第3-2話 カミサマの内情?




 シェアハウスに来てから三日目。

晃佑は鈍い頭痛と胃のムカツキを伴いながら起床した。昨夜全て戻したと思っていたが、気持ち悪さだけは残ってしまったようだ。これが二日酔いってやつか。


「ミキちゃん、起きてるかー?」


 軽いノックの音と共にドアの向こうから声がかけられる。頭が痛いから正直あんまり声かけて欲しくないんだが、このままドアをノックされ続けるよりは暁の用件を済ませてしまったほうが良さそうだ。

 ゆっくり起き上がると、施錠していたドアを開ける。


「……うるさい。何の用だ?」


 思った以上に低めの声が出た。酒を飲んだ次の日でどうも喉が焼けているらしい。威嚇いかくしたような口調になってしまったが、これでひるむ相手ではないのでそのまま会話を続けた。


「頭痛いから、用があるなら手短にしてくれ」

「やっぱ二日酔いになっちゃったか。はい、これ。コンビニで買ってきたから多少はすっきりするんじゃないか?」


 手渡されたコンビニの袋を覗き込むと、中には薬局でよく見られる液体胃腸薬のビンと水のペットボトル。


「あ、それからこれも。こっちは遠藤さんと透流さんから。飲ませすぎて悪かったって」


 そう言って押し付けられたのは薬とスピードチャージのゼリー。そもそも体調崩した原因が暁たちなのだが、弱っている時にこういうことをされると人は弱い。


「…ありがとう」

「うん、まぁ、オレも羽目を外しすぎちゃってたみたいだしねー。ちょっとしたお詫びってことで」


 暁は軽く笑うと頭を掻いて告げた。一応自分のした事を反省しているようだ。

 昔に比べると少し成長したんだな、お前。絡む時点からそうしてくれるといつも助かるんだが、そこまでは望めないんだろうな。昨日の様子でそれは理解した。


「あー、それから。昨日ミキちゃんが気にしてたから一階のトイレ見といたけど、ゲロ零れてなかったみたいだよ? 軽く掃除はしといたけど」


 追加された言葉に晃佑はギクリ、と顔をこわばらせる。



『また明日にでもここ来てよ。本題話せてないんだからさ?』



 あの得体の知れない男はそう言っていた。

 行かなければはっきりしないだろう。あれが夢だったのか、幻覚だったのか。それとも、本当に現実だったのか…。


「…ミキちゃん、まだ具合悪い?」


 いきなりぼんやりしだした晃佑を心配したのか、暁が声をかけてきた。

 こいつ、根はいい奴なんだよな。ただ、ちょっと自由ではしゃぎすぎると手がつけられないだけで。


「あぁ、悪い。薬、ありがとな。飲んで休んどけば治るだろ」

「お大事にー。入学式まであと十日だし、大学に入る前の休みを満喫しときたいよなぁ」

「お前の場合、ずっと満喫してると思うぞ…」


 溜息をついて言葉を投げかけると、苦笑して暁は部屋を後にした。

 暁が去ってから早速、もらった胃腸薬と頭痛薬を飲んで、ゼリーを胃の中に入れる。口にする順番としては間違っているだろうが、入ってしまえば同じだろう。最後にペットボトルの水を一口だけ飲んで残りは机の上に置き、ベッドを壁に収納してから晃佑は部屋を出た。


 向かうのはキッチンでも誰かの部屋でもない。廊下を出てすぐ近くにある男子トイレだ。

 あれが本当にあった出来事なのかまだ確信が持てないし、自称神様の言葉をまるまる信用したわけでもない。だが、得体の知れない存在が自分に「また来て」と言った。その約束を破るのはどうもはばかられたのだ。


 平日の午前中ということもあり、建物自体に人が少ないせいか廊下も昨夜のように静まり返っている。

 きい、と小さな音を立ててトイレの扉を開けると、中へと足を踏み入れた。扉の前でスリッパに履き替え、個室の前に立つと一度深呼吸をする。


 ここを開ければ、昨日の事が夢かどうかはっきりする筈。

 意を決して取っ手に手をかけると、晃佑はゆっくりと扉を引いた。

 扉は難なく開く事ができた。昨夜みたいに奇妙なつっかえもなければ、不思議な金属音も聞こえない。便器に視線を向けると、そこにはただの無機質な白い物体があるだけで、人の姿なんて勿論なかった。


