第1-3話 希望の住処




 晃佑は十五分、待ち合わせ場所から動くことなく案内役の担当を待っていた。しかし予定の時間まであと五分を切っているというのに、担当らしき人物が現れない。

 はぁ、と吐息混じりに白い息を吐き出して、かなり冷たくなったコーヒーを飲み干すと、近くにある自販機横のゴミ箱へ缶を強めに投げ捨てた。

 内覧希望者を案内する場合、担当というのは客人よりも早く来て、待ち合わせに余裕を持って対処するものだと思っているのだが、そう思うのは自分だけなのだろうか。

 内心ぼやきながら、ダークグレーのメルトンコートのポケットからスマートフォンを取り出すと、最近嵌っているゲームアプリを立ち上げる。タップして画面の点を障害物を避けながら移動させるという単純明快なゲームだが、少しでも手元が狂うとゲームオーバーになってしまうという、難易度の高さが気に入っていた。

 待ち合わせのいい時間潰しになるだろうとはじめたのだが、寒さでかじかんだ手は自分の意思通りになかなか動いてくれない。それに輪をかけて待ち人が現れないものだから、苛立ちで更に指の動きがずれる。

 案の定、ゲームは惨憺さんたんたる結果に終わり、諦めてものの一、二分で違うアプリを立ち上げた。

 

 あとどれくらい待てば担当は来るのだろうか。


 待ち合わせ場所が改札で担当の人物の顔がわからない以上、自分は寒風に吹き晒されながらも、その場を動く事が出来ないでいる。

 ああ、こんなにも相手が現れないのなら、コンビニでコーヒーを買わずに、迷わず二十分前から駅前のカフェにでも入って暖を取っていれば良かった。

 新たに立ち上げた、丸いフォルムのキャラクターを繋げて消すだけの単純なゲームも、先程やっていたゲーム同様、指先が冷たくてなかなかうまく消せなかった。まだスワイプで適当に動かしても消えるので、いい時間潰しにはなっているのが救いだろう。ふと携帯の上部にある時計を確認すると、待ち合わせ時間より既に五分は過ぎていた。


(――こっちは二十分以上も前から寒空の下で待ってんのに、担当が遅刻してくるってのはどういうことだ?)


 苛立ちが脳内を埋めかけた頃、スーツを着た一人の男性が息を切らせながら改札目指して走ってきた。改札の前で立っている晃佑を見つけると、神妙な面持ちで話しかけてくる。


「神樹元さんですか?」

「…はい」


 名を問われた事で、それが間違いなく内覧担当の人物だと知る。


「いやぁ、すみません。首都高が渋滞しておりまして…」


 男は愛想笑いを浮かべながら、とってつけたような遅刻の理由を述べてきた。


「そうですか」


 短く相槌あいづちを打つ。

 どうやら担当は車でこの駅までやってきたらしい。駅の改札口で待ち合わせなのだから、車より電車を使ったほうが遅刻しなかったんじゃないんだろうか。実際、晃佑がこの駅まで来るのにスムーズすぎて早く着いたのだから。


 担当が来たところでようやく目当ての建物へと向かう。

 待ち合わせをした駅から徒歩で十分。担当の説明を軽く聞き流しながら、周りの景色を見回した。駅前からの道筋にはドラッグストアやスーパーなどが立ち並び、遠目に大型家電量販店やファッションビルの看板も見える。充実した店舗に日常生活は困らないだろう。

 商店街を通り抜け、住宅街へ入る頃には街の喧騒けんそうも大分薄れており、ただ、静けさだけが寒風と共に流れていた。


「ここです」


 少しして、ダークブラウンのウッドフェンスに包まれた建物の前で担当の足が止まった。同じような色合いの洋風な門扉もんぴをくぐり抜け、敷地へ入っていくとサイトで掲載されていた写真そのままの建物があった。

 豪奢なテザイナーズマンションのようなこの建物は、写真で見るのとは違って青空の下で見ると、鉄筋コンクリート製の灰色をした外観が光を跳ね返してどこか寒々しく見えた。敷地に植えられている木々が未だ冬の様相をしているからかもしれない。担当に案内されて、まずは建物の入口について簡単な説明をされる。エントランスの扉の前に個人別のメールボックスが十八台、宅配ボックスが六台ついていた。    メールボックスはダイヤル式、宅配ボックスは手持ちのICカードやスマホのおさいふケータイ等をキーとして登録をかけて開けるタイプだ。また、エントランスの扉はオートロック式で、こちらも宅配ロッカーと同じキーで開閉出来るようだ。入居した際に、好きなもので登録出来ますよ、と説明された。今日のところは担当の社員証で開けてもらうと、建物中央に配置されている扉を開けて中へと足を踏み入れる。


(中も外観に似つかわしい、冷ややかな感じなのかな…)


 予想しながら通った扉の先は、晃佑が外観を見て感じたような寒々しい空間ではなかった。

 室内の壁紙は全て柔らかいクリーム色で統一されており、天井に設置されている覆いのついたシーリングライトは柔らかい色合いで照らし出していて、入ってくる人にどこか安心感を与えているようだった。壁に飾りのようについているブラケットもその優しい色合いに一役買っているように思える。

