1 仇も情けも我が身から

1 仇も情けも我が身から(1)

「はあ~、ホヤ美味おいしい」


 その日、あやねはせんだいのホヤ料理居酒屋で、真っ昼間から吞んだくれていた。




 ちょうど八月ど真ん中の観光シーズン。仙台も観光客でにぎわっていて、あやねもそのひとりとして、お昼前に駅に降り立ったばかり。

 吞んだくれて、といってもほぼ下戸なので、日本酒をグラス一杯吞んだだけだったけれど、酔っ払うには充分な量。

 なぜ、楽しい旅行の初日から、自棄やけざけをかっくらっていたのか。

 それは、五年勤めたとうきようの会社をクビ同然で退職寸前だから。

 多忙でマンションの更新月を勘違いしていて、退去扱いになったから。

 かろうじて荷物をトランクルームに放り込んだけれど、次に住む場所は決まっていないし、田舎で独り暮らしの母のもとに帰るのも気が進まないから。

 その母に会社を辞めると話したら、親戚から縁談話を持ち込まれたから。

 いくら二十七歳アラサーで、恋人いない歴はすでに三年近くといっても、結婚する気なんてこれまでだってこれからだって、これっぽっちもないのに。

 だいたい、気の合わない上司からも散々いわれてきたのだ。

 髪型を変えれば彼氏と今夜はデートなのかとか、うっかり前日と似た服装で出勤すれば彼氏とお泊りだったのかとか。

 花籠もいい年だよなあ、三十過ぎると婚活市場じゃまったく相手にされないから、早く相手を見つけろよとか。


 それ、パワハラですから。セクハラですからね!


 口が酸っぱさで曲がりそうになるほどいい返したのに、なにひとつ態度は変わらず、上にも訴えたのにあやねが大人気ないと退けられ、あげくに上司の失態を押しつけられて、責任を取る形で辞めることになったのだ。


「ホヤたまご、ください!」


 腹立ちを紛らわすため、あやねは威勢よく追加注文をする。

 旅に出たのも、そういうあれこれが積もり積もって、なにもかもに嫌気が差していたからだ。

 唯一よかったのは会社を辞めるから、もう二度とあんなろくでもない上司や会社とかかわらなくて済むことだと思う。

 旅先にこの仙台を選んだのはたまたまだった。

 以前から、大学時代の友人で自称『伊達だての女』にプレゼンされていたのだ。


「仙台行こうよ、仙台。もりの都!」


 久々に夕飯を一緒にしたとき、彼女は勢い込んで話してくれた。


「政令都市でお洒落しやれなお店も色々あるし、歴史も文化も深いし、なんたってまさむね公ゆかりの有名観光地。グルメだって牛タンだけじゃなくって海産物も美味しいし、お魚以外にも新鮮ないわ牡蠣がきもホヤも美味しいしね。あとねえ、あおじようの〝おもてなし武将隊〟のまさむねさまがすっごく格好いいんだ。ほら、見て見て」


 友人は数年前から、そのおもてなし武将隊の追っかけをしているらしく、スマホいっぱいに撮りためた写真を見せてくれた。


「『推し』がいる生活っていいよ。張り合いがあるっていうかさ。あやねも結婚興味ないなら仕事ばっかりじゃなくて、趣味を見つけるのもいいんじゃない?」


 そういわれても、あやねは仕事が趣味で『推し』だったので、話半分に聞いていた。とはいえ、結局こうして仙台にやってきたのでプレゼンは有効だったらしい。このホヤ専門料理店も、その伊達の女に勧められた店だった。


「はい、ホヤたまごお待ち」


 お皿がテーブルに置かれる。半熟のゆで卵をホヤで包んで出汁だしで煮た一品だ。


「んんー、最高。この、とろっと半熟卵と出汁の染みたホヤの組み合わせ」


 あやねはった頰で料理を口に運び、満面の笑みになる。先に食べた新鮮なホヤの刺し身も、口のなかでとろけるほどだった。

 いその香りにほんのりとした苦味がありつつも、新鮮なために甘くもあって、あっという間にとりこになった。東京でのいやなことも、一瞬忘れてしまうくらい……。


(忘れても、消えてなくなるわけじゃないんだけど)


 現実がよみがえって箸が止まる。

 職なし、家なし、アラサー独身、独り暮らしで家族なし。

 ぼっち旅行で、昼間っから酒をんでいる、なんて。

 あーあ、とあやねはテーブルに突っ伏した。

 上司は気に食わなくても、仕事は大好きだった。

 新卒で就いたのは、イベントプロデュースの会社。あやねは〝バンケット〟のプランナーで、ホテルでの宴会やイベントの演出を担当していた。

 バンケットというと結婚式をイメージされるケースが多い。

 もちろん、結婚式そのものや式の二次会を手がけることもあるけれど、同窓会や謝恩会、会社の式典やアパレルのレセプションパーティも担当する。向こうの要望や予算に合わせて会場のコーディネート、料理や人員の手配をする仕事。