「は……やっぱり、幻覚だったか」


 そうだよな、あんな事あるわけない。幻覚だって事は自分の頭が酒にやられてどうかしてたんだ。そうだ、そうに違いない。

 ほっと息をついて、便器の蓋をあけた。ついでだから用を足していくのもいいだろう。


「ようやく来たかぁ。待ちくたびれちゃったよ」


 晃佑がジーンズのファスナーに手をかけた時、どこからか声が響き、背伸びをする要領でにゅっと便器から両腕が出てきた。そのまま両腕は便器の縁にかけられ、よいしょっという掛け声と共に昨日も見た頭部が出現していた。


「あ、おはよう。あのさ。僕、君の名前を教えてもらってない事に君が出てってから気付いたんだよね。名前教えてよ」



 ――出た…居たよ、本当に。

 あぁ、全て酔った上での幻覚であってほしかった。



 昨晩、陸と名乗った自称神様の言葉を聞き流しながら、晃佑は自嘲気味にそう思っていた。


「ねぇ、聞こえてる? おーい、おーい?」


 便器に足を乗せて晃佑の耳元へ大声で告げる相手に、とうとう無視できなくなってきつく睨み付ける。


「聞こえてるよ、うるさいなこの花男め!」

「あっ、またその名前で呼んだな! 昨日折角名前教えてやったってのに!」

「何がムツだ、トイレ妖怪の癖に!」

「神様だって、昨日も何回も言って聞かせたでしょお?!」


 むくれた表情で言い返す花男さん、改め陸に思わず深い溜息が出た。

 幻覚じゃなかった上、このテンション……。なんだこれ。

 薬で抑えたはずの頭痛がぶり返してくるようだった。


「それより! 君の名前、教えてよ。これから君の事呼ぶのに困るじゃん」

「呼ぶ必要なんてないだろ。カミサマにはこっちでやらなきゃいけない用事があるんだろ? 俺なんか構ってないでさっさと用事済ませたらいいのに」


 額に手を当てて再度溜息をつく。あ、熱が出てきた気がする。ベッドを片付けて出てきたけれど、部屋に戻ったら即刻寝よう。そしてすべて悪い夢だった、で片付けてしまおう。

 自分の用は済んだとばかりに個室を出ようとした晃佑に対し、陸はきょとんと目を瞠って笑った。


「え、何言ってるの。君が居なきゃ半身探しは出来ないからね。ま、僕の姿が見えたのが運命だと思って諦めてよ」

「…ドウイウコトデス?」


 扉から便器に視線を戻して、晃佑は片言で問いかける。


「おめでとう、君は僕の半身探しのパートナーに選ばれた。神様の手助けが出来るんだ、良い事あるよ?」


 非常にいい笑顔で、非常に迷惑な事を聞かされた。


「だが断るっ!」

「いやいや、神の話を聞いちゃったんだから、そこは引き受けるしか出来ないよ。はい、かイエスで答えてよ」

「ちょ、それ俺の返答、聞く気ないだろ!」

「仕方ないよねぇ、神様ってのはそういうものなんだから」


 胡散臭い微笑みで晃佑を見遣り、言葉を繋いだ。


「そういえば…君の友達が確か、君の事を『晃佑』って呼んでたよね。それが君の名前かな?」


 陸の言葉が図星だっただけに、晃佑は目を逸らして口を閉ざした。

 教えたくなかった名前を昨晩、しっかり聞き取っていたらしい。アイツもどうしてあの時だけ自分をいつものあだ名で呼ばなかったのか。その事が悔やまれる。


「何も言わないって事は、正解だって認めてるようなものだよ」


 苦笑して陸は己の髪の毛を一本抜くと、晃佑の前にかざす。


誓約うけいを。我が言葉により、汝『晃佑』は我に助勢し給え。みつ象女はのめ埴山はにやまひめの二神の立会を以って此れを誓約うけいとする」


 陸が朗々と言葉を告げると髪の毛は仄かに輝き、陸と晃佑を柔らかい光で包んだ。


「…っ、なに?」


 突然の不思議現象に晃佑は戸惑いの表情を見せる。しかしそんな晃佑を気にせず、陸は光を帯びた髪の毛を便器の中に落とし、一拍手打ち鳴らした。すると、今度は便器の中から眩(まばゆ)い光が溢れ出してきた。


