1 仇も情けも我が身から(2)
◆
「さすがです……」
ゆったりとしたソファーに深々と座り込み、あやねはうめいた。
青葉グランドホテルのラウンジ・カフェは一階。頭上は三階までの吹き抜けで、開放感にあふれている。カフェの窓から、まばゆい緑の庭が心置きなく眺められた。
内装は、洗練されて落ち着いた和モダンなデザイン。スタッフも静かな動きで、上級感ある空気にオブジェみたいに溶け込んでいる。
ホヤでお
とはいえその値段は茶葉だけでなく、この豪華な空間に払っているのだ。
こんな最高級ホテルのパーティなら、予算も潤沢に使えるだろうとうらやましい。あやねが手がけていた仕事は、いつだってぎりぎりの予算と戦っていたから。
紅茶のポットが空になるまで、一時間はのんびり
「すみません、お手洗いは」
「レストルームでしたらあちらの奥に」
いい直されて赤面しつつ、あやねは礼をいって場を離れた。
レストルームに行きがてら、物珍しさに館内を観察して回る。
和モダンの内装に見とれていると、館内案内板が目に入った。職業柄気になってパーティ会場をチェックすると、どうやら地下と高層階にあるらしい。
ふいにかたわらを、女性スタッフがバタバタと走り抜けた。
あやねはいぶかしく見送る。ラウンジでの様子を見ていたから、このホテルのスタッフらしくないあわただしい振る舞いに違和感を覚えたのだ。
彼らは急ぎ足で階下へエスカレーターで降りていく。興味本位と、地下のパーティ会場が気になって、あやねはついあとを追ってしまった。
降り立って周囲を見回すと、地上の光を取り入れた箱庭付きのドライエリアがロビーにもうけられ、地下一階とは思えないほど明るく広々している。
スタッフが走っていった方角に、案内の看板が置かれている。
『青葉グランドホテル総支配人・
どうやら、このホテルの総支配人の引退パーティがあるらしい。
「……なにがあったんだ。ホールスタッフがこられないなんて」
奥から声が聞こえて、思わずあやねは柱の陰で足を止めた。
「わかりません。派遣会社に問い合わせたらそんな返事が」
そっと陰からうかがうと、ホテルの制服を着た男女のスタッフが、通路の隅で青ざめた顔で話し合っている。
「どうしましょう、開場は十九時ですが受付は十八時半からです」
「受付はべつの人員がいるからいいとして、ホールでサーブする者が……」
まずいな、とあやねはあわてる。興味本位の部外者がこんな場所にいてはいけない。すぐにこの場を離れよう、と思ったときだった。
「騒がしいですが、どうしましたか」
「部長!」
男女のスタッフが同時に振り返る。
奥の扉から、眼鏡をかけた背の高い男性が現れて、あやねは一瞬目をみはった。
明らかに一般人と違う。オーラ、というか存在感が違うのだ。
誰もの目を
前髪を上げて出した額に、細いフレームの眼鏡もよく似合っていて、秀でた知性が感じられる。でも、ひとを拒むようなものではなくて、根っこの性格のよさがにじみ出ている気がした。
「バンケットサービスの派遣会社が、契約をしてないというんです」
「どういうことでしょうか」
男性は穏やかに問い返すが、声が
「前担当者は、いつもお願いしている派遣会社に、仕様に
「でも、今日になってスタッフがこないので問い合わせしたところ、会社のほうからそんな返事が。退職した前担当者とも、連絡がつきません」
焦る顔で答えるスタッフたちに、男性は冷静に返す。
「代わりの会社は探せませんか」
「さすがに今日のこれからでは、どこもないかと」
「申し訳ありません、こんなことになるとは……わたしの確認不足でした」
「あなたのせいではありません。それより、足りないのはどの担当ですか。ホテル内の各部署に人員を割いてもらうよう、僕の名で要請しましょう」
「ですが、ただでさえ部長に対して、他部署からの風当たりは強いんです。このうえ人員を割いてもらうようお願いなどしたら、ますます立場が悪くなります」
「僕の立場など、どうなろうとかまいません」
ためらうホテルスタッフに、男性はきっぱりといった。
「大事なのはパーティがとどこおりなく始まり、終わることです。お招きしているお客さまに失礼があってはならない」
あやねは感心する。
男性の切り替えの速さや、指示の的確さ、下手に焦ったり、担当者の責任をむやみに追及したりしない冷静さ、なによりも責任を負うことに対して一切迷わないことに。
こんな上司だったらよかったのに、とうらやましくなる。そうしたらもっと、自分の力を発揮できただろうし、会社や上司の役に立ちたいと思っただろうに……。
「そちらにいるのは、どなたですか」
ふいに男性が振り返って声をかけた。あやねはびくっと飛び上がる。
【次回更新は、2019年10月19日(土)予定!】
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