 担当に促されて玄関を通り抜ける。玄関を入ってすぐ左側の壁は一部分クリーム色ではなく深緑になっており、チョークで文字が書けるような加工をされた掲示板になっていた。ここで連絡や在宅状況の確認などを行っているらしい。人の名前の横に○×がしてあったり、分配された作業内容とその担当の名前が記載されていた。また、右手側には扉のない小さな部屋が一つと、くもりガラスの扉が一つ並んでいた。 扉の無い方が下足箱で、部屋番号で割り当てられているそうだ。もう一方の扉を開けると、中はトレーニングルームだった。室内にはスポーツジムに置かれているようなトレーニング器具や、規模は小さいが、ボルタリング好きな人の為のクライミングウォールも設置されていた。設備としては結構いいものだろう。

 玄関の真正面、エントランスから繋がる廊下の右脇には、男女別々に使える浴槽付きバスルームとトイレがそれぞれ三基ある。男子用が一基、女子用が二基の割合だ。エントランスから続く廊下を通った先は各個人の部屋が四室。更に奥、右手側にライブラリールーム、左手側にDIYルームがあり、先程門扉をくぐった際に見えていたが、その更に先にはちょっとした庭もついているようだ。今は三月で緑の見えない庭だが、春になればここに家庭菜園が出来るそうだ。住人が各々で好きなものを植えて当番制で管理しているらしい。担当の話を聞きながら、二階へ向かう為、建物の中央にある階段を上がる。


 階段を出て右手側にはキッチンと間仕切りなしの広いリビングダイニングがある。その部屋の一番奥には壁掛け式六十インチの液晶テレビが設置されており、ゆっくりと寛げるよう、テレビの前には座り心地の良さそうなコーナーソファが置かれていた。他に四人掛けのテーブルが二台、二人掛けのテーブルが一台、椅子と共に並べられている。住人全員が一度に揃うと込み合うかもしれないが、誰もいない状態で見ると、静かなカフェのようにも見えた。

 キッチンにはガスコンロとシンクが二つずつ設置されており、その奥にゆとりのある食糧貯蔵胡も備え付けられてる。これなら他の人と文句言う事もなく料理も作れそうだ。

 リビングダイニングを出て右手側にシャワールームが二基。これはトイレに併設されたものらしい。階下のバスルームが混んでいる時はこちらを利用するのが便利らしい。ちなみにバスルーム、シャワールーム共に二十四時間利用可能だそうだ。

 リビングから真っ直ぐ進んで、突き当りの廊下を左手に曲がるとランドリールームがあり、ドラム式洗濯乾燥機が三台設置されている。こちらは夜の十二時まで。防音にはなっているが、一応隣接する住人への騒音対策の為だ。また、この廊下の両脇に個人の部屋が六室。個人の部屋の奥には多目的ルームで、さらにその先には夏に居心地の良さそうなベランダがあった。

 担当の案内はそのまま続き、先程上ってきた中央階段から三階に回る。三階は個人の部屋が六室。ここはさらりと説明して、そのまま更に階段を昇れば広々とした屋上へと出られた。ここではよく住人達がアウトドア活動をしているようで、冬の間はあまりお目にかからない大型のバーベキューコンロやポータブルハンモックがこれでもかと鎮座している。地元でもほとんどキャンプをした事のない晃佑だったが、このコンロを使って未だ見知らぬ住人たちとバーベキューを楽しむのも悪くないと思った。


 一番最後に、今回募集をかけられていた一部屋を案内される。各部屋によって広さは多少違うものの、全部屋に壁収納できるベッド、ウォークインクローゼット、スリムデスクが備え付けてあると説明された。ベッドとクローゼットの位置は変えられないが、机は移動可能で、晃佑が入居希望している部屋は一階の角部屋のため、窓は北側と西側の二箇所についている。西側の窓はテラス窓になっていて、開放感のある明るいイメージだった。勿論、各個人部屋の扉は全てオートロック式で、それもICカード等で鍵を登録出来るそうだ。便利な世の中になったものだ。

 そうして余すところなく一通り説明され、内覧は無事に終了した。


 担当とは現地で別れ、一人で駅まで向かう。建物を出てからと言うもの、彼の心はどこか夢見心地でいた。

 興奮が覚めやらない。先程から自分でも何と表現してよいのかわからない躁状態が続いている。それはもう、商店街の喧騒が全く耳に入ってこない程には。



 ――決めた。絶対にあそこがいい。



 待ち合わせをしていた時には遅れてきた担当に腹も立てていたと言うのに、百八十度の変わりようだ。それでも、今の晃佑には朝のマイナスを打ち消すほどのプラスのイメージしか残っていなかったのである。

 家に帰ったらまず、親に話して相談しよう。母親は寂しがっていたが、一人じゃない分、安心してくれるかもしれない。

 それに、家族以外の誰かと住むなんて初めての試み、こんな機会でもなければ出来ないだろう。

 何がなんだろうとあそこに住んでやる。

そう決意を固めて、晃佑は意気揚々と実家へと帰っていった。

 この後、自分の決断にとんでもない後悔をするとは知らずに――。





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