「我、罔象女が宣誓を聞き届けたり」

「我、埴山媛がの髪を以って承り」


 女性のものと思しき声が二つ重ねて流れる。玲瓏れいろうと響く二つの声は耳に心地良く、晃佑の心に神々しさを感じさせた。


「髪は神に通ずるもの」

「我らが証人じゃ」


 気高い声と共に光の中から現れた二人の姿を目にして、晃佑の動きが止まる。


「はっ…えぇ?」


 思わず変な声が出た。

 二度見して確かめてもやっぱりそれは間違いではなかった。


「……なんでその格好??」


 神秘も気高さも何もかもぶち壊してくれたお二人は、なんと白と黒の色違いのニッカポッカに厚手のシャツ(茶色)、グレーの毛糸ベスト、毛皮のマントを羽織り、とどめは鼠色のハンチング帽をかぶったマタギのような姿だったのだ。


「変かな?」

「久しぶりに人前に姿を現したから張り切ってお洒落してみたのだが」

「もうちょっと派手な色でも良かったんじゃない?」


 女神二人にカラーリングを諭す陸。いや、問題はそこじゃねえから。


「何をどうしたらこうなった…」

「現世では『森ガール』とやらが流行ってるのだろう?」


 自信満々で答える女神に晃佑は嘆息した。

 神様って、皆こんなのばかりなんだろうか。威厳もへったくれもないし、凄く残念すぎる。


「いやいや…俺でもそれ、違うってわかるし。森ガールってアレだろ? ワンピースとか着てるゆるふわ系だろ?」

「マジか!」

「森ガールってこういうのじゃないの?!」


 晃佑の鋭い指摘に落ち込む二人の女神たち。

 その落ち込んでる様はちょっと可愛いと思ってしまえなくもない。


「森ガールって聞いたことしかないから、名称だけ聞いて想像したらこうなっちゃったのよ…」

「姉さん、だから私は見栄はらないで普通の格好で行こうって言ったじゃないの」

「貴方だってノリノリだったじゃいのよ!」


 唐突に姉妹喧嘩が始まってしまった。止めようかどうか悩んでいると、横から第三者の声が掛かる。陸だ。


「はいはい、二人とも喧嘩しないの」

「陸様」

「その格好も面白くて僕はいいと思ったよ?」


 平然と言ってのける陸に、疑問に思いながらもインパクト強かったのは確かなので同意する。すると多少気が晴れたのか二人の喧嘩はすぐに収まった。



 ――何度も言うが、神様ってほんと、こんなのばかりなんだろうか。



 単純というか純粋というか。本当に面白すぎる。内心で呟いて、晃佑はそっと笑って見せた。

それはともかくとして。


「お二人はどうしてこちらに出てきたんですか?」


 疑問を口にすると、女神たちは晃佑に残念そうな視線を送ってきた。


「なんだ、半身探しのサポーター本人が自覚なしか」

しもべではないのですか、陸様の」


 …おい、どういうことだ?


 睨みつけて陸に詰め寄ると、顔に笑顔を貼り付けて言い切った。


「ごめーん、あんまり意固地だったから、君の名前を縛り付けて『誓約うけい』かけちゃった」


 かけちゃった、じゃねえよ!


 笑ってあまりに軽く言われたものだから、謝られてる感じがしなかった。


「ちょ…俺はやらないって、言っただろうが!」

「えー、僕は最初に言ったよ? はいかイエスで答えてって」

「くそおっ、それは強制労働って言うんだ畜生、花男さんめ!」


 晃佑が悪態をつくと、神様らしい柔らかい微笑みを浮かべて陸はとどめの言葉を紡いだ。


「神ってのは傲慢な存在なんだから、仕方ないって諦めてよね。誓約によりたった今から君は僕の手足、僕の駒だ。よろしく頼むよ」


 立会の女神たちも、妙な出で立ちのままで頷く。


「そんなの認めない!」


 ヤケクソのように叫んだが、覆水盆に返らず。晃佑は強制的に神のサポーターになる事が決定してしまったのだった。



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