 パーティの最中に顧客や出席者が楽しみ、喜ぶ姿を見るのは、あやねにとってなにより充実感があった。

 シングルマザーの母がお金に苦労する姿を見てきたから、自分で生計を立てていることに、心底あんもしていた。それなのに……。

 テーブルに置いたスマホから、メッセージの着信音。

 通知は母の名前。


『叔母さんの縁談話、考えてくれた?』


 嫌な予感とともにメッセージを開いてみたら、案の定。


『あやねの好きにしていいけれど、でも将来わたしになにかあったとき、あやねが頼れるひとと一緒になってくれていたら、安心だから』


 そこまで読んだとき、上司の声が脳内でよみがえった。


〝結婚式の演出だってしてるんだからさ。幸せそうな新婦を見て結婚しようって気持ちになるよなあ、ふつうの女子ならさあ〟


 むかっ、ときて、あやねは即行で返信した。


『悪いけど、ぜったい、結婚なんかしません! 叔母さんにも伝えて。転職先も考えてるから、心配しないで。もうこの話は終わり!』


 頼れるひとってなんだ。自分の稼ぎだけで生計立てて、貯金だってちゃんとしてきたのに、それでもひとりじゃ頼りないってわけ。

 三年前、学生時代からの彼氏が海外赴任になり、結婚してついてきてくれといわれたけれど、仕事が楽しいあまりに日本で待っていると断ったら、ふられてしまった。なんでもその後すぐに、彼は会社の同僚と籍を入れて赴任先へったという。

 そのときから、自分ひとりで生きていくと決めたのだ。

 改めてあやねは決意する。ぜったい結婚なんかしない。この旅を楽しんで気分転換したら、就職先と住まいを最大速度で探して、自分ひとりで生きていくのだ。

 その一方で、母だって早くに父を亡くして苦労した分、ひとりで生きている娘が心配なのだと、ちくりと良心が痛む。

 ぴろん、とメッセージが入った。また母かと思いきや友人の伊達の女からだ。


『なに、あやねってばいま仙台なの?』


 到着時に送ったメッセージをいま見たらしい。


『そうだよ。お土産買ってくから欲しいものあったら、いって』

『もうちょっと遅かったら、会社の夏休みで一緒に行けたのになあ。そういえば、秋に〝ようにんフェス〟が仙台であるじゃんね。十一月だっけ』


 妖忍フェスとは、みやけん出身の作家による超人気伝奇小説シリーズ『妖忍』がテーマのフェスだ。舞台は、作者の地元の仙台。

 主催は版元の大企業、だいかくしゆつぱん。シリーズは累計一千万部を超える売れ行きを誇り、ドラマ化にアニメ化と次々メディアミックス展開され、どれも大好評。

 今回のフェスは、実写映画化を記念して、舞台である仙台市内で開催される。

 あやねが勤めていた会社、東京バンケットサービスも、このフェスにかかわっていた。開催が今年の十月二十五日~十一月四日で、ちょうどハロウィンの時期のため、フェスに合わせて仙台の新興ホテルで、コスプレパーティが開かれるのだ。


『そうだけど、もうわたしは関係ないもの。会社辞めるし』

『知ってるよ。よく我慢してきたよね』


 事情を知る友人はねぎらってくれた。


『でもさあ、なんでパーティ会場が〝あおグランドホテル〟じゃなかったの? 妖忍の作中でも、ぼかされてるけど、そのホテルが出てくるじゃない』

『それが断られたみたい。だってあそこって超一流ホテルだもの』


 青葉グランドホテル。

 仙台一の高級ホテルで、いわゆる国際基準でいう最高ランクの〝ラグジュアリーホテル〟だ。あやねも会社の仕事経由で名前だけは耳にしていた。

 もっとも、取引などできるような格の相手ではないけれど。


『いくら人気作品とはいえ、ハロウィンパーティなんて浮かれたイベントは敬遠したんじゃないかな。地元だからフェスには協賛で出資してくれたけど』

『ふーん、せっかく舞台になってるのに。そうだ、どうせならその青葉グランドホテルに行ってみたら。あそこのアフタヌーンティー絶品だって』


 たしかに職種柄、気になる場所ではあった。そんな超一流ホテル、仕事でもプライベートでもそうそう足を踏み入れる機会はない。


『政宗さまが、たまにそこで演武披露するんだ。外国人の観光客が多いからみたい。ついでに次の演武がいつかチェックしてきてよ』


 推しのおもてなし武将隊の名前を出して、友人はプッシュしてきた。

 はいはい、と返信しつつ、仙台にきたのも彼女のプレゼン効果だけでなく、置いてきてしまった仕事が無意識に気になっていたのかな、とあやねは思う。

 それはそれとして、超一流ホテルでお茶をするなんて優雅で心躍る。美味しいホヤのお礼を店員に告げて会計を済ませ、あやねは弾む足取りで店を出た。




 宿泊先のビジネスホテルに荷物を預け、あやねはスマホで地図をチェックしつつ、青葉グランドホテルに向かった。

 目的の場所は仙台じようの近く。

 地下鉄に乗り、目的の駅に着いて外に出ると、八月の酷暑のなか、ホテルは真っ青な空を背景に高台にそびえ立っていた。

 周囲は木々に囲まれ、ちょっとした公園並み。高層と低層を組み合わせた建物は、シックな色合いの品格のあるデザインで、一流ホテルらしいたたずまいだ。

 いちげんきやくが行っていい場所なのか不安に思いつつ、無意識にシャツを伸ばし、背筋も伸ばして、あやねは炎天下の坂を登り始めた。



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