部長の職にて、けんさんさせるつもりです。経験豊かな歳星ならば、安心してわたくしもあとを任せられますので』


 太白が客へ丁寧に一礼する。いくぶん戸惑い気味な拍手が上がった。

 こっそりあやねは目をいた。

 親族とは思っていたけれど、まさか直系の孫!

 どうりで育ちがよさそうで品もあるわけだ、と納得する。

 しかし、歳星のほうが経験豊かというが、太白とさほど歳が離れているようには見えなかった。いったい、どんな差があるというのだろう。


『のちほど歳星より就任のごあいさつを。まずはどうぞ、グラスを』


 啓明が歳星からグラスを受け取り、掲げる。


『青葉グランドホテルの発展と、皆様のご健勝を祈念いたしまして、乾杯』


 乾杯、という唱和で一斉にグラスが掲げられる。

 音楽が切り替わり、拍手が起こる。ざわめきとともに客は料理ボードへ散り、レセプタントも空いたグラスにお酒を注ぎ、年配の客のために料理を取りにいく。

 さて、これからが本番だ。あやねは場内に目を配る。始まったばかりだから、まだ料理はだいじょうぶ。空いたグラスや、汚れた皿に注意して……。

 と思った瞬間、あやねは凍った。


「リ、リブステーキと牛タンなくなります、補充をお願いします」


 あわててインカムで厨房に連絡する。

 ほんの一瞬だった。さっきまで山のように銀のトレーに盛られていた美味しそうなお肉は、いまやソースだけしか残っていない。場内を見回すと、会場の端のテーブルに積み上がるたくさんの汚れた皿が目に入った。

 こんな短い時間であの量を!? などと混乱する間はない。

 インカムでさりげなくスタッフを誘導する。

 カフェ・ラウンジのスタッフは、さすがに手際いい。動きは静かだし、皿を下げる手付きも見事だ。

 ただ、さっきのペースで食べられると、スタッフも混乱しかねない。

 あやねは紙ナプキンを補充しながら、そっとテーブルの客を見る。ほぼ男性ばかり数名。ひとりパンツスーツの長い髪の女性が混じっていて、彼女は新しい皿を持って料理ボードに向かうところだ。

 どの客もみな、若くもなく年をとっているようでもなく、ごくふつうの容姿で、特にがっついているようにも見えない。

 と思っていると、皿ふたつに肉を山盛りにしたパンツスーツの女性とすれ違った。思わず挙動不審になりかけるが、プロ意識で懸命にこらえて、あやねは近くのホールスタッフにそっと声をかけた。


「八番テーブルを、邪魔しない範囲で集中的に見ていてください。たぶん、かなりの頻度で皿の入れ替えが必要だと思うので」

「集中してだいじょうぶですか。ほかの場所でスタッフが足りなくなるのでは」

「そこはカバーします。八番さんが一番、手が要るはずなので」


 あやねは食器を下げたり、ドリンクを持ってきたりしながら、料理の減りに注目して動いた。やはり八番のテーブルの客が一番よく食べる。

 しかも肉ばかり。

 黒毛和牛の牛タンから始まって、あぶりリブステーキ、ローストビーフ、子豚の丸焼きまで出てきて、それが出てくる端からごっそり皿に盛られて消えていく。

 どういう胃袋?

 底なし?

 宇宙のしんえんにつながってるの?

 八番専属にしたスタッフだけでは手が回らず、あやねも場を仕切りながら懸命に皿を下げて運んでまた下げて、を延々繰り返す。

 皿、皿、皿。片付けても片付けてもぜんぶ皿。

 まさに無限皿地獄。

 どういうことこれ。どういうわけこれ。いくらなんでもおかしいよ!

 心中悲鳴を上げて目を回すあやねをよそに、八番テーブルは大盛り上がり。気持ちいいくらいに食べたり飲んだり、歓談したり、ほかの席からも客が混ざって、そこだけ人数がふくれ上がってきた。

 そうしてその場にかかりきりになっていると、自然と会話が耳に入ってくる。


「やっぱり、後釜は土門か」「当然だろ、実績もない若僧なら」


 中年男性同士が半笑いで語り合う。


「ご両親も亡くて、後ろ盾もないのではねえ」「片親も……ですし」「事業統括部長といいますけど、実務はどうだか」「名家と縁組でもしないことには……」


 年配の女性とスーツ姿の若い女性が訳知り顔で話し合う。

 切れ切れにしか聞き取れないが、高階部長が置かれた立場が芳しくないのはわかる。あの優しくて有能なひとが、とあやねはなんだか釈然としない。


「なあなあ、太白っちゃんよう。変だと思わねえのぉ」


 へとへとのあやねが乱れた座のあいだを縫って八番テーブルにグラスを置こうすると、パンツスーツの酔っ払った女性が高階部長に絡んでいるところに遭遇した。




【次回更新は、2019年10月21日(月)予定!】

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