第5-1話 まさかの入学式




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 シェアハウスに来てから大学に入るまでの準備期間はあっという間に過ぎた。何しろ、実家に居る時は母親が専業主婦だったので、自分で料理や洗濯する事も稀だったのだ。まだたった十日程だが、一人で四苦八苦しながら家事をしたり、他人との共同生活に慣れる為、他の住人となるべく会話してみたり、と行動的に過ごした結果、気付いたら入学式が目前に迫っていた。


 そして桜の花びらが舞う、四月三日――。


本日、晃佑は大学の入学式を迎えていた。学部毎にキャンパスが違うため、同じ大学でも入学式の日時が違ったりしているのだが、晃佑の通う理工学部と暁が通う経済学部、都河さんの通う商学部は同じキャンパスで入学式があるようだった。


 当日の朝、晃佑はクローゼットの中からグレーのスーツを取り出し、身につけた。リクルートスーツではなく、フォーマルでも着ることが可能なチャコールグレーの二つボタンシングルスーツだ。ネクタイは少し明るめの青のストライプ。靴もこれに合わせた黒のストレートチップ。このセットはそのうち就職活動でも使えるように一着ぐらい持っておいても損はないと、親が押し付けてきたものだ。昨今ではスーツ以外を着て来る人も少なくなくないようだが、入学式にスーツという定番を覆してまで普段着を着る勇気は晃佑にはない。


「行ってきます」


着替えると、スーツとセットで買ったビジネスバッグを持って、早めに家を出た。迷わないよう、少し早めに向かうのは晃佑の癖だ。


「気をつけていってらっしゃい」


 高橋さんの声が背後にかけられる。一人暮らしとは違って、シェアハウスだと誰かしらこうして声を掛けてくれるのが嬉しい。自分も誰かが出かける際には、声を掛けてみようと思った。


 駅まで数十分の道のりをゆっくり歩く。三週間ほど前、晃佑が内覧に来た時には同じ青空が広がっていてもまだ風も冷たかったというのに、今はスーツのみで歩けるほどの暖かさだ。住宅街の中にある小さな児童公園では薄紅色の花びらが暖かい風にそよいでいて、春らしい心地良い光景を作り出している。


(何か良い事ありそうだな…)


 晴れの日に相応しい景色を目にして、晃佑の心は浮き足立っていた。

途中で一度乗り換えをして、キャンパスへの最寄駅へ辿り着くと、そこからは徒歩で二十分の道のりを地図で確認しながら進んでいく。時々道を間違いそうになり、その都度地図で確かめつつ歩いていたら、キャンパスに着く頃には大分時間が過ぎていた。早く出てきて正解だったらしい。


 無事、正門前に辿り着いた晃佑が見たものは、満開の桜並木を埋める群集だ。これは入学式の行われる記念講堂まで続いているらしく、チラシやプレートを持った人物を目にして、サークル勧誘の先輩たちだと当たりをつけた。折角の桜並木がこれじゃあ、風情などゼロに等しい。

 辟易しながら押し付けられたチラシを受け取り、人の波を掻き分けて記念講堂の前まで進む。ここまでくるとサークル勧誘の群は消え、入学案内係が机の前で待機していた。講堂前でのサークル勧誘活動はどうやら禁止らしい。安心して受付を済ませると、新入生入り口へと向かった。


 講堂の中は外の喧騒とは打って変わり、静けさで包まれていた。とはいっても、式が始まる前なので多少のざわめきはある。サークル勧誘が活発で外がうるさすぎたのだ。多少なりとも音が遮断されると大分違うものである。

 晃佑は受付で説明を受けた自分の席へ向かうと、パイプ椅子へ腰をおろした。ようやく人心地付けた気分になる。ちらほらと他の人の姿が見えていたが、同じ学部で配置されているであろう晃佑の席の隣はまだ来ていなかった。


 式まであとどれくらいだろう。早く家を出たものの、ここまで来るのに大分時間を費やされている。

 時計をつけていなかった為、スーツのポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。九時十二分。入学式の開始時間は九時四十五分からなのであと三十分程余裕がある。ついでに送られてきているメールを確認すると、シェアハウスのメーリングリストから届いたメールがあった。この専用のメーリングリストを使用すると住人全員にメールが届く仕組みになっているので、住居内で新たなお知らせがあった場合、このメーリングリストを利用する事になる。掲示板と合わせて使われている便利なものだ。歓迎会の後にこのメーリングリストの事を全さんから教えてもらいすぐに登録したので、晃佑も使い方は覚えていた。


 メールの差出人は予想通り全さんで、内容は本日入学式を迎える学生に向けた祝いの言葉と社会人向けに年度始まりで激励する言葉、週末に住人の希望者で花見をやるので参加者は掲示板に参加有無を記載しておく事と記載されていた。

 あのシェアハウスの住人はアウトドア好きなのもあって、宴会騒ぎが好きなようである。


 また飲み会かよ…。


 今度は絶対に飲まないと心に決めつつ、それでも花見には参加しようと決めたあたり、晃佑も越してきてからの数日の内に大分慣れたのだろうと思った。


 他にも来ていたメールを流し読みしていたら、暁からメールが来ているのに気付いた。


『朝、家出るのギリギリになっちゃったから、入学式終わったら合流しようよ! 一緒にサークル見に行こうぜ!』


 今日も暁は通常運転らしい。出掛けにまだバタバタしてたからそのまま声も掛けずに出てきてしまったが、案の定、遅刻ギリギリのようだ。こういう晴れの日まで遅刻とかするなよ、全く…。


『わかった。式終わったら講堂の前にある時計台のとこで』

『りょーかい』


 メールを送るとすぐに返事がきた。返信だけは早いよな、コイツ。

 メールを見てからもう一度時間を確認する。あれから十五分は経っていたようで、二十七分と表示されていた。

 もうすぐ式も始まるだろう。携帯をサイレントマナーモードに設定して、ポケットにしまいこむ。晃佑の隣の席もいつの間にか埋まっていた。




 式は厳粛に始まった。教授たちの入場から始まり、開式の辞、学長式辞、理事長式辞、来賓式辞と長ったらしい挨拶が続く。

 式の間中、晃佑は何とか欠伸を噛み殺していたが、こう堅苦しい挨拶がだらだら続くと眠くて仕方ない。朝も早かったのだから。

 何とか寝ないように睡魔と闘いながら来賓の締めの言葉を聞いて、ようやく次に新入生宣誓だ。


「新入生代表、経済学部経済学科、虹上こうのえあきら

「はい」


 また堅苦しい挨拶が続くのかと吐息を零したのもつかの間、マイクで呼ばれた名前と壇上に上がった人物を見て晃佑は目を瞠った。


 ふわりと柔らかそうな癖っ毛の茶髪に、少し垂れ目がちの目をした百七十センチくらいの男はよく見覚えのある人物で。その男がネイビーの縦ストライプ柄シングルスーツを着て濃いピンクの細いネクタイを合わせているのがまた、派手好きな特徴を良く表していた。


(アイツが首席――? マジでか!)


 驚愕で壇上を見つめるが、相手は実に堂々とした態度で祝辞を述べていく。普段は真面目な顔を見せないだけに、真剣な表情をしているのが意外だった。


(そういや、ある意味馬鹿だけど、昔っから勉強に関しては頭良かったっけ…)


 朗々と響く声を聞きながら脳裏でそんな事を思う。アイツの事を「デキる馬鹿」と言ったのは自分だったか。


(何だよ、アイツ…今日まで秘密にしてるとか。終わったら、今日の式辞について盛大に揶揄からかってやろう)


 そろそろ壇上では締めの言葉に入っている。受付で貰った入学式のプログラムに目を向けると、この宣誓後は在校生歓迎の辞、校歌斉唱と閉会の言葉で式は終わる予定だ。


 ふと、拍手の音が鳴り響き、式次第から目を離して晃佑も拍手をする。

 式が終わるまであと少し。

 再び始まった長ったるい挨拶に眠気を感じつつ、式が終わるのを今かと待ち続けた。




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