第5-3話 気になる視線




 あんまり時間もなかったので、昼飯は大学の中にあるコンビニでおにぎりと惣菜パンを買って食べる事にした。学生食堂の利用も考えたのだが、開いているのかもわからないし、入学したてで腰が引けた。

 食堂はともかく、ラウンジは開放されているようなので、コンビニで買ったものを持って移動する。


「大学内のコンビニあいてて良かったなー」

「こんだけ人がいれば、そりゃ開かざるを得ないんだろ。同じように食料買ってる連中がいたしな」


 このラウンジでもサークル活動の勧誘ブースが設置されておりそれなりに混雑はしていたが、席の確保が難しいほどではなかった。比較的空いているラウンジ奥にある自販機側の一席に座ると、早速買い込んだ惣菜パンの袋を開けた。


「なーミキちゃん、今日はあと全学部ガイダンスで終わりだし、帰りにどっか寄って帰らない? 飯でも食ってこーよ」


 暁は手に持っていたコンビニ袋を漁り、鮭おにぎりを取り出してラップをはずす。先ほど忍先輩から貰った野菜ジュースとおにぎりの組み合わせは合わないと思うんだが、暁は一向に気にした様子を見せずにジュースとおにぎりを交互に口に運んでいた。うまいのか、それ?


「…今朝渡されたパンフレットによると、俺は全学部ガイダンス後にうちの学部の学部内説明もあるみたいだけどな?」

「マジか! えー、オレそんなの聞いてないし」

「学部違うんだから、そういうモンじゃないのか? 大学生にもなってダダこねんなよ」


 グダグダ喚く暁を睨み付けると、晃佑は短く嘆息した。コイツが主席入学者だというのは何かの間違いだったのではないのだろうか。そう思わせるぐらい、今の暁の態度は大人気なかった。


「せっかくミキちゃんと一緒に遊べると思ったのにー」

「はいはい、今日じゃなくてもいつでも遊べるだろ」


 半眼で言葉を流しつつ、晃佑もやきそばパンの袋をあけて口へと運んだ。やっぱり、野菜ジュースにはパンのほうが合う。おにぎりと迷ったが、こっちを選んで正解だった。

 そうして晃佑が食べ始めると、暁も先ほどまでの文句を止めて二個目のおにぎりのラップを外しだした。結局、食欲には敵わないのである。

 しばらく無言で食べ物を漁っていると、見知った顔が席の後ろにある自動販売機へ近づいてきたのに気付いた。


「あれ、唯ちゃんだ」


 暁も気付いたらしく、声をかける。


「あ、暁くん! こんなところで会うなんて偶然だね」


 嬉しそうに笑顔を浮かべて暁を見つめる都河さんに、晃佑は内心で苦笑した。彼女が暁に会えて嬉しそうなのがバレバレだ。しかし暁は気にせず話を進めていく。


「唯ちゃんもラウンジ来てたんだね。ご飯食べた?」

「うん。同高の子がいたから一緒に食べたんだけど、喉渇いちゃって」

「わかる。今日ちょっと暑いくらいだしね~」


 軽く笑いながら暁は席を立つと、都河さんの側の自販機に小銭を入れた。


「唯ちゃん何飲む? オレのおごり」

「えっ、でも…」

「いいよいいよ。シェアハウス仲間じゃん。気にしないで」


 そう告げて暁は都河さんにボタンを押すように促す。こういう事を自然体でやってのけるから、暁が女性から好かれる割合は高い。都河さんの場合はシェアハウス内で挨拶した時から既に好意を抱いている様子だったが、このさり気ないやりとりで更に好感度を上げたようだ。彼女の目がそれを物語っているのだが、暁の方は気付いているのやら。全く構わない様子で都河さんと会話を続けている。


 会話には加わらずに二人のやりとりを眺めながら、晃佑は二個目のパンに手をつけようとした。その瞬間、ふとどこからか視線を感じたような気がして周囲を見回す。しかし知り合いが近くにいる様子もなければ、こちらを見ている人の姿もない。

 晃佑は暁と違って気配には聡い方だが、一緒にいる人物がなにしろ主席入学者で挨拶をした人物だ。なんとなくこちらを見ただけかもしれない。そう思い、晃佑は視線を感じたことを忘れてコロッケパンの袋を開けると、中断されていた食事を再開した。



 ――しかし、この視線がどういう意味を持つのか、晃佑ですら今はまだ気付けなかった。 





 午後から始まった全学部――とはいっても、本日入学式を迎えた経済学部・商学部・理工学部の三学部のみだが――一斉ガイダンスは学部別で席が決まっているわけではないようで、晃佑は暁やラウンジで偶然会った都河さんと横並びで席に着いた。その間、暁と都河さんはサークルの仮登録の話やら、友達や先輩の話などテンポ良く会話を続けていた。


 よくもまぁ、そこまで話すことがあるもんだ。あまり人と長く会話をするのが苦手な晃佑からしてみれば、驚異的である。しかも時折思い出したようにこちらにも会話を振ってくるのがまたいただけない。自分はいいから放っておいてくれないかと思ってしまう。

 嘆息するのをなんとか飲み込んでから、晃佑は会話の輪から外れてガイダンス用に渡された用紙を眺めた。その紙には履修案内や講義要綱、時間割等が記載されていた。高校とは違う様子に、否が応でも緊張が高まってゆく。


 これから自分はどういう大学生活を送ることになるのだろうか。期待と不安が入り混じる感情で用紙を見つめているところで、暁が横から肩を小突いてきた。


「なー、ミキちゃんは入学願書の外国語、何で提出した? オレさ、やっぱり今更だけどフランス語とドイツ語じゃなくて、中国語にすれば良かったなぁ、って思うんだよなぁ…そしたら中国旅行の時困んないじゃん? フランスとドイツは英語で乗り切れたしさー」


 ……って、何を基準で外国語選択してんだよ、お前は! え、そういう基準で決めちゃっていいもんなの?


 相変わらずの発言に、ちょっと緊張していた晃佑の肩の力がガクリと抜ける。どう返答しようか迷っている内に一斉ガイダンスが始まってしまい、会話は有耶無耶のままで流されてしまった。


 そうして一斉ガイダンスは約三十分程度で終了し、晃佑と遊べないと膨れていた暁は都河さんに誘われて一緒に帰ることになったようだ。本当に今時の恋する女子は積極的だ。自分には出来ない真似である。


 先に帰る二人を見送って、晃佑は理工学部のガイダンスに出席するために会場を移動した。


 一人になった晃佑は、気楽な気持ちで講堂の中へと足を踏み入れた。講堂の中は先程までの一斉ガイダンスとは違い、一気に人数が減った上、女性比率が下がっている。理工学部は圧倒的に男子率が高いのだ。別に女性蔑視をするわけではないが、晃佑は女性とちゃらちゃらしているのを好まない性質なので、むしろ女性が少ない方が気を使わずに済む分、楽だった。


 係員に確認すると、ここでも席は特に決まっているわけではないらしい。空いている席に座って待つように指示された。

 別の学部の二人を見送っていた為か、空いている席はそこまで多くなかった。理工学部の大部分の人は一斉ガイダンス終了後、講堂から出ずそのまま席に座って待っていたようだ。すぐさま講堂内を見渡し、晃佑は真ん中より少し後ろの列で空いている席を見つけると、椅子へ近づいていく。


「すみません、ここ空いてますか?」


 隣に座る黒縁眼鏡をかけた男性に声を掛けてみた。椅子に荷物を置いていたし、連れがいる場合もあるので一応確認したほうが無難だろう。

 声を掛けられた眼鏡の男性は携帯から視線を上げて晃佑の方を向いた途端、少しだけ面食らったような表情をしたが、すぐに軽い笑みを浮かべてみせた。


「あ、大丈夫です。空いてますのでどうぞ」


 相手はそう告げるとすぐに荷物をどかした。柔らかい口調で返してくる相手の様子が所見とは違っていたので、晃佑は内心で拍子抜けする。実はちょっと睨まれたように感じていたのだ。


「良かった。席が結構埋まってて、どうしようかと思ってたんですよ。ありがとうございます」


 晃佑も笑顔で返し、椅子に腰を下ろした。学部内ガイダンスが始まるまでそんなに時間もなかったので、時間を取られずに席を見つけ事ができて幸いだった。

 しかし隣の男には急に話し掛けてしまったため、少しびっくりさせてしまったようだし、もう一度礼を言っといた方がいいかもしれない。

 晃佑は荷物を降ろしてから再度、隣に座る眼鏡の男へ向き直る。


「あの…席、わざわざ荷物動かせてしまってすみませんでした」


 微かに頭を下げると、男は屈託のない笑顔で晃佑の言葉に答えてみせた。


「…こういう時はお互い様でしょう? そりゃあ、初対面で横柄な態度をとられたら席を譲ったりしませんけど、貴方はこういう時にきちんと礼を尽くす常識の持ち主のようだし、僕も気にしていませんので、そこまで気にしないでください。お互い、これから同じ大学の一員なんですから助け合っていきましょう」


 人のいい笑顔で言葉を繋ぐ男に、晃佑は胸がすくような思いだった。


「そうですね。お互い助け合っていきましょう。あ、自己紹介もまだでしたね。俺は神樹元みきもとと言います。学科は電気情報生命学科です」

「僕は泥谷はじやじゅんと言います。数学科です。よろしくお願いします」


 互いに自己紹介を済ませ、顔を見合わせて笑うと丁度ガイダンスの時間となったらしい。係のアナウンスが流れ始めたので、二人は短く挨拶を交わし正面の舞台に視線を向けたのだった